ぴょんぴょんの「映像の世紀(21)」 ~NHKの良心と苦しい胸のうちを感じさせる番組

若い頃、両親から、戦時中の話をよく聞かされていました。
 食べ物がなくひもじかったこと。
 小学校に派遣されていた軍人が、コワかったこと。
 農家の勤労奉仕で、おいしいご飯が食べられたこと。
 起床ラッパで起こされて、軍事訓練をさせられたこと。
 戦争が終わったとき、子ども心にうれしかったこと。
先日見た「映像の世紀プレミアム(21)『太平洋戦争 銃後 もうひとつの戦場』」 を見て、耳から聞いた話を映像で確かめることができました。
(ぴょんぴょん)
————————————————————————
ぴょんぴょんの「映像の世紀(21)」 ~NHKの良心と苦しい胸のうちを感じさせる番組

貴重な映像が見られるNHK「映像の世紀」


この曲、知ってる?


加古隆クァルテット『パリは燃えているか 』

う〜ん、なんか暗いねえ。でも、どっかで聞いたような?
思い出した! 白黒の古い映像で、ヒトラーやスターリンが出てくるヤツ。
コワいから、いつもチャンネル替えちゃう。

はあ〜 
おめえもお笑いや大食いばっか見てねえで、ちっとはまともな番組見ろよ。

だって、暗いの苦手なんだもん。

この曲は、NHK「映像の世紀」のテーマソングだ。
たしかに、白黒ばかりで画面も暗い。
だが、教科書に出てくる歴史的なできごとが、貴重な映像記録で見られる。
ついこないだ見たのが、12月8日の太平洋戦争開戦80年に合わせて放映された「映像の世紀プレミアム(21)『太平洋戦争 銃後 もうひとつの戦場』」。

くろちゃん、そういうの好きだったんだ。

いや、正直、おれもあんまり・・
たまたま、テレビをつけたらやってたんだ。
暗そうだから見る気しなくて、何度もチャンネル替えようとしたが、
おや、これはおやじやおふくろから聞いた話だぞ、って興味がわいて
たとえば、女性たちが慰問袋を作っているシーンとか。

慰問袋って、なに?

おめえは、知らねえだろな。
おふくろは、よく言ってた、
食いもんや日用品を詰め合わせて送ることを、「慰問袋を送るわね〜」って。
おれも、いろいろな詰め合わせを実家に送るとき、「慰問袋を送るぞ〜」って言ってた。

Author:Phoenix7777[CC BY-SA]


詰め合わせのことか。

・・まあな、実際は戦時中、銃後のヤツらが前線の兵隊に送った詰め合わせ袋のことだ。

銃後ってなに?

おめえ、ほんっとになんも知らんなあ。
「戦場の後方。直接戦闘に携わっていないが、間接的に何かの形で戦争に参加している一般国民。」
goo辞書

銃の後ろにいるから、銃後?

さっきの番組も、「太平洋戦争 銃後 もうひとつの戦場」って副題だったろ。
開戦80年を迎える太平洋戦争、もう一つの戦場とも言うべき銃後の物語・・熱狂から絶望へ、戦場ではない、人々の1347日の暮らしを発掘映像によって描く

ふうん。

あんま、興味なさそうだなあ。
おれは、戦時中の人々がどんな表情をしてたかを見るだけで、おもしろかった。
が、それ以上に大事なのは、NHKのSOSが聞こえたんだ。


へえ、NHKのSOS?
たしかにSOSだね、このごろ教育テレビもおかしいし。
これなんか、マジ引いた。
新人アイドルグループの宣伝を、なんで教育テレビがやんなきゃいけないの?


戦争するためにマスコミを手中に収める政府


ほお、教育テレビも陥落か。
ところで、この「銃後の物語」は「日本映画社(日映)」の設立から始まる。各地の新聞や通信社が別々に作っていたニュースを、軍が検閲しやすいように統合したのがこの会社。
日映は、映画館で娯楽映画の合間に放映された、いわゆる大本営ニュースを量産した会社だ。

おお、プロパガンダ専門会社だね。

設立時期が、開戦直前の1941年4月というから、軍は戦争を見越して作ったんだ。

戦争するためには、マスコミを手中に収めることは第一歩。

1941年12月8日、真珠湾攻撃によって開戦した太平洋戦争。
その翌朝、各地の映画館で、大本営の開戦発表が緊急上映された。

ドンジャン、ドンジャララッタ♪の軍艦マーチをバックに、「奮起せよ 日本国民」「帝国の興亡 この一戦に在り」のキャッチコピーとともに。

あの曲、軍艦マーチって言うの?
パチンコ屋のテーマソングだと思ってた。


・・・・・。
国民は、開戦ニュースだけでなく、正月に上映された真珠湾攻撃の映像にも熱狂した。

正月に、リアル戦争の映像見せたの?

そう、真珠湾の大きな軍艦がドッカンドッカン爆破されていくとこ、見せたの。

炎上する真珠湾上空を飛行する九七式艦上攻撃機
Wikipedia[Public Domain]

えー?! その下で、人がたくさん死んでるんだよ?

ところが、全国の映画館では、行列ができたほどの大好評だった。

すでに、日本人おかしい。

ま、すべてじゃない、ごく一部のアホだと思うが。
問題は、真珠湾攻撃の子ども向けアニメまで制作されたことだ。
それが、日本初の長編アニメ映画だったという。



はあ〜 記念すべき第一作が、子どもを洗脳するためのプロパガンダ映画とは。

悲しいかな、これがまたよくできてるんだよ。
絵がかわいくて、よく動いていてクオリティが高い。

すでに、日本のアニメ技術はトップクラスだったと感心する。

感心してるバヤイじゃないよ。
アニメは子どもに夢を与えるものなのに、洗脳に使われたんだよ。

だが、そのアニメ映画も大人気で、映画館の前に子どもたちの長い行列ができたほど。

染めるのは子どもからかあ、軍国主義は恐ろしいね。

あの頃の子どもは、天皇に仕える幼い国民「少国民」と呼ばれていた。
校長おぼしきオッサンが、全校生徒を前に叫んでいる映像がある。
「諸君は戦争に勝ったほうがいいか、負けたほうがいいか。
勝ったほうがいいと思うものは、手を挙げい!」
「はい!」と、子どもたち全員が元気よく手を挙げる。
「少国民、起きよー!」「はい!」 バンザイ!
「少国民、起きよー!」「はい!」 バンザイ!
「少国民、起きよー!」「はい!」 バンザイ!

はい! 異常!!

あの時代、大詔奉戴日ってあったの、知らねえだろ?

たいしょうほうたいび?

大詔とは、天皇が開戦を告げた詔書のこと。
真珠湾攻撃を記念して、毎月8日に大詔を奉読したり、戦勝祈願、宮城遥拝とか、何かしろと。それが、法律で決められたんだから、おそろしい。

うわあ、やりたくないのに、やらないとしょっぴかれるのか。
いったい誰が、そんなアホみたいな法律を通したんだろう?

今だって、アホみたいな法律がビュンビュン通ってるじゃねえか。

ゾワッ!
で、宮城遥拝ってなんだっけ?

皇居の方を向いてお辞儀することだよ。

皇居・正門石橋
Author:RSSFSO[CC BY-SA]

そんなこと、なんでしなきゃいけないの?

天皇陛下バンザイ!だからな。
「日本は神の国だと教え込まれてたんだからね」
開戦時11歳だった作家・半藤一利は言った。
絶対不滅の神の国は、アジアを植民地から開放し、大東亜共栄圏を建設し、その盟主たる資格を持っている。太平洋戦争はまさにそのためのものだと、教えられていた。

そんなのウソ! 
太平洋戦争は、裏天皇がアジアの財宝を強奪してかき集めるためだった!

seiryuu氏の「ユダヤ問題のポイント(日本 昭和編) ― 第20話 ― 戦争の秘された目的」に書いてあった!

大事なとこは、ちゃんとわかってんじゃねえか。

エヘン! 時事ブログ読んでるからね。


インドネシアの悲劇「労務者(ロウムシャ)」


オッホン!
さて、話をもどして昭和17年3月、日本軍はオランダ植民地だったインドネシア・ジャワ島を占領。「大東亜共栄圏で団結し、欧米支配を打ち砕く」という名目だが、実際は、石油やゴムを横取りするためだ。
だが、おふくろはうれしかったんだと。
南方のゴムのおかげで、あこがれのゴムまりを買ってもらえたと。

へえ、でもそれ、フェアトレードじゃないよ。

たしかに、ぜんぜんフェアじゃねえ。
現地人は日本人の奴隷だった。
当時、ジャワを慰問した女優の森光子も、現地人が土下座して迎えるのに違和感を覚えたという。「日本人の誰があんなまねをさせたのでしょうか」。

森光子って、その時代からいたんだ。

ジャワの大人は竹やり訓練、隣り組、宮城遥拝、子どもは学校で日本語を学び、日本と同じ軍事教育を受ける。

まるで、植民地だ。

そして、インドネシアの悲劇は「労務者(ロウムシャ)」だ。
「ロウムシャ」は、日本軍施設を作るために、ジャワ島だけで250万人が徴用され、東南アジアの激戦地に送られ、炭鉱や鉄道建設の現場で働かされた。
過酷な労働の上、満足に食事も与えられず、数万人が伝染病で命を落としたという。


ジャカルタの収容所(1945年頃)
Author:不明[CC BY-SA]

ひどい!

さらに「ロウムシャ」は、日本軍の作った破傷風ワクチンの人体実験にも使われ、400人が死亡した。

まるで「マルタ」扱いだ。

まだまだひどいのが、その責任を無実のインドネシア人研究者・モホタル博士になすりつけ、彼を処刑したこと。これは、NHKのBSドキュメンタリー「 感染症に斃れた日本軍兵士 」でやってた。

モホタル博士、かわいそう。

日本軍のおかげで、オランダ支配から開放されたと思ったインドネシア。
だが、実際は「トラの口から逃れ出て、ワニの口へと投げ込まれた。そして、ワニの支配は非常に残酷であった。」これは、インドネシアのことわざだ。

そして「ロウムシャ」は、悲劇を伝えることばとして今もインドネシア語の辞書にある。

サイアク〜!!

「ロウムシャ」だけじゃない。
前線に送り込まれる日本兵も、銃後の日本人たちも、同じように「羽より軽い命」だった。
しかし、どんな負け戦であっても、多くの日本人は最後まで日本の勝利を信じていた。

愚かだ、なんて言えないね。今のぼくたちも似たようなものだから。

そんな中、番組は「或る保母の記録」という映画を取り上げている。
あまりに戦時色がないので、製作中に脚本家が当局に呼ばれ、検閲を受けている。
保育園らしい戦時教育を入れろ、たとえば保育園の前を兵隊さんが通る、窓から園児にそれを見せ、「兵隊さんはお国のために戦争に行くのよ」と言って、「兵隊さんよありがとう」の歌を歌わせろ、と。

いやらしいね、でも、もしかしてNHKもそういうことされてるのかな?

脚本を担当した「厚木たか」は回想している。
「その係官の目のきつさを私はいまだに忘れない。だまって頭を下げて帰ってはきたが、そんな風にシナリオを替えることはしなかった」「今から考えれば、それはあまりにもささやかな抵抗にすぎなかったかもしれないが、そのときはそれが精いっぱいであった。」

NHKも精いっぱいの抵抗をしているって、言いたいのかな?

さらに、戦局はますます悪化の一途をたどり、「一億総力をあげて」を象徴するのが、昭和18年10月21日の神宮外苑、雨の中の学徒出陣壮行会の映像。
番組のナレーションは言う。
「日本ニュースのカメラマンたちは、未来を担うべき学生までもが、戦地に送り込まれる事態に疑問をいだきながら、泥だらけの行進にレンズを向けた。」
この「疑問をいだきながら」をあえて入れた理由は?

出陣学徒壮行会(昭和18年10月21日)
Wikimedia_Commons[Public Domain]

この脚本を書いた人も、「疑問をいだきながら」番組を作っているのかな?

そして敗戦。
あの鬱BGMをバックに、終戦時15歳だった半藤一利のことばで締めくくられる。
「天にまします神は必ず大日本帝国を救いたもうのである。
このゆるぎないフィクションの上に、いくつもの小さなフィクションを重ねてみたところで、(日本人は)それを虚構とは考えられないのではなかったか。」

現在のワクチン神話のように。

そして、番組最後の決めセリフが、
「そんな日本をもう一度つくってはいけない。」
とか言われても、「そんな日本」が、もう一度作られようとしてるがなあ。


ハッ!! 
もしかしてNHKの良心君は、こう言いたいのか?
憲法改正を許して「緊急事態条項」を作らせてしまったら、また同じ悲劇が繰り返される。だから、「止めろー!!」って。

NHKの良心、おめえの隠されたメッセージ、しかと受け止めたぜ!!



Writer

ぴょんぴょんDr.

白木 るい子(ぴょんぴょん先生)

1955年、大阪生まれ。うお座。
幼少期から学生時代を東京で過ごす。1979年東京女子医大卒業。
1985年、大分県別府市に移住。
1988年、別府市で、はくちょう会クリニックを開業。
以後26年半、主に漢方診療に携わった。
2014年11月末、クリニック閉院。
現在、豊後高田市で、田舎暮らしをエンジョイしている。
体癖7-3。エニアグラム4番(芸術家)

東洋医学セミナー受講者の声

Comments are closed.