イエズス会の日本拠点 〜明治の上位官職を独占した薩長土肥
前回、イエズス会による日本侵略は、1549年のフランシスコ・ザビエルの訪日から始まっているとの見解を示しました。
ウィキペディアでのザビエルの記事を読むと、彼が最初に日本に上陸したのが薩摩であったこと、そしてその地の「守護大名・島津貴久に謁見、宣教の許可を得」、その地で布教したことが記されています。薩摩藩でイエズス会の日本侵略の拠点が最初に築かれたことになります。
記事ではしかし、この後トラブルでこの拠点を失ってザビエルは他所に移っていきます。このザビエルに正式に布教を認め、その活動の拠点となる施設をも提供したのが当時の長州の大名大内義隆です。このことは山口県の観光マップなどにも宣伝されています。ザビエルに活動拠点を与えてそう時をおかず、大内義隆は部下のクーデターによって命を落とし、やがて大内氏は滅亡し、大内氏の領土であったところは毛利氏の領地となります。
ただし、長州で提供されたイエズス会の活動拠点は日本最初のキリスト教教会となっています。大内義隆のはからいによって、イエズス会は長州に日本侵略の橋頭堡を得たことになるわけです。
ウィキペディアの記事等によると、大内氏は百済王朝の末裔だと自称、周防の国を本拠とし、高麗や李朝の朝鮮側とは互いに使節を送り合い、密接な関係を結んでいました。そして当時の明朝の中国との大陸貿易によって多大な財を成していて、西の京を築き西国の大大名となっていたのです。
ともあれ、イエズス会のザビエルが最初に上陸し拠点を持ったのが薩摩で現在の鹿児島の地、その後、先ずその活動の本拠地を構えたのが長州で現在の山口であった、これには深い因縁を感じます。ザビエルの日本上陸から約300年の時を経て、薩摩と長州が明治維新の主役となっているのですから。
また明治新政府で高官を輩出したのは薩摩と長州、それに加えて土佐と肥前です。この薩長土肥が明治新政府軍の主力で、明治政府の上位官職を薩長土肥で一時期ほぼ独占しています。肥前とは長崎がその中にあります。イエズス会のその後の本拠地となったのがいうまでもなく長崎です。
イエズス会に長崎を寄進したのがキリシタン大名第1号の大村純忠です。九州にはこの大村純忠と大友宗麟、そして有馬晴信のキリシタン大名が出現。彼らはイエズス会の招聘で、長崎からローマに4名の少年を中心とした天正遣欧少年使節を送っています。こう見ると坂本龍馬の土佐はともかくとしても、明治維新の決行はイエズス会と古き因縁深い藩が中心となっていたのは事実なのです。
1587年 #6月23日 #大村純忠 没 #キリシタン大名 の美名と裏腹に肇国以来初めて国土を外国に売った愚か者,棄教に抗う領民を虐殺し奴隷貿易にも手を染めました。長崎港寄進に驚愕した #豊臣秀吉 は無敵艦隊来襲を仄めかすイエズス会,コエリョの傲慢に憤り #バテレン追放令 決行⇒https://t.co/SYZ7iMBys7 pic.twitter.com/VL36x3zGF6
— 愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ (@History_JP_5963) 2019年6月23日
テレビ番組で思い出したが、伊達政宗が徳川幕府を倒す為に支倉常長ら使節団をバチカンに派遣し支援を求めたという説がある。国内での政争を有利に運ぶ為に海外勢力の支援を頼むという売国的な手口は昔からある。昔はキリシタン大名ら一部の勢力がやっていたが、現在の政治家はほぼ「それ」しかいない。
— 菊池 (@kikuchi_8) 2018年6月10日
ペリー艦隊は東インド艦隊 〜イギリス東インド会社のアジア拠点を共有
「泰平の眠りを覚ます上喜撰(じょうきせん) たった四はいで夜も寝られず」
これはペリー来航に対する江戸幕府の混乱を風刺する狂歌で、私の時代の中学校教科書にあったものです。
ペリーが来航し不平等条約である日米修好通商条約が調印されたのが1858年、この後日本は明治維新に流れ込むのですが、幕府がキリスト教を禁止し、鎖国体制を完成させたのが1641年です。日米修好通商条約調印の1858年まで約220年間の空白があります。
220年の「太平の世」が幸福にもあったともいえますが、幕府は狂歌が指すように眠っていたわけでもなく、ペリー来航が迫っていたことはキャッチしてもいました。ペリー来航の留意点はまず改めてですが、ペリーの艦隊はアメリカ太平洋艦隊ではなく東インド艦隊だったことです。イギリス東インド会社アメリカ支店からの日本襲来だったのです。
ウィキペディアの「黒船来航」記事を読んでいただくと、ペリー艦隊来訪をオランダ側が予め幕府に告げていたこと、1853年ペリー艦隊は日本の前に香港・マカオに寄港し、その後上海で艦隊を構成して琉球を経て浦和に来航、その後「艦隊は7月17日(嘉永6年6月12日)に江戸を離れ、琉球に残した艦隊に合流してイギリスの植民地である香港へ帰った。」ことが分かります。
中国、当時の清朝をアヘン戦争で蹂躙し、植民奴隷支配をしていたのはイギリス東インド会社です。このイギリス東インド会社の中国での本拠地が香港であり上海です。ペリーの東インド艦隊もここを拠点にして日本に襲来したのです。ペリー艦隊はイギリス東インド会社アメリカ支店の艦隊だったと見るのが自然なのです。太平の世を打ち破ったのは東インド会社アメリカ支店だったというわけです。
一方220年間の太平の世で幕府と正式に交易していたのはオランダです。平戸にオランダ商館が建設されていることからわかるように、オランダ商人、つまりオランダ東インド会社が幕府と交易していたのです。
学校が隠している史実➡オランダ商館は1799年に消滅し👻、1799 -1809年はアメリカ商館🇺🇸だった‼
— 本物黒酒 (@honest_kuroki) 2017年9月5日
オランダ商館はオランダ東インド会社の日本支店だから、同社が消滅した1799年には支店も消滅。日本🇯🇵はすでに1797年から、オランダ国旗🇳🇱をたてた米国船🇺🇸と貿易中だった pic.twitter.com/ESZ1V9DJgr
オランダ東インド会社はウィキペディア記事で「会社といっても商業活動のみでなく、条約の締結権・軍隊の交戦権・植民地経営権など喜望峰以東における諸種の特権を与えられた勅許会社であり、帝国主義の先駆け。アジアでの交易や植民に従事し、一大海上帝国を築いた 」とあるように、イギリス東インド会社と同様の超特権の超国家私有株式会社です。他国と条約を結び戦争し植民地経営をしていたのはオランダという国家ではなくてオランダ東インド会社だったわけです。
オランダとの交易の意味 〜キリスト教禁止は表面上
1603年にオランダ東インド会社が設立されます。この超特権会社を作る核となった存在はオランダのアムステルダムに本拠を置いていた国際金融団、つまりカナン族を中心とした黒い貴族でしょう。それに先立って、関ヶ原の合戦と同年の1600年にイギリス東インド会社も黒い貴族の組織とテンプル騎士団が合流して設立されています。
オランダとイギリスの関係でいえば、彼らアムステルダムに本拠を置く黒い貴族が中心となって1600年台にイギリスを侵略します。「乗っ取り」の仕上げとして1689年にオランダの王子だったオレンジ公ウイリアム3世が英国王となり、1694年にイングランド銀行が設立。ウイリアム3世はイングランド銀行の大株主にもなっています。無論ウイリアム3世はイギリス東インド会社そしてオランダ東インド会社の大株主でもあったでしょう。
江戸幕府が交易した対象は一口にオランダといっても、それは実際にはオランダ東インド会社であり、そこにはこのような背景があったのです。
オランダ東インド会社とは黒い貴族が作った世界支配のための超国家機能を有した組織、またそれに先立って世界戦略のために創設されていたのがイエズス会だったのです。要はイエズス会もオランダ東インド会社も、それを作り、所有していたのはカナン族を中心とした黒い貴族だということです。
カルヴァン派もそうであり、黒い貴族が作った表のイルミナティの出先機関です。イギリス東インド会社は表のイルミナティと裏のイルミナティが合流して組織されたと見なせますから複雑な部分はあるのですが、イエズス会、オランダ東インド会社、イギリス東インド会社、アメリカ東インド艦隊のそれぞれが出先機関としては別々組織ですが、各組織の最上部では繋がってもいたのです。
#カルヴァン派 について私が最近調べてた所、#イエズス会 とグルであることが分かった。それは、17世紀の初めにヨーロッパで起こった30年戦争の仕掛け人がヴェネツィアの黒い貴族であり、彼らはイエズス会とカルヴァン派(ルター派も)の両方の創設を支援していたことが分かったからだ。
— NWO is Atheist? (@denjihahigai) 2017年9月28日
豊臣秀吉と徳川家康の「バテレン禁止令」は大きな意味があり、イエズス会による日本支配を回避させ、イエズス会を日本から追放させました。しかしその追放も表面上のもので、イエズス会と同じく黒い貴族が所有するオランダ東インド会社と江戸幕府は交易し関わっていたのです。
江戸幕府はオランダ側から英国(国家ということにして実際のイギリス東インド会社の名は伏せられていたでしょう。)によるインドと中国の蹂躙の情報は知らされていて、その対応を巡る談義は行われていたはずなのです。
ただし、その日本側にも色々な勢力があります。中には外国勢力に恭順を示しながらそれを利用して、日本や近隣諸国を支配しようとする者もいて不思議はありません。カバールが世界支配するには、必ず現地の有力者を自陣に引き入れているのです。
イエズス会と関係の深かった黒田官兵衛。その子孫が現在の黒田日銀総裁との噂。麻生家も官兵衛に繋がっているそうだ。日本財団がなぜか熊本地震の後、熊本城を購入。明治維新以降のジャパン・ハンドラーズが見えてきたか。その背後にイエズス会とその関係者。彼らが現在、#TI をやっているだろうか。
— NWO is Atheist? (@denjihahigai) 2016年12月22日
こういった外国勢力と日本側のある勢力との橋渡し、コーディネーター役を勤めて、明治維新をデザインしたのがグイド・フルベッキと見て取れるのです。彼はユダヤ人であり、表面上名目的にはキリスト教に改宗した人物です。
従って #フルベッキ は工作員の可能性がかなり高い。そして彼の日本での行動も色々と説明がつく。ただ彼自身は任務を遂行しただけだろう。まとめると、アメリカの主要なプロテスタントのセクトは #カルヴァン派 であり、#イエズス会 と #黒い貴族 と共にNWO陣営の工作員なので要注意だ。
— NWO is Atheist? (@denjihahigai) 2017年9月28日
実際は、ザビエル訪日は日本へのキリスト教布教が目的ではなく、イエズス会を用いた黒い貴族の日本侵略の始まりです。
イエズス会は黒い貴族の作った世界侵略の機関です。豊臣秀吉はその危険性に気づき「バテレン追放令」を出し、徐々にイエズス会への態度を硬化させます。徳川家康もキリスト教禁止令を出し、取り締まっていきます。
しかし、イエズス会はその程度で怯むような輩ではありません。1637年の勃発の島原の乱のウィキペディア記事を読むと、彼らの日本侵略は当時においても相当ヤバイ段階にきていたことが分かります。次の記述があります。
この後、江戸幕府が鎖国体制を完成させたことでイエズス会を追放し、危機は去ったかのように見えます。しかし黒い貴族の魔手は日本から消えたわけではありません。江戸幕府が鎖国後も交易した相手はオランダ東インド会社です。
オランダ東インド会社はアジアを中心に巨大な海洋帝国を築いた超特権会社で、これも黒い貴族が作った世界侵略の機関だったのです。