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ユダヤ問題のポイント(日本 平成編) ― 第10話 ― 虎の尾
戦争屋グループの強請り
2006年(平成18年)9月に小泉内閣から政権を引き継いだ第1次安倍内閣でしたが、スキャンダルとトラブル続きで、一年後に政権を投げ出します。首相としての最後の発言は、
「テロ対策特別措置法(テロ特措法)問題について小沢一郎民主党代表に直接会談を申し入れたが、応じてはもらえなかった。」
とのものでした。それと自身の体調不良を理由としての政権を投げ出しだったので、お坊っちゃんのひ弱さが露呈という感じで、当時は2度と安倍晋三氏の政治の表舞台への復権は無いと見られていました。
こうやって投げ出された政権を、2007年9月からは福田康夫氏が受け持ちました。福田首相はやはり清和会に所属していますが、2000年代の自民党首相の中では最もまともな首相だったと思います。
ディビッド・ロックフェラーは、「リーマン・ショック」が起きる前から、損失を被っていて経営危機に直面していたので、これを回避すべく日本を訪れ、メガバンクや福田康夫首相ばかりか、皇居を訪問して天皇陛下に窮状を訴えていたけれど、救済資金提供のメドが立たず帰国。
上は「板垣英憲(いたがきえいけん)情報局」の2014年04月01日記事からの情報で、これはこの通りだったと思います。
ウィキペディアの「デイヴィッド・ロックフェラー」記事にも次のようにあります。
2007年(平成19年)に11月に来日、(中略)...デイビッド・ロックフェラーの来日はシティグループがサブプライム問題で大きな損失を被ったことと関係があるとする報道が見られた。
サブプライムローン危機で経営危機に陥っていたデイヴィッド・ロックフェラーは2007年11月に来日し、メガバンク、福田内閣、そして天皇にも資金提供を要求したが、うまくいかずに帰国した模様です。恫喝・ゆすりに失敗した体です。
しかし、これでおとなしく諦めるような連中ではありません。『戦後史の正体』p350〜353には2008年夏、政権末期になっていたブッシュJr. 政権の福田内閣への強請りの模様が記されています。ブッシュJr. 政権のバックには当然ながらブッシュSr. 、そしてデイヴィッド・ロックフェラー がいます。ブッシュJr. 政権は、2008年の7月にはアフガニスタンへの自衛隊の大型ヘリと陸上自衛隊の大規模派遣を強要、同年8月末には一連の米国金融危機にて破綻確実な住宅金融機関(ファニーメイ社)への巨額融資(数兆円)を強要したとのことです。
「CFR、三極委員会(ブレジンスキーがデイヴィッド・ロックフェラーのために設立)、ビルダーバーグ・グループなど、ブッシュ政権の背後にいる利害関係者たちは、今後5年以内に開かれた世界独裁を実現する準備を整え、今まさに動き出している。」
〜 ヨハネス・B・ケップル博士 元ドイツ国防省高官・顧問(2001/11/06)、
マンフレート・ヴェルナー 元NATO事務総長
マンフレート・ヴェルナー 元NATO事務総長
アフガニスタン戦争への自衛隊の大きな協力について福田首相は、「陸上自衛隊の大規模派遣は不可能」との立場を貫き拒否。そしてファニーメイ社への巨額融資についても福田首相は、9月1日に退陣表明を行い、政府機能を不全にさせることでその強要をはねのけたようです。「日本政府がファニーメイに融資をしていれば、なんと数兆円(!)ものお金をドブにすてるようなものでした」と孫崎氏は指摘されています。
本当にこれはこの通りだったでしょう。欲求どおりに金を融資(貸した)しても、彼らはただただ図に乗って、要求をエスカレートさせるだけなのです。
存在感を増す小沢代表に
この当時大躍進で党勢を伸ばしたのが、小沢一郎氏が代表となった民主党でした。2006年4月に民主党の代表は小沢一郎氏となりました。この小沢民主党は2007年7月末に行われた参議院選挙で60議席を獲得、参議院第一党となるのでした。ねじれ国会の始まりでした。
上で見たように同年の8月、テロ対策特別措置法(テロ特措法)問題について小沢代表は、
アフガン戦争が国際社会のコンセンサスを得ていないとして海上自衛隊の支援活動は認められないと主張し、反対の意向を示した。
(ウィキペディア「小沢一郎」)
これで安倍晋三氏は9月に辞任となったのですが、今思えばおそらく、安倍政権も米国戦争屋のブッシュJr. 政権にアフガン戦争等への協力を強要されていたのだなと思います。その強請りに小沢代表が相手しなかったので、米国戦争屋からのプレッシャーに耐えかねて安倍氏は辞任したのだろうとは思います。
小沢代表は田中角栄氏の弟子筋にあたります。田中角栄氏が陥れられたロッキード事件について研究をしていた模様です。田中角栄氏の政治生命を屠ったロッキード事件の采配を振るったのは東京地検特捜部ですが、特捜は元々は「隠匿退蔵物資事件捜査部」です。これは、GHQが旧日本軍が貯蔵していた隠退蔵物資を摘発して管理下に置くことを目的に設置したGHQの機関です。名称は特捜になっても本質部分は同じです。
▲「経世会(旧田中派)」VS「清和会」
*の項目は植草一秀氏が原文に追加したもの
(田中派) | 田中角栄 | 逮捕 | ロッキード事件(←東京地検特捜部) |
(経世会) | 竹下登 | 失脚 | リクルート事件(←東京地検特捜部) |
(経世会) | 金丸信 | 失脚逮捕 | 佐川急便献金・脱税(←東京地検特捜部&国税) |
(経世会) | 中村喜四郎 | 逮捕 | ゼネコン汚職(←東京地検特捜部) |
(経世会) | 小渕恵三 | (急死) | (←ミステリー) |
(経世会) | 鈴木宗男 | 逮捕 | 斡旋収賄(←東京地検特捜部) |
(経世会) | 橋本龍太郎 | 議員辞職 | 日歯連贈賄事件(←東京地検特捜部) |
(経世会) | 小沢一郎 | 西松不正献金事件(←東京地検特捜部) | |
(経世会) | 二階俊博 | 西松不正献金事件(←東京地検特捜部) | |
(清和会) | 岸信介 | 安泰 | |
(清和会) | 佐藤栄作 | 安泰* | |
(清和会) | 福田赳夫 | 安泰 | |
(中曽根派) | 中曽根康弘 | 安泰* | |
(清和会) | 森喜朗 | 安泰 | |
(清和会) | 三塚博 | 安泰 | |
(清和会) | 塩川正十郎 | 安泰 | |
(清和会) | 小泉純一郎 | 安泰* | |
(民間) | 竹中平蔵 | 安泰* | |
(清和会) | 尾身幸次 | 安泰 | |
(清和会) | 安部晋太郎 | 安泰* | |
(清和会) | 福田康夫 | 安泰* | |
(麻生派) | 麻生太郎 | 安泰* | |
(清和会) | 中川秀直 | 安泰* | |
(清和会) | 町村信孝 | 安泰* | |
▲なぜこれほどまでに露骨に色分けされているのでしょうか?
それは「清和会」をつくった岸信介元首相と「経世会」をつくった田中角栄元首相がとった「米国との関係」の違いに根本原因があると思われます。
「清和会」の岸信介元首相と米国との関係は、対等や従属どころの話ではなく彼はCIAに金で雇われた米国の利益代理人=エージェントだったのです。
それは「清和会」をつくった岸信介元首相と「経世会」をつくった田中角栄元首相がとった「米国との関係」の違いに根本原因があると思われます。
「清和会」の岸信介元首相と米国との関係は、対等や従属どころの話ではなく彼はCIAに金で雇われた米国の利益代理人=エージェントだったのです。
(植草一秀の『知られざる真実』より抜粋)
特捜は日本の公的機関にしていますが、実際には米国の支配者の出先機関で、公的支配下にない特捜の人間たちは、それで格別のエリートを自認している模様です。特捜の背後には、最終的にはデイヴィッド・ロックフェラーの存在があるということです。小沢代表の本当の最大の敵はデイヴィッド・ロックフェラーということになります。
逆に小沢代表が親しかったのは、通称ジェイのジョン・ロックフェラー4世です。小沢代表の著書「日本改造論」の英語版には、ジェイ・ロックフェラーが前書きを寄せているぐらいなのですから。
また、当時は次のような出来事もありました。
2007年11月2日、小沢は福田と会談し、連立政権について提案があったため、意見を党に持ち帰り臨時役員会に諮ったが、民主党内の反対を受け連立を拒否した。
(ウィキペディア「小沢一郎」)
要は、この当時に小沢代表の発言力、そして政界における影響力が甚大になってきたということです。
米国では「チェンジ!」を掲げるバラク・オバマが2008年大統領選を制し、2009年1月に高い支持率のもとに民主党政権がスタートしていました。こうした米国の状況も、日本の民主党躍進への大きな追い風となって、政権交代の風が吹いていました。こうして「小沢総理実現」が現実味を強くしてきた頃、やはり小沢攻撃が始まり、次のようになりました。
2009年(平成21年)5月11日、西松建設疑惑関連で公設秘書が逮捕されたことを受けて、民主党代表の辞任を表明。
(ウィキペディア「小沢一郎」)
もちろん、小沢代表の公設秘書を逮捕したのは特捜です。一連の陸山会事件の皮切りと言えるでしょう。
小沢一郎が政治資金規正法違反に問われた陸山会事件は、検察とマスコミが捏造した冤罪事件だった・・・
— 田中龍作 (@tanakaryusaku) April 3, 2019
新記事『記者クラブは「冤罪製造装置」の重要パーツである』https://t.co/AtX3y5NMag
写真は「小沢無罪」の判決が出た瞬間。=2012年、東京地裁前 撮影:田中龍作= pic.twitter.com/Akbfd0hgDV
酩酊会見
自民党側の動きですが、2008年9月に福田内閣から政権を受け継いだのは麻生太郎内閣でした。まさにリーマンショックの大渦中のことでした。
当初は麻生内閣は、政権を引き継ぎ組閣を済ませたあとにすぐに解散・総選挙に打って出る腹づもりであった模様です。そして実際にこのように総選挙に打って出た場合は、自民党勝利の可能性が高かったように思います。まだ米国での大統領選は全く不透明な状態で、日本の民主党に強い追い風が吹いていたという状況でもこの時点ではなかったのです。
しかし、麻生太郎首相に弱気の虫がうずいたのか総選挙は見送りとなりました。裏返すとこの当時の日本の選挙はまだまともに実行されていたということでもあるでしょう。この当時「ムサシ」システムがあって、これを麻生内閣が入手していたら弱気になることもなかったでしょうから。
ともあれ、この後は麻生内閣に対しての逆風が段々と強まっていくのです。その一つがメディアの麻生内閣への態度でもありました。麻生内閣で改めて確認の必要があるのが中川昭一大臣のG7酩酊会見です。詳細については22年11月30日の「ぴょんぴょん先生」の記事にありますのでご参照ください。
2008年10月10日からワシントンでG7財務相・中銀会議が開かれます。そこで「もっと米国債を買え」と迫るポールソン米財務長官に対し、中川昭一大臣は「金融危機を甘くみないで欲しい。今回、日本は米国を助けない。米国は今回の危機に対して、自国で処理する事を期待する」と発言。更に「日本は黙ったまま、世界のキャッシュ・ディスペンサー(現金自動支払機)になるつもりはない」と。翌11日の委員会では「日本は、自国の外貨準備(米国債)を使って、IMFに、1000億ドル融資する用意がある」と言ったとのことです。
その結果、2月14日のG7の財務大臣・中央銀行総裁会議終了後の記者会見で中川大臣が“血祭り”にされます。仲間のはずの同行者に裏切られ薬を盛られ、中川大臣がしどろもどろになった「酩酊会見」が大写しにされ、政治生命が奪われたのでした。
米国債の使用に関しては中川大臣の“男気”によるところが大きいところでしょうが、同時に一連の中川大臣の発言の背後には、麻生首相の意志があったのは間違いないところでしょう。つまり、リーマンショックでデイヴィッド・ロックフェラーの力が削がれたのを好機として、日本の独自路線を模索したと見られるのです。
しかし、これは“虎の尾を踏む”ことになり、麻生内閣自体が失速していきます。米国内の派閥争いはあっても、米国支配層にとっては「ドル支配体制」は命綱であり、これを揺るがすものは決して許さないといったところだったでしょう。
時は2009年(平成21年)2月、米国での大統領選の結果も後押しとなって、民主党に対して「政権交代」の追い風が吹いていました。そのような中、民主党の小沢代表が25日に記者団に対して、
…しかし。『戦後史の正体』p354に以下の指摘があります。一貫して戦後日本の抱えてきた問題です。
これ以前にもう一つの米国の「虎の尾」も踏むことによる事件も2008年10月にありました。「米国債の売却」に関わることです。その「虎の尾」を麻生内閣の中川昭一大臣が踏み、薬を盛られた「酩酊会見」となっています。
…それでもこの頃、地上世界でも規定とは異なった動きがでてきていたのです。