注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

招待者名簿について内閣府は、紙媒体は5月9日午後、電子データは7~9日の間に削除したと説明している。バックアップデータは外部媒体に記録し、電子データの削除後も最大8週間保管していたという。
(以下略)
「桜を見る会」の話を書く。私自身いい加減この話題にも飽きているのだが、まさに「国民がこの話題に飽きて、忘れること」を官邸が専一的にめざしている以上、その手に乗るわけにゆかない。
(中略)
メディアは相変わらず「野党が反発」とか「官邸、逃げ切りをはかる」とかまるで自然現象でも記述しているような他人行儀な筆法を採用しているが、中立性を偽装するのはもうやめて欲しい。ことは総理大臣が公選法違反、政治資金規正法違反の疑いをもたれているというレベルの話ではない。問題の真相を示すはずの公文書がことごとく廃棄され、疑惑の出来事について「ほんとうはそこで何があったのか」を誰も言うことができないという状況が官邸主導で創り出されたのである。メディアの「やる気のなさ」と、その「成果」としての内閣支持率の堅調ぶりに私は驚嘆する。
(中略)
今日本では、「権力者はどんな不正を働いても、決して処罰されることがない」という「新しいルール」を多くの日本国民が黙って受け入れ始めている。私はこれを国家的危機だと思う。厳密に言えば、「国家の存亡にかかわる危機」として感じられない病的な鈍感さを国家的危機だと思う。
(以下略)
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「桜を見る会」追求本部の要請に対して一向に進展がないのが、総理枠と推定される招待区分「60」の確認と、この電子データの確認です。宮本徹議員のツイートでは、いずれもカンタンなことなのに、ここ一週間全く進んでいないとあります。内閣府が破棄したと言う、そのログを出すよう譲歩しているのに、それすら出来ません。提出したくないから駄々っ子のような閣議決定が出されたのでしょう。小西ひろゆき議員のツイートにあるような木で鼻をくくった回答をして恥じない、疑惑に対して反証もできない、求めた最小限の文書さえ出せない、そのような者が内閣やその職員であることに慣れてしまってはいけない。
内田樹氏は、ドキリとする指摘をされています。「総理大臣の公選法違反、政治資金規正法違反の疑いというレベルの話ではない。(中略)『ほんとうはそこで何があったのか』を誰も言うことができないという状況が官邸主導で創り出された」、まさに独裁をまざまざと見せられています。疑惑を疑惑としてキッチリと追求することは、そのまま安倍政権の独裁を断つことになります。
最後のツイートにあるチラシは、「桜を見る会」の只今の問題がとても分かりやすく面白く描いてあって出色です。