【必読‼️素晴らしい】
— 𓉤箱コネマン𓁷 (@HAKOCONNEMAN) September 3, 2019
今上天皇とは徳川家である。
明治維新の正体が書かれてある。
これは記事とは関係無いが、徳川慶喜の養子で徳川慶頼の実子・家達の兄である箕作奎吾が明治天皇。#DeepState の正体。
ユダヤ問題のポイント(日本 明治編) ― 第4話 ― 討幕派とは誰かhttps://t.co/o0FG6nI7ga pic.twitter.com/74Xl3if0Xb
徳川慶頼と明治天皇は似ている。 pic.twitter.com/QZ1uYfaKIX
— 𓉤箱コネマン𓁷 (@HAKOCONNEMAN) August 30, 2019
これが本物の践祚大嘗、天子の舞❗️
— 本物黒酒 (@honest_kuroki) May 13, 2019
この写真は、本物の祐宮睦仁(満14歳)が、1867年2月13日の践祚大嘗において、自ら舞っている貴重な記録写真。
researchgateにアップ下さったのは #泉田英雄 教授https://t.co/RwPf019dlA
これは19歳の写真ではないのですが、私は学者ではないので彼に連絡がとれない pic.twitter.com/ze4KGDdGpb
なんで、こんなことになったんだ?
— 本物黒酒 (@honest_kuroki) June 16, 2015
明治天皇と、英国留学生の箕作奎吾とそっくりじゃんか! pic.twitter.com/nmvAJuwMjK
箕作 奎吾(みづくり けいご) 嘉永5(1852)-明治4(1871) 英学(幕府開成所教授手伝 中村正直門下 イギリス留学)明治4年6月14日死去 行年20才 東京谷中墓地に埋葬
— タラの芽ヤス (@331oisii) March 4, 2019
墓碑: 東京都台東区谷中 谷中霊園乙5-2-16 pic.twitter.com/WrzrdTjDid
明治天皇に成りすました青年は、山窩系蘭学者の子孫にして日本の鉱山の共同採掘権者、ケンブリッジ大学で武器製造方法や軍政学を学んだ箕作奎吾。大室寅之祐では近代化(westernization)をリードでなかったね。@hiropoonn pic.twitter.com/FrFhGILSRA
— 本物黒酒 (@honest_kuroki) May 31, 2016
箕作奎吾と明治天皇では、顔も違うが、特に体格が全然異なる。 pic.twitter.com/Z07gl9tHjj
— Bell Boyd (@Bell_Boyd) November 1, 2015
セピア色のシルクハットは、箕作奎吾14歳(今なら中学2年)
— 本物黒酒 (@honest_kuroki) December 25, 2015
束帯姿で明治天皇に成りすましたのは、箕作奎吾20歳
豪華にフリンジのついたエポーレットで、なで肩を隠している軍服姿は、箕作奎吾21歳@Bell_Boyd pic.twitter.com/MKZddENi3G
箱コネマンさんが指摘している通り、私たちが明治天皇だと思っている写真の人物は、箕作奎吾(みづくりけいご)のようです。孝明天皇と中山慶子の子(本当は養子)である睦仁親王は、華奢な人物だったと言われています。こちらの記事とこの写真をご覧ください。
この本物の睦仁親王にすり替わって明治天皇になったのが、大室寅之祐だと言われています。フルベッキ写真の前列中央に写っている人物です。本物黒酒さんのツイートには、満14歳の時の大室寅之祐の貴重な写真があります。フルベッキ写真の中央の人物と同一人物です。なので、この少年は大室寅之祐で、本物の睦仁親王ではありません。
明治天皇となった大室寅之祐には影武者がいたようで、その影武者が箕作奎吾だと思われます。
「朝鮮名は張基元 朝鮮半島から[万人幸福の世界作り]を目指した明治天皇」(ヒカルランド 張勝植著)のp29では、「2代目が保護してアメリカに亡命したフェルディナント1世の隠し子の娘が3代目の正烈と結婚し、生まれた息子が基元、つまり、長州・田布施の大室寅之祐であり、本当の明治天皇です。だから、大室寅之祐は、金髪気味なんです」とあり、このために明治天皇は、ほとんど写真を撮らせなかったと書いてあります。
またp35には、“今の天皇、今上天皇は、明治の影武者以来、徳川家の血を引く人です”とあり、p84には、“明治天皇は、1910(明治43)年に、影武者の天皇をあとにすえて、日本を出て韓国に渡った。それは、日韓併合を明治天皇が果たして、朝鮮半島が日本に併合されたから、韓国(朝鮮半島)にわたったんです”とあります。
この記述から、日韓併合は明治天皇(大室寅之祐)の意図に基づいて行われたとみて良いでしょう。著書の中で、しばしば「教旨」という言葉が出てきます。張勝植氏の血筋は霊能があります。「教旨」とは、一族の当主に代々与えられたハイアラーキーの未来計画書のことだと思います。
明治天皇(大室寅之祐)は「教旨」に基づいて、様々な行動を取っていたと思われます。このことから、この場合は韓国人に対してですが、あまりにも酷いことをやった責任の大元は、ハイアラーキーにあると言って良さそうです。
ところが、実際に酷いことをした当事者たちは、それを「天の計画」だと思い込んでいるのです。実は、「魔の計画」なのです。
おそらく、騙されていた当人たちは、自分たちが八百万の神に仕えていると信じていたのだと思いますが、実は、ハイアラーキーに仕えていたのです。このように、霊能のある人たちは、簡単に神を名乗る者たちに騙されて、とんでもない悪事を行ってしまうのです。
追記)睦仁親王の写真とされる人物は、実は伏見宮貞愛親王だということです。リンク先の記事によると、伏見宮貞愛親王は“孝明天皇の養子”となったとあります。このことから、伏見宮貞愛親王が睦仁親王ではないかという考えも出て来ますが、2015/11/09の時事ブログの記事に書いた通り、私は「伏見宮貞教と鷹司積子との子」を、孝明天皇が養子としたのが睦仁親王だと考えています。