アーカイブ: 教育問題

テストのない授業のなんとおもしろいことか! ~学校の授業は大人になった今や最高のレジャー~

竹下雅敏氏からの情報です。
 非常に面白い記事で、教育の本質を突いていると思います。是非、引用元の全文をご覧ください。
 子供を勉強嫌いにするのは簡単で、宿題をいっぱい出して、テストをいっぱいやることです。とどめは、親がうるさく、“勉強しろ!”と言います。これで、子供の将来性を確実に潰せることは間違いありません。
 宿題をいっぱい出すことで子供の自主性をなくし、テストをいっぱいして×をいっぱいつけることで、“お前は馬鹿だ!”ということを潜在意識に送り込みます。“勉強しろ!”とうるさく言うことで、勉強にマイナスのイメージを植え付けることに成功します。こうして子供が、楽しく学ぶことを出来なくさせるのです。
 こうした、子供に対する洗脳工作の名人は、親と教師なのです。その手腕はほとんど天才的で、子供たちが彼らから学ぶのは、言行の不一致、すなわち偽善です。
 学校で教えていることは、いかに体制に逆らわないかということで、苦痛の45分間をおとなしく座っている能力を身に付けさせていると考えられます。このように、無事育った子供たちは、国に逆らうということはありません。なので、将来性のない子供、従順な子供を作るには、今の教育が最適であるということになります。
 しかし、この記事に書かれているのは、学ぶということに対する、最も根本的、かつ重要な事柄です。それは、学ぶことは、“なんとおもしろいことか”ということです。授業を聞いて、別に理解出来なくてもそれで良し。理解出来ればさらに良し。宿題無し。テスト無し。授業が楽しいというのが本来の授業ではないでしょうか。現状のように、学ぶということが苦痛をもたらすものであるならば、いっそのこと、十分に遊ばせ、その子の興味があることを自主的に学ばせた方が、よっぽどまともなのではないでしょうか。
 少し特殊な世界ですが、例えば将棋のプロ棋士になりたいという子供の場合、親が“将棋をしろ!”と叱咤激励したり、“宿題は詰将棋のp5~p12まで”などと追い詰めなくても、子供は勝手に嬉々として将棋に打ち込んでいます。よく出来る子の場合、高校に行く時間がもったいないのです。
 この記事を読むと、本来教育とはこういうものではないかということを、考えさせられます。学校というのは、学びたい者が来る所で、教えたい人が教師をやっているのが自然です。ところが、どちらも、夏休みを歓迎するとすれば、これは根本的に何かがおかしいということなのだろうと思います。
(竹下雅敏)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

————————————————————————
学校の授業は大人になった今や最高のレジャー
引用元)

学校の先生による授業を大人になった今受けてみた。これは最高のレジャー…!

(前略)

断言しよう。学校の授業が大人になった今や最高のレジャーである。
 
(中略)

大人は分かってないしそれでいい
授業がはじまる。加藤先生が教えてくれるのは「イオンについて」である。

(中略)

中学の勉強をさぼっていた私は理解があやふやである。周りも分かってない者がほとんど。しかし恥ずかしさはない。知らなくてもここまで生きてこれたのだからもうこれでいいのだ。

(中略)

中3用の授業をそのままやってもらった。イオンと水溶液について

 
(中略)

わかる気持ちよさ
そう、大人が学校の授業を受けることの何がおもしろいのかを突き詰めるとそれは「わかる気持ちよさ」だ。

(中略)

大人がやる学校の授業はわかる気持ちよさのマッサージ50分コースと言ってもいい。

(中略)

質問がこわくない
なぜ大人の学校授業にこれほどわかる気持ちよさが宿るのか。一つ大きいのが「質問しまくれる」ということだろう。

(中略)

イオンの授業なのに「とけるってそもそも何!?」「分子の数って有史以来変わらないんですか?」「電圧ってそもそも何なんですか!?」と質問も脱線しまくる。

みんなもはや自分の知のマッサージのことしか考えていないのだ。洗髪時に「かゆいところないですか?」と聞かれて「ヒザ」と答えるようなものである。もっとわかりたい…わかりたい…知の亡者たちが這い出してきて、しかも彼らが今後日本の知に貢献することは一切ない!

(中略)

わかりゼーションサロン、はじめたい
ああ、テストのない授業のなんとおもしろいことか。


(中略)

これは学びではなく純粋に気持ちよさを追求したものだ。体を治癒するというよりリラクゼーションサロンに近いのだろう。授業が終われば知でホックホクに蒸しあがったおいもさんが並んでいる状態なのだ。

(以下略)

国立大学は大丈夫か?

 先日、あるツイートが目を引きました。ノーベル賞を取った山中伸弥先生の下、iPS細胞実用化に取り組む教職員の、実に9割以上が非正規雇用で、長期にわたる研究の財源確保のために一般からの寄付を募っているというのです。
天下のノーベル賞を取ったら、国から十分な研究費や待遇が与えられて、悠々と研究を進められるのではないの!?と驚くまのじ。
 そのうち、番頭ワタナベ氏が、加計学園と対比する形で、このツイートをバーンと取り上げました。ワタナベ氏のツイートに反応して【日本の高等教育、研究機関は寄付金頼り】というツイートが続きました。世界大学ランキングでは、東大の46位が国内トップだそうな。教育に気前よく投資する中国に比べ、日本は資金不足ゆえの結果とも読み取れます。
 このツイートのしばらく前に出た記事に、東京大学が「東大ルール」という独自の雇用方針を設定し、約8000人にも及ぶ非常勤職員(非正規職員)の雇用を「雇い止め」にするとありました。5年以上同じ非正規労働者が働き続けて無期雇用(正規職員)となることを阻む内容の制度です。
 さらに続く記事によって、これらの状況の背景が見えてきました。
 2004年、国立大学法人化という行政改革が断行されました。これをきっかけに大学は、国立とは名ばかり、国からの大学運営費交付金を年々削減され、その結果、日本を代表するような大学ですら財政難に陥りました。大学は、国家公務員ではなくなった大学教員の賃金カットはもちろん、正規の代わりに非常勤教職員を多く雇うことで人件費を削減し、経営が厳しくなると彼らを「雇い止め」にして、いわば調整弁として利用するようになったということです。研究現場を支えるマンパワーがほとんど非正規職員であるのに、その人達の雇用は5年が目処であるという、とてもベテランが育つとは思えない不安定な状況が見えてきます。現在すでに交付金の削減に伴って、論文の数が減っているという報告もなされています。
 共謀罪国会の参考人で名を馳せた高山佳奈子教授によると、2004年以降、京大でも従来職員が担当していた作業を教員がするようになり、非常勤職員や派遣職員が重大な職務を任されるようになったにもかかわらず、これらの方々の多くは、年収200万円台に抑えられているとのことです。
 過去十数年以上の研究の成果が、今のノーベル賞などの業績であるとすれば、研究者を減らした挙句に、生活できないほど不安定な立場に追いやる、これからの日本の学術分野は本当に崩壊するのではないかと背筋が寒くなります。
 多くの現場からの悲鳴に耳を傾けない政府はもちろん非難されるべきでしょう。けれども、seiryuuさんの連載にあった言葉、「支配側を指弾するだけでは解決にならない」が、ここでも当てはまりそうです。
 私たちは、これまで大学に何を見、何を求めてきたのか、これから何を期待するのか、これを同時に問わなければならないと感じたのでした。
(まのじ)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

————————————————————————
配信元)




————————————————————————
東京大学で起こった、非常勤職員の「雇い止め争議」その内幕
 日本の大学の雄である東京大学が、約8000人の非常勤教職員の雇用形態に多大な影響を与える新たな方針を、去る8月7日に開かれた組合との団体交渉で明確にした。このままでは、大半の非常勤教職員は2018年4月以降雇い止めされることになる可能性があるという。

(中略)日本で最も権威のある大学による意思表明は、他大学の方針にも影響を与えるとみられている。

(中略)「無期転換ルールと東大ルールの違い」という項目がある。

(中略)「無期転換ルール」とは、一般的な改正労働契約法のことを指している。

(中略)ごく簡潔に言えば「5年以上同じ非正規労働者を同じ職場で雇う場合、本人が希望すれば無期労働契約にしなさい」とするもの。一般的には非正規職員の正規雇用、あるいは契約期限のない無期雇用を促す法律といわれている。

(中略)しかしながら、無期雇用者が増大すれば、人件費がかさみ財政が苦しくなることを恐れたのだろうか、東京大学は、独自に「東大ルール」なるものを設定し、これに対応することにしたのだ。(以下略)

» 続きはこちらから

前川喜平・前文科省事務次官「学校に行かないことに負い目を感じる必要はない」「死にたいくらい辛いなら、学校に行くな!」と呼びかけ

竹下雅敏氏からの情報です。
 読者の方から情報を頂きました。なんと、あの前川喜平・前文科省事務次官が、“学校に行けないこと、行かないことに負い目を感じる必要はない”として、“もっと明るく不登校をするといい”と言っています。
 昨日の記事で、“積極的不登校、ポジティブな引きこもり”を勧めましたが、これはもはや、文科省のお墨付きをもらったようなものです。
 人間の価値は成績や学歴とは無関係です。成績優秀で官僚になって国税庁長官にまで出世しても、誰もかれもから嫌われるようでは、実に悲しい人生だと言わざるを得ません。その意味で、現在の安倍政権には、“人間、ああなったら終わりだよな〜”という反面教師が山のように居て、実に良い勉強になります。学校の先生は、ぜひとも、“人間はどう生きるべきか”を反面教師を題材にして、しっかりと道徳教育を行ってもらいたいものだと思います。
 誰もが幸福になりたいのです。ネット上には可愛らしい動物の癒し系動画があふれていますが、動画を見て癒されるのは、飼い主と動物たちの信頼関係のおこぼれに預かれるからだと思うのです。私たちは、可愛い動物たちに、“ただそこに居てもらうだけでいい”という関わり方をします。なので、そこに愛情も信頼関係も生まれるのです。
 親と子の在り方も、同じでは無いでしょうか。子供に成績のことを言うのは止めませんか? 宿題をする、しないなど、どうでもいい事ではないでしょうか。もし、両親が子供に対して、“ただ居てくれるだけでいい”という関わり方をすれば、親子関係は直ちに正常化します。
 本来の人間関係とは、このように一切の損得勘定無しに、互いに何も期待しないところで育まれるものなのです。夫婦関係、親子関係は、このような宝を育むために、天から与えられたものなのです。人間として成熟するための千載一遇のチャンスを与えられているのに、それを逃し、本来の喜びも充足感も得られない仕事に逃避する人々が、何と多いことか。
 間違った生き方をしている人々が多いという証として、離婚の多さが挙げられると思います。もし、あなたが十分な個人資産を持ち、1人での生活に困らないとしたら、現在の配偶者と果たして一緒にいるでしょうか? 現在、そして老後の生活のために仕方なく夫婦でいるというのは、偽りの関係です。
 要するに、地球上の人々の人間関係というのは、ほぼ100%損得勘定に基づいたもので、真の関係と呼べるものは、ほとんど存在していないと思われるのです。そのような関係は、若干、人間とペットの間に見受けられるように思います。
 その真の関係を、私たちは“愛”と呼んでいるのではないでしょうか。
(竹下雅敏)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

————————————————————————
「夏休み明け、死にたいくらい辛いなら、学校に行くな!」前川喜平・前文科省事務次官が子供たちに呼びかけ
引用元)
◆“学校に行かない”キャンペーンをしたいくらい
「日本中の、学校に行きたくない子供に言いたい。死にたくなるぐらいの気持ちがあるのなら絶対に学校に行くな!
 前川喜平・前文科省事務次官が8月20日、東日本大震災の被災地・宮城県南三陸町で行われた講演会でこう呼びかけた。
(中略)
「『学校はどうしても行かないといけない所』という強迫観念が日本中を未だに覆っている。これをいかになくすのかが大事です。“学校に行かない”キャンペーンをしたいぐらいです。これから2学期が始まります。(夏休み明けが)本当に危ないのです」
(中略)
前川氏:(中略)… 自分の命が絶対に大事なのであって、命よりも学校に行くことを優先する考え方はまったく馬鹿げています。義務教育の「義務」というのは、親のほうの義務なのです。(中略)… 子供は権利者なのです。「(憲法第26条にある)すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する」とある。(中略)… だから、学校外で学ぶ場を正面から認める法律ができたんです。
学校に行けないこと、行かないことに負い目を感じる必要はない。「何か悪いことをしているのではないか」とかという気持ちを抱く必要はまったくない。もっと明るく不登校をするといいと思います。私のこの考えは、文科省の中でもかなり異端なのですが、この新しい法律ができたことでだいぶ変わってきています。
(以下略)

自殺率が最も高くなる新学期…専門家の助言「学校に行きたくなかったら、行かなくてもいい」 〜“積極的不登校”のすすめ〜

竹下雅敏氏からの情報です。
 新学期前には、子どもの自殺が増えるということです。学校でイジメに遭っている子どもたちなら、なおさら、その傾向が高くなると思われます。
 記事の中の上野動物園[公式]のツイートは、とってもいいですね。この前、パンダの赤ちゃんが生まれた時のニュースで、園長は、“母親が子育てに専念できる環境をまずはしっかり作り、しばらくは不安定な時期も続くので、観察をしっかりしていきたい”と話していました。
 このニュースを夫婦で聞いていて、“パンダだったら、本当に大切な事は何かがわかってるね”と話しました。“子育てに専念できる環境”は、パンダのためには最も大切なことなのです。
 ですが、人間の子の場合は、そうではないようです。母親は子どもを保育園に預けて、出来るだけ早く社会復帰することが望ましいようです。このパンダと人間の扱いの違いは何なのか? ここを少し考察すると、物事の本質が見えてくるのではないでしょうか。
 記事の最後のあたりで、“しばしば自殺へと未成年の背中を押すのは…無関心であること…ほぼ全ての子どもは自殺前に注意を引こうと試みる”とあります。ほとんどの親は、子どもの成績には関心が高いものの、子どもの幸せのこと、あるいは子どもそのものには全く無関心なのではないでしょうか。
 うちの家では、子どもが幸福であることを最優先にしていましたので、“学校に行きたくなかったら、行かなくてもいい”という専門家の助言を実践していました。“息子は週2回なら学校に行っても良い”ということで、小学校低学年では週休5日でした。そのせいか、実にのびのびと良い子に育ちました。つくづく、学校に行かなくて良かったと今でも思っています。
 在学当時は、我が家の“積極的不登校”を批判的に見ていた担任の先生も、その後、ご自分の息子が不登校になるや考えを改めたようで、うちの息子が立派に成長したのを見て、羨ましがっていました。
 この意味で、大人も子どもも、社会の枠から外れることを恐れたりすべきではありません。最も大切な事は、一人ひとりが輝くことで、成績や学歴等ではありません。その意味で、“積極的不登校”、あるいは“ポジティブな引きこもり”という概念は、推奨すべきものだと思われます。
(竹下雅敏)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

————————————————————————
【埼玉】所沢パークタウン武蔵野団地で高校1年の男子生徒が飛び降り自殺 新学期前に急増する自殺に林文科相「きっと誰かが助けてくれます」
転載元)
どんなにゅーす?

2017年8月31日、所沢パークタウン武蔵野団地の非常階段付近で、公立高校1年の男子生徒が倒れているのが見つかり、その後死亡が確認された。飛び降り自殺をした可能性が高いという。

・厚労省などのデータによると、新学期前(夏休みが終わる直前)に学生たちの自殺が増える傾向が強いとのことで、林芳正文科相は「誰にでも良いので、悩みを話してほしいと思います。誰かがきっと助けてくれます 」などとコメントした。

埼玉で高1生徒死亡飛び降りか、文科相「24時間相談窓口に」

31日午前2時ごろ、所沢市にある県営住宅の非常階段の近くに若い男性が倒れているのが見つかり、その後、死亡が確認されました。飛び降り自殺をした可能性が高いとみられていますが、警察は1日、死亡したのは県内の公立高校に通う高校1年で16歳の男子生徒と発表しました。

(中略) 

夏休み明けに子どもの自殺が増える傾向にあることから、林芳正文部科学大臣は、1日の会見でこのように述べました。
誰にでも良いので、悩みを話してほしいと思います。誰かがきっと助けてくれます 」(林芳正文部科学相)
林大臣は、周りに相談しづらい場合は、文科省の24時間相談窓口に電話して欲しいと子どもたちに呼びかけました。

【24時間相談窓口】 0120-0-78310



【TBS News 2017.9.1.】


(中略) 

今の日本に定着してしまっている教育は、「いかに社会の枠から外れずに、自らの感情を上手にコントロールし、大きくのしかかるストレスに耐えながら、権力の言う通りに働く従順な人間(いわば奴隷)を量産するか」という点に主眼を置いたものになってしまっており、これは実のところ、(お国のために自らの命すらも進んで捧げた)大日本帝国時代ともその根本はあまり変わっていない。

【貴重動画】戦時中のアメリカが製作したプロパガンダ映画「汝の敵日本を知れ」で描かれている内容が、「今の日本と酷似している」と話題に! 

だから、恐らく、このように自らの命を絶ってしまう子供たちは、大人が作り出した「社会の枠」から外れそうなところを、何とか必死に自らの存在を枠の中に収めようと努力し、それでもどうにも自らの心をコントロールできなくなった子供たちが、「最も選んではいけない選択肢」を選んでしまうのだろう。

(以下略、続きは引用元でご覧ください) 

» 続きはこちらから

灘校の歴史教科書採択に自民党などから「謂れのない圧力」

 有名な進学校である神戸の灘高校。そこで選定された歴史教科書がきっかけで、学校に対して、次々と不審な圧力や、嫌がらせのような抗議が始まりました。下のツイートにもあるように、まず県会議員、国会議員から「政府筋」の意向とみられる不可解な問い合わせがあり、続いて「このような歴史教科書の採用は即刻中止せよ」という内容の、匿名の写真葉書や、文面が全く同一の印刷葉書が大量に届き始め、産経新聞誌上では「慰安婦の記述のある歴史教科書を採用した」と非難され、さらに保守系月刊誌でも近代歴史研究家による非難の大論文が出ました。
 この一連の出来事に対して、灘校の校長先生が「謂れのない圧力の中で」と題する報告を出されました。決して愉快ではない状況の中で、事態を淡々と分析され、真摯に意見を述べておられます。
 まず、ちょっと驚いたのが、そもそも問題とされた「学び舎」の教科書を採択された理由です。既存の教科書が受験を意識して重要語句を強調し覚えやすくなっているのに対して、こちらは「歴史の基本である読んで考えることに主眼を置いた教科書」であり、これまで灘高が重視してきた「学習者が主体的に問題を発見し、思考し、他の学習者と協働して、より深い学習に達することを目指すアクティブ・ラーンニング」に向いているからだ、ということでした。教科書の採択理由は、まさに「本校の教育に適している」に尽きるようです。
 さて、校長先生は、この一連の動きが日本会議による草の根運動であることを解明され、「後は無視するのが一番」としながらも、ことの発端である議員の問い合わせに疑義を持ちます。文科省からは「教科書検定に通った中から、学校の選定委員会が決めているのだから問題はない」との回答を受け、この件は、行政ではなく政治的圧力だと判じておられます。
 そして最後に、このことから見えてくる現状を私達にも投げかけられました。保坂正康氏の著書を紹介しながら、ファシズムの権力構造には、国民を何としても閉じ込めておきたい正方形の四辺があり、
第一辺「情報の一元化」
第二辺「教育の国家主義化」
第三辺「弾圧立法の制定と拡大解釈」
第四辺「官民挙げての暴力」
 この四辺をより小さく、正方形の面積をより狭くしようとするものだとしています。
 今回の灘高は、第二辺の、学校教育への有形無形の圧力ですが、内田樹氏によれば、このような事例は他にもあり「多くの組織は、一人からでも抗議があれば、トラブルを忌避し事なきを願う」ようです。
 第四辺真っ最中の、籠池氏のように、また、この校長先生のように、自身の勇気が問われる時なのでしょう。
(まのじ)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

————————————————————————
配信元)



————————————————————————
謂れのない圧力の中で 〜ある教科書の選定について〜
引用元)
和田孫博

 本校では、本年四月より使用する中学校の歴史教科書に新規参入の「学び舎」 による『ともに学ぶ人間の歴史』を採択した。本校での教科書の採択は、検定教科書の中から担当教科の教員たちが相談して候補を絞り、最終的には校長を責任者とする採択委員会で決定するが、今回の歴史教科書も同じ手続きを踏んで採択を決めており、教育委員会には採択理由として「本校の教育に適している」と付記して届けている。

 ところが、昨年末にある会合で、自民党の一県会議員から「なぜあの教科書を採用したのか」と詰問された。こちらとしては寝耳に水の抗議でまともに取り合わなかったのだが、年が明けて、本校出身の自民党衆議院議員から電話がかかり、「政府筋からの問い合わせなのだが」と断った上で同様の質問を投げかけてきた。今回は少し心の準備ができていたので、「検定教科書の中から選択しているのになぜ文句が出るのか分かりません。もし教科書に問題があるとすれば文科省にお話し下さい」と答えた。「確かにそうですな」でその場は収まった。

 しかし、二月の中頃から、今度は匿名の葉書が次々と届きだした。そのほとんどが南京陥落後の難民区の市民が日本軍を歓迎したり日本軍から医療や食料を受けたりしている写真葉書で、当時の『朝日画報』や『支那事変画報』などから転用した写真を使い、「プロデュース・水間政憲」とある。それに「何処の国の教科書か」とか「共産党の宣伝か」とか、ひどいのはOBを名乗って「こんな母校には一切寄付しない」などの添え書きがある。この写真葉書が約五十枚届いた。それが収まりかけたころ、今度は差出人の住所氏名は書かれているものの文面が全く同一の、おそらくある機関が印刷して(表書きの宛先まで印刷してある)、賛同者に配布して送らせたと思える葉書が全国各地から届きだした。

 文面を要約すると、「学び舎」の歴史教科書は「反日極左」の教科書であり、将来の日本を担っていく若者を養成するエリート校がなぜ採択したのか? こんな教科書で学んだ生徒が将来日本の指導層になるのを黙って見過ごせない。即刻採用を中止せよ。というものである。

 この葉書は未だに散発的に届いており、総数二百枚にも上る。届く度に同じ仮面をかぶった人たちが群れる姿が脳裏に浮かび、うすら寒さを覚えた。

((以下略、続きは引用元でご覧下さい) )
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 36