編注)コメントを追記(最終段落)いたしました。(0:03)
竹下雅敏氏からの情報です。
注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。
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籠神社
転載元より抜粋)
籠神社(このじんじゃ)は、京都府宮津市にある神社。
元伊勢の一社であり、「元伊勢籠神社」とも称する。
一族には、現存では日本最古の系図「海部氏系図」(国宝、平安時代の書写)が残されており、彦火明命を始祖(初代)として82代の現宮司までの名が伝えられている[5]。
元伊勢の一社であり、「元伊勢籠神社」とも称する。
祭神
- 主祭神
- 相殿神
神職
当社の神職(社家)は、古くより海部氏(あまべうじ)の一族が担っている。一族には、現存では日本最古の系図「海部氏系図」(国宝、平安時代の書写)が残されており、彦火明命を始祖(初代)として82代の現宮司までの名が伝えられている[5]。
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木嶋坐天照御魂神社
転載元より抜粋)
木嶋坐天照御魂神社(このしまにますあまてるみたまじんじゃ)は京都市右京区太秦にある神社である。
通称木嶋神社(このしまじんじゃ)。また、本殿東側に織物の始祖を祀る蚕養(こかい)神社があることから蚕の社(かいこのやしろ)の通称が広く知られている。
祭神
現在では祭神を天御中主命・大国魂神・穂々出見命・鵜茅葺不合命としている。
木嶋坐天照御魂神社は「木嶋に鎮座する天照御魂神の社」という意味で、本来は「天照御魂神」を祀る神社ということになる。この「天照御魂神」がどの神を指すのかについては諸説ある。『葛野郡神社明細帳』では上述の神々の他に爾々芸命の名を挙げている。『神祇志料』では天火明命のこととしている。関西には、ほかにも「天照(アマテル)」のつく神社がいくつかあり、元々はそれぞれ当地の太陽神を祀っていた神社と考えられている。
この神社がある嵯峨野一帯はかって朝鮮半島を経由して渡来した秦氏が製陶、養蚕、織物などの技術を持ち込んだ。蚕が祀られているのもそれゆえである。
ここ10年の間に、境内の池の湧き水が枯渇してしまった。
通称木嶋神社(このしまじんじゃ)。また、本殿東側に織物の始祖を祀る蚕養(こかい)神社があることから蚕の社(かいこのやしろ)の通称が広く知られている。
祭神
現在では祭神を天御中主命・大国魂神・穂々出見命・鵜茅葺不合命としている。
木嶋坐天照御魂神社は「木嶋に鎮座する天照御魂神の社」という意味で、本来は「天照御魂神」を祀る神社ということになる。この「天照御魂神」がどの神を指すのかについては諸説ある。『葛野郡神社明細帳』では上述の神々の他に爾々芸命の名を挙げている。『神祇志料』では天火明命のこととしている。関西には、ほかにも「天照(アマテル)」のつく神社がいくつかあり、元々はそれぞれ当地の太陽神を祀っていた神社と考えられている。
歴史
続日本紀の大宝元年(701年)4月3日の条にこの神社の名があることからそれ以前から祭祀されていたとされる。この神社がある嵯峨野一帯はかって朝鮮半島を経由して渡来した秦氏が製陶、養蚕、織物などの技術を持ち込んだ。蚕が祀られているのもそれゆえである。
ここ10年の間に、境内の池の湧き水が枯渇してしまった。
社殿
社殿の西にかつては湧水が豊富であった「元糺の池」(もとただすのいけ)という池の中に三柱鳥居がある。これも起源不明ながら現存するものは天保2年(1831年)に再興されたものである。――――――――――――――――――――――――
天火明命
転載元より抜粋)
天火明命(アメノホアカリ)は、日本神話に登場する神のひとつ。天火明命の子孫は「天孫族」とよばれる[1]。
また『先代旧事本紀』では、穂積臣、物部連の祖である饒速日命(ニギハヤヒノミコト)と同一神としている。
一方、『播磨国風土記』ではオホナムチの子とする。
呼び名
アメノホアカリの別名は以下。- 天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊(あまてるくにてるひこあめのほあかりくしたまにぎはやのみこと)(『先代旧事本紀』)
- 天照國照彦天火明尊(あまてる くにてる ひこ あめのほあかり の みこと)
- 天照国照彦火明命(あまてるくにてるひこほあかり)(『日本書紀』)
- 天火明命(あめのほあかりのみこと)(『古事記』)
- 彦火明命
- 火明命 (『日本書紀』)
- 膽杵磯丹杵穂命
- 天照御魂神(『神社志料』)
系図
『日本書紀』によれば、天火明命はアメノオシホミミと高木神の娘ヨロヅハタトヨアキツシヒメとの間に生まれている。 ニニギは弟だが、『日本書紀』の一書では子としている。また『先代旧事本紀』では、穂積臣、物部連の祖である饒速日命(ニギハヤヒノミコト)と同一神としている。
一方、『播磨国風土記』ではオホナムチの子とする。
今回はウィキペディアにあるこの2つの神社の祭神を考察することで、彼らの裏神道秘儀がいかなるものであったのかを推理します。今日の推理が核心部分です。
籠神社の祭神は、彦火明命で、別名が天火明命、天照御魂神とのこと。これに対し、木嶋坐天照御魂神社の祭神は、“本来は「天照御魂神」を祀る神社”とあります。すなわち祭神は同じなのです。
天火明命の由来を調べてみると、“続きはこちらから”以降のようになります。出自が伝承によって異なり、よくわからない神なのです。ところがホツマツタヱを読むと、こうした伝承の混乱がたちどころに氷解します。このブログの系図をご覧ください。天照大神の子・天忍穂耳命に2柱の子として、瓊瓊杵尊(ニニキネノミコト)とホノアカリテルヒコが居ます。ホツマツタヱで天火明命と言えばホノアカリテルヒコの事です。彼は饒速日命(ニギハヤヒノミコト)を養子にしたことがホツマツタヱを読めばわかります。要するに、ホツマツタヱは神々の系図に関する非常に正確な情報を伝えているわけです。こうした正確な伝承が人々に知られると、日本人の中に入り込んだ秦氏一族は大変困ることになります。
実は八咫烏にとって、木嶋坐天照御魂神社の祭神は弥勒菩薩(マイトレーヤ)なのです。この神社がおそらく秦氏によって建てられたこと、聖徳太子のブレインの秦河勝が関与した広隆寺には、非常に有名な弥勒菩薩像があります。このことから、秦一族は原始キリスト教徒で、彼らにとっての救世主(キリスト)として、弥勒菩薩(マイトレーヤ)を崇拝していたと考えられるのです。彼らは正統派のキリスト教徒とは異なり、イエスをキリストとは考えていなかったのがわかります。原始キリスト教徒にとって、イエスは単にモーセと同じような偉大な予言者だったのです。
それでは籠神社の祭神は誰かですが、八咫烏にとってはサナト・クマーラなのです。ユダヤ教の顕教と密教では、旧約聖書の解釈が異なります。顕教では彼らの神はテトラグラマトン(YHWH)であり、宇宙を創造した神です。楽園でアダムとイブを誘惑した蛇は、ルシファーであり悪魔となります。
ところが密教では、YHWHは悪魔あるいは愚かな神であり、人間に理性の光を与えたために地に投げ落とされたルシファーこそが人類にとっての救世主なのです。すなわちルシファーとはサナト・クマーラのことです。ルシファーの意味は“光を掲げる者”で、八咫烏が天火明命をルシファーにすり替えたのは、とてもよくわかります。
要するに賀茂氏の裏神道・漢波羅の最奥義とは、司祭が直接マイトレーヤ(弥勒菩薩)、サナト・クマーラ(ルシファー)と交信することなのです。彼らはこれらの連中が“天界の改革”ですでに滅ぼされ、完全に消滅したことを理解していなかったようです。
今回のコメントには多くの推理があります。もし私の推理が間違っていて、秦氏一族の名誉を著しく傷つけるということであれば、是非本当はどのような祭祀を行っていたのか教えてください。いつでもコメントを訂正させていただきます。