————————————————————————
ぴょんぴょんの「映像の世紀(21)」 ~NHKの良心と苦しい胸のうちを感じさせる番組
貴重な映像が見られるNHK「映像の世紀」
加古隆クァルテット『パリは燃えているか 』
この曲は、NHK「映像の世紀」のテーマソングだ。
たしかに、白黒ばかりで画面も暗い。
だが、教科書に出てくる歴史的なできごとが、貴重な映像記録で見られる。
ついこないだ見たのが、12月8日の太平洋戦争開戦80年に合わせて放映された「映像の世紀プレミアム(21)『太平洋戦争 銃後 もうひとつの戦場』」。
たしかに、白黒ばかりで画面も暗い。
だが、教科書に出てくる歴史的なできごとが、貴重な映像記録で見られる。
ついこないだ見たのが、12月8日の太平洋戦争開戦80年に合わせて放映された「映像の世紀プレミアム(21)『太平洋戦争 銃後 もうひとつの戦場』」。
いや、正直、おれもあんまり・・
たまたま、テレビをつけたらやってたんだ。
暗そうだから見る気しなくて、何度もチャンネル替えようとしたが、
おや、これはおやじやおふくろから聞いた話だぞ、って興味がわいて、
たとえば、女性たちが慰問袋を作っているシーンとか。
たまたま、テレビをつけたらやってたんだ。
暗そうだから見る気しなくて、何度もチャンネル替えようとしたが、
おや、これはおやじやおふくろから聞いた話だぞ、って興味がわいて、
たとえば、女性たちが慰問袋を作っているシーンとか。
おめえは、知らねえだろな。
おふくろは、よく言ってた、
食いもんや日用品を詰め合わせて送ることを、「慰問袋を送るわね〜」って。
おれも、いろいろな詰め合わせを実家に送るとき、「慰問袋を送るぞ〜」って言ってた。
おふくろは、よく言ってた、
食いもんや日用品を詰め合わせて送ることを、「慰問袋を送るわね〜」って。
おれも、いろいろな詰め合わせを実家に送るとき、「慰問袋を送るぞ〜」って言ってた。
さっきの番組も、「太平洋戦争 銃後 もうひとつの戦場」って副題だったろ。
「開戦80年を迎える太平洋戦争、もう一つの戦場とも言うべき銃後の物語・・熱狂から絶望へ、戦場ではない、人々の1347日の暮らしを発掘映像によって描く」
「開戦80年を迎える太平洋戦争、もう一つの戦場とも言うべき銃後の物語・・熱狂から絶望へ、戦場ではない、人々の1347日の暮らしを発掘映像によって描く」
戦争するためにマスコミを手中に収める政府
ほお、教育テレビも陥落か。
ところで、この「銃後の物語」は「日本映画社(日映)」の設立から始まる。各地の新聞や通信社が別々に作っていたニュースを、軍が検閲しやすいように統合したのがこの会社。
日映は、映画館で娯楽映画の合間に放映された、いわゆる大本営ニュースを量産した会社だ。
ところで、この「銃後の物語」は「日本映画社(日映)」の設立から始まる。各地の新聞や通信社が別々に作っていたニュースを、軍が検閲しやすいように統合したのがこの会社。
日映は、映画館で娯楽映画の合間に放映された、いわゆる大本営ニュースを量産した会社だ。
1941年12月8日、真珠湾攻撃によって開戦した太平洋戦争。
その翌朝、各地の映画館で、大本営の開戦発表が緊急上映された。
ドンジャン、ドンジャララッタ♪の軍艦マーチをバックに、「奮起せよ 日本国民」「帝国の興亡 この一戦に在り」のキャッチコピーとともに。
その翌朝、各地の映画館で、大本営の開戦発表が緊急上映された。
ドンジャン、ドンジャララッタ♪の軍艦マーチをバックに、「奮起せよ 日本国民」「帝国の興亡 この一戦に在り」のキャッチコピーとともに。
#今日は何の日
— 時星リウス@妄想自由人 (@TokiBosi20) March 24, 2017
日本初の長編アニメーション『桃太郎の海鷲』昭和18年3月25日封切り。上映時間37分。 pic.twitter.com/FI7vNxLrjE
あの頃の子どもは、天皇に仕える幼い国民「少国民」と呼ばれていた。
校長おぼしきオッサンが、全校生徒を前に叫んでいる映像がある。
「諸君は戦争に勝ったほうがいいか、負けたほうがいいか。
勝ったほうがいいと思うものは、手を挙げい!」
「はい!」と、子どもたち全員が元気よく手を挙げる。
「少国民、起きよー!」「はい!」 バンザイ!
「少国民、起きよー!」「はい!」 バンザイ!
「少国民、起きよー!」「はい!」 バンザイ!
校長おぼしきオッサンが、全校生徒を前に叫んでいる映像がある。
「諸君は戦争に勝ったほうがいいか、負けたほうがいいか。
勝ったほうがいいと思うものは、手を挙げい!」
「はい!」と、子どもたち全員が元気よく手を挙げる。
「少国民、起きよー!」「はい!」 バンザイ!
「少国民、起きよー!」「はい!」 バンザイ!
「少国民、起きよー!」「はい!」 バンザイ!
天皇陛下バンザイ!だからな。
「日本は神の国だと教え込まれてたんだからね」
開戦時11歳だった作家・半藤一利は言った。
絶対不滅の神の国は、アジアを植民地から開放し、大東亜共栄圏を建設し、その盟主たる資格を持っている。太平洋戦争はまさにそのためのものだと、教えられていた。
「日本は神の国だと教え込まれてたんだからね」
開戦時11歳だった作家・半藤一利は言った。
絶対不滅の神の国は、アジアを植民地から開放し、大東亜共栄圏を建設し、その盟主たる資格を持っている。太平洋戦争はまさにそのためのものだと、教えられていた。
インドネシアの悲劇「労務者(ロウムシャ)」
オッホン!
さて、話をもどして昭和17年3月、日本軍はオランダ植民地だったインドネシア・ジャワ島を占領。「大東亜共栄圏で団結し、欧米支配を打ち砕く」という名目だが、実際は、石油やゴムを横取りするためだ。
だが、おふくろはうれしかったんだと。
南方のゴムのおかげで、あこがれのゴムまりを買ってもらえたと。
さて、話をもどして昭和17年3月、日本軍はオランダ植民地だったインドネシア・ジャワ島を占領。「大東亜共栄圏で団結し、欧米支配を打ち砕く」という名目だが、実際は、石油やゴムを横取りするためだ。
だが、おふくろはうれしかったんだと。
南方のゴムのおかげで、あこがれのゴムまりを買ってもらえたと。
たしかに、ぜんぜんフェアじゃねえ。
現地人は日本人の奴隷だった。
当時、ジャワを慰問した女優の森光子も、現地人が土下座して迎えるのに違和感を覚えたという。「日本人の誰があんなまねをさせたのでしょうか」。
現地人は日本人の奴隷だった。
当時、ジャワを慰問した女優の森光子も、現地人が土下座して迎えるのに違和感を覚えたという。「日本人の誰があんなまねをさせたのでしょうか」。
そして、インドネシアの悲劇は「労務者(ロウムシャ)」だ。
「ロウムシャ」は、日本軍施設を作るために、ジャワ島だけで250万人が徴用され、東南アジアの激戦地に送られ、炭鉱や鉄道建設の現場で働かされた。
過酷な労働の上、満足に食事も与えられず、数万人が伝染病で命を落としたという。
「ロウムシャ」は、日本軍施設を作るために、ジャワ島だけで250万人が徴用され、東南アジアの激戦地に送られ、炭鉱や鉄道建設の現場で働かされた。
過酷な労働の上、満足に食事も与えられず、数万人が伝染病で命を落としたという。
日本軍のおかげで、オランダ支配から開放されたと思ったインドネシア。
だが、実際は「トラの口から逃れ出て、ワニの口へと投げ込まれた。そして、ワニの支配は非常に残酷であった。」これは、インドネシアのことわざだ。
そして「ロウムシャ」は、悲劇を伝えることばとして今もインドネシア語の辞書にある。
だが、実際は「トラの口から逃れ出て、ワニの口へと投げ込まれた。そして、ワニの支配は非常に残酷であった。」これは、インドネシアのことわざだ。
そして「ロウムシャ」は、悲劇を伝えることばとして今もインドネシア語の辞書にある。
そんな中、番組は「或る保母の記録」という映画を取り上げている。
あまりに戦時色がないので、製作中に脚本家が当局に呼ばれ、検閲を受けている。
保育園らしい戦時教育を入れろ、たとえば保育園の前を兵隊さんが通る、窓から園児にそれを見せ、「兵隊さんはお国のために戦争に行くのよ」と言って、「兵隊さんよありがとう」の歌を歌わせろ、と。
あまりに戦時色がないので、製作中に脚本家が当局に呼ばれ、検閲を受けている。
保育園らしい戦時教育を入れろ、たとえば保育園の前を兵隊さんが通る、窓から園児にそれを見せ、「兵隊さんはお国のために戦争に行くのよ」と言って、「兵隊さんよありがとう」の歌を歌わせろ、と。
脚本を担当した「厚木たか」は回想している。
「その係官の目のきつさを私はいまだに忘れない。だまって頭を下げて帰ってはきたが、そんな風にシナリオを替えることはしなかった」「今から考えれば、それはあまりにもささやかな抵抗にすぎなかったかもしれないが、そのときはそれが精いっぱいであった。」
「その係官の目のきつさを私はいまだに忘れない。だまって頭を下げて帰ってはきたが、そんな風にシナリオを替えることはしなかった」「今から考えれば、それはあまりにもささやかな抵抗にすぎなかったかもしれないが、そのときはそれが精いっぱいであった。」
さらに、戦局はますます悪化の一途をたどり、「一億総力をあげて」を象徴するのが、昭和18年10月21日の神宮外苑、雨の中の学徒出陣壮行会の映像。
番組のナレーションは言う。
「日本ニュースのカメラマンたちは、未来を担うべき学生までもが、戦地に送り込まれる事態に疑問をいだきながら、泥だらけの行進にレンズを向けた。」
この「疑問をいだきながら」をあえて入れた理由は?
番組のナレーションは言う。
「日本ニュースのカメラマンたちは、未来を担うべき学生までもが、戦地に送り込まれる事態に疑問をいだきながら、泥だらけの行進にレンズを向けた。」
この「疑問をいだきながら」をあえて入れた理由は?
そして敗戦。
あの鬱BGMをバックに、終戦時15歳だった半藤一利のことばで締めくくられる。
「天にまします神は必ず大日本帝国を救いたもうのである。
このゆるぎないフィクションの上に、いくつもの小さなフィクションを重ねてみたところで、(日本人は)それを虚構とは考えられないのではなかったか。」
あの鬱BGMをバックに、終戦時15歳だった半藤一利のことばで締めくくられる。
「天にまします神は必ず大日本帝国を救いたもうのである。
このゆるぎないフィクションの上に、いくつもの小さなフィクションを重ねてみたところで、(日本人は)それを虚構とは考えられないのではなかったか。」
食べ物がなくひもじかったこと。
小学校に派遣されていた軍人が、コワかったこと。
農家の勤労奉仕で、おいしいご飯が食べられたこと。
起床ラッパで起こされて、軍事訓練をさせられたこと。
戦争が終わったとき、子ども心にうれしかったこと。
先日見た「映像の世紀プレミアム(21)『太平洋戦争 銃後 もうひとつの戦場』」 を見て、耳から聞いた話を映像で確かめることができました。