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ユダヤ問題のポイント(日本 昭和編) ― 第20話 ― 戦争の秘された目的
無謀な戦域拡大のわけ
前回、引用された櫻井ジャーナルの記述には以下の4つの柱があると指摘しました。
①日本軍による東アジアでの財宝略奪(金の百合)プロジェクトは1937年の南京攻略から開始された。
②南京攻略(つまり南京大虐殺と略奪)の真の犯人は軍の最高指揮官の松井石根ではなく朝香宮鳩彦。
③財宝略奪(金の百合)の主導者が秩父宮雍仁。その補佐が竹田宮恒徳。
④秩父宮と駐日アメリカ大使だったジョセフ・グルーは懇意。
①②については前回に多少言及しました。「金の百合」即ち日本軍による財宝略奪が本格的に始動するのは1937年の南京攻略からで、この「金の百合」の総指揮は秩父宮が執っていたようです。
秩父宮雍仁
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ただし、日本側による財宝の略奪は1937年の前から始まっていました。あの「1921年国家間条約」に基づき始まっていたようです。2019/12/16の竹下さんの記事全体を通しては以下のことが明かされています。
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欧州外遊中の昭和天皇はイギリスのジョージ五世国王、ウォレン・ハーディング米国大統領、フランスのジョルジュ・クレマンソー首相らと「1921年国家間条約」を締結。しかしこの締結は実際には堀川辰吉郎とウォルター・ロスチャイルド、エドゥアール・ド・ロチルド、そしてジョン・ロックフェラーの合意。
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「1921年国家間条約」の当初合意した内容に沿って、金塊の大半が1924年から1945年の間に日本が建設したインドネシアやフィリピン諸島の秘密の掩蔽壕の中へと運び込まれた。その量600万トン以上?
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日本からの掠奪をおそれたアジアの王族たちなどが、すでに1928年頃から財宝をアメリカに預けるようになる。その合わせた量“約200万トンの金塊”。
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このアメリカに預けられた金塊をもとにブレトン・ウッズ協定が1944年に行われる。1945年、このアメリカの金塊が“M1”と名付けられ、インドネシアのスカルノ大統領をこの巨額の資産を管理する口座管財人に選出。
1937年の日中戦争開始以降、日本は戦域を広げに広げていきます。こうなれば戦力を分散せねばならず、しかも補給線なしの戦域の拡大で、明らかに素人目にも無謀です。
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あの満州事変を起こした石原莞爾は、日中戦争を起こし戦域を拡大するのには反対していました。石原莞爾は日本がアジアの雄となるのを目指していましたが、戦域拡大はあまりにも時期尚早で、無理があると見たのです。戦争での勝利を目指す軍人の視点としてはごく当然のものでしょう。
補給線なしの戦域の現場で、日本兵たちがどんな目にあったかはよく知られていることです。日本兵の戦死者のほとんどは実質は餓死です。補給路の確保(兵站)は戦略の初歩の初歩です。ところが、この初歩の兵站を無視して戦域を拡大したのは何故か?
「戦争での勝利のため」では明らかにおかしいのです。
「黄金の略奪を急ぐため」、これが目的ならばやっと話が通じます。
急ぐ必要があった黄金収奪
2019/12/16の竹下さんの記事の中から、1930年台を通して、掠奪をおそれたアジアの王族たちがアメリカに財宝を預け、特に中国政府は1928年、1934年そして1938年に大量の財宝をアメリカに預けているのが窺えます。
「1921年国家間条約」で黄金の収奪の合意を受けていた堀川辰吉郎でしたが、状況としては、収奪するはずのアジアの財宝がアメリカに流出していく事態にあったのです。それで、財宝がアメリカに渡る前に押さえてしまう必要が生じていたわけです。
黄金収奪の作戦を急いで展開しなくてはならず、そこで展開されたのが「金の百合」プロジェクトということになるのでしょう。日本が戦域とその支配地域をともかく広げてしまうことが必須の作戦です。
「1921年国家間条約」の合意の内容がどこまで、つまり、日本の敗戦などまで決められていたのかは不明です。しかし、明瞭な部分もあります。
それは「1921年国家間条約」があり、そこから起こされた大東亜戦争の第一義の最大の目的は、裏天皇グループが莫大な黄金を収奪し保持するところにあったことです。大東亜戦争の第一義の目的は、戦争での日本の勝利ではなく黄金にあったのです。日本を中心にしたNWO計画、ハルマゲドン計画のための原資となる莫大な黄金の収奪・保持です。
しかし、このようなことは日本の一般国民そして将兵にしても知る由もないものです。
では、誰が黄金収奪のための戦争、この秘密の目的を保持していたのか?
日本では、「1921年国家間条約」の真の当事者の堀川辰吉郎と、堀川辰吉郎の代理として調印した昭和天皇の両者であるのは当然です。
1921年、イギリスの首相ロイド・ジョージらと会う皇太子裕仁親王
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日本の権力の基本的構造として堀川辰吉郎は南朝勢力で、昭和天皇は北朝勢力、両者は対立していました。そして、この黄金獲得を主導したのが南朝勢力側だったのです。しかし、南朝と北朝のどちらの勢力も、戦争が黄金獲得のためであることは知っていたわけです。そして、南朝と北朝のどちらの側かに皇族たちはついていたので、いずれにしても皇族たちは黄金収奪というこの戦争の秘目的を把握していたはずです。
また、日本の権力の構造で忘れてはならないのは、日本は幕末から英領となっていて、それで明治維新が起こされたことです。日本に在住の人物で、天皇、裏天皇、皇族たち以外にこの戦争の秘密を知り、指示もしていた人物が駐日アメリカ大使だったジョセフ・グルーということでしょう。
ジョセフ・グルー
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ジョセフ・グルーは「1921年国家間条約」の当事者であるロスチャイルド一族、もしくはロックフェラーの代理人として日本側の動きを監督・監視、そして指示する役割にあった模様です。
2014/12/25 記事で竹下さんは以下のコメントをされています。
記事の中にジョセフ・グルーが出てきますが、彼こそ当時の日本の支配者で、今で言うジャパン・ハンドラーのマイケル・グリーンのような存在だったのではないかと見ています。事実上、彼を通して送られてくる命令に日本は従うよりなかったと思います。
「金の百合」の実際
秘密の戦争目的の遂行。つまりは、戦争の勝利は後回しに黄金収奪のために軍を動かす、このようなことは大本営というかノーマルな日本の将校などにはできるはずがありません。軍法から外れるからです。
これができるのは裏天皇側、つまり南朝勢力についていた皇族、その皇族が指揮する軍のみとなるでしょう。
櫻井ジャーナルの「泥沼化していた東アジア侵略を無視、真珠湾攻撃で米国と戦争を始めたことを無謀だと言う怪説」で「皇室のメンバーを止めることは大本営でも不可能だ。関東軍が暴走できた理由のひとつはそこにあるのだろう。」とあります。この通りでしょう。
皇族は、一般民衆は当然、また軍にあっても一般軍人とは隔絶された特別な地位にあります。帝国憲法下では必然的にそうなります。
出典:太平洋戦争とは何だったのか [Public Domain]
編集者註:赤枠・赤文字部分は原図に補足。天皇の上位に裏天皇が存在します。
この皇族将校の指揮する軍だけが「金の百合」の実働部隊として機能できたはずです。ただし、皇族以外の一般の軍の将校でもごく一部のエリートだけが戦争の秘密目的の一部を知らされていたのでしょう。南京事件の朝香宮司令官とそこに隷属する中島今朝吾師団長がその関係に当たるのでしょう。
彼らは松井石根総司令官の下に形式は組み込めれていましたが、実際にはそのコントロール下にはなかったのです。総指揮が昭和天皇の弟の秩父宮雍仁で、その補佐が竹田宮恒徳の「金の百合」部隊は、大本営の指揮下から外れたところで秘密の作戦を展開していたのです。
2019/12/09の竹下さんの記事の本文冒頭に出てくる短い動画では、「山下将軍の消えた財宝」の題で「フィリピンの山奥に山下大将の財宝として莫大な金塊が埋められ、その工作を行った兵士たちが生き埋めになった。そしてその財宝を探すものは(トラップにかかり)皆死んだ」とあります。
『★阿修羅♪掲示板』2005年2月05日「黄金の百合作戦(レッ・ボルテール:山下の黄金の「伝説」)投稿者 バルセロナより愛を込めて」には次のような記述があります。
黄金の百合と呼ばれる一つの組織を作り出した。それは、ゆすり・たかりのエキスパート(会計士、財務の専門家など)、ヤクザの首領たち、帝国の皇族たちの下にある産業の重鎮たち、天皇(注:正確には裏天皇)の意に沿うわずかの人間たちの集まりであった。秩父宮がすべての仕掛けを統括していた。
それ以来、公式には富士山麓で結核療養中であることになっていた秩父宮に率いられてきた黄金の百合作戦は、マニラで足止めを食らっている戦争の分捕り品を救うことに必死になった。
(中略)
ミッドウエイの戦いの後、東南アジアにおける軍事的な力関係は米国に有利に傾いた。日本は海上輸送の支配権を失った。裕仁と帝国の第一人者たちは帝国の敗北を予想し始めた。それ以来、公式には富士山麓で結核療養中であることになっていた秩父宮に率いられてきた黄金の百合作戦は、マニラで足止めを食らっている戦争の分捕り品を救うことに必死になった。
(中略)
マニラの北で竹田宮が洞窟を使って地下壕の網の建設を監督した。専門家たちが恐ろしいほど効果的な大量のワナの兵器を仕掛けた。爆発物、毒ガスのカプセル、水や砂を使ったワナ。南京虐殺の実行者の息子であるもう一人の皇族の朝香宮孚彦【原文ではTakahitoとなっているが「たかひこ」の誤り:訳者】親王と、シンガポールのヒーローであり差し迫った米軍の攻撃に立ち向かうためにフィリピンに派遣された山下将軍が、この地下での作戦に加わった。技師たちと奴隷たちは組織的に生きながら地下に埋められた。
また、帝国憲法で超越的存在の天皇に準ずるのが皇族たちで、「法の上」にあるような存在でした。帝国憲法では、皇族たちは皇族典範でその地位が規定され、皇族会議、枢密院、貴族院に席を有することになります。これらは国家中枢を動かすものでもあります。「法の上」にある皇族たちは、自在な活動をしても処罰されるようなことは無かったのです。
法の支配下にない彼ら皇族たちの一部が頭になって、秘密の軍事作戦を展開します。大東亜戦争の目的の第一義は「日本人国家の勝利」ではありませんでした。戦争目的の第一義が「大東亜共栄圏設立のための布石」という言い方ならば嘘ではありませんが…。