————————————————————————
ユダヤ問題のポイント(日本 昭和編) ― 第2話 ― 満洲国設立へ
満洲支配への背景
満洲、その地域についてはウィキペディア記事では以下のようにしています。
おおむね北辺はスタノヴォイ山脈、南辺は長城、西辺は大興安嶺、東辺は鴨緑江・図們江 (豆満江) の内側を想定している。しかしながら、マンチュリアの範囲は歴史的変化に伴い、その範囲は伸縮していた。
日本で満洲と呼ばれる地域は、満洲国の建国時の地域全体を意識することが多く、おおよそ、中華人民共和国の「東北部」と呼ばれる、現在の遼寧省、吉林省、黒竜江省の3省と、内モンゴル自治区の東部を範囲とする。
日本で満洲と呼ばれる地域は、満洲国の建国時の地域全体を意識することが多く、おおよそ、中華人民共和国の「東北部」と呼ばれる、現在の遼寧省、吉林省、黒竜江省の3省と、内モンゴル自治区の東部を範囲とする。
満洲(マンチュリア)の範囲
Wikimedia_Commons [Public Domain]
日本から言えば、いわば満洲とは満洲と蒙古、つまり「満蒙」とういうことになります。この地域に流れる中心河川がアムール川です。このアムール川(黒竜江)にちなんで玄洋社(=白龍会)の内田良平が中心となって黒龍会を組織したのが思い出されます。
要するに、八咫烏並びにその政治組織である五龍会は、早くからアムール川(黒竜江)の流域地域を掌握していくことを見越して行動していたということでしょう。
また、明治天皇(大室寅之祐)の曾孫を自認・自称する張勝植氏が主張する“高句麗”は、地域としてはその範囲は更に大きく拡大しますがこの満洲、満蒙の地のことも指しています。
張勝植氏のその著書のP32~33にて“高句麗”は中国(清国)を含み、ユーラシア大陸の大半、南はコーカサス山脈から北はウラル山脈、その一帯より東側は全て“高句麗”の版図だとしています。
また、蒙古のチンギス・カンも高句麗家そのもので、その象徴が八咫烏だと語っています。
チンギス・カン時代のモンゴル帝国最大版図
Wikimedia_Commons [Public Domain]
張勝植氏が奉じていて、明治天皇(大室寅之祐)も奉じていたとされる「教旨」とは、神ではなくハイアラーキーの計画書でした。また一方、八咫烏の背後にはハイアラーキー、銀河連合、星の教団がありました。
要は、日本が朝鮮半島から満蒙の地を併合していくのはハイアラーキーや銀河連合の計画であり、八咫烏にしても明治天皇(大室寅之祐)もその司令に順じていたということになるでしょう。
さてこの満洲ですが、安冨歩氏は満洲地域には、その経済社会形態が他の中国の各地域のそれとは大きく異なった特徴があると指摘されています。
安冨歩氏は『満洲暴走 隠された構造』の中で満洲の経済社会構造の研究をされた石田興平教授と米国の地理学者・人類学者・歴史学者G.W.スキナーが、第2次世界大戦直後に四川省で行ったフィールドワークに基づいて提唱した「定期市ネットワーク」を比較します。
そのことによって満洲と華北などの他地域での中国地域の経済社会形態の相違と満洲の特殊性を明かしています。
【20日発売!】安冨歩『満洲暴走 隠された構造 大豆・満鉄・総力戦』混迷の中で建国され13年で崩壊した満洲国。一極集中の特異な社会、急拡大した満鉄、石原莞爾ら陸軍エリートの苦悩……成立と暴走の要因を「東大話法」で話題の著者が解明する。 pic.twitter.com/WNCjp7AXJB
— 角川新書 (@kadokawashinsho) June 16, 2015
満洲の経済社会形態の特異性
広大な中国、その各地域で中心になっていたのが各地域にある都市である「県城」であったとされています。 «中国の都市は基本的には城壁で囲まれていましたので「県城」と呼ばれる» ようです。
その地方都市である県城と各地域の村々などが、どのような関係で繋がっていたかで、中国におけるその地域の経済社会形態が決定していたようです。
満洲の一つの特徴としては、交通手段として馬車が多用されていたということです。満洲では、その寒冷で乾燥した地域特性からして馬車での移動こそが最も有効な交通手段だったとのことなのです。満洲と中国の他地域の経済社会形態の相違、この結論としては、満洲は県城と呼ばれる都市に経済活動が集中。いわば一極集中です。
これに対して中国の他地域では、経済活動がその形式からもっと分散したものだっということのようです。
満洲では県城と各村がそれぞれ直接馬車接続したシンプルな経済社会形態。村の農民は直接県城に大豆を運んできて売却し、日用品を買って帰っていくといような経済形態。
それに対し華北もそうですが、満洲以外の中国では県城と村の間にはいくつもの繋がり方もあり、各村々と村が複合的な形でも繋がった複雑な経済社会形態となっているというのです。
中国での経済活動を見ていくのに欠かせないのが「市」「定期市」のようです。ここでの売買が経済活動と社会形態を形づくるようです。
満洲では県城の中にだけ「定期市」があったりし、定期市の開催場所は非常に限られていたようです。だから県城と村が直接繋がった経済社会形態。
他地域では県城の外に定期市町があって定期市が開催されていました。これで県城と各村、定期市町と各村、村と村の経済活動といった重層的な経済社会形態が展開されていたわけです。
満洲 | 華北・他地域 | |
交通手段 | 馬車 | 徒歩・一輪車 |
経済活動 | 県城に一極集中 | 分散 |
経済社会形態 | 県城と個々の村とが直接接続したシンプルな形態 | 県城と個々の村とが定期市町を介した重層的・複合的な関係 |
シンプルな経済社会形態の満洲の県城は、同時に満洲鉄道の駅でもあったのであり、ここで定期市が開催されてあったのです。この定期市で売買ができなければ村の経済活動は成立しないわけです。シンプルな満洲の経済社会形態では県城を押さえてしまえば、同時に村々も押さえてしまうことができて統治が容易にできてしまう、というわけです。
しかし満洲以外の中国の各地域では華北も含めてこうはいかない。たとえ県城を押さえたところで、複雑な経済社会形態が成立している中国の各地域では、村々を押さえ統治することにはなっていない。県城を除いても、定期市の村や他の村々どうしの経済社会形活動は成立しているから、ということのようです。
満洲で通用したことは、同じ中国人が中心で地続きであったのにも関わらず、華北では通用しないということが現実にあったわけでした。
満洲事変の始まり 〜「総力戦」への石原莞爾の深刻な懸念
1931年9月、柳条湖事件が勃発します。これが「満洲事変」の始まりであり、この後約半年足らずで関東軍は満洲地域を占領。翌年1932年3月には満洲国が成立していきます。
このようにあっという間に関東軍が満洲地域を占領統治できた背景には、県城さえ押さえてしまえば全体の統治もできてしまう、という満洲地域独特の地域性もあったわけです。
柳条湖事件は、ウィキペディアでは次のようにあるとおりです。
奉天(現在の瀋陽)郊外の柳条湖付近の南満洲鉄道線路上で爆発が起きた。現場は、3年前の張作霖爆殺事件の現場から、わずか数キロの地点である。爆発自体は小規模...(中略)、関東軍はこれを張学良の東北軍による破壊工作と発表し、直ちに軍事行動に移った。
柳条湖事件の再現映画
張作霖の爆殺後にその跡を引き継いでいたのが、張作霖の長男である張学良でした。関東軍は満鉄路線上で起きた爆発をこの張学良の仕業だとでっち上げて宣戦布告なしの戦争に突入したのでした。
この事件の首謀者は、
関東軍高級参謀板垣征四郎大佐と関東軍作戦主任参謀石原莞爾中佐である。二人はともに陸軍中央の研究団体である一夕会の会員であり、張作霖爆殺事件の計画立案者とされた河本大作大佐の後任として関東軍に赴任した。
(ウィキペディアより)
特に首謀者の主役は石原莞爾だったとされています。
石原莞爾はエリートが揃った陸軍大学校を次席で卒業した俊英で、1922年*から敗戦国ドイツに留学します。ここで第1次世界大戦の総力戦の様相に触れ、彼自身が非常に深刻な衝撃を受けたようでした。総力戦“total war”(安冨歩氏はこの「総力戦」という言葉はひどい誤訳との見解です。)という戦争の形態にです。
*ドイツ留学の年号を訂正させていただきました。
総力戦“total war”とはどういうものか?
安冨歩氏はまとめとして『満洲暴走 隠された構造』p113に次のように記しています。
この新しいタイプの戦争は、事前に備えた兵器と兵士で戦争するのではなくて、戦争が始まってからも兵器を開発しつつ生産して投入し続け、その投入し続ける力が先に尽きたほうが負ける、そういう戦争だったのです。兵士も、ある部隊が全滅しようがどうしようが、後ろから新しいのを送り込めばいい。でもそれが尽きれば負ける。つまりどちらかの国家体制が崩壊するまで続く。この戦争が“total war”です。
具体的には第1次世界大戦の始まり頃は騎兵、騎馬隊が陸軍の花形、ところが戦争の終わり頃には新兵器が続々登場、戦車戦戦闘機の空中戦、潜水艦も登場したというように戦争の形態そのものが戦争中に変化したと指摘しています。
石原莞爾は、資源に乏しい日本ではとてもこの“total war”を戦うことは不可能。これからこの“total war”を戦い抜いていくには、日本はどうしても満蒙の地を入手して、その資源をフル活用していく必要があると考えたということです。
これが柳条湖事件に繋がるというわけです。
またこの呪縛とは、満洲を植民地化、つまり都合で支配したことを意識化せず眼をつむっているうちに自分が「被植民地化」している事実、支配されてしまった不自然な状態にあることに気づかず、その被植民地の状態で与えられた「立場」のみを重視し、本来の自分とは遠く隔絶した状態に縛られている事実、こういう言い方もできるでしょうか。
安冨歩氏はこの著書の中で語ります。
話の論点をすり替えて誤魔化して事実を隠蔽しようとし、事実が表に現れていないうちは平気でウソを通し、事実が表に出てきてもなお誤魔化し隠蔽しようとする…。
彼らが必死で守ろうとしているのはいかに大きな既得権益があるかは知りませんが、支配される中で与えられた小さな部所であり、立場に過ぎません。
そして、そうやって彼らが本来の自身の生命を削りながら奴隷根性で立場を死守しようとする行為は、法治国家や民主主義を破壊していく暴走でもあるわけです。
こういった現在の日本の姿は満洲支配呪縛の継続でもあったようです。