————————————————————————
ユダヤ問題のポイント(近・現代編) ― 外伝73 ― ケネディ大統領暗殺3
ウォーレン委員会の設置
1963年11月22日 | 11:30 | ケネディ大統領狙撃される。 |
13:20 | ケネディ大統領の死亡確認。 | |
13:40 | ケネディ暗殺犯とされるオズワルドが逮捕。 | |
14:38 | リンドン・ベインズ・ジョンソン、第36代アメリカ合衆国大統領として宣誓。 | |
同年11月24日 | ダラス刑務所の地下駐車場にてオズワルドはジャック・ルピーに射殺される。 | |
同年11月29日 | ジョンソン大統領の命によってウォーレン委員会が設置。 |
上がケネディ大統領狙撃からウォーレン委員会の設置までの流れです。
リンドン・B・ジョンソンとジョン・F・ケネディ
Wikimedia Commons [Public Domain]
ケネディ大統領の死亡から間髪を入れずに、リンドン・ジョンソン副大統領の大統領就任の儀式が始まっています。大統領に就任したリンドン・ジョンソンは即座に、ケネディ大統領が進めていた業務を覆していきました。
全米犯罪シンジケート撲滅キャンペーン、共産中国の核施設への攻撃、イスラエルと中東諸国の和平路線、米ソの和平路線、ベトナム派兵の撤退、政府紙幣の発行、ET情報公開、これらが全て覆させられて、犯罪シンジケートは生き延びてイスラエルは安泰、イスラエルと共産中国は核兵器開発に成功、ベトナム戦争の拡大の派兵により軍産複合体は大収益、米国政府紙幣の発行は頓挫しFRBの金融支配の再拡大、秘密の宇宙プログラムの大進捗、以上のような結果を生んでいきました。
平たく言えば、リンドン・ジョンソンは300人委員会の手駒であって、300人委員会によってケネディ暗殺とリンドン・ジョンソンの即座の大統領就任は予め仕組まれていたでしょう。
このリンドン・ジョンソンの大統領就任の儀式には、ケネディ夫人のジャクリーンも参列して重要な役割を果たしているので、ジャクリーン夫人も300人委員会側の人間だったのかな?と思わされます。
ケネディ大統領の公開処刑とその処理は、300人委員会の命によって立てられたMI6・イギリス情報局のシナリオ通りに概ね進められたのです。
しかし、シナリオに狂いが生じたのがオズワルドの逃亡だったようです。CIAの末端手駒であるオズワルドは、狙撃犯の「身代わり」として「ハメるべく」選出された人物です。オズワルドはケネディ大統領を狙撃し、現場でその狙撃した銃で自分も自殺、シナリオではこのようなオズワルドによる身代わりの偽装でケネディ狙撃の処理は終えるはずでした。しかし、自分がハメられて身代わりに射殺されるのを察知したオズワルドが現場から逃走したので、事件2日後にダラス刑務所の地下駐車場の銃殺という無理筋の「口封じ」を行わなくていけなくなったのです。
既にシナリオに齟齬は生じていたのですが、元の本来のシナリオ、つまり大統領の狙撃犯がその銃で狙撃後すぐに自殺、これに準じて射殺された「オズワルド単独犯」という噴飯もののケネディ暗殺の“真相”を確定させたのがウォーレン委員会です。
ウォーレン委員会のメンバー
ウィキペディア記事によれば、このウォーレン委員会のメンバーは次のとおりになっています。
-
委員長
- 連邦最高裁長官アール・ウォーレン
-
委員
- 上院議員リチャード・ラッセル Jr.
- 上院議員ジョン・シャーマン・クーパー
- 下院議員ジェラルド・フォード
-
下院議員ヘール・ボッグズ
- 弁護士ジョン・J・マックロイ
- 前 CIA長官アレン・ウェルシュ・ダレス
300人委員会の手駒であるジョンソン大統領が設置させたのがウォーレン委員会です。ケネディ暗殺事件の真相を調査するのではなく、事件の真相を隠蔽し違う事実を捏造する、これを目的にウォーレン委員会が設置されたのはその最初から明白でしょう。その目的遂行のためのメンバーが選出されてもいたでしょう。
ウォーレン委員会報告書をジョンソン大統領に提出する委員たち。左からジョン・J・マックロイ、ジェイ・リー・ランキン、リチャード・ラッセル Jr.、ジェラルド・フォード、委員長アール・ウォーレン、大統領リンドン・B・ジョンソン、前CIA長官アレン・W・ダレス、ジョン・シャーマン・クーパー、ヘイル・ボッグス。(1964年9月24日)
Wikimedia Commons [Public Domain]
ウォーレン委員会のメンバーでまず目を引くのは言うまでもなく「前 CIA長官アレン・ウェルシュ・ダレス」です。前CIA長官で、長官を更迭された後もCIAに強い影響力を持ち、CIAを動かしていたアレン・ダレス、彼はいわば米国内でのケネディ暗殺のコーディネーターです。殺人犯の本人に自分の犯した殺人事件を調査させる委員会のメンバーに、いわばこれがアレン・ダレスのウォーレン委員会メンバー選出です。
ところがウォーレン委員会のメンバーには、アレン・ダレスと同等以上の犯人メンバー、“闇の権力”側の大物が選ばれてもいました。その人物はなぜかしら唯一の民間人ながらメンバーに選出されている 「弁護士ジョン・J・マックロイ」がその人です。彼はそのウィキペディア記事に次のように紹介されています。
アメリカ合衆国の弁護士、外交官、銀行家、大統領顧問である。第二次世界大戦中は、ヘンリー・スティムソンの下で陸軍次官補を務め、ドイツの妨害工作、北アフリカ戦線における政治的緊張、日本への原子爆弾投下への反対などの問題に対処した。戦後は、世界銀行総裁、対ドイツ高等弁務官、チェース・マンハッタン銀行会長、外交問題評議会議長、ウォーレン委員会委員、フランクリン・ルーズベルトからロナルド・レーガンまでの歴代大統領の顧問を務めた。
ヘンリー・スティムソン
戦時中ジョン・J・マックロイの上司であったヘンリー・スティムソンは、英米による日本統治の現地トップでした。つまりジョン・J・マックロイは、戦時中から“闇の権力”側の重要人物だったのです。その彼はルーズベルトからレーガンまで歴代大統領の顧問だったということですから、彼が戦時中から戦後の東西冷戦中まで米国歴代大統領を操っていたといえるでしょう。
更にジョン・J・マックロイは世界銀行総裁、他にはチェース・マンハッタン銀行会長、そして外交問題評議会(CFR)の議長だったというのです。彼の後にチェース・マンハッタン銀行会長と外交問題評議会(CFR)の議長の座についたのが「悪魔大王」デーヴィッド・ロックフェラーということになります。
「嘘(アホ)の帝国」のルーツ
アレン・ダレスもそうですが、ジョン・J・マックロイは当然ながら300人委員会のメンバーとしてその名を連ねています。外交問題評議会(CFR)はよく米国の「影の政府」と称されてきました。その議長であったジョン・J・マックロイは、アレン・ダレスの上位にあったアメリカ内での300人委員会のトップの一角であり、ケネディ大統領処刑の命令を発した一人であるようにも思えます。このような人物が建前上は、ケネディ大統領の暗殺の真相を調査するウォーレン委員会のメンバーだったのです。
ジョン・J・マックロイは、ウォーレン委員会の動向を内部から監視しながらリードするためにそのメンバーに入り込んだと見るのが自然です。実際、現実的に前CIA長官のアレン・ダレスに対してもそうですが、公的にも大統領の顧問であるジョン・J・マックロイの委員会内での発言に対して、公然と反対意見を押し通せるようなメンバーはいなかったでしょう。当時としては、ウォーレン委員会は米国政府によって設置された西側世界での公的最高に権威ある専門家・有識者の委員会だったでしょう。しかし、そのウォーレン委員会の内実はこのようなものだったのです。
このウォーレン委員会が、その後の西側世界での公的な専門家・有識者の委員会の雛形になったのでしょう。その後の例えば2001年の「911テロ」の主流見解として出された「パンケーキ理論」など「よくぞ、こんなアホな説を真顔で出せるものだ」と呆れるレベルでしたが、西側世界では権威・肩書だけで虚偽(しかもその虚偽がどうしようもないアホな説)がまかり通っていってしまったのです。
この中にはもちろん、日本の公的に設置されたはずの数数の専門家・有識者の集まりが出した「愚にもつかない提案」なども含まれます。これが最近では西側世界で出される「コロナウイルス」「コロナワクチン」そして「ウクライナ騒動」の愚にもつかない虚偽情報へと繋がったと言えるでしょう。
Mind Control, Subliminal Messages and the Brainwashing of America 2 https://t.co/bioBQQEfdx https://t.co/8WSpucqzKV pic.twitter.com/5b5yTy2oZg
— Ibeebz (@ibeebz2) March 27, 2016
アホぶりに枚挙の暇はありませんが、7月8日のアベシ銃殺事件などはその典型です。8月11日現在、統一教会とアベシや自民党の癒着は話題になっても、アベシ銃殺の事件そのものの検証は皆無です。この事件、世界が注目の超重要大事件のはずが、せいぜい警備の甘さが指摘されるだけ、事件へのメディア、警察、病院の発表内容は互いの情報が乖離矛盾し、支離メチャクチャな滑稽な絵図になっているのにも関わらず。
問題は凶器と死亡状況の2つに大別されますが、通常の意味で事件の最大の問題点は凶器、アベシに致命傷を与えたはずの銃弾が見つからないこと。致命傷の銃弾が無いならばその銃弾を発射した銃が特定できず、犯人も当然ながら特定できるはずもないです。物証もないのに「現行犯逮捕だ」と真偽不明の自白報道だけを根拠に、アベシは凶弾に斃れ犯人は確定、これが既成事実のようにされています。
しかし、この報道による既成事実化で公判維持などできるのか? 凶器の物証関連では以下の根本的な疑義もあります。
アベシ銃殺事件はその典型ですが、西側世界でこのような愚にもつかない発表がそのまま通じるようになっていったそのルーツが、ケネディ暗殺の公式見解を出した「ウォーレン委員会」でしょう。