[袴田事件] 58年間も袴田さんとその家族を苦しめた検察は、再審でも「死刑求刑」〜 司法は権力者のための道具ではない、これからの時代は国民のための制度に変える必要

 重大な冤罪事件のひとつとして知られる「袴田事件」の再審がやっと確定したのは2023年3月でした。それからあらためて公判が開始され、2024年5月22日で全ての審理が終わりました。58年間、袴田さんを支えてきた姉のひで子さんは無罪を示す真っ白なスーツで意見陳述されたそうです。
 拷問で作成された自白調書、数々のでっちあげの証拠、これらが明らかになって再審への道が開かれた時、検察は司法制度を悪用して再審決定への抗告(不服申し立て)を行い、9年間も無駄に袴田さんの再審を阻み、その上22日にはまたしても死刑を求刑しました。検察は悪魔か。当然のようにネット上では検察への非難が湧き上がりました。人の人生を破壊して謝罪も反省もない現在の検察は、国民にとって害悪でしかないことを見せつけました。「検察だけでなくマスコミも大いに反省すべき。 事件当初、袴田さんを鬼畜のように描き犯人だと決めつけ、庶民派だけでなく、裁判官にさえ有罪の心証を持たせた。」との投稿もありました。
 NHKクローズアップ現代では、日本の再審の難しさを検証していました。
1つは、無罪を示す証拠を検察や警察が保管して、提出の義務がないことでした。裁判官が検察に証拠の提出を求めてものらりくらりと引っ張った挙句に「提出しない」と拒否することで、著しい人権侵害をしています。袴田さんの自白を強要したテープは、警察の倉庫に「仮に捨てたとしても誰もとがめられない」状態で保管されていたものが見つかったそうです。警察や検察の一存で証拠を操作できます。
もう1つは、検察の抗告(不服申し立て)の制度を上げています。ドイツ、フランス、イギリスなどの再審制度は検察の抗告ができません。台湾では、国民の強い抗議で司法改革が行われたことを紹介していました。
 日本の今の司法制度では、袴田さんの受けた被害は「誰にでも起こりうること」だと認識して、司法を権力者のための道具ではなく、国民のための制度に変えていく必要があります。
(まのじ)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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袴田巖さんに検察が死刑を求刑「冷酷で残忍な犯行」判決は9月26日 袴田事件再審公判【速報】
引用元)
5月22日午前から静岡地方裁判所で開かれている袴田巖さんの再審=やり直しの裁判で、検察は死刑を求刑しました
(中略)
袴田巖さんは1966年、静岡県旧清水市(現・静岡市清水区)で一家4人を殺害したとして逮捕され、無実を訴えながらも1980年、死刑が確定しました。2023年3月、東京高裁が裁判のやり直しを決定し、同年10月から静岡地裁で再審公判が開かれていました。
(中略)
死刑を求刑する際、検察は「強固な殺意に基づいた極めて冷酷で残忍なもの。被害者4名の遺体は見るも無残な状態で発見されている。生命軽視の態度は極めて顕著。強い非難に値する」と述べました。動機については「金品強奪が目的」と説明しました。

弁護側は、検察による死刑求刑を受け「極悪非道な論告を行い、またえん罪をつくろうとしている」と強く非難しました。その後の最終弁論で改めて袴田さんの無罪を主張しました

判決は、9月26日に言い渡されます。
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配信元)



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遅すぎた“救済”はなぜ 袴田再審・知られざる内幕
引用元)
(中略)
記録・証言から浮かび上がる“2つの壁”

再審が認められるには、無罪であることを明らかに示す新たな証拠を弁護側が提示する必要があります。しかし、その肝心の証拠は検察や警察などが保管。通常の裁判では検察が証拠のリストを示すことが定められていますが、再審にはそうした証拠開示のルールが一切ないのです。
(中略)
このとき、審理を担当していた裁判官の1人、熊田俊博さんです。裁判官であっても、証拠の確認は簡単ではなかったといいます。
(中略)
しかし、袴田さんにもう1つの壁が立ちはだかりました。検察による不服の申し立て「抗告」です
(中略)
裁判所が再審を認めても検察は抗告し、争うことができます。袴田さんの場合、検察が地裁の決定に抗告。高裁は地裁の決定を取り消しました。これに対し、今度は弁護側が最高裁に抗告し、最高裁は高裁でやり直すよう差し戻しました。そして2023年3月、袴田さんを犯人と認定できないとして再審開始が確定したのです。この間、費やされたのは9年の歳月でした
(以下略)

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