独逸の伯林で見た、聞いた、感じた社会問題、教育問題 ~第51楽章 お寿司からツェツィーリエンホーフ宮殿で発せられたポツダム宣言まで

先日ぺりどっとさんがドイツでは「カローシ」(過労死)の日本語が有名であるという記事を書いていらっしゃいました。
本当にそのようで、私は少し前にベルリンにある大型書店Dussmannで、
KAROSHI と書かれている絵葉書カードを発見しました!一瞬このカード見たとき、あららら・・と思いまして、珍しいから購入しようかなと思いつつもがやめたのですが・・。
ドイツ人でこの絵葉書を買う人はいるのでしょうか??
ドイツ人は日本人の多くの方が長時間働き、休みがほとんどないことを知っていて、こんなことは口に出しては言っていませんが、表情から感じるに、
『休みがなくて、自分の時間が持てない人生なんて意味ないんじゃない??』
と言っているような気がしています。

第51楽章は、お寿司からツェツィーリエンホーフ宮殿で発せられたポツダム宣言までです。
(ユリシス)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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「スシ」とお寿司


ベルリンの大型書店Dussmann は、ベルリンの中心部にあるデパート形式の書店です。地下の音楽関連のCDから専門書、英語や多言語の本のコーナー、
専門書、そして、ドイツの文房具やプレゼントに最適な雑貨まで置いてあり、
開店時間も朝9時から深夜24時までになっていて、1日思う存分楽しめる場所です。


座って本を楽しめるスペースもたくさんあり、ドイツ人は旅行が好きなので、
旅行本も充実していて、多くの方が座って旅行本を検討しています。

ドイツでは、「カローシ」のほかに、「スシ」、「ツナミ」などはもちろんのこと、
「マンガ」、「ワサビ」、「ノリ」、「ショウユ」、「カキ」(柿)、「サツマ」(みかん)、「ウメボシ」、「クズ」(葛)、「ほっかいど」(北海道産のかぼちゃ)、「キモノ」、「オリガミ」なども


photo by ユリシス

そのまま日本語が使われています。「スシ」などは、チャイニーズが海外で流行させたと言われていています。
日本人は、「スシ」とは言わずに、丁寧にお寿司と言うものですね。
アメリカでは、アイスコーヒーやコーラと一緒にお寿司を食べていたアメリカ人たちを見て驚愕し、また、シアトルで一度、にぎりのお寿司を食べましたら(庶民的なチャイニーズ経営のお店ですが・・)、
シャリがあまりにも大きすぎてのどがつまりそうになりました!
お刺身とシャリのバランスというものがあるものなのですが、海外だとこうなってしまうのですね。
ベルリンでは、ベトナム人やタイ人が自国の料理とスシを兼ねて営業しているようです。

Author:Yumi Kimura[CC BY-SA]

今まで見たところによると、一応にぎり寿司もあるようですが、
多くの外国人の方は、太巻きやかっぱ巻きを「スシ」と思っているようです。



さらに、私の考えを言ってみると、よく目にするカタカナ語、
「スキル」「デフォルト」「リスペクト」「セオリー」「リテラシー」「アウトプット」など
日本語で言えないものは良いと思いますが、あえて、英語で言う必要が
あるのだろうか
・・と思うことがあります。
英語で言った方がかっこいい、良さそうに見える・・と思われている方も多いのでは・・と感じています。
日本語での捉え方、英語での捉え方で
ニュアンスが変わる場合もあり、面白い点もあるかと思いますが・・。
個人的には、子供の教育で使われる、「非認知スキル」という言葉にかなりの違和感を感じます。

非認知的能力とは、例えば、目標に向かって頑張る力、他の人とうまく関わる力、感情をコントロールする力などです。数がわかる、字が書けるなど、IQなどで測れる力を「認知的能力」と呼ぶ一方で、IQなどで測れない内面の力を「非認知的能力」と呼んでいます。

まずは、心を育てることが大事・・・これだけでいいのではないでしょうか・・。
ノーベル経済学賞を受賞したジェームス・ヘックマンが2015年に発表した書籍、『幼児教育の経済学』に由来するらしいのですが・・。
「リスペクト」ではなく、尊敬という日本語できちんと言うべきですし、
「デフォルト」は、標準という意味ですが、PC用語でもあり、意味がわからなくなってしまう方も多いのではないでしょうか・・。

宮城県の気仙沼のお寿司屋にて、本マグロのにぎり寿司を食べたことがあり、
(1997年当時、一皿、にぎり寿司10個で1200円でしたね・・)
現地の方は、手でそのまま本マグロのにぎりをほうばっている・・豊かだな・・と思ったことがあります。
私のにぎり寿司の食べ方は、がりにむらさきをつけて、むらさきをたっぷりつけたがりを本マグロの上につけて崩れないようにお箸で食べます。お寿司の最後のあがりで満喫ですね。最後はおあいそ!(寿司用語の基礎知識より)

Author:Hajime NAKANO[CC BY]

仙台から松島、石巻を通り、雄鹿半島、太平洋沿いの金華山、南三陸鉄道に乗り北上をして気仙沼までお寿司の旅をしたのです。
江戸時代には、支倉常長ら慶長遣欧使節団が雄鹿半島の月浦から太平洋を横断してローマまで大航海をしているんですね・・。

Wikimedia_Commons[Public Domain]
支倉常長像

女川原発も近いな・・と思いつつも、雄鹿半島の高台から港方面を見下ろす風景は素晴らしい景色でした。
http://tabilista.com/02%E3%80%80牡鹿半島「鹿と鯨の物語」/
石巻の大川小学校のことを思い出さずにはいられません。なぜ校庭で集合していたのか? なぜすぐに逃げなかったのか?




お寿司の旅ができる豊かな土地を311の津波「ツナミ」が襲ったのでしょうか・・・。日本の豊かさを「スシ」という安易な名前で、ちょっと違うものへと変えさせられてしまったのでしょうか・・。海外で人気な流行りの歌にも「スシ」が出てきますし・・。
(お寿司とスシは違う・・・と私は思ってしまいます・・・)


私はお寿司の画像をみると、懐かしさのあまりに、
I miss お寿司! と少し怒りがこみ上げてきますが、
やはり、お美しい至高四柱の女神さまたちの絵を見て、穏やかな心にならないと・・と反省します。



日本のポツダム宣言とドイツのベルリン宣言


ベルリンから南へ行くと、ポツダム宣言でも有名なブランデンブルグ州ポツダム市があります。
ポツダムといえば、プロイセン王国のフリードリヒ2世が建築を命じたロココ様式の
サンスーシー宮殿が有名で
す。サンスーシーとは、フランス語で“憂いなし”の意味です。

サンスーシー宮殿

“憂いなし”

photo by ユリシス

フリードリヒ2世がベルリンの喧騒を離れてゆっくりと過ごしたのがサンスーシー宮殿です。
そして、なんとドイツにジャガイモを広めたのが、フリードリヒ2世です。
宮殿内にあるフリードリヒ2世のお墓の上には、じゃがいもが無造作に置いてあります。

フリードリヒ2世のお墓のじゃがいも photo by ユリシス


第二次世界大戦後のポツダム宣言は、サンスーシー宮殿のようなロココ形式な豪華な宮殿ではなく、わりと質素な英国調のツェツィーリエンホーフ宮殿にて発せられました。
ツェツィーリエンホーフ宮殿は、最後のドイツ皇帝ヴィルヘルム2世が皇太子夫妻のために建てたものです。
皇太子の妃、ツェツィーリエの名前がそのまま宮殿名になっています。



ポツダム宣言の中でも気になった第10条と第13条を取り上げてみます。
ポツダム宣言より抜粋
日本語訳はこちらから

第10条より
We do not intend that the Japanese shall be enslaved as a race or destroyed as a nation, but stern justice shall be meted out to all war criminals, including those who have visited cruelties upon our prisoners. The Japanese Government shall remove all obstacles to the revival and strengthening of democratic tendencies among the Japanese people. Freedom of speech, of religion, and of thought, as well as respect for the fundamental human rights shall be established.

  日本人を奴隷化したり、国を崩壊させるつもりはないが・・と太字(緑字で重要単語)部分には書かれています。
逆説詞but の前に、このような宣言を書く必要があるのかな・・と思ってしまいました。
やはり、日本人は奴隷化をさせられてきたのでしょうか・・。国を崩壊させられてきたのでしょうか・・。

第13条より
We call upon the government of Japan to proclaim now the unconditional surrender of all Japanese armed forces, and to provide proper and adequate assurances of their good faith in such action. The alternative for Japan is prompt and utter destruction.

  太字の最初では、すべての日本の軍隊の(英語で緑字部分無条件降伏の宣言を要求すると書いてあります。

無条件降伏というのは、すべての日本の軍隊の無条件降伏だけあり、他については言及していないという点ですね。

無条件降伏the unconditional surrenderは、第13条にしか記載されていないからです。
こちらの教科書について書いてある18ページにも書かれています)
忠実(緑字their good faith )であるという適切かつ十分な証明をすること、さもなければ、日本を即座に壊滅する・・・と太字部分には書かれています。
翻訳では誠実な・・と書かれていますが、忠実な・・の方がいいのでは・・と私は感じました。faithというのは、神への忠誠などで使うからです。
即座に壊滅する・・という脅しのようなことが書かれているのですね・・。

上記のポツダム宣言のサインは、1945年7月26日に行われましたので、その後、日本側が黙殺をするという発言をして、これを拒否する(reject)または、無視する(ignore)という意味で捉えられて、広島、長崎の原爆につながったと言われています。

Wikimedia_Commons[Public Domain]
日本のポツダム宣言受諾を発表するトルーマン

また、ポツダム宣言には、北方領土に関係する第8条があります。
外務省のページにはこのように書かれています。

https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/hoppo/hoppo_keii.html より抜粋

ポツダム宣言(1945年8月受諾)
 ポツダム宣言は、「暴力及び貪欲により日本国が略取した地域」から日本は追い出されなければならないとした1943年のカイロ宣言の条項は履行されなければならない旨、また、日本の主権が本州、北海道、九州及び四国並びに連合国の決定する諸島に限定される旨規定しています。しかし、当時まだ有効であった日ソ中立条約(注)を無視して1945年8月9日に対日参戦したソ連は、日本のポツダム宣言受諾後も攻撃を続け、同8月28日から9月5日までの間に、北方四島を不法占領しました(なお、これら四島の占領の際、日本軍は抵抗せず、占領は完全に無血で行われました)。

(注)日ソ中立条約(1941年4月)
 同条約の有効期限は5年間(1946年4月まで有効)。なお、期間満了の1年前に破棄を通告しなければ5年間自動的に延長されることを規定しており、ソ連は、1945年4月に同条約を延長しない旨通告。

つまりは、北方領土は不法占領なのですね・・。
北海道の東側、知床を中心に旅行したとき、日本の最東端である納沙布岬にも
行きまして、こちらから国後島が見えますので、ツアーのガイドの方が
「みなさん、北方領土を返せ・・と叫びましょう」とおっしゃられましたので、
みなさんと一緒に、家族全員で、北方領土、国後島を返せ・・・と叫びました。

納沙布岬より国後島を望む


ドイツは、戦後ベルリンのカールホルストで降伏文書の批准をしました。



ベルリン宣言はこちらになります。

Author:OTFW[CC BY-SA]
ベルリン宣言の記念碑

日本のポツダム宣言とドイツのベルリン宣言を比較してみると、
日本は忠実になるように要求されているのに対して、
ドイツは、モノの没収ばかり
だ・・
と思ってしまいました。同じ敗戦国でも違いがあり興味深いものです。

戦後70年ぐらいの時を経て、2つの敗戦国で生きている人々の表情、
特に都心の電車のホームでの表情になりますが、何か国の雰囲気がわかるような気がしました。

アーティストが日本の東京新宿の人々の様子を表現したビデオになります。


こちらは、ベルリンのアレクサンダープラッツの人々の様子を表現したビデオになります。


上記の出典の記事はこちらです。

ベルリンと東京は首都でもあり、似ているところもありますので、
東京の新宿とベルリンのアレクサンダープラッツも比較にはちょうど良い場所になっています。
東京の新宿といえば、通勤ラッシュ時には世界一乗客が多いとも言われています。
私も若いころは新宿乗り換えで通勤をしていました。朝8時の新宿駅はものすごい人ごみで人々の朝の表情は覇気がなく、疲れと無表情で、枯れた砂漠のような雰囲気でした。
同じ敗戦国でありながらも、時を経て、人々の表情は違うものだな・・と思いました。
新宿の様子からは、やはり、「カローシ」の雰囲気を感じとることができるかもしれません。
少し抑圧された雰囲気が感じられるような気がしたのですが・・どうでしょうか・・。





Writer

ユリシス

東西冷戦時代を身近に感じられるドイツの首都在住。豪州の出会うと幸せになれると言われる、めったに出会えない青い蝶、ユリシスがいる、(ほとんど毎日会っていた!)トロピカルな街から移り住みました。世界に国境はない、人種も言語も関係なく、心で通じ合えるが信条。英、独、インドネシア語を学びました。1985年の人民服を来ていた時代の上海、1988年のベルリンの壁、1992年のインドネシアの民主化運動を目の当たりにする。
現在、東洋医学セミナーを勉強中。体癖はたぶん、2−8かな?しかし、3、5、10も入っているような気がする。

わかりやすく、音楽のように流れるような、軽快な文章をお届け出来ればと思います。小学生でもわかるように簡単で、本質をついた内容に努めてまいります。



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