反米感情を持たないように「原爆」を「平和」に置き換えられた戦後、そして今なお植民地である日本 /「きちんとした政権をつくってアメリカに不平等条約を改正させ」対等な日米関係を

 戦後のGHQの情報統制の中には原爆に関するものもあり、1945年から1952年の7年間は「原爆」という言葉が「平和」に置き換えられていたそうです。8月6日の「原爆の日」は「ピース・デイ(平和の日)」となり、原爆が反米感情につながらないよう「暗黙の了解」があったと言います。1947年原爆の日の「平和祭」で、広島市長の初めての平和宣言は「原子爆弾によって不幸な戦を終結に導く要因となったことは不幸中の幸い」「8月6日は世界平和を招来せしめる機縁を作った」と述べたそうです。このような扱いを無理やり押し付けられたのではなく、広島県・広島市が進んで忖度していたことが、アメリカの公文書から確認されました。
 エマニュエル駐日大使が、長崎平和記念式典にイスラエルが招待されないことを理由に自らも欠席を発表しました。それ以前に欠席を表明していた英国のロングボトム大使は「ウクライナという独立国に侵略したロシアやベラルーシと違い、イスラエルは自衛権を行使している。同様の扱いをしては誤解を招く」との珍説を披露していました。
 さらに同じ理由で、フランス、カナダ、ドイツ、イタリアのEU大使が欠席の意向を示しました。「G7全部じゃん。」という投稿がありましたが、確かに長崎市のイスラエル拒否は、イスラエルと同じ穴のムジナを浮き彫りにしてくれました。
 アメリカの原爆による大虐殺を受けた日本人は、イスラエルに虐殺されているパレスチナの人々、自国政府に虐殺されてきたウクライナ東部の人々の痛みを知るはずですが、アメリカに尻尾を振り続けます。
 矢部宏治氏は著書「知ってはいけない」の中で、「『戦後日本』という国は、『在日米軍の法的地位は変えず』『軍事面での占領体制がそのまま継続した』『半分主権国家』」だと述べています。日本が未だに植民地であることに多くの人が気づけば、次になすべきは「きちんとした政権をつくって日本国内の既得権益層(いわゆる「安保村」の面々)を退場させ」アメリカに対して不平等条約を改正させ、真に対等な関係を結び直すことだと気づきます。
(まのじ)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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配信元)




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なぜアメリカ軍は「日本人」だけ軽視するのか…その「衝撃的な理由」
引用元)
(前略)
つまり「戦後日本」という国は、

「在日米軍の法的地位は変えず」
「軍事面での占領体制がそのまま継続した」
「半分主権国家」

として国際社会に復帰したということです。

その「本当の姿」を日本国民に隠しながら、しかもその体制を長く続けていくための政治的装置が、1952年に発足した日米合同委員会なのです


ですからそこで合意された内容は、国会の承認も必要としないし、公開する必要もない。ときには憲法の規定を超えることもある。その点について日米間の合意が存在することは、すでにアメリカ側の公文書(→72ページ「安保法体系の構造」の日米合同委員会の項を参照)によって明らかにされているのです。

「対米従属」の根幹

こうして日米合同委員会の研究が進んだことで、「日本の対米従属」という戦後最大の問題についても、そのメカニズムが、かなり解明されることになりました。

もちろん「軍事」の世界だけでなく、「政治」の世界にも「経済」の世界にも、アメリカ優位の状況は存在します。

しかし「政治」と「経済」の世界における対米従属は、さきほどの軍部の方針を見てもわかるように、

「あくまで法的関係は正常化されたうえでの上下関係」であって、
「占領体制が法的に継続した軍事面での関係」

とは、まったくレベルが違う話なのです


私たち日本人がこれから克服しなければならない最大の課題である「対米従属」の根幹には、軍事面での法的な従属関係がある

(以下略)
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「戦後日本」は、じつはアメリカの軍部によって「植民地支配」されているという「異様な現実」
引用元)
(前略)
あとは、いつになるかわかりませんが、きちんとした政権をつくって日本国内の既得権益層(いわゆる「安保村」の面々)を退場させ、アメリカの大統領や国務長官に対して、

「現在の日米関係は、朝鮮戦争の混乱のなかでできた、あきらかに違法な条約や協定にもとづくものです。こうした極端な不平等条約だけは、さすがに改正させてほしい」

といって交渉すればいいだけ
です。
(以下略)

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