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ユダヤ問題のポイント(日本 平成編) ― 第11話 ― 鳩山内閣の帰趨
亀井静香大臣の活躍
2009年(平成21年)8月30日に行われた総選挙では民主党が圧勝しました。これに伴い、同年9月に鳩山由紀夫首相が誕生しました。5月から民主党代表は小沢代表から鳩山代表に交代していたのです。
首相官邸 [CC BY]
当時、私は「政権交代」が必要と考えていました。小泉政権にて日本は構造改革でがたがたにされてアメリカからの搾取のされ放題状態、自民党は壊れてしまってアメリカの代理人に映っていましたから、これは止めなくてはいけないと考えていたのです。
ただし、福田内閣はかなりまともでしたし、前回の「中川大臣酩酊会見」に見られるように、麻生内閣もただ米国の走狗であることを潔しとしない部分はあったでしょう。実際にあの酩酊会見以降は、麻生首相自体がメディアからの中傷攻撃にさらされてもいました。
そのことを踏まえれば、米国支配層は小沢一郎氏は論外として、小沢抜きの民主党のほうが麻生自民党よりも御しやすいと見ていたような気もします。米国支配層は民主党の掲げるマニュフェストは容認できないが、民主党の動きなどはがんじがらめにすることができると見ていたような気もするのです。
平成21年9月16日、鳩山内閣が民主党、社会民主党、国民新党の3党連立内閣としてスタート、支持率は当初は7割を超えるものでした。民主党の掲げたマニュフェストは、やはり日本国民の生活利益を考慮していたのでそれだけの期待は高く、米国支配層やジャパン・ハンドラーに操作される自民党政治に日本国民は辟易としてはいたのです。
民主党マニュフェスト関連は後述するとして、鳩山連立内閣成立で本当に良かったなと思えたのが、亀井静香氏の金融・郵政改革担当相としての入閣でした。ウィキペディア「鳩山由紀夫内閣の政策」記事に以下のようにあります。
亀井静香金融・郵政改革担当相は、就任直後の9月16日から17日未明にかけ、金融機関からの借入金の返済猶予(モラトリアム)制度を創設する意向を表明した(金融モラトリアム構想)。これを受け、同17日から新BIS規制に対処するための新株発行(増資)を懸念されていた銀行株が軒並み売られる展開となった。
「郵政民営化」で小泉首相に反旗を翻し「郵政選挙」では刺客をたてられた亀井静香氏は、鳩山内閣で金融・郵政改革担当相として郵貯など公共財産へのアメリカに巣食う金融家などからの盗みをストップさせ、日本の中小企業を倒産から守るべく迅速・具体的に動いたのです。
第7話でみたように、「郵政民営化の」主な目的は、アメリカ側が「国民が郵政公社に預けている350兆円」を手中にすることでした。これに対し亀井静香金融・郵政改革担当相は、改めて「待ったをかけた」のです。
また、日本は中小企業によって成立している国家です。亀井氏はその中小企業を保護する「金融モラトリアム構想」を成立させたのです。つまり「救国政策」に亀井氏は邁進したといえます。そして、その実力を示しもしたわけでもありました。この点は「政権交代」は本当に良かったと思います。
陸山会事件が始まる
民主党マニュフェストは、概ねは小沢一郎氏が作ったものだと思われます。そしてマニュフェストの内容そのものは、日本国民の利益に概ねは沿ったものだったと言えたでしょう。ただし、それが実際に機能するかは別問題です。その点で落とし穴的なものが2点ありました。
一点目はマニュフェストの原則第1で、「官僚丸投げの政治から、政権党が責任を持つ政治家主導の政治」に転換すると明瞭に謳っていたものです。国民が選挙で選んで負託した政党が政治を統制する、これは当たり前と言えばそうですが、現実に長年現場にあって、政治の調整機能を担ってきたのは官僚機構です。それをいきなり「官僚政治」を廃し「政治主導」をうたえば、現場の官僚機構からの反発が出るのは当然と言えば当然でした。
「民主党の政権政策Manifesto2009」のPDFより抜粋
そしてもう一点目、こちらこそが危険なものでしたが、マニュフェストにあるアメリカとの関係の問題でした。改めてですが孫崎氏は『戦後史の正体』p354に次のように記しています。
民主党は選挙前に、マニュフェストで新しい政策を打ちだしていました。とくに私が関心をもって見ていたのは次のふたつです。
① 日米地位協定の改定を求め、米軍再編や在日米軍基地のあり方についても見直しの方向で米国と交渉する。
② 東アジア共同体の構築をめざし、アジア外交を強化する。
「民主党の政権政策Manifesto2009」のPDFより抜粋
前回に見たように、「在日米軍基地の見直し」と「中国との関係改善」の2つは「虎の尾」になるのですが、果たして小沢民主党幹事長は、2009年12月に大型訪中団を構成し訪中を実施します。次のごとくです。
小沢訪中団(おざわほうちゅうだん)とは、小沢一郎民主党幹事長を名誉団長とする民主党議員143名と一般参加者など483名で構成され、2009年12月10日から12月13日までの4日間の日程で中華人民共和国を訪問した訪中団。2006年7月に小沢が訪中した際の合意に基づく民主党と中国共産党の定期協議も兼ねたもので、日中関係史上最大規模の訪中団ともされている。
(ウィキペディア「小沢訪中団」)
無論、戦後史の始まりから日本を軍事占領し、長年の既得権益を有してきた米国支配層、デイヴィッド・ロックフェラーの部下やCIAなどがこの小沢氏の動きに黙っているはずがありません。自分たちの日本支配の道具である東京地検特捜部、そしてメディアを用いて「小沢攻撃」に出ます。
すでに2009年11月に市民団体を名乗る人物から、小沢氏の政治団体の陸山会への政治資金規正法違反容疑での告発がされていました。その流れで2010年1月には、東京地検特捜部によって石川知裕衆議院議員など当時の小沢氏の秘書3人が逮捕されました。陸山会事件です。
この頃メディアでは毎日朝から夜までありもしない捏造番組を作成して垂れ流し、小沢幹事長の大型政治犯罪を印象づけるのに躍起となっていました。特捜の取り調べ方法やリーク、それにメディアの行動は犯罪行為と言ってよかったでしょう。権力に結びついたものは容易に犯罪行為を犯すのをこの事件は示していました。
潰される鳩山内閣
鳩山首相も当然ながら攻撃の対象となっていました。最も問題となったのが沖縄普天間基地の移転をめぐる発言でした。夏の衆議院選の時点で鳩山代表は普天間米軍基地の移転先を「最低でも県外」と明言していたのです。もちろんこの発言は沖縄に集中する米軍基地の負担、それを少しでも軽減しなくてはいけないというものからです。
しかし、この基地移設「最低でも県外」発言が集中砲火を浴びます。「私自身も普天間問題に関与しました。2010年1月と3月の二度、鳩山首相に『県外移転』を進言した」と述べる孫崎氏は『戦後史の正体』p356~358にて、普天間基地の「最低でも県外移転」にゲーツ米国国防長官、ルース駐日大使があからさまに激しく反対の意をあらわしたこと、リチャード・アーミテージとジョセフ・ナイのいわゆるジャパン・ハンドラーは、鳩山首相の東アジア共同体構想に反対に動いていたことを示しています。
こういった米国など外国勢力が反対していただけではありません。
民主党では、北沢防衛大臣、岡田外務大臣が「県外移転はむずかしい」と表明します。外務省、防衛省の官僚たちも、なにもしようとしません。それどころか、ウィキリークスは、2009年10月12日に高見沢・防衛省防衛政策局長がキャンベル国務次官補に対し、「米側が早期に柔軟な態度を見せるべきではない」と助言したことをあきらかにしています。
(p357〜358)
とも明かしています。そして最後に以下のようにまとめています。
政府内のだれも鳩山首相のために動こうとしませんでした。首相が選挙前に行った公約を実行しようとしているのに、外務省も防衛省も官邸も、だれも動こうとしなかったのです。異常な事態が起こっていました。日本の政府が首相ではなく、米国の意向にそって動くという状態が定着していたのです。残念ながら、日本のマスコミはこの点をまったく報道しませんでした。
(p359)
最終的に鳩山首相は外務官僚から「嘘の説明」を受けて、平成22年5月に普天間基地の県外移設の断念を表明します。これが更に猛批判を招き、同年の6月に退陣していきました。
内外からの攻撃によって鳩山内閣は沈んでいったのですが、誰が言い出したか「鳩山首相=ルーピー」とメディアがさんざんと垂れ流し、アピールを行ってもいました。
そして悲しいかな、国民の多くがこのメディアのルーピー説に乗ってしまってもいたのです。…メディアに簡単に騙される国民、依存心の高い国民…。
鳩山総理が辞任表明 演説ダイジェスト1/2(10/06/02)
✅ 2:03〜:これからもっともっと、人の命を大切にする政治、進めていかなければなりません。
ただ、残念なことに、そのような私たち政権与党のしっかりとした仕事が、必ずしも国民の皆さんの心に映っていません。
国民の皆さんが徐々に徐々に聞く耳を持たなくなってきてしまった、そのことは残念でなりませんし、まさにそれは私の不徳のいたすところ、そのように思っています。
ただ、残念なことに、そのような私たち政権与党のしっかりとした仕事が、必ずしも国民の皆さんの心に映っていません。
国民の皆さんが徐々に徐々に聞く耳を持たなくなってきてしまった、そのことは残念でなりませんし、まさにそれは私の不徳のいたすところ、そのように思っています。
しかし、この鳩山内閣はその発足から1年足らずの2010年(平成22年)6月に沈没していきました。それは普天間基地移設問題が切り口となっていました。総選挙時に鳩山代表は普天間基地を「最低でも県外移転」と公約していたのですが、これが攻撃対象となったのでした。鳩山首相は、鹿児島・徳之島など辺野古以外の移転先を模索したのですが断念します。その様子を2019/04/30『日刊ゲンダイ』では以下のように記載しています。
ところが、自民党が政権に返り咲いた後、米軍のマニュアルには「65カイリ」について記載がなかったことが発覚。鳩山氏は官僚にだまされていた可能性が高いのだ。
…しかし最終的には、鳩山内閣の本当の敵になってしまったのは日本国民そのものだったと思います。