ままぴよ日記 103 「今まで培ってきた子育ての知恵を、祈りと共に孫のために」

 お盆前、ままぴよ日記で「2回お休みします」と書きました。でも今日は11月23日。ずいぶん長く筆が止まってしまいました。
(かんなまま)
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一瞬にして住んでいる世界の色が変わったかのような衝撃


8月中旬に娘家族がアメリカから帰国して、バタバタと引っ越して行きました。そして新しい家に着いた2日後に、娘のパートナーにステージ4の腫瘍が見つかりました。いきなり余命いくばくもないと告げられたのです。その病気は進行が早い上に、手術もできない場所にできていたので、今の西洋医学では治療法がありません。

この事に関しては、詳細を書ける状態ではありません。

娘は引っ越しの段ボールも開けないまま、病気の検査、入院、手続きに追われました。まだ住所変更もしていないし、保険証もありませんでした。

私は、娘の所に行くためにスーパーに買い出しに行ってレジに並んでいる時に夫からこの知らせを受け取りました。検査をした直後に本人から夫に電話がかかって来たそうです。「落ち着いて聞いてくれ」と、話し始めた夫の言葉に、一瞬にして住んでいる世界の色が変わったかのような衝撃を受けました。まだ40歳です。ありえない・・・。

娘のパートナーはその日から入院しました。

母や愛犬の介護が気になりつつも、優先順位が逆転して娘の家に駆け付けました。家に入ると、家中が段ボールで埋まっていました。娘は私を見ると涙ぐみましたが、気丈にしています。私も「そばに居るから大丈夫。家事全般任せて」と目で伝えました。それ以上言うと涙が溢れて立ち上がれなくなります。


アメリカからの荷物がまだ届いていないので鍋が1つしかありません。包丁は子ども用です。食器も段ボールの中から探し出しました。エアコンと電気だけはすぐに取り付けてもらいましたが、洗濯機が間に合っていません。

着いたその時から1個ずつ段ボールを片付けていきましたが、子ども達はお手伝いどころか、せっかく片づけた段ボールで遊びだします。それでも届いた家具を組み立てたりして、やっと床が見えるようになっていきました。

その時の事は記憶がないくらい無我夢中で働きました。

身体を動かしていないと心が折れそうになるのです。この時ほど、ガヤトリー・マントラがありがたいと思ったことはありません。マントラを唱えていると、いらぬことを考えないで済みます。そして、ネガティブにならないのが救いでした。


孫達に寄り添う時間


住民票ができ、やっと、子ども達の学校が決まりました。教科書、タブレットも貰いました。帰国子女の多い学校を選んだので、日本語がわからない子どものための先生がついてくれる事になりました。特に小学2年生の子は漢字が読めません。日本語の意味も分かっていないようです。

5年生のお兄ちゃんは、1年生まで日本の学校でしたが、いい思い出がないので不安でした。2人ともアメリカの学校との違いに戸惑いを隠せません。早速その日から漢字のドリル、計算ドリル、音読などの宿題が出て気が遠くなります。



娘に宿題を見てあげる余裕もなく、「しなくても大丈夫」と言っても不安が募って泣き出します。学校に行く足取りもランドセルも重たい!

とうとう2日目から「行かない!」と言い出しました。帰国してまだ落ち着いていないので当たり前です。その上、お父さんが入院して不安です。

いつもの娘なら「行かなくていいよ」と言ってあげるだろうに、今は緊急事態です。行ってもらわないと仕事が何もできないという焦りから子どもを追い立てます。

私は、「とにかく散歩しながら行こう!」と、孫達と一緒に学校まで歩いて行きました。まだ道も良くわからない孫達です。胸が張り裂けそうになりましたが、ちょうどいい具合に学校の前が広い湖でした。

そこに蓮の葉が茂り、その上を水鳥が歩いています。小さくてかわいい鳥でした。「え?あの鳥は何?」「ここで暮らしているのかしら?」「帰ったら一緒に調べようね」と、話しているうちに孫の顔が明るくなっていきました。


その日のうちに娘が学校に行って、家庭の事情を話しました。国が変わり、言葉も良くわからない学校に通うだけでもハンディなのに、父親が病気になって精神的に辛い思いをしていること、宿題が負担である事を。

学校は事情を分かってくださり、配慮してくれることになりました。

それからの日々は、淡々と目の前に来る仕事をこなし、余力は全て孫達に寄り添う時間に充てました。

学校から帰ってきた時の顔色や表情を見ておやつを出し、おしゃべりをします。「今のうちに宿題をしなさい」という娘の声に「いやだ~」と言う孫。「嫌だよね~」と言いながら「ばあばが代わりにしてあげる」と言ってカバンからドリルを出して、書き始めます。

慌てて孫がやってきて「バレるからやめてよ」と鉛筆を奪って書き始めます。私は横で「へ~、なるほど~」と孫の計算の仕方に驚き、孫の気持ちをオーバーに代弁します。

算数はまだ大丈夫ですが、国語の音読と、漢字の書き取り、意味調べがこれほど大変だとは思いませんでした。読むだけで精いっぱいで、意味が分かりません。でも、これは基本なのでやるしかないのです。私がまず先に声を出して読んで、ストーリーや書いてある意味を理解したうえで、孫に読ませます。

それだけでは楽しく学べないので、簡単な絵本をたくさん読み聞かせしました。絵本は楽しい上に日本語の宝庫です。日本語のボードゲームもしました。それは寝る前の楽しい時間になっていきました。

9月と10月は殆ど娘の所にいましたが、今は自分の家に戻り、日常の生活を取りもどしつつあります。

娘のパートナーは、残された時間を家族と過ごしたいと願い、退院してきました。病気は日に日に進行していき介護が必要です。娘は仕事復帰どころではありません。今からが正念場ですが、とりあえず、お正月に里帰りをするのを目標に自分達だけで頑張ってみると言っています。


今の私の楽しみ


留守中の夫も疲れが出始めました。愛犬も私が居ない間に下痢がひどくなっていましたが、一日中寄り添っていたら落ち着いて元気を取り戻しました。

母は、何と100歳になりました!!

施設に入所していますが、私が行くと喜んで歌を歌ってくれます。どこまでも明るい母です。スタッフの方が口々に「こちらの方が癒されています」と言ってくれます。

人の寿命とは何だろうと思います。100歳の母がいるかと思えば、若さゆえ、死を前にして苦悩する家族を見ていると自ずと色々なことを考えさせられます。

このようにあの時から、私の身辺が一変してしまいました。この3ヶ月でたくさん泣きましたが、体を動かしながら神様に祈る日々でした。悲しいのに何故か愛しさの感受性が増したような気がします。

今の私の楽しみは、孫とZOOMで語らい、絵本を読むことです。夜8時から孫とのおしゃべりタイムです。初めは絵本を4冊も5冊も読んでいましたが、今では孫が生き物のクイズをだし、その後は取り留めもないおしゃべりをして、最後に絵本タイムです。読んでいるうちに孫の寝息が聞こえてきます。


特に5年生の孫はシャイでこだわりの強いところがあってストレスを抱えています。でも、おしゃべりをすると、その博学と感性の凄さに驚きます。私も面白くて対等に話しています。今では自分から色々なことを話してくれるようになりました。

「僕は学校のお友達や先生にも自分の本当の事は話さない。お母さんにも半分しか話さない。でもばあばには全部話す」と言ってくれているようです。娘も私にしてほしい事は「子ども達の心のケア」と言っています。娘一人ではどうにもならないのです。

娘はその間、4歳の孫に読み聞かせとベビーマッサージをして寝かせつけています。その後、14歳のお姉ちゃんに付き合っています。思春期のお姉ちゃんは頑張って学校に行っています。でも「手や足のマッサージをして」と甘えてくるそうです。

今はおとうさんが家にいて深刻な状態を見ているので、あえてその話はしません。教訓話もしません。

孫が好きな生き物や車の話で盛り上がります。そして、孫の世界を広げてくれるようなお話を選んで読んでいます。特に、孫が自分の気持ちを話してくれる時は、聞くことに集中します。何と豊かな時間でしょう!

やがて、心が開いて自分からお父さんの事を話してくれるようになったら、受け止めてあげたいと思っています。いつでも話せるように準備はしています。

人生、一寸先は何があるかわかりません。今回の事で思い知りました。とにかく今を大切に生きていこうと思っています。

このような状態で、いつ娘家族からSOSが出されるのかわかりません。もう以前のように隔週で記事を書き続ける事が出来なくなりました。でも、書きたいと思ったときに孫との語らいや地元の子育て支援の事などを書こうと思っています。

どうぞ、よろしくお願いいたします。


Writer

かんなまま様プロフィール

かんなまま

男女女男の4人の子育てを終わり、そのうち3人が海外で暮らしている。孫は9人。
今は夫と愛犬とで静かに暮らしているが週末に孫が遊びに来る+義理母の介護の日々。
仕事は目の前の暮らし全て。でも、いつの間にか専業主婦のキャリアを活かしてベビーマッサージを教えたり、子育て支援をしたり、学校や行政の子育てや教育施策に参画するようになった。

趣味は夫曰く「備蓄とマントラ」(笑)
体癖 2-5
月のヴァータ
年を重ねて人生一巡りを過ぎてしまった。
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