久保田治己氏『農協が日本人の“食と命”を守り続ける!』〜 農協バッシングや「農協改革」と戦いながら「国民経済の発展に寄与する、日本人の、日本人による、日本人のための」組織

 1983年から全農に勤務され、農協と穀物メジャーとの戦いを身近に体験された久保田治己氏が「農協が日本人の“食と命”を守り続ける!」という本を出されました。「米国が恐れ、国際資本が狙い、世界が注目するこの最強の存在を、私たち日本人だけが知らされていない」という国際ジャーナリストの堤未果氏のドキッとする言葉が添えられています。
 農協といえば、かつての時事ブログにあった「TPP協定に沿った国内法の整備」の一環で浮上した「農協改革」を思い出します。農協バッシングが巻き起こり「全農株式会社化」の法案も通りました。日本買いが進む今、実は農協が日本のためにがんばっているということを知らせる本のようです。
 農協の組織を大まかに見ると、市町村ごとに農家の方々が(株主のように)出資をして「農協」を作る。その「農協」が集まって、都道府県ごとに「連合会」を作る。その連合会が集まって「全国連」を作る。その「全国連」は機能別に別れていて、米とか野菜を売ったり、肥料、農薬を買って農家に供給したり商社的な働きをするのが「全農(全国農業協同組合連合会)」、信用事業、金融事業は「農林中央金庫」、生保・損保など共済事業を「全共連」、他にも新聞、観光、病院「厚生連」などあり、全てを束ねているのが「中央会(全中)」、それらを全部集めて農協グループとかJAグループとか言うそうです。
 かつて久保田氏の提案で、日本が飼料用の穀物を安定的に輸入できるよう南半球の「AWB(オーストラリア小麦庁)」と全農の相互出資で合弁の子会社を設立しました。「AWB」はオーストラリアの小麦を独占的に輸出する権利を持っていた組織で、当時でも世界最大の穀物サプライヤーでした。その「AWB」は民営化が進み、株式上場した途端に巧妙な手段でカーギルに買収されてしまいました。そしてその5年後の2015年ころ、日本の規制改革会議が「全農を株式会社化しろ」と提言をし、「農協改革」が始まりました。
 「全農の株式会社化は進んでいるのか」という三橋氏の問いに、久保田氏は「農協法が改正されて、株式会社化できるということになった。しかし全農はまだその必要性を感じていない。」と答えました。「なぜカーギルが全農を買収したがっているのか。」という問いには、「アメリカから輸入される飼料用のトウモロコシの中で『遺伝子組み換えをしていないトウモロコシがほしい』という生活クラブ生協の要望に応えて、生協と全農が一緒になって、アメリカの農家から日本の畜産農家までを全部、分別管理をして遺伝子組み換えをしていないものを分けて運んでくる物流体系を構築した。するとその結果、他の商社も、全農にマーケットを奪われないよう穀物メジャーに同様の要求をすることになった。このような全農と生協との取り組みを好ましくないと思った者たちがあるらしい。」「アメリカのニューオーリンズに、輸入の分別管理に必要な全農の子会社がある。その子会社を買収できれば、全農と生協のルートを潰せるが、全農がその子会社を売ることはない。なので、親会社の全農を丸ごと買収しようというシナリオのようだ。」と見ておられます。5年前の「AWB」も同様に子会社を買うために親会社が買収されたことから、同じ手法で全農が狙われているということのようです。
 農協の機能のうち、JAのガソリンスタンドの話は印象的でした(14:32)。「農協さんがやらないと、その地域では誰もやらないですよね。」との三橋氏の言葉を受けて「経済的には成り立たないところでも、組合員さんがおられれば地域を守らなければならない、歯を食いしばってがんばっている。」と、まさしく公助を引き受けているのでした。
 著書の「はじめに」で紹介されているエピソードには、「世界中が未知の感染症に恐怖していた時期に、日本で最初の新型コロナ感染者を受け入れた病院は、JA神奈川県厚生連の相模原協同病院だった」ことや、「能登半島地震の発災後、翌日午前中に全国から駆けつけた18チームのDMATのうち、15チームが農協グループの病院だった」ことが記されています。農協へのイメージが変わりました。
(まのじ)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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配信元)


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いまさら聞けない「JA(農協)」とは?〜日本の農家は保護されすぎているという大嘘[三橋TV第960回] 久保田治己・三橋貴明・saya
配信元)

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『農協が日本人の“食と命”を守り続ける!』/久保田治己【試し読み】
引用元)
(前略)
はじめに

 農家や農業や農協(JA)を正しく理解してくれている人は、それほど多くはない。しかし、国際情勢が緊張している昨今では、食料安全保障上、農家や農業は大切だと考える方々が増えてきているのは大変ありがたいことである。にもかかわらず、農協批判は続いている
(中略)
農協は、頑張ってきたのだ。
農家のためだけではなく、農協のためだけでもなく、「命」のためにも、「日本」のためにも頑張ってきたのだ


絶滅した野生生物を人間と混住した環境で復活させたコウノトリの取り組みは、世界初の偉業である。最後の生息地であった豊岡市が中心となり地域全体で話し合い、人間も含めた全ての生きものが共生できる生態系を再生させたのだ。単なる無農薬栽培という栽培技術の話ではなく、地域全体を豊かにする社会的挑戦にJAたじまも主体的に参画し、世界のモデルとなっている。

世界中が未知の感染症に恐怖していた時期に、日本で最初の新型コロナ感染者を受け入れた病院は、JA神奈川県厚生連の相模原協同病院だった。ダイヤモンド・プリンセス号の患者を農協グループの6病院が受け入れ、船内に薬剤師も派遣している。

令和6年元日16時10分、石川県能登地方に地震が発生した。翌日2日午前10時の時点で活動していたDMAT(災害派遣医療チーム)18隊のうち、15隊(約8割)は農協グループの病院から派遣され、現地で懸命の救命活動をしていた。

佐賀県の生産組合と農協は、厳しい自然環境に苦しめられながら、助け合いと結束力で耕地利用率日本一を続け、常に最先端にも挑戦し、全国に範を垂れてくれた。

沖縄は、米軍占領時代にサトウキビを作るだけの労働者から抜け出すための努力を、キャラウェイ高等弁務官だけではなく、同胞の財界人からも攻撃された。農協は、農家のために努力して結果を出したが故に、叩かれなければならなかった。この時の圧力には、なぜか平成時代の農協改革と同じ改革を求められている。遺伝子組み換えされた飼料用トウモロコシを分別管理する手法を世界で初めて確立したのは、生協の生活クラブ連合会と農協の全農、つまり協同組合なのだ

協同組合は、「今だけ、金だけ、自分だけ」ではない。その逆で、「長期的、多面的、利他的」に考え、行動する。農業協同組合法の第1章第1条には、このように書かれている。

この法律は、農業者の協同組織の発達を促進することにより、農業生産力の増進及び農業者の経済的社会的地位の向上を図り、もつて国民経済の発展に寄与することを目的とする。

農協は日本資本100%であるから「国民経済の発展に寄与する、日本人の、日本人による、日本人のための」組織なのだ。その農協が株式会社化するとどうなるか、最終章でカナダとオーストラリアの事例を紹介している。海外の事例を学べば、規制改革会議が全農を株式会社化すべきと提言したねらいが理解できるはずだ。

農協にもっと親しみを感じていただき、この本が、もう一度この日本という国を考え直していただくための一助となれば、望外の喜びである。

令和6年4月 満開の桜のもとで 久保田治己

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