[田中龍作ジャーナル 他]くすぶり続ける革命の火種 国会包囲ルポ 〜中国との戦いにするのではなく、闇を滅ぼす戦いに〜

竹下雅敏氏からの情報です。
 田中龍作さんは、記事の後半で、エジプトの政変との比較をしています。しかし、ムバラク政権を倒した政変はCIAの工作によるもので、民衆革命ではありませんでした。その次のムルシ政権崩壊の政変こそ、民主的な革命だったわけです。エジプトは、この2度の革命によって、アメリカがエジプトを支配し、テロ組織と繋がっているムスリム同胞団が、アメリカのコントロールによってエジプトを中東大戦争に持っていくところだったことを、理解しました。ムルシ元大統領に死刑判決が出たのは、当然のことです。
 残念ながら日本の場合、まだ日本人がどのようにアメリカにコントロールされて来たのかという理解がほとんどありません。下の櫻井ジャーナルでは、折に触れこうした背景について詳しく教えてくれていますが、多くの読者の目に留まるまでにはなっていないと思います。
 こうした表面的な流れを見ると、戦争は避けがたいのですが、フルフォード情報やコブラ情報を見ると、さらにより深い部分で地殻変動が起こっており、これまでの流れとは別の事が起こるはずです。しかし、流れを止めることは出来ないので、方向を変えることになります。
 安保法案が強行採決されれば、自衛隊が戦闘に巻き込まれることは避けられません。しかし、その戦闘を中国との戦いにするのではなく、闇を滅ぼす戦いにすることは可能です。
 しかし、いずれにせよギリギリのレベルになることは確かだと思います。
(竹下雅敏)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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くすぶり続ける革命の火種 国会包囲ルポ
記事配信元)
本記事文章は現在公開を停止しております。 (2016/4/23)
記事の提供元にてご覧ください。


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戦争法案に反対する多くの人が国会周辺で抗議したが、法案提出までに20年以上あったことも事実
転載元より抜粋)
 国会議事堂の周辺に多くの人が8月30日に集まった。安倍晋三政権が成立を目指している「安全保障関連法案」に反対する人びとで、主催者によると参加者数は12万人。圧力を感じて警察は車道を「開放」せざるをえなかったようだが、それでも発表の数字をできるだけ小さく見せたかったらしく、「警察関係者」は「国会周辺だけで」という限定付きで約3万3000人だとしている。官僚的な小賢しさを感じるが、3万人台に押さえろと言われていたのかもしれない。

 これだけの抗議活動が行われる程度の健全性が日本には残っていることを示していると言えるだろうが、「この期に及んで」とも言える。日本の支配層はアメリカの支配層の命令に従って政策を打ち出しているわけで、「安保関連法案」もアメリカの戦略が生み出したもの。その戦略は、本ブログで何度も書いているように、1992年の初めに作成された「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」だ。つまり、23年前に日本人も反応しなければならなかった。

 ソ連消滅を受け、1992年初頭にネオコン/シオニストを中心とするアメリカの好戦派は新たな世界制覇戦略を作成する。アメリカが「唯一の超大国」になったと考え、潜在的ライバルを潰そうとしたのである。その戦略は国防総省で作成されたDPGの草案としてまとめられ、ウォルフォウィッツ・ドクトリン」とも呼ばれている。このドクトリンはアメリカ支配層の内部でも危険視されたようで、ニューヨーク・タイムズ紙などでも報道された。アメリカへ特派員を送り込んでいる日本のマスコミも当然、この危険なドクトリンは知っているはずであり、「安保関連法案」の議論でも取り上げねばならない。

 そのドクトリンをベースにしてネオコン系シンクタンクPNACが作成、2000年に公表した報告書が「米国防の再構築」で、ジョージ・W・ブッシュ政権はその報告書に基づく政策を打ち出していく。バラク・オバマ政権もこの戦略に基づいて動いている。

 ポール・ウォルフォウィッツ国防次官はドクトリンを作成する前、1991年にシリア、イラン、イラクを5年から10年で殲滅すると口にしていたという。発言した10年後にニューヨークの世界貿易センター、そしてワシントンDCの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃され、ドナルド・ラムズフェルド国防長官の周辺は、イラク、イラン、シリア、リビア、レバノン、ソマリア、スーダンを攻撃すると決めていたともクラークは話している。

 日本では1994年に「日本の安全保障と防衛力のあり方(樋口レポート)」が出されるが、これに満足できないマイケル・グリーンとパトリック・クローニンがカート・キャンベル国防次官補を介してジョセフ・ナイ国防次官補やエズラ・ボーゲルに会い、1995年の「東アジア戦略報告(ナイ・レポート)」を作成する。これもウォルフォウィッツ・ドクトリンがベースになっていると見るべきだろう。

 1997年には「日米防衛協力のための指針(新ガイドライン)」が作成され、99年には「周辺事態法」が成立、2000年にはナイとリチャード・アーミテージを中心とするグループが作成した「米国と日本-成熟したパートナーシップに向けて(通称、アーミテージ報告)」、「9/11」をはさみ、2002年に小泉純一郎政権が「武力攻撃事態法案」を国会に提出、03年にはイラク特別措置法案を国会に提出、04年にアーミテージは自民党の中川秀直らに対して「憲法9条は日米同盟関係の妨げの一つになっている」と言明、05年には「日米同盟:未来のための変革と再編」が署名されて対象は世界へ拡大し、12年には、またアーミテージとナイが報告書を発表、そして「安保関連法案」につながる。

 こうした動きに警鐘を鳴らす学者やジャーナリストは日本にもいたが、大半の学者、大手マスコミはそうした声を無視、多くの国民は事態の深刻さに気づかなかった。ウォルフォウィッツ・ドクトリンから23年の間、「専門家」たちは静観してきたのだ。同じドクトリンに基づいて行われている中東、北アフリカ、ユーゴスラビア、ウクライナの戦争の事実からも彼らは目を背けてきた。アメリカ批判を避けようとしているとしか思えない。

 そうした戦闘でアメリカの好戦派はNATOを使うだけでなく、イスラエル、サウジアラビア、トルコなどと手を組み、「イスラム武装勢力」を編成して戦乱を演出してきた。アル・カイダやIS(イラクとレバントのイスラム首長国。ISIS、ダーイシュなどとも表記)とはそうした武装勢力だ。

 アメリカはそうした戦争へ日本を引き込もうとしている。そのアメリカから最後の詰めを任された安倍首相が「王手」をかけた後、学者やマスコミは動き始めた。この段階では詰めを間違えるのを期待するしかなく、国民としては死に物狂いで抵抗するほかない。安倍が詰めに失敗すれば、「偽旗作戦」が行われる可能性もあるが、それに対する心構えも必要だ。

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