ぴょんぴょんの「安部医師の冤罪」 ~薬害エイズ事件から学ぶこと

ある日、まのじ編集長からお尋ねのメールをいただいた。
薬害エイズ事件で極悪人とされた安部英(あべたけし)医師、
どうも真相は全く違うらしい、なにか知っていたら教えてほしいと。
その瞬間まで、安部医師は犯罪者と信じていた私はドッキリ!
果たして、真相はいかに? 
(参考:郡司篤晃著「安全という幻想」武藤春光・弘中惇一郎著「安部英医師 『薬害エイズ事件』の真実」
(ぴょんぴょん)
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ぴょんぴょんの「安部医師の冤罪」 ~薬害エイズ事件から学ぶこと


薬害エイズ事件の4つの検証


安部 英(あべ たけし、1916年 - 2005年)は、日本の医師。医学博士。元帝京大学副学長。 海軍軍医大尉として従軍し、1964年東京大学医学部第一内科講師。1971年に帝京大学に招聘され医学部教授に就任、1980年から1987年まで帝京大学医学部長、のち帝京大学名誉教授。1987年から1996年まで帝京大学副学長。

1985年5月〜6月、手首から出血した血友病患者に対し、非加熱濃縮製剤を計3回投与してHIVに感染させ、エイズを発症させ死亡させたとして業務上過失致死罪で逮捕・起訴された。2001年の1審で無罪となり、検察が控訴したが、心臓疾患や認知症を発症したため公判停止となり、2005年4月25日に88歳で死去した。
Wiki

てえへんだ! てえへんだ!

どした? どした?

まのじ編集長から、おれたちに調査の依頼がきたぞ。

わーい! ぼくたちに? なんだろう?

薬害エイズ事件について調査せよ、とのお達しだ。

へえ? 
安部英(あべたけし)医師だっけ?
良心をおカネで売って、多くの患者さんをエイズに感染させた。


果たしてホントにそうだったのか、検証してみよう。
事件の流れをまとめると、

1985年5月~6月  血友病患者の手関節内出血に、研修医と当直医が非加熱製剤を投与。
1991年12月    患者がエイズで死亡。
1994年 4月    弁護士らが、安部医師を殺人罪で告発
1996年 1月    患者の母が、安部医師を殺人罪で告訴
1996年 8月    安部医師、業務上過失致死罪で逮捕
2001年 3月    無罪判決

なんで無罪判決だったんだろう?
安部医師のせいで、たくさんの血友病患者がエイズに感染したのに。
なんで、安全な加熱製剤があるのに非加熱製剤を使ったんだろう?
加熱製剤の開発が遅れていた、ミドリ十字を助けるためらしいけど、
安部医師は、ミドリ十字からおカネをもらってそうだし。
さすが、ミドリ十字つながりの731部隊の生き残りだね。



ふ〜んなるほど、参考になるご意見だな。
つまり、血友病患者が非加熱製剤でエイズになったのは、
1 当時、安全な加熱製剤があったのに、なぜか非加熱製剤が使われた。
2 その理由は、ミドリ十字の加熱製剤の開発が遅れていたから。
3 安部医師はミドリ十字からカネをもらってたので、加熱製剤の治験を遅らせた。
4 安部医師はミドリ十字つながりの731部隊の生き残り。

検証してみよう。
4 安部医師はミドリ十字つながりの731部隊の生き残り。
ミドリ十字は明らかに731つながりだが、安部医師も731なのか?
たしかに「731部隊に関与した医師・医学関係者」の121番目に名前が上げられてるが、安部医師は海軍の軍医だったんだぞ。海軍の軍医が、仲の悪い陸軍の731に協力したなんて話、聞いたことねえ。

ヘッ?!
 3 安部医師はミドリ十字からカネをもらってたので、加熱製剤の治験を遅らせた。

実際は、
安部医師がミドリ十字からそのような金銭を受け取ったという事実はひとつもなかった。」(「薬害エイズ事件」の真実 25p)

うそー?! 
2 その理由は、ミドリ十字の加熱製剤の治験が遅れていたから。

ほんとに、そうだったのか?
当時の、ミドリ十字の責任者だったO氏は言う。
1983年9月の時点で、加熱製剤の全臨床試験用サンプルができあがっており、1983年11月の厚生省の治験説明会の時点で、ミドリ十字は加熱製剤の開発を終えていた。
(「薬害エイズ事件」の真実 27p、153p)
つまり、ミドリ十字は加熱製剤の治験に、十分、間に合ってたんだ。

・・・・!

O氏自身も検察にしつこく追い回されて、何日も呼び出されて取り調べを受けた。
彼は「遅れていたという認識はなかった」と正直に答えたが、検察は「そんなはずはない」と否定し続け、しまいには「客観的な事実さえ認められないなら、家も調べることになる」と脅された。
ついに、O氏も根負けして、裁判では検察側から強要された証言をしてしまった。
(「薬害エイズ」事件の真実183p )

うわー! 検察を相手に、ヤマ・ニヤマを最後まで守り通すのは難しい・・。

検察はこのように、自分たちのストーリーに沿って、安部医師を不利な立場に追いやったが、後日談がある。
O氏はその後、安部医師の名誉毀損裁判で証言台に立ち、検察の汚いやり方を証言した。

よくやった!

実際に安部医師は、加熱製剤を遅らせようとしたことはなかった。
1985年7月1日に加熱製剤が承認されるまで、彼はつねに治験の中心にいた。
なぜなら、安部医師自身が加熱製剤を望んでいたから。

ウソー?!

彼は、非加熱製剤によるB型肝炎に頭を悩ませていたから、患者のために安全な加熱製剤を望んでいたのさ。
 1 当時、安全な加熱製剤があったのに、なぜか非加熱製剤が使われた。
帝京大学病院の事件は、加熱製剤が承認されるわずか1ヶ月前のことだった。

Wikimedia_Commons[Public Domain]


遺族も無念だったろうね、
あと1ヶ月遅ければ、加熱製剤が投与されてたかもしれない。
そしたら、エイズで亡くなることもなかったのに。

加熱製剤がムリだったら、なんでクリオを投与しなかったと検察は責めた。

クリオ?

クリオは、非加熱製剤の1世代前の薬だよ。

クリオがわかんない。

う〜ん、めんどくせえなあ。
クリオを説明するには「血友病とは?」から始めなくちゃならん。

出血したら血が止まらなくなる病気だよね。

ああ、血友病は血液凝固異常の遺伝病で、凝固因子のVIII因子がないのが血友病A、IX因子がないのが血友病Bと呼ばれ、AはBの約5倍いる。(Wiki

つまり、ほとんどの血友病は、VIII因子を補充しないと生きていけないAだね。

なら、VIII因子を補充するにはどうすればいいか。
全血輸血を続ければ、肝臓に鉄が貯まって肝硬変になる。
かと言って、赤血球を除いた血漿輸血を続ければ、フィブリノーゲンが貯まる。


フィブリノーゲン?

血を固まらせる、糊みたいなタンパク質だ。
だが、血漿を凍らせてゆっくり解凍すると、沈澱ができる。
沈澱の中には、欲しいVIII因子がたくさん入っていた。
しかも、フィブリノーゲンも減らせる。
これがクリオプレシビテート、略して「クリオ」だ。

なるほど。

安部医師も、クリオに貢献した。
クリオが普及する前、安部医師は自分の血液でクリオを作って患者に提供した。
日赤にクリオを作るよう働きかけたのも、安部医師だ。


じゃあ、どうしてあの時、手関節出血の患者さんにクリオを使わなかったの?

裁判も、そこが焦点となった。
答えは、クリオの後に登場した「非加熱濃縮製剤(略して非加熱製剤)」の方がはるかにすぐれていたからだ。


でも、非加熱製剤でエイズになった・・。

当時、現場にいた医師と患者にとって、非加熱製剤は夢のような薬だった。
クリオは点滴投与なので、病院に行かなきゃ打ってもらえない。
命にかかわる場合は、間に合わないこともあった。

しかもクリオは、アナフィラキシーを起こすこともある。
だが非加熱製剤はアレルギーもなく、粉を溶いて自己注射すれば自宅で治療ができる。
1983年2月、非加熱製剤の自己注射が保険適応になったことで、さらに負担が軽減され、血友病患者も健常者と同じように生活できるようになった。
ただ・・


ただ?

B型肝炎の心配があった。
それを解決するために、アメリカでは加熱製剤がつくられた。

加熱製剤はB型肝炎対策だったとしても、エイズにも有効だったはず。
なんで、日本は加熱製剤に切り替えなかったんだろう?

実は、加熱製剤にも問題があるんだ。
加熱によって凝固因子の効力が3分の1になってしまう。
ということは、これまでの3倍の血漿が必要になる。

それまでも、日本は血液の95%をアメリカからの輸入に頼っていた。
日本は世界の血液の3分の1を消費する「吸血鬼日本」と非難されていたんだ。

じゃあ、国内の献血で作ればいいのに?

それが、内輪の事情がいろいろと・・
血液事業を独占する日本赤十字と、濃縮製剤ライセンスを持つ製薬企業の連携がうまく行かなくて。
Business Journal

Wikimedia_Commons[Public Domain]

そんな理由で?

また日本は、B型肝炎ウイルスの抗体陽性者が多いし、B型肝炎ワクチンもあるから、アメリカみたいにB型肝炎を恐れる理由がなかった。

だから、加熱製剤を急がなかったの?
でも、エイズの危険が浮上してきたよ。

1982年、アメリカの疫病予防管理センター(CDC)は、わけのわからない免疫不全を「Acquired Immunodeficiency Syndrome:AIDS(後天的免疫不全症候群:エイズ)」と名づけた。
日本でもエイズ研究班が設置され、安部医師みずから参加を希望し班長に迎えられたが、第1回エイズ研究班会議(1983年6月)の安部医師の発言が、裁判で槍玉に上げられた。
「私たちはねえ、毎日注射しているからねえ、毒が入ってるかもしれないと思って毎日注射しなければならないんだからねえ、それはあなたのように待ってなんかおれないよ」。

こりゃ、おだやかじゃないね。
まるで「毒だと知ってて注射してます」とも取れるよ。
でも、ここだけ聞いても前後関係がわからない。

よく言った! 実際はこうだった。
研究班の空気はエイズに楽観的で、ある医師の「だいたいエイズなんてのは、ほっといても解決する問題だと思う」に対して言われたセリフだったんだ。

もっと危機感を持て、って意味だったんだね。

1983年5月、フランスのリュック・モンタニエ博士がHIVの発見を発表した直後、安部医師は、血友病患者のエイズ抗体検査をアメリカのギャロ博士に依頼している。

リュック・モンタニエ博士
Author:Túrelio[CC BY-SA]

リュック・モンタニエ博士! 新型コロナでもお世話になってます!

「コロナ変異型の出現はワクチンに起因する。…ワクチンが変異を製造しているわけだ」って言った人だな。(時事ブログ
一方、ギャロ博士てのはいわくつきで、モンタニエ博士のパスツール研究所から送られたHIVを見て、おいらもHIVを発見したとかウソついたらしい。

うそー!

それだけじゃねえ、
「1974年、HIVはアメリカ国防総省フォートデリックの陸軍生物化学戦研究センターにて、CIAプログラム監督下にてロバート・ギャロ博士らにより作成された」。(ニュース速報

ドヒャー! あんたが作ったんかい!!

安部医師が依頼した検査の話にもどすと、ほぼ半数がHIV抗体陽性だったそうだ。

そんなにいたの?!
なのに、その後も非加熱製剤を使い続けたのは、さすがにマズイよ。

だな、マスコミも検察も櫻井よしこも、そこを叩いた。
しかし、ここで問題なのは「抗体陽性」が何を意味するかだ。
陽性とは、少なくとも一度はウイルスが体に入ったことを意味する。
じゃあ、抗体が陽性なら、エイズに感染していると言えるのか。
抗体陽性は、エイズにかからないという意味じゃねえのか。


なんか、ややこしいね。


1985年5〜6月の時点で、非加熱製剤の危険性をどのくらい認識していたのか


それより問題は、ほかにある。
1985年5〜6月に投与された非加熱製剤で、患者がエイズにかかって亡くなった。
とすると1985年5〜6月の時点で医師は、非加熱製剤の危険性をどのくらい認識していたのか。
それを証明するには、エイズ研究の最先端を行く研究者の意見が必要だ。

たしかに、でも、誰に聞けばいいんだろう?

1999年、やはり非加熱製剤投与に関して、厚生省松村氏の業務上過失致死罪を問う裁判があった。
そこで、松村氏は証人として、モンタニエ博士の共同研究者、シヌシ博士を呼んだ。彼女は裁判で「松村氏は、法律的にも社会的にも責任を追求されることは考えられない」と証言
してくれた。
証言の最後に、裁判長が聞いた。
「日本でこういう裁判をしていることを知っていましたか」。
シヌシ博士「はい、私はフランスで、日本の法律家のいるところで、フランスの裁判官から尋問を受けました。それは安部教授の件に関係したものだったと記憶しています」。
(「薬害エイズ」事件の真実 196p)

シヌシ博士

へえ? シヌシ博士は安部医師の裁判で、なんて言ったんだろう?

・・つうか、傍聴していた安部医師弁護団の方がビックリ仰天した!!
その時まで、検察がシヌシ博士に話を聞いたなんて、まったく知らなかったから。

まさか!

安部医師の第1回公判と第2回公判があったのは、2年前の1997年。
その時点で検察は、シヌシ博士とギャロ博士の尋問調書を入手していた。
なのに、安部医師の裁判ではまったく公表されなかった。

なぜか?

安部医師に有利な証言だったからだ!!

その通り!
ずっと隠し続けるつもりだったが、そうは行かない。
別の裁判で、シヌシ博士がしゃべっちまったからな。
早速、安部医師弁護団は検察に証拠開示を請求し、両博士の証言を手にした。
両博士の証言は、安部医師の無罪判決に大きく貢献するものだった。

判決文にある。
「ギャロ博士やモンタニエ博士ら世界の研究者の公式見解から、事件当時の1985年はHIVの性質やその抗体陽性の意味に不明点が多々存在しており明確な危険性の認識が浸透していたとはいえないこと」。
Wiki


もし、両博士の証言を表に出てこなかったら、安部医師の判決も変わったかもしれないんだね。

ああ、神さまは、安部医師に味方してくださった。
無罪判決になった後も検察は控訴したが、2005年に安部医師が亡くなったことで控訴は棄却となり、ようやく裁判の幕が閉じた。

安部医師も、亡くなるまで大変だったね。

裁判てのは、どれも重いものだが、この裁判は特に考えさせられた。
医師、教授、副学長まで上りつめ、勲三等旭日中綬章までもらった安部医師が、ドロの中に放り込まれた。そのとき、安部医師の仲間の医師たちは何をしたか。
検察の圧力から身を守るためにウソの証言をして、安部医師を裏切ったんだよ。


彼らにも生活があるから、しかたなかったんだよ。
でも、最後の最後までヤマ・ニヤマを守るのは、大変なことだね。

そして、これから先ふたたび、こういう景色を見ることになるかもしれない。
新型コロナウイルスは生物兵器だった、新型コロナワクチンは人類を操るための遺伝子組み換えワクチンだったとわかった時、患者や遺族の怒りはどれほどだろう。
安部医師のようなスケープゴートが生まれないよう、願う。

ぼくたちも、同じ過ちを犯さないようにしないと。
マスコミや政治家やアジテーターにだまされず、冷静に真犯人を見極めて裁いてほしいね。


Writer

ぴょんぴょんDr.

白木 るい子(ぴょんぴょん先生)

1955年、大阪生まれ。うお座。
幼少期から学生時代を東京で過ごす。1979年東京女子医大卒業。
1985年、大分県別府市に移住。
1988年、別府市で、はくちょう会クリニックを開業。
以後26年半、主に漢方診療に携わった。
2014年11月末、クリニック閉院。
現在、豊後高田市で、田舎暮らしをエンジョイしている。
体癖7-3。エニアグラム4番(芸術家)

東洋医学セミナー受講者の声

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