ユダヤ問題のポイント(近・現代編) ― 外伝7 ― 乗っ取られたイギリス(中)

 「内戦の続くシリアでは・・・」、日本のNHKなど、マスコミでは必ず内戦として報道され続けてきたシリアの現実は、内戦などでは全くありません。外国の武装暴力部隊がシリア内部に入り込み、国民が民主的に選んだ正統な政府を転覆させるため、暴力を振るった暴力クーデターの侵略戦争でした。
 幸いシリア政府は持ちこたえることが出来ましたが、先に転覆させられたリビアも全く同様の構図でした。「独裁からの解放、民主化を求める市民革命、市民クーデター」などの名前で呼ばれてきた世界中のほぼ全ての革命はこの構図であり、寡頭支配層の暴力による侵略だったのです。
 このプロトタイプ、原型となっていたのがピューリタン革命です。革命の旗手オリバー・クロムウェルは「黒い貴族」に雇われていました。雇われたクロムウェルは、国王チャールズ1世を処刑するため、英議会で国王を擁護の議員のほぼ全てを不法強引に追放して、公開処刑を決行しました。
 これと同質の事態は日本にも進行してきました。山田元農水大臣等、日本の国益を守ろうとした国会議員が次々に落選の憂き目に遭ってきたのを、私たちはこの6年間目の当たりにしてきました。結果、当然ながら私たちの大切な国冨を、次から次へと外国へと流失させてきたわけです。安倍政権のバックにいるのは誰でしょうか?
(seiryuu)
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ユダヤ問題のポイント(近・現代編) ― 外伝7 ― 乗っ取られたイギリス(中)

資金援助(提供)を受けていたクロムウェルとチャールズ2世


オリバー・クロムウェル
Wikimedia Commons [Public Domain]
チャールズ2世
Wikimedia Commons [Public Domain]

1600年代、イギリスは多方面で戦争に明け暮れていました。そんな中、英蘭戦争を実施した英国側の主が、クロムウェルとチャールズ2世であり、この両者は、その戦争資金の融資をアムステルダムの金融勢力から受けたと前回触れました。

実はこの両者は戦争資金の融資を受けただけではないのです。それ以前の段階として、両者はそれぞれの活動や生き残りのための資金提供を、アムステルダムの金融勢力から受けていたのはまず間違いないのです。資金援助を受けた相手から資金融資を受けるのは当然です。

先にチャールズ2世についてです。
ブログ「金貸しは国家を相手に金を貸す」では、2017-10-11記事で次のように端的に指摘しています。

「クロムウェルが革命後しばらくして死ぬと、チャールズ一世の遺児がチャールズ二世として国王に復帰しました。これが1660年の王政復古です。実は、チャールズ二世は大陸亡命中にアムステルダムのユダヤ人富豪から王位返り咲きのために多額の資金援助を受けていました。そのため、チャールズ二世は治世中寛大なユダヤ人政策を取っていたのです。」

ピューリタン革命で英王チャールズ1世を処刑し、王政を破壊し、その後独裁政治を行ったのがオリバー・クロムウェルです。その後チャールズ2世が王政復古を遂げるのですが、チャールズ2世がそれを成し遂げるには当然多大の資金が必要です。亡命中の彼にそのような資金があるはずが無く、その資金をアムステルダムの金融勢力(ユダヤ富豪)が提供したとしているのです。

その引き替えに、チャールズ2世はユダヤ人たちに有利な政策を取ったとしているのですが、これはよく分かります。更に大切な点があります。

外伝5で「チャールズ2世は1661年に、東インド会社に主権国家との和平締結および宣戦布告の権利を与えた。・・・チャールズ2世はこのほかにも、ベナレスおよびガンジスのケシ(アヘンの原料)栽培の完全支配とそこから上がるすべての収益を独占する権利も与えた。また、インドの政治指導者と直接交渉する権利・・・も与えた。」と指摘したように、チャールズ2世は王位に就き早々にイギリス東インド会社に超国家的特権を付与し、同時に英国内ユダヤ人に有利な政策をとったのです。

この政策は彼の本当の意志でしょうか? 表向きは王政復古ですが、内実はチャールズ2世がコントロールされていたのは明瞭で、誰がコントロールしていたか?も明白です。

ユダヤ人、というかユダヤを名乗るアムステルダム金融勢力、つまり「黒い貴族」たちが資金提供で恩を売りながら、引き替えにチャールズ2世をコントロールしていたのです。しかし、そもそもチャールズ2世の父チャールズ1世を憤死に追いやったのが彼ら自身です。「黒い貴族」がクロムウェルを雇っていたのです。

pixabay [CC0]


クロムウェルを雇ったのは誰か? ~ピューリタン革命はユダヤ革命


先の2017-10-11記事では次のように指摘してもいます。

「17世紀中頃、イギリスではチャールズ一世が貴族の権限拡大を主張する議会と対立状態に陥りました。これを見たオランダのユダヤ人金融家マナセ・ベン・イズラエルがクロムウェルと取引をし、ユダヤ人再入国と引き換えに資金援助を申し入れました。かくして、清教徒革命の成功とユダヤ人再入国が実現したのです。チャールズ一世は公開処刑され、イギリスは共和制となりました。私達が習ってきた清教徒革命は、ピューリタンであるクロムウェルが革命を主導し、国王チャールズ一世を処刑して共和制を打ち立てたという表層的なものです。ところが、イギリス人が書いた書籍を読むと、清教徒革命とは「イギリスを追われていたユダヤ人たちがイギリスに戻ってきた革命である」という見方をしています。」

マナセ・ベン・イズラエル
Wikimedia Commons [Public Domain]

この記事では二つの重要点が表されています。
🔯1点目は、いわば資金援助を申し入れた(アムステルダムの金融勢力)ユダヤ人金融家マナセ・ベン・イズラエルにクロムウェルが雇われたという点です。
🔯2点目は、ピューリタン革命が、イギリスへのユダヤ人再入国、そのための革命だったという点です。

1点目に関して「ヘブライの館」では、マナセ・ベン・イズラエルとは、カバラ主義のユダヤ教ラビ(ここでもユダヤ秘教カバラが登場です。「黒い貴族」たちはカバリストたちと見るべきでしょう。)であり、マナセ・ベン・イズラエルを中心に、彼らは1655年にユダヤ人のイギリス復帰の嘆願書を英議会に提出し、クロムウェルに招待されて英国に渡り、それがイギリスでのユダヤ社会再伸張の基盤になったとしています。

クロムウェルがマナセ・ベン・イズラエルに雇われていた明らかな証拠、クロムウェルとマナセ・ベン・イズラエルの代理人E・プラットとの生々しい書簡のやり取りの記録等がウイリアム・G・カー著の『闇の世界史』に収録されています。これを読むと最終的には英国王チャールズ1世は英国民にではなく「黒い貴族」によって公開処刑に処されたのが理解できます。クロムウェルたちはその代理人だったわけです。

そして2点目に関しますが、ピューリタン革命は英国民による革命などでは無く、自称ユダヤ人によるいわばユダヤ革命であり、自称ユダヤ人、「黒い貴族」の策謀による暴力クーデターです。

現在まで世界中で繰り広げられ続いてきた民主化革命、市民革命、もしくは圧政からの解放のための内戦とか市民クーデターなどの美名を冠してはいるけど、その本質は寡頭支配層の世界の市民に対する種々の策謀と暴力による侵略クーデター、そのプロトタイプ、原型となっているのです。


黒い貴族は不法に武装勢力を送り込む ~今日までつづく「革命」のやり口


ピューリタン革命のピューリタン(清教徒)とは、カルビン派のプロテスタント。イギリス国教会からの迫害を逃れるため、1620年、メイフラワー号で新世界アメリカに移住したとされるのが有名で、クロムウェルは熱心なピューリタンだったとされます。

ピューリタン革命は、1642年から始まった国王派(騎士党)と議会派(円頂党)の内戦?で、当初は国王派が有利でしたが、それに対するクロムウェルの軍は「鉄騎隊」として勇名をはせ、最終的には議会派が勝利して終わったのがその経緯となっています。その内実について『闇の世界史』には次の興味深い記述があります。

「(オランダの金融男爵)マナセ・ベン・イズラエルの他にもドイツ、フランスの金貸し業者がクロムウェルに資金を融資した。歴史上の「偉大なるユダヤ人」として言及されることも多いポルトガルのフェルナンデス・カーヴァハルがクロムウェルの中心的な請負人となって円頂党を再編して軍を作り、金で買える最高の武器、装備をこれに与えた。陰謀が進展すると、訓練を受けた何百人もの革命戦士が英国に秘かに送り込まれ、ユダヤ人地下組織に合流した。(これと全く同じことは、現在のアメリカでも生じている)。・・・革命的ユダヤ人地下組織の指導者たちが秘密のうちにその目論見、企てを練り上げたのは外交特権に守られたデ・ソウズの屋敷においてだった。」

外国勢力である自称ユダヤ金融家「黒い貴族」たちは、資金提供のみならず実力部隊、暴力武装革命戦士たちを英国に続々と送り込み、その策謀を実現、その隠れ蓑となっていたのがユダヤの地下組織で、外交特権に守られた一角地にあったとしています。

こういった革命という名前の侵略は、当時も、そして現在でも全く同様の構造となっているのが見て取れます。

またクロムウェルの一派、いわゆるピューリタンたちのその後ですが、1660年王政復古の後、彼らはメイフラワー号のピューリタンたちと同様に、アメリカ侵略に向かっていった模様です。ある意味自然な流れでしょう。

pixabay [CC0]
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さて、イギリスでは表面的な王政復古はなっても既に王権の力は失われ、「黒い貴族」が意図する網が蜘蛛の巣のように張り巡らされていました。英議会がそうでしょう。英議会の動きにより、チャールズ2世の後の英王ジェームズ2世はフランスへ亡命。替わりにオレンジ家のウイリアム3世が英国王に就いたのは既に前回までに記述した通りです。

彼らはイギリスを自分たちに都合のよい国家へと作りかえ、イギリス東インド会社を用いて世界中から略奪していきます。なお、イギリス東インド会社を効率的に改組したのもオリヴァー・クロムウェルの手によるものでした。言うまでも無く「黒い貴族」たちの意志によるものでしょう。



Writer

seiryuu様プロフィール

seiryuu

・兵庫県出身在住
・いちおう浄土真宗の住職
・体癖はたぶん7-2。(自分の体癖判定が最も難しかった。)
・基本、暇人。(したくないことはしない。)
・特徴、酒飲み。アルコールには強い。
・歯が32本全て生えそろっている(親不知全て)原始人並み。

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