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ユダヤ問題のポイント(近・現代編) ― 第11話 ― テロリスト国家イスラエル
「イスラエル建国の父」ロスチャイルド家
広瀬隆氏は著書『赤い盾』の中で、全てのシオニズム組織団体にロスチャイルド家がその長として就任している事実を明かしています。「イスラエル建国の父」ロスチャイルド家抜きにイスラエルの存立は無かったのです。
初期シオニズム運動、アシュケナジ(ハザール)ユダヤ人逹の入植の消息は「ヘブライの館2」によると次のような具合です。
パレスチナへの入植活動には、当然、多くの資金が必要とされた。しかし、それは心配する必要がなかった。
なぜなら、パレスチナで活動していたユダヤ人たちに、「匿名の寄贈者」というサインの付いた「小切手」が送られていたからだ。
この膨大な資金によって、続々とユダヤ人たちがパレスチナに入植し、その金によって住宅、学校、農業地を購入することができたのである。またその資金援助によって、その地で採れるあらゆる農作物が当時の世界市場よりも高く買われ、全収穫物が毎年買い付けられるということが行われた。
後にこの「匿名の寄贈者」の正体は、フランス・ロスチャイルド家のエドモンド・ロスチャイルドであったことが公にされた。(フランスとロンドンの両ロスチャイルド家は、1878年以来、パレスチナの土地を買収し続けてきたのだ)。
なぜなら、パレスチナで活動していたユダヤ人たちに、「匿名の寄贈者」というサインの付いた「小切手」が送られていたからだ。
この膨大な資金によって、続々とユダヤ人たちがパレスチナに入植し、その金によって住宅、学校、農業地を購入することができたのである。またその資金援助によって、その地で採れるあらゆる農作物が当時の世界市場よりも高く買われ、全収穫物が毎年買い付けられるということが行われた。
後にこの「匿名の寄贈者」の正体は、フランス・ロスチャイルド家のエドモンド・ロスチャイルドであったことが公にされた。(フランスとロンドンの両ロスチャイルド家は、1878年以来、パレスチナの土地を買収し続けてきたのだ)。
アシュケナジユダヤ人の最初の入植はロシア皇帝暗殺後の1882年からですが、その5年前から既にロスチャイルド家は計画と準備を進めており、シオニズム運動が開始されたのです。しかし現実として国土確保のため土地購入には限度がありました。
「イスラエルが建国を宣言した1948年までに、これらのユダヤ侵略者たちは土地の所有を増加させていたが、しかし《それでもなお(パレスチナ全土の)6%に満たなかった。》」(ジャック・バーンシュタイン氏)。
パレスチナ人がその居住してきた土地、自らの国土を売ることを拒否したのです。そこでハザールマフィアたちは自分たちが熟達している手段に訴えることにしました。テロです。現在にまで続く大規模な「集団押し入り殺人強盗」の連続です。
公表されたデイル・ヤシン村の襲撃
パレスチナ人への最初の大規模テロ、それは一方的な「建国宣言」の前1948年4月9日に起こされました。後のイスラエル首相メナヘム・ベギン率いる「イルグン」と、同じくイスラエル首相となるイツハック・シャミル率いる「シュテルン(別名レヒ、スターンギャング)」の両ユダヤテロ組織123名が、まだ寝静まっていたデイル・ヤシン村を総攻撃。無抵抗の254人の男女、子供までが無差別に虐殺されたのです。
この頃アラブ人とユダヤ人の抗争が激化していました。その中ハザールマフィアはパレスチナ人村落の完全破壊のプランを立てており、初代首相となるダビッド・ベングリオンの指令のもと、中立を表明していたデイル・ヤシン村を突如襲撃したのです。実行ギャング団たちは遺体の焼却等にて虐殺行為の隠蔽を図りますが、到着した赤十字に知られて世界に公表されたのです。
生き残り者の証言、パレスチナの1948年4月14日、15日、16日付公文書「犯罪捜査課調査報告書」(文書番号179/110/17/GS)で知ることができる。その中で、イギリスの査問官リチャード・キャトリン副監察長官はこう述べている。
(『ユダヤロスチャイルド 世界冷酷支配年表』アンドリュー・ヒッチコック著)
「この供述の記録がなかなか進まないのは、女性たちがヒステリー状態にあり、供述中何度も泣き崩れたためでもある。しかし、襲撃したユダヤ人たちによって、数多くの性的暴行が行われたことは疑いがない。多くの女子学生がレイプされ、惨殺された。・・・多くの幼児が切り刻まれて殺された。・・・イヤリングを盗るために耳を切り取られた女性もいた。」
(『ユダヤロスチャイルド 世界冷酷支配年表』アンドリュー・ヒッチコック著)
生き残った村民に血だらけの服のままエルサレムまでの「勝利の行進」をさせる一方、ギャングたちは「スピーカーを取り付けたトラックに乗って、パレスチナの道から道へと繰り出し、パレスチナ人に対して、もし立ち退かないのならデイル・ヤシンで起こったことがお前たちにも起こるぞ、と脅迫して回った。」(ジャック・バーンシュタイン氏)
結果その凶暴さへの恐怖でパニックになったパレスチナ民衆は土地をおっぽり逃げ出しました。同年5月14日独立宣言が出された時点で「すでに40万人のパレスチナ難民が発生していたのである。」(「ヘブライの館2」)
この虐殺事件を指揮したメナヘム・ベギンは「もしデイル・ヤシンの勝利がなければ、イスラエルの国は生まれなかっただろう」と言っている。
1948年にイスラエル共和国が建国される以前、パレスチナの15の地区に475の村があった(これはかなりの数の移動するアラブ部族の居住地区は含まれていない。それは村とは見なされなかった)のだが、1948年以降、385を下回らない村、つまり、もとあった村の4分の3が、イスラエル当局によって完全に破壊され、わずか90の村が残っただけである。
そして、特に重要な点は、パレスチナの村々が破壊されたのは、戦争によるものではなく、1948年の第1次中東戦争が終わってしばらくたってから、本格的に開始されたという事実である。また、パレスチナ住民の追放と村の破壊は、驚くことに、現在まで延々と続いているという事実である。
1948年にイスラエル共和国が建国される以前、パレスチナの15の地区に475の村があった(これはかなりの数の移動するアラブ部族の居住地区は含まれていない。それは村とは見なされなかった)のだが、1948年以降、385を下回らない村、つまり、もとあった村の4分の3が、イスラエル当局によって完全に破壊され、わずか90の村が残っただけである。
そして、特に重要な点は、パレスチナの村々が破壊されたのは、戦争によるものではなく、1948年の第1次中東戦争が終わってしばらくたってから、本格的に開始されたという事実である。また、パレスチナ住民の追放と村の破壊は、驚くことに、現在まで延々と続いているという事実である。
国連委任統治下パレスチナにおけるイスラエルの一方的な建国宣言
ハザールマフィアのテロの対象はアラブ人だけでありません。1946年英国委任統治下のエルサレムの伝統あるキング・ダビデ・ホテルが爆破され、91名の死者46名の負傷者という英国委任統治下での最大の大惨事が発生。爆破テロを実行したのはやはりメナヘム・ベギンの「イルグン」、指令したのはダビッド・ベングリオン。イスラエル独立に慎重な姿勢の英国の勢力への「報復」と英国軍部が押収したユダヤテロ組織の資料の「隠滅」が目的です。
このテロで英国から懸賞金の掛かった「お尋ね者」となったメナヘム・ベギンはインタビューに応じ「私は世界のテロリズムの父だ」と胸を張ったとのこと。彼は後にノーベル平和賞を受賞します。
手に負えなくなった英国は委任統治を国際連合に委譲します。その1947年11月29日、「国連総会でパレスチナ分割勧告案を可決。賛成33、反対13、棄権10。イギリスは棄権に回り、決議の結果、人口で3分の1、所有地で6%を持つに過ぎなかったユダヤ人が、パレスチナの56.5%の土地を獲得。エルサレムは国際管理下に置かれる」。
信じがたい採択勧告案、米国の強い圧力があったとのこと。無論この勧告案はアラブ人たちが承認など決してできないものです。同年12月5日「アラブ諸国からなるアラブ連盟、国連決議に反発。「アラブ解放軍」を組織して戦争準備に入る。アメリカはアラブ諸国への武器輸出を禁止」の事態へと発展。このような状況下、ハザールマフィアはパレスチナ村落完全破壊のプランのもと、その一つとして1948年4月デイル・ヤシン村襲撃テロを実行に移したのでした。
そしてまだパレスチナ分割案が紛糾している最中の同年5月14日にテルアビブで独立国家「イスラエル」の建国を一方的に宣言するのです。(米国そしてソ連は独立を承認しますが)アラブ諸国は了承できるはずも無く、奪われた領土回復のため翌日にアラブ連盟は宣戦を布告、ここに第一次中東戦争が勃発。
開戦当初は戦闘員と装備の差は圧倒的で戦況はイスラエルに不利でしたが徹底した抗戦を続けます。その中、国連が幾度も停戦調停に入ります。これがイスラエルにとって功を奏します。停戦中にイスラエルはバラバラのテロ集団をまとめて国防軍に整えました。米国そして秘かにソ連などからも最新兵器が送られ外国からの応援軍も加わり戦力を飛躍的に高めアラブ連合軍を撃破していくのでした。
結果はイスラエル軍の圧勝に終わり国連勧告案を遙かに上回る領地を手にしたのです。またこの戦争中、国連パレスチナ調停官ベルナドッテ伯がエルサレムで暗殺されます。犯人は「シュテルン」のイツハック・シャミルです。彼の「シュテルン」は1944年11月6日に英国中東担当相モイン卿も暗殺してもいるのです。
アルカイダ、そしてそのタグを付け替え、イスラム国、ISとか名乗るダーイッシュがサウジアラビアから出てきた者たちで、米国のCIAが支援訓練等を施したこと、そしてイスラムを名乗るダーイッシュが、イスラエルには決して害を及ばさないことは度々指摘されたことです。
既にヒラリー・クリントンが「私達がアルカイダを作った」と白状していますが、サウジアラビアもダーイッシュについて自白もしています。
Pars todayの2016年4月24日
明らかに米国とサウジはテロ支援国ともいえますがイスラエルに関しては支援国どころかテロの老舗本舗です。「ハザールマフィア」の呼称は誇張や比喩では無く、そうとしか表現ができないのが事実なのです。