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娘婿の願い
40歳の若さで進行の早い癌に侵された娘婿。病院で治療して少しの延命ができるより、残された時間を家族と共に過ごしたいと願い、家に帰ってきました。「家がホスピス。主治医は妻」だと話してくれました。
日々体の機能が低下して目がほとんど見えなくなり、今では自力で起き上がることもできません。
その娘婿が、目の前の目標としたのがお正月に里帰りをする事でした。それは自分のためと言うより、家族のためでした。
夫の介護と子どもの世話、家事に追われている娘に少し楽をさせてあげたい、休みの日にどこにも行けない子ども達を従妹と遊ばせてあげたい、と言う願いでした。
でも道中が大変です。新幹線のチケットを手配して、乗り降りの介助をお願いしつつ、その日の体調によっては全部キャンセルになるのも覚悟の上で準備をしました。駅の混雑も避けたいので子ども達の冬休みが始まってすぐに帰省し、お正月過ぎに戻るという計画です。
久しぶりに皆に会える!
それに合わせて、外国に住む子どもたちも里帰りをすることになりました。コロナ規制が少し緩和されたので帰れるようになったのです。フィンランドに住む息子は何と6年ぶり。オーストラリアの娘家族は4年ぶりです。
皆に会える!それも一堂に!!夢のようです。でも、全員で会えるのはこれが最後かもしれません。色々な思いがこみ上げてきました。
そして、現実的な問題も。「えっ?どこに寝るの」「寝具はあるの?」「食卓に座る椅子は足りる?」「毎日の食事は?」
2歳から14歳までの子どもが9人。大人は10人です。それに合わせて子どもの頃一緒に育った従妹の子も助っ人で来てくれることになりました。おお~20人です。それを聞いた友人も手伝いに駆けつけてくれました。
その上、目も耳も聞こえない愛犬をどう守るのか?慣れた場所では自分の水の在処がわかります。でも、孫達が帰ってきたらいたるところに荷物やおもちゃが散乱する事でしょう。おお~、考えただけでも恐ろしい。
さあ、そのことがわかった日から私の頭は皆を迎え入れるモードに切り替わりました。先ずは、介助しないと動けなくなった娘婿の動線を考え、みんなと同じ部屋で居心地よく過ごせるように居間を片付けて家具を移動しました。風呂の介助用の椅子も母の物を用意しました。
それと同時に、愛犬の居場所を確保します。部屋の中で道に迷っても柵をたどって水を飲みに行けるように慣れさせました。
次は物置と化した子ども部屋を片付けて、家族別の寝室を確保です。古い二段ベッドも復活。子ども達が置いたままにしている物もこの際処分。私のサイズアウトした服も、いつかは着られるようになるという淡い期待は捨てて断捨離しました。
寝具の用意も大変です。冬なので寒くないようにと気を使います。最悪の場合、子ども達は寝袋です。災害対策で4個もあります。結構喜ぶかもしれません。
食材は子ども達が食べたい物リストを作りました。日本食が懐かしいようです。後は出たとこ勝負です。
それにしても、片付けや断捨離は頭を使います。日常生活をしながらなので1ヶ月はかかりました。もうクタクタ。でも今からが本番です。
12月20日。先ずはオーストラリア組とフィンランドの息子カップルが帰ってきました。お迎えに行くのは嬉しいものです。久しぶりに会えてハグも力がこもりました。
元気だった?いろいろあったね!コロナで大変だったね!会えて嬉しいよ!と無言で抱きしめながら感無量です。久しぶりに会う孫はすっかり大きくなっていました。フィンランドの息子は面積も増えてより逞しくなった腕でしっかり抱きしめてくれました。可愛い彼女を紹介してくれました。Welcome!
早速、次の日は2人とも期限切れしている免許証更新です。講習をしっかり受けて若葉マークが必要になりました。その足で2人のおばあちゃんに会いに行きました。2人とも施設に入所していて面会禁止です。
窓越しに面会です。特に私の母は100歳で、もう孫に会えないかもしれないと覚悟していただけに会えてよかったのですが、「早く部屋に入ってらっしゃい!」と何度も言います。ここまで来ているのに直接会えないのが残念でたまりません。
25日。いよいよ娘家族が帰ってくる日です。車いすを乗せて車2台で迎えに行きました。
身長が2メートル近くある1番デカいオーストラリア人の婿の出番です。抱きかかえて車いすに移動させる役です。
さあ、どんな思いで帰ってくるでしょう?ドキドキしながら改札口で待っていると、駅員さんから車いすを押してもらって近づいてくる姿が見えました。
先ず小さな孫達が駆け出して嬉しそうに抱きついてきました。ZOOMで毎晩お話しているお兄ちゃんは私を見つけるなり隠れました。追いかけると逃げます。駅の構内を追いかけっこしながら捕まえました。やっと会えた嬉しさのエネルギーを発散させたのでしょう。ハグなんて恥ずかしくてできませんからね。
娘婿は車いすに乗って近づいてきましたが、私達が見えないようです。後ろから娘が笑顔でやってきました。待ちきれなかった夫は娘をしっかり抱きしめました。私は婿に「よく来てくれたね!ありがとう!どんなにこの日を待っていたか!」と手を握って言いました。婿も感無量で泣きだしました。
娘にも「よく来たね。もう大丈夫。私達がいるから安心して。少し休みなさい」と抱きしめましたが、その体の細い事!このままずっと抱きしめてあげていたいと思いました。
その上、目も耳も聞こえない愛犬をどう守るのか?慣れた場所では自分の水の在処がわかります。でも、孫達が帰ってきたらいたるところに荷物やおもちゃが散乱する事でしょう。おお~、考えただけでも恐ろしい。
さあ、そのことがわかった日から私の頭は皆を迎え入れるモードに切り替わりました。先ずは、介助しないと動けなくなった娘婿の動線を考え、みんなと同じ部屋で居心地よく過ごせるように居間を片付けて家具を移動しました。風呂の介助用の椅子も母の物を用意しました。
それと同時に、愛犬の居場所を確保します。部屋の中で道に迷っても柵をたどって水を飲みに行けるように慣れさせました。
次は物置と化した子ども部屋を片付けて、家族別の寝室を確保です。古い二段ベッドも復活。子ども達が置いたままにしている物もこの際処分。私のサイズアウトした服も、いつかは着られるようになるという淡い期待は捨てて断捨離しました。
寝具の用意も大変です。冬なので寒くないようにと気を使います。最悪の場合、子ども達は寝袋です。災害対策で4個もあります。結構喜ぶかもしれません。
食材は子ども達が食べたい物リストを作りました。日本食が懐かしいようです。後は出たとこ勝負です。
それにしても、片付けや断捨離は頭を使います。日常生活をしながらなので1ヶ月はかかりました。もうクタクタ。でも今からが本番です。
無言で抱きしめながらの再会
12月20日。先ずはオーストラリア組とフィンランドの息子カップルが帰ってきました。お迎えに行くのは嬉しいものです。久しぶりに会えてハグも力がこもりました。
元気だった?いろいろあったね!コロナで大変だったね!会えて嬉しいよ!と無言で抱きしめながら感無量です。久しぶりに会う孫はすっかり大きくなっていました。フィンランドの息子は面積も増えてより逞しくなった腕でしっかり抱きしめてくれました。可愛い彼女を紹介してくれました。Welcome!
早速、次の日は2人とも期限切れしている免許証更新です。講習をしっかり受けて若葉マークが必要になりました。その足で2人のおばあちゃんに会いに行きました。2人とも施設に入所していて面会禁止です。
窓越しに面会です。特に私の母は100歳で、もう孫に会えないかもしれないと覚悟していただけに会えてよかったのですが、「早く部屋に入ってらっしゃい!」と何度も言います。ここまで来ているのに直接会えないのが残念でたまりません。
25日。いよいよ娘家族が帰ってくる日です。車いすを乗せて車2台で迎えに行きました。
身長が2メートル近くある1番デカいオーストラリア人の婿の出番です。抱きかかえて車いすに移動させる役です。
さあ、どんな思いで帰ってくるでしょう?ドキドキしながら改札口で待っていると、駅員さんから車いすを押してもらって近づいてくる姿が見えました。
先ず小さな孫達が駆け出して嬉しそうに抱きついてきました。ZOOMで毎晩お話しているお兄ちゃんは私を見つけるなり隠れました。追いかけると逃げます。駅の構内を追いかけっこしながら捕まえました。やっと会えた嬉しさのエネルギーを発散させたのでしょう。ハグなんて恥ずかしくてできませんからね。
娘婿は車いすに乗って近づいてきましたが、私達が見えないようです。後ろから娘が笑顔でやってきました。待ちきれなかった夫は娘をしっかり抱きしめました。私は婿に「よく来てくれたね!ありがとう!どんなにこの日を待っていたか!」と手を握って言いました。婿も感無量で泣きだしました。
娘にも「よく来たね。もう大丈夫。私達がいるから安心して。少し休みなさい」と抱きしめましたが、その体の細い事!このままずっと抱きしめてあげていたいと思いました。
次回へ続きます。
毎日、目の前の事をしているだけで過ぎていき、昨日何をしたのかさえ思い出せません。今をしっかり生きていれば、それはそれでいいのですが、湧き上がる様々な感情を見つめて自分を理解するには、やはり落ち着いて書き留めて、整理する必要があると感じます。
それをすることで私自身が楽になり、救われるからです。
そう言う意味で、私事ですが今回はお正月に家族全員集合した時の事を書きます。