着々と独立国へと前進しているコソボ
Serbia threatens retaliation against Ukraine.
— MaranMatters (@MaranMatters) April 25, 2023
Serbia may change its stance on Ukraine’s territorial integrity after Kiev abstained during a vote on accepting the breakaway region of Kosovo’s request to join the Council of Europe, Serbian Foreign Minister Ivica Dacic has said... pic.twitter.com/o85faSU0Am
コソボ側には、CSMを認める気配すらない。
CSMができて、コソボ・セルビア人の安全さえ保証されたら、セルビアはコソボの言うこと何でも聞くとまでは行かなくても、国際社会への進出は大目に見ると言ってるのによ。
ユーゴスラビアが解体された時代背景
1987年 バルト3国がソ連から独立
1998年〜 ソ連の内部分裂
1989年11月 ベルリンの壁崩壊
1989年12月 ルーマニア チャウシェスク政権崩壊
1991年12月 ソ連の解体
そして、
1991年6月、スロベニアとクロアチアの独立宣言。
ここから、ユーゴスラビア解体の幕が切って落とされた。
モスレム人中心の国民投票によって、1992年3月、スロベニア、クロアチアの後を追ってボスニアも独立宣言をした。
それに対して、ボスニアに住むセルビア人は反発。
それまで仲良く暮らしてきたモスレム人、クロアチア人、セルビア人が互いに殺し合うことになってしまった。
サラエボ取材時に映した一枚の写真。これはサラエボ五輪のメインスタジアム。1984年、サラエボの地で冬季五輪が行われましたが、その後に同地は紛争状態に突入。あまりに多数の犠牲者が出たために埋葬地が足りなくなり、スタジアムを墓地にしました。大事なのは「オリンピック後」です。 pic.twitter.com/f9DtN8wcZ3
— 早坂隆 (@dig_nonfiction) February 20, 2022
ボスニア紛争が世界の同情を集めたワケ
ボスニアも、独立を宣言したはいいが、セルビアがだまって見過ごすはずはない。
かと言って、武力では圧倒的にセルビアが有利だ。
じゃあ、どうすればいいのか?
そこで、ボスニア政府は、紛争をインターナショナルにしようと考えた。
そこからどうなったかは、「戦争広告代理店」に詳しく書かれている。
この本は必読です。情報戦は今に始まった訳ではありません。
— KONY(小西遊馬) (@konijournal) April 9, 2022
ボスニア紛争の際には広告代理店が入って、戦争PRを行なっていたし、
イラクのクウェート侵攻の時は、クウェートから逃げてきた15歳の少女が戦地の悲劇をテレビで語った。(その後彼女はクエートに行ったこともないことが明らかになった) pic.twitter.com/WMYsjd71qz
たとえば、ボスニア政府が契約したアメリカのPR会社、ルーダー・フィン。
ルーダー・フィン社の幹部ジム・ハーフこそ、セルビアを悪者に仕立て上げて、最終的にユーゴスラビアを国連から追放した張本人だ。
フィリップスは人権活動家でありながら、国防省や国連など、国際政治の関係者に幅広い人脈をもち、そいつらを動かす力もあった。
フィリップスは、ボスニアのイゼトベゴヴィッチ大統領に、ボスニアの憲法制定を手伝う提案までしていたんだぞ。
(「戦争広告代理店」280p)
ボスニア紛争のニュースを追いかけていた彼は、感じた。
世界中がセルビアを非難し始めている、おかしいと。
高木氏「具体的な証拠が判明していないのに、一方的に批判されていることに違和感というか、その『世論形成の流れ』に不思議な感じを抱いていたんです」。
(現代ビジネス)
そして、セルビア側のサイトにこういうコメントを見つけた。
「いつもセルビアが悪者になるのは、実はボスニア紛争の時に始まっていた。それを陰で仕掛けたのは、ジム・ハーフという奴だ」。
だが、ちょっとばかしズレているようだ。
ハーフは、国家をクライアントにしたPRを得意としていた。
紛争や戦争、その国の国益がかかわる場面で、その政府に代わってPRを担当する。
ハーフはこう言っている。
「私たちの仕事は、一言で言えば、“メッセージのマーケティング”です。マクドナルドはハンバーガーをマーケティングしています。それと同じように私たちはメッセージをマーケティングしているんです。ボスニア・ヘルツェゴビナ政府との仕事では、セルビアのミロシェビッチ大統領がいかに残虐な行為に及んでいるのか、それがマーケティングすべきメッセージでした」。(「戦争広告代理店」113p)
その一方、ユーゴスラビア当局からは、「セルビア人を世界の孤児に仕立て上げた男」「ペリソナ・ノングラータ(好ましからざる人物)」の指定を受け、国内への立ち入りを拒絶されたと言う。
セルビアを悪役に仕立てるためのキャッチコピー「民族浄化」「強制収容所」
「民族浄化」というワードは、以前からバルカンにある言葉で、第二次大戦のときのセルビア人とクロアチア人の民族紛争で使われたそうだ。
これをハーフに教えたのは、クロアチアだ。
当時クロアチアにはナチスの傀儡政権があり、異民族であるセルビア人狩りを行った。
クロアチアに住む190万人のセルビア人のうち、おおよそ6人に1人が殺されるというすさまじい虐殺だった。そのときに使われたのが「民族浄化」だった。
(「戦争広告代理店」118p)
クロアチア人がセルビア人を「強制収容所」に入れて虐殺しても、それは「民族浄化」に問われない。
ボスニアでも、モスレム人やクロアチア人がセルビア人を虐殺しても、それは「民族浄化」と言われない。
ところが、ユダヤ系ネットワークの反感が強すぎて「民族浄化」にせざるをえなかった。
というのも、ハーフのルーダー・フィン社はCEOがユダヤ人で、ユダヤ系ネットワークと密接につながっていたからだ。
国連での記者会見で、「強制収容所」について聞かれたマッケンジー将軍はこう言った。
セルビア人とモスレム人の双方が、互いに相手のところに強制収容所があると非難しているが、「強制収容所」の存在は知らない、情報がない、見ていないと。
ハーフは、この男をどう始末するかを考えた。
ハーフは、マッケンジーの母国カナダの外務大臣に手紙を書いたり、マッケンジーを攻撃する情報を広めたりした。
将軍の妻はスコットランド人なのにセルビア人だと言いふらされたり、ボスニアでモスレム人の女性をレイプしたことがあると言われたり。
結局、マッケンジー将軍は、定年まで数年を残して軍を去ることを余儀なくされた。
「単純な質問に単純に答えたまでのことです。自分は本当に強制収容所について何も知らなかったんですから。」(「戦争広告代理店」277p)
後になって彼は気づいた、それがPR会社の仕業だったことに。
この捕虜収容所の写真、これを戦争広告代理店ルーダー・フィン社が使い米国議会と世論を扇動させた。セルビア人は民族浄化をしているぞと。
— ᶠᵃᶜʰⁱʳⁱ (@v_fachiri) November 5, 2022
じつはこのような捕虜収容所はモスレム人勢力にもあったし、もっというとこの鉄条網、カメラマンの背後にある変電設備を囲うためのものだったんです。 pic.twitter.com/NEig8HaWcH
その黒幕は、ユーゴスラビアの解体を望んでいた。
スロベニアとクロアチアを独立に向かわせ、クロアチア対セルビアの泥沼戦争になった時、クロアチアにルーダー・フィン社を紹介し、「セルビア=悪」をPRし始めた。
お次はボスニアという流れで、ボスニアには、戦争でセルビアに勝つには国際化したほうがいいと耳打ちして、人権活動家フィリップスが送り込まれる。
フィリップスは、アメリカにやって来たボスニアのシライジッチ外務大臣を、クロアチアと同じルーダー・フィン社に引き合わせて、視聴者に訴える役者に育て上げ、テレビを通じて「セルビア=悪」をアメリカ中、そして世界に広めていった。
「戦争広告代理店」を読んで、よくわかりました。
クライアントのためならばなんでもやる、PR会社が犯人だったのです。
相手を「悪者」に仕立てることなど、朝飯前。
国会の演説原稿から、憲法の草稿だって書いてくれます。
「真実はいつか世界に知れ渡る」と信じていた、素朴すぎるセルビア人は、
おカネをもらえれば何でもやるPR会社に、まんまとしてやられたのです。