hiropanの 絵と詩で泳ぐ 心の世界と島暮らし ~swimmer 第2回


「3月の淵」

あの日から
随分と長い時間が過ぎた
子供達はすっかり大人になって
あの日にはなかった街もいくつかできた
生き残った人間たちの手や顔に いくつかシワが刻まれた

時間はあらゆることを解決すると言う

しかし 無情に流れ過ぎてゆく 時間の川の真ん中で
ずしりと動かず止まったまま
何かがこちらを見ている気がした

あの日に置いてきたままの何か

生き残った者達の 体の中に流れる時間と
あの日に止まったままの者達と

川を挟んだ向こう側

遠のいているのか

近づいているのか




この3月で、東日本大震災から12年が過ぎました。この12年間で自分の周りも様々変化してきたけれど、時間の感覚としては、もうそんなになるのかと、少し信じられないような気持ちでいます。
家事に育児に、毎日目の前のことでいっぱいいっぱいになっているけれど、3月11日が来ると、自然と手を止めて、当時を振り返っています。

震災を経験した多くの人にとって、2011年の3月11日は、強制的にやってきた人生の大きな転換点であったことは、間違いありません。
以来、辿ってきた道のりは、一人一人全く違いますし、今だに当時のトラウマや心の傷を抱えたまま、苦しんでいる方も大勢いらっしゃいます。それでも、人間というのは、あらゆる経験を糧にしながら、進んでいくことのできる、逞しい存在だと感じます。

毎年、年に1度は子供達を連れて福島に帰ります。
西日本に住んでいる友人には、放射能のことを心配されますが、福島に帰れば、放射線を心配して生活している人は、ほとんどいないといった印象です。
むしろ、そういったそぶりは嫌がられるようなところがあります。

以前は福島のニュース番組内で毎日のように発表されていた各地の空間線量も、放送されなくなりました。公共施設の前などに設置されている空間線量計(モニタリングポスト)も故障したのか、表示されずに放置されているものを見かけるようになりました。

12年が過ぎて、放射能がどのように、どれくらい、人々の健康に影響を与えたのかというのは、自分の周りを見ても、正直よくわかりません。影響が出ていたとしても、普通に暮らしている限りは、耳に入ることはありません。
ここ数年は、家事育児に追われていることもあり、情報を自ら集めに行くことに、あまり労力を割いて来ませんでした。

でも同時に、心のどこかでは、やはり、「見たくない」「知りたくない」という心理が働いていたという自覚もあります。

私は福島が好きです。ですが、原発や放射能のことを考えると、どうしてもやるせない気持ちになります。『何もなかったことのように』とは、どうしても過ごすことができません。福島に帰ると、嬉しい気持ちと、気がかりとが、混在しています。自然豊かな場所ですが、子供には、藪や水が溜まりやすい場所には、なるべく近寄らないようにと、伝えています。いまだに線量が高い場所があるからです。

子供がもう少し大きくなったら、福島で何が起きたのか、というのを、改めて一緒に調べながら、伝えていきたいと思っています。


新型コロナの流行と原発事故

そして2019年から世界はコロナ禍へと突入していったわけなのですが、私は、このウイルスと、放射能汚染というのは、とても近いものがあると感じていました。

目に見えないコロナウイルスと、同じく、目には見えない放射能と。

それは、どちらも異常事態です。

コロナ禍に入ってから、「この混乱は3年くらいで落ち着くんだろう」という感覚を持っていました。それは、福島での経験から、人が非常事態になれるのに大体3年というイメージがあったからです。

人はどんな異常事態でも、それが日常化して仕舞えば、その状況にいずれ必ず慣れていくもののようです。

現在福島で、放射能汚染の状況を恐れたり、驚いたりする人がほとんどいないように、3年前、新型コロナ感染者が1日数十人だった時点で、多くの人があんなにも恐怖していたのに比べ、毎日数万人がコロナに感染し続けている現在、自分の隣の人が感染したとしても、あまり驚かなくなりました。

政府はこの春からこのウイルスを5類に引き下げるようです。

変異を繰り返し、致死率が落ちているとはいえ、やはり人によって重大な後遺症が残る場合がありますし、様々な疑惑に満ちたこのウイルスですから、かからないに越したことはありません。

我が家は昨年の春先、幼稚園でクラスターがあり、息子が感染。娘以外は皆熱が出てコロナ陽性になりました。イベルメクチンやビタミン類、亜鉛やマグネシウムなどのミネラル類、安定化二酸化塩素など、一通り療養で使えそうなものは取り揃えていたので、「来たか」という感じでした。幼稚園でコロナが発生したとわかってすぐ、イベルメクチンを飲みましたが、発症予防にはなりませんでした。幸い、熱が出ただけで、特に後遺症などはありませんでした。用意していたものに何かしら効果があったのかもしれませんが、どれがどう効いたかというのは、正直よくわかりません。ただ、熱が出た後、私は筋肉が痛くなったのですが、イベルメクチンを摂るとその痛みが、すっと和らいだという実感があります。

コロナ禍の幼稚園

息子はこの春、幼稚園を卒園しました。
3年間に幼稚園で撮った写真はほとんど、顔半分がマスクで隠れています。入園と同時にコロナ禍に入り、夏のプールや様々な行事が中止、あるいは縮小しての開催でした。
通常の園生活を知らないまま、卒園となりました。
色々制限された中でも、楽しいことはあったでしょうが、やはり、子供同士、何も気にせず、素顔で笑い合って、もみくちゃになって、のびのびと楽しめる3年間を過ごさせてあげたかった、とも思います。しかし、それも仕方ありません。

もうすぐ小学1年生です。

これからまだまだ、世界で何が起こるか、わからないですし、混乱もあるかもしれません。ですが希望を持って、これからの時代を一緒に迎えていきたいと思っています。

幸いなのは、私たちが子供だった頃よりも、個々の個性に対する理解も、選択肢も広がってきたことです。心のレベルで見れば、時代は良くなっていると思います。

暖かくなってきたこの季節、皆様もどうぞ、巡ってきたこの春を喜びと共に、過ごされますように!



Writer

hiropan

イラストレーター。
福島県出身。現在は瀬戸内海の離島に暮らしながら、夫と協力して二人の子供と2匹の猫を育てている。
2023年からイラストと詩で創作活動をスタート。
趣味で自然農の家庭菜園をしている。

Instagram👉https://instagram.com/pepocreation?igshid=YmMyMTA2M2Y=


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