ユダヤ問題のポイント(近・現代編) ― 外伝68 ― ケネディ大統領暗殺前夜2

 2017/10/23の竹下さんの記事では、「闇の権力がケネディ大統領をコントロールできなくなり、闇の権力に逆らった大統領がどうなるかという見せしめの意味での公開処刑だった」との見解を示されています。
 全くこの通りでしょうが、ケネディ大統領と同時期に同様に「闇の権力がそのコントロールが不能となり、暗殺司令を発した大統領」がいます。フランスのシャルル・ド・ゴール大統領がその人です。
 ケネディ大統領とド・ゴール大統領の暗殺作戦は、並行したような形で展開されていました。しかし結果としては、ケネディは公開処刑というべき形で暗殺、一方のド・ゴールは数十回にも渡る暗殺攻撃を“奇跡的”に逃れています。
 ケネディとド・ゴールの両者に共通する一つの態度は、当時のアルジェリア独立戦争に関してです。そして、両者の暗殺の中核になるキーワードがあります。PERMINDEX(パーミンデクス)がそれです。PERMINDEX(パーミンデクス)はコードネーム「ジャッカル」とも言えるでしょう。
 パーミンデクスを詳細に記した人物は『300人委員会』のジョン・コールマン博士、『ケネディとユダヤの秘密戦争』のマイケル・C・ハイパーの二人ぐらいでしょう。マイケル・C・ハイパーはどうもその犠牲になった模様でもあります。
(seiryuu)
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ユダヤ問題のポイント(近・現代編) ― 外伝68 ― ケネディ大統領暗殺前夜2

ケネディ暗殺と重なるフランス大統領暗殺問題


「ジャッカルの日」という映画があります。1971年出版のフレデリック・フォーサイスの同名の小説を映画にしたものです。これのウィキペディア記事「作品概要」の冒頭には次のようにあります。

1960年代のフランスを舞台に、シャルル・ド・ゴール大統領暗殺を企てる武装組織「秘密軍事組織(OAS)」が雇ったプロの暗殺者「ジャッカル」と、大統領暗殺を阻止しようとするフランス官憲の追跡を描いたスリラー小説である。

これはこの通りで、この映画は実話に基づいたものです。1960年台、フランスの「秘密軍事組織(OAS)」は、幾度も自国の大統領となったシャルル・ド・ゴールの暗殺作戦を実行しますが、全てが失敗に終わっているのです。

ケネディ大統領の暗殺が1963年であり、ド・ゴールの暗殺問題と時期が重なり、ケネディ暗殺とド・ゴール暗殺問題は実は密接に繋がってもいるのです。

このフランス大統領暗殺問題のもとにあったのが、アルジェリア独立戦争でした。北アフリカに位置する仏領アルジェリアにて独立を求める闘争が勃発、1954年にはアルジェリア戦争にまで発展し、この戦争は泥沼化していきます。

Wikimedia Commons [Public Domain]

そのような中でフランスでは、1958年10月にド・ゴールが大統領に就任し、第五共和政が開始されました。ド・ゴールは将軍として第2次世界大戦中はナチスドイツによって敗退したフランス軍をレジスタンス部隊(自由フランス軍)として率いて北アフリカ戦線で戦い、ノルマンディー上陸作戦後は祖国に戻って連合国と共に戦って1944年8月にはパリを開放した人物です。

左からアンリ・ジロー、フランクリン・ルーズベルト、ド・ゴール、ウィンストン・チャーチル(1943年)
Wikimedia Commons [Public Domain]

「フランスのアルジェリア」を信じて戦う現地駐留軍やフランス人入植者の末裔コロン、またはピエ・ノワールらの期待を一身に背負って大統領に就任したのがド・ゴールだったのです。しかし一方で、フランス国内では厭戦気分が蔓延し、アルジェリア独立を容認する国民が大多数を占めている現実もありました。

さて、1959年9月、ド・ゴールはアルジェリア人に民族自決を認めると発言したのです。アルジェリア駐留軍や入植者の末裔(コロン)たちにすれば、これは大いなる「裏切り」であり、彼らは大反発し叛乱を起こしていきます。ド・ゴールのウィキペディア記事に次のようにある通りです。

コロンは激しく反発し、1960年1月にアルジェ市でバリゲードの1週間と呼ばれる反乱を起こした。1961年4月にアンドレ・ゼレール、ラウル・サラン、モーリス・シャール、エドモン・ジュオーの4人が反乱し、ド・ゴールが速やかに鎮圧した(将軍達の反乱)。右翼組織OASもテロによりアルジェリア領有の継続を主張したが、1962年にド・ゴールは独立を承認した。ド・ゴールはこの間に度々OASのテロと暗殺の標的となった。

「バリケードの1週間」(1961年)
Wikimedia Commons [Public Domain]

しかし、仕掛けたOASの暗殺は全て失敗、OASは弱体化、そのOASが組織外から「ジャッカル」のコードネームで呼ばれる超一流の狙撃手で、要人暗殺もビジネスとするプロの暗殺者を雇う、これが映画のストーリーでした。


ド・ゴール暗殺の本当の実態


パレードする大統領を標的にして銃弾を再装填する「ジャッカル」、そこを大統領の警備隊員が発見、すんでのところでジャッカルを射殺して大統領は「九死に一生を得た。」、これで映画のストーリーは完結します。

ただし、「ジャッカルの日」は史実に基づいてはいますが、肝心部分は当然ながら描かれていません。フレデリック・フォーサイスは全貌を知っていたでしょうが、あえてそこはぼかしたのです。

肝心部分を含めたド・ゴール暗殺の実際はどうであったのか?

先に結論だけ示します。その回答はジョン・コールマン博士の『99年度版 300人委員会』 p289にあります。以下の記述です。

『ジャッカルの日』で扱われている出来事は事実に基づいている。明らかな理由から一部の登場人物や地名は変更してあるが、一人のMI6エージェントがシャルル・ド=ゴール将軍を始末するという任務を与えられていたというストーリーの要点はまったく正確だ。ド=ゴール将軍は人の言いなりになるような人物ではなく、300人委員会への協力を拒むようになっていた。ド=ゴールは300人委員会の存在はよく知っていて、参加するように招かれたこともあったがそれを断っている。そうした出来事が頂点に達したのが、ド=ゴールがフランスをNATOから脱退させ、その直後に独自の核兵力、いわゆる「核抑止力」政策を取り始めたときだった。300人委員会はこれに激怒してド=ゴール暗殺司令を出した。しかし、フランスの秘密情報部は「ジャッカル」の計画を阻止し、ド=ゴールの安全を守ることができた。MI6の記録に照らしても(付け加えておくと、MI6は、300人委員会が情報活動に関して最も信頼する機関だ)、フランス情報部のやったことはほとんど奇跡に近い。
暗殺局が全力をあげても、DGSE(フランス情報機関。前SDECE)の見事な働きによってド=ゴール暗殺は成功しなかった。そこで「仕事」はMI6、別名SISに、暗号名「ジャッカル」として割り当てられた。DGSEは若くて優秀な大学生を雇って、MI6、KGBを撹乱した。DGSEが外国の情報員を追い詰める卓越した能力は、あらゆる国の秘密情報機関の羨望の的だった。このグループが「ジャッカル」を最終目的地まで追い、ド=ゴール将軍のパレードの車に暗殺者が銃を発射する前に射殺したのだった。

ド・ゴールが暗殺の対象となった理由の一つは、既に見たようにアルジェリア独立を容認したからです。これはOASなどの反発を生んだのですが、イスラエルの敵意を生んでもいるのです。

ベン=グリオンとド・ゴールの初会談(1960年)
Wikimedia Commons [Public Domain]

事実、アルジェリアが独立を果たし国連に承認を求めた際に、イスラエルだけが反対票を投じたようで、アルジェリアとイスラエルは現在も明らかな敵国どうしでもあります。また、ケネディもアルジェリア独立を支持し、それでアメリカのイスラエル・ロービーを怒らせ失望させていた模様です。

ド・ゴール暗殺には裏でイスラエルが関与もしているのですが、決定的だったのは、ド・ゴールが300人委員会のコントロール不能となったこと、それで300人委員会がド・ゴール暗殺の司令を出したとコールマン博士は明示しているのです。そして、その実行に当たったのが「暗殺局」であり、「ジャッカル=MI6」だと明かしているのです。


「ジャッカル」とは何を指すか?


史実として、フランスの「秘密軍事組織(OAS)」がド・ゴール暗殺攻撃をくりかえし失敗したのは確かです。ところが、コールマン博士はこれを「暗殺局が全力をあげても、DGSE(フランス情報機関。前SDECE)の見事な働きによってド=ゴール暗殺は成功しなかった」としています。「暗殺局」が 300人委員会の命を受けOASを支援し、暗殺攻撃をさせたということでしょう。

それでは「暗殺局」とは?

『99年度版 300人委員会』 p289の記述によれば、「暗殺局」とは「300人委員会の命令のみを受け、他の解決法がすべて失敗したようなハイレベルの暗殺を実行する」もので、(それは2つあるようですが)その一つの名はPERMINDEX(パーミンデックス)ということです。

実は、既にPERMINDEX(パーミンデクス)については、外伝62にて触れています。『ケネディとユダヤの秘密戦争』のp033「写真資料」の以下の記述です。

J・F・K暗殺計画(およびドゴール暗殺計画)はパーミンデクスという国際企業を通して組織、資金提供されていた。この企業はイスラエルの情報機関モサドの「資産(アセット)」として機能していたダミー会社である。上の写真はパーミンデクスの設立を記念して開かれた会合で撮影された。背後からこの企業を動かしていたのは、モサドの武器供給・資金調達を取り仕切っていたラビのティボール・ローゼンバウム(写真右枠内)が創設したジュネーブのBCI(国際信用銀行)だった。

こちらの『ケネディとユダヤの秘密戦争』の記述では、パーミンデクスはダミーの国際企業であり、イスラエルのモサドが所有するモサドの秘密活動の隠れ蓑という位置づけでしょう。このパーミンデクスの財政を裏で仕切っていたのは、アイゼンベルグのパートナーだったティボー・ローゼンバウムのBCI(国際信用銀行)だとしているのです。

ただし、パーミンデクスはモサドのみの所有ではなく、そこにCIAが入り込みフランスのOASを支援していたことを『ケネディとユダヤの秘密戦争』の中で詳細に記してもいます。パーミンデクスは、モサドとCIAの秘密活動の隠れ蓑という位置づけになります。

ところが、それだけでも無いのです。今回は結論だけですが、コールマン博士の記述から明らかなように、パーミンデクスとはイギリス情報部、モサド、CIAの秘密活動の隠れ蓑であり、同時にイギリス情報部の「暗殺局」でもあるのです。

イギリス情報部、モサド、CIA、この中での最上部はイギリス情報部で、『99年度版 300人委員会』 p424の「300人委員会系統図」にある通りです。

300人委員会系統図
ジョン・コールマン著 『300人委員会』より抜粋

イギリス情報部の「暗殺局」がパーミンデクスで、その中にモサド、CIAが位置するとも言えるでしょう。また、イギリス情報部の最精鋭部隊がMI6で、これが端的には「ジャッカル」でもあるし、全体的にはパーミンデクスが「ジャッカル」とも言えるのです。


Writer

seiryuu様プロフィール

seiryuu

・兵庫県出身在住
・いちおう浄土真宗の住職
・体癖はたぶん7-2。(自分の体癖判定が最も難しかった。)
・基本、暇人。(したくないことはしない。)
・特徴、酒飲み。アルコールには強い。
・歯が32本全て生えそろっている(親不知全て)原始人並み。

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