ユダヤ問題のポイント(近・現代編) ― 外伝67 ― ケネディ大統領暗殺前夜1

 先日、6月20日に日本のメディアでも、「南米コロンビア大統領選 初の左派政権誕生」といったトピックスのニュースが流れました。
南米の左派、左翼とはどういった意味か?
 通常であれば「共産主義政権」か?と思われるでしょう。違います。ラテンアメリカ、中南米諸国の多くは、米国の支配者の傀儡政権として国富を貢ぎ続けてきたのです。これに抵抗する者が現れると「左翼ゲリラ」と称され、文字通りにCIAによって抹殺されてきたのです。中南米の紛れもない歴史です。
 富を吸い上げてきた米国を根城とする銀行家や大企業家にすれば、「お前たちは黙って我々の奴隷として富を貢物にすれば良い。それが長年のお前たちの伝統であり、それを守るのが保守である。」ということでしょう。そうやって米国の支配者に米国の傀儡として国富を貢ぎ続けてきたコロンビアに、初めて「左翼ゲリラ」出身の大統領が誕生し、左派政権が樹立したというのです。
 コロンビアに先立ち、ラテンアメリカでは「左翼政権」が次々と樹立されています。明らかに「アメリカ離れ」が顕著になって、米国や欧州の支配者への一方的な隷属からの抵抗・離脱の流れが世界で表面化してきているのです。
 今回はラテンアメリカの左翼政権誕生のルーツとなったキューバと米国の関係を見ていきます。この関係がやはり、ケネディ大統領暗殺の伏線ともなっています。
(seiryuu)
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ユダヤ問題のポイント(近・現代編) ― 外伝67 ― ケネディ大統領暗殺前夜1

米国大失態の「ピッグス湾事件」


1961年1月10日、米国大統領 J・F・ケネディの政権がスタート。若くハンサム、そして超裕福、申し分のない米国大統領の誕生で、順風満帆のスタートに見えたようです。しかし、ケネディ政権は早々につまづきます。同年4月の対キューバの「ピッグス湾事件」で米国は大失態を演じたのです。

中南米のラテンアメリカは「アメリカの裏庭」と呼ばれてきました。つまり、アメリカにその各国の富が民衆の犠牲のもとに貢がれる国家揃いだったのです。キューバもやはりそうで、キューバのフルヘンシオ・バティスタ政権は米国のいわば傀儡軍事政権でした。

フルヘンシオ・バティスタ
Wikimedia Commons [Public Domain]

1950年台前半、このバティスタ政権打倒の武装解放闘争が始まっていました。この闘争の中心にあったのがフィデル・カストロ、チェ・ゲバラらであり、彼らは紆余曲折の後に、遂に1959年1月1日にハバナ占領を果たして革命政権が成立しました。キューバ革命です。ただし、カストロたちは革命成立当初は反アメリカ政権を作る意志はなく、それどころか、カストロは同年4月にワシントンD.C.を訪問、米国に対して友好的な態度を見せ、革命政権の承認を求めていたのです。

アメリカ訪問時のフィデル・カストロ
Wikimedia Commons [Public Domain]

しかし、当時のドワイト・アイゼンハワー米国大統領は「予定にあったゴルフに行く」としてカストロとの会見を拒否、代理のニクソン副大統領もカストロに対して詰問調の会見を行うというありさまでした。ニクソン副大統領はアイゼンハワー大統領に、カストロは打倒すべき人物だと進言。米国政府は同年6月にカストロ政権に対して、キューバの最大の産業である砂糖の輸入停止の禁輸措置に出ています。米国はカストロ政権転覆計画を建てていたのです。

イラストの註:EMBARGO「スペイン語で“禁輸措置”」
LIFT THE EMBARGO!「禁輸措置を解除せよ!」


アイゼンハワーはそのカストロ暗殺を含む転覆計画を承認しますが、退任間近だったのでニクソン副大統領やCIAのアレン・ダレス長官らがカストロ転覆の作戦計画を進め、米国はケネディ就任寸前の1961年1月3日には、キューバに対して国交断絶を通告したのです。CIAを中心とするカストロ政権転覆計画は軍事作戦となります。

ドワイト・アイゼンハワー
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リチャード・ニクソン
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[Public Domain]
アレン・ダレス
Wikimedia Commons
[Public Domain]

それは、CIAの軍事援助と資金協力の下に、反カストロの母国脱出の亡命者1,500人をゲリラ軍として組織化しキューバ上陸作戦を敢行、これによってキューバ国内の反カストロ勢力が呼応、蜂起してカストロ政権を転覆させるというものでした。

大統領選に勝利したケネディはこの計画を聞かされ仰天しましたが、軍の専門家の意見も計画・作戦は成功するとのものでした。大統領就任早々のケネディは米国軍の介入には慎重でしたが、CIAアレン・ダレス長官の「正規軍を介入させないとする説明(これは虚偽の説明、海兵隊が上陸する手はずにあった)」で作戦の実行を承認します。

1961年4月15日に、キューバ軍機に偽装した米旧型爆撃機がキューバ空軍飛行場を爆撃、17日から亡命キューバ人部隊がピッグス湾から上陸侵攻を開始します。しかし、このピッグス湾事件、第1次キューバ危機とも呼ばれるこの軍事作戦は大失敗。「上陸部隊は19日に投降、114名が戦死し1189名が捕虜となった。」(ウィキペディア記事)とのことです。

編集者註:降伏して捕虜となった反カストロ派のキューバ人たち。


米ソ核戦争寸前のキューバ危機


「ピッグス湾事件」のウィキペディア記事は、「この作戦を主導したアメリカは世界から非難を受け、ケネディ政権はキューバ政策で大きく躓いた。」とありますが、世界からの米国への非難は当然です。米国が秘密裏に一方的にキューバのカストロ政権にし掛けた侵略戦争なのですから。「事件」との表記、これ自体が不適切でしょう。

「ピッグス湾事件」で世界からの非難を受ける責任者となったケネディ大統領はこの事件以来、CIAと軍部を信用しなくなります。そしてダレスCIA長官、チャールズ・カベル副長官を更迭しています。ケネディ大統領はCIA解体も視野に入れていたようです。当然、これも後のケネディ大統領暗殺の伏線になります。

一方のキューバのカストロ政権ですが、政権成立早々の1959年4月にワシントンD.C.を訪問するも冷遇・敵視され、6月には禁輸措置を受けたカストロはソ連に接近、同月に弟のラウル・カストロをモスクワに派遣し、経済協力協定を結んだのです。

更に、1961年1月の米国の国交断絶から4月のピッグス湾事件を受けたカストロ政権は、5月に社会主義宣言を発し、キューバ革命を「社会主義革命」として位置づけ、東側諸国の一員としてその関係が強化されることになりました。

フィデル・カストロ(左)の手を握るニキータ・フルシチョフ首相(右)
Author:Keizers [CC BY-SA]

こういったキューバのカストロ政権に対し、ピッグス湾事件後も米国は暗殺作戦を含めて攻撃の手を緩めようとはしませんでした。それによって「このままではアメリカ合衆国から政権を打倒されると危機を感じたカストロが、1962年5月にソビエト連邦に軍事的支援を求めて、核ミサイルの搬入とミサイル基地の建設に入り、その結果1962年10月のキューバ危機を招くに至った。」 (ウィキペディア「ピッグス湾事件」記事)とあります。

この1962年の「キューバ危機」は、米国とソ連との核戦争勃発寸前の文字通りの大危機でした。米国とソ連の双方が滅亡しかねない危機を迎えたのです。

ケネディ大統領はこの大危機に際し、空爆を主張する軍部を押さえ、キューバを海上閉鎖してソ連のフルシチョフと交渉。最終的には、米国が今後キューバに武力侵攻しない約束をしたことでソ連がミサイルを撤去することに同意し、この危機は回避されます。

ソ連の貨物船の上空を偵察飛行するアメリカの軍用機
Wikimedia_Commons [Public Domain]

しかし、この米国がキューバに武力侵攻しない約束に反発する連中もいました。「ピッグス湾事件」失敗で捕虜になっていた「亡命キューバ人」たちがそうです。彼らはもともと打倒されたバティスタ政権の者たちで、キューバで捕虜になった後、米国に身柄が引き取られたのです。彼らはその際にケネディへの「反感を露わに」、カストロ政権への軍事攻撃中止が更に彼らを「怒らせた」と記事にはあります。

ただし、彼ら「亡命キューバ人」」たち以上に、キューバ危機でのケネディの振る舞いに反発した連中がいるでしょう。


カストロ攻撃の背後の圧力集団


米国は誕生早々のカストロ政権を敵視し、CIAを中心として次々と絶え間なく攻撃を加えていきました。しかし、元々カストロ政権は、米国にすれば国家としては敵視する相手でも脅威でも全くありませんでした。CIA自体もカストロ政権など「いつでも打倒できる」と見て舐めきっていたフシがあります。この態度がピッグス湾事件の大失態に繋がるのですが…。

こうした米国のカストロ政権への種々の執拗な攻撃が、逆に却って1962年のキューバ危機として跳ね返り、米国も滅亡の危機さえも迎えたのです。

米国は、国家として敵でもないカストロ政権をなぜ執拗に攻撃し始めたのか?

表敬訪問してきたカストロとの会見を、当時のアイゼンハワーはすっぽかし拒否したのですが、その会見拒否の理由はウィキペディアの「キューバ危機」記事に次のようにあります。

傀儡政権だったバティスタ政権を背後から操ってキューバに多くの利権を持っていたアメリカの大企業やマフィアからの圧力により...(以下略)

アイゼンハワー自身もカストロを小馬鹿にしていた部分もあるでしょうが、アイゼンハワーはキューバに利権を持つ大企業、そしてマフィアからの圧力を受け会見を拒否、国家ではなく大企業とマフィアの利益のためにカストロ政権攻撃を承認したわけです。

このキューバに利権を持つ大企業とは軍産複合体であり、その持ち主の銀行家であり、マフィアとは言うまでもなくマイヤー・ランスキーの全米犯罪シンジケートです。事実ウィキペディアの「マイヤー・ランスキー」記事には以下の記述があります。

1959年1月、カストロの革命政権が誕生するとキューバに莫大な資産を残してマイアミに逃げ帰った。虎の子のホテルリヴィエラは没収され、一説に1600万ドルを損したという。帰米してすぐFBIと接触し、カストロ打倒その他状況の打開を訴えた。

ランスキーはキューバをシマにして、麻薬取引その他で大儲けしていたのです。

キューバ大統領バティスタ(左)とマイヤー・ランスキー(右)
Wikimedia_Commons [Public Domain]

つまり、キューバに利権を持つ大企業とランスキーたちとバティスタ政権はつるんでいて、一緒になってキューバの民衆から富を吸い上げていた。しかし、カストロ政権成立で、彼らはそのシマを失ったと言うことです。それでシマを取り戻すべく彼らは米国の国家機関を用いて、カストロに攻撃を仕掛けていったという流れです。

この大企業とマフィアなど圧力集団とは、前回に見た「ヴァリアント・ソーの提言・助言に対しては、大統領に決断を任せるべきだとのニクソン副大統領の副大統領の提案を頭ごなしに拒否した」“圧力集団”と同じでしょう。つまり、ナチスドイツ侵入を歓迎した銀行家と軍産複合体の大企業、そしてかれらの利益代理人です。利益代理人にはその実行部隊のCIA、犯罪シンジケートとADLが含まれると見るのが正確でしょう。


Writer

seiryuu様プロフィール

seiryuu

・兵庫県出身在住
・いちおう浄土真宗の住職
・体癖はたぶん7-2。(自分の体癖判定が最も難しかった。)
・基本、暇人。(したくないことはしない。)
・特徴、酒飲み。アルコールには強い。
・歯が32本全て生えそろっている(親不知全て)原始人並み。

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