アーカイブ: かんなまま

ままぴよ日記 72 「行政よ、現場にいるスペシャリストの声を聞いて!」

 又、緊急事態宣言が出されました。学校や幼稚園、保育園は閉鎖しないようですが、子育て広場は閉鎖。公園も、遊具も使用禁止になりました。小さな子どもを抱えたママ達は、また孤立してしまいました。私にできる事は限られているのですが「愛しています」を心の中で叫びます。
(かんなまま)
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寄り添う支援が必要な子育ては窮地に陥っている


ずーっとコロナ禍です。我が町にもじわじわと感染者が増えてきました。緊急事態宣言が出されて、また子育て広場を閉鎖しなければいけなくなりました。泣きたくなります。

もう前回の時のようにママ達を孤立させてはいけない。子ども達を家に閉じ込めてはいけない、と思ってきましたが、業務命令に従わなければいけません。ただ、ZOOMで子育て広場、助産師相談会、ベビーマッサージをする方向で調整しています。

特に産後から4か月健診までの母子は孤立しやすく、産後鬱も増えています。三密を避ける政策がとられる一方で、寄り添う支援が必要な子育ては窮地に陥っているのです。


おっぱい育児がうまくいくためには産後すぐからの支援が不可欠ですし、赤ちゃんの事を何も知らない親は体の発疹、泣いて呼吸が止まったようになる、うんちが出ない、などを気軽に相談できる小児科医を求めています。

それを少しでも解消するために、市内の子育てに関わる人的資源を活かし、助産師や小児科医への相談事業を市に提案しました。おおむね3か月までの赤ちゃんを持つママが対象で、助産師によるおっぱい相談、小児科医による赤ちゃんの発達やからだの相談です。母乳育児の相談が圧倒的に多く、いかにママ達が必要としているかがわかります。

同時に、赤ちゃんのお守り役として市内の子育て広場、保育園、幼稚園のスタッフや主任児童委員、先輩ママが関わっていますので、子育ての相談に応えたり、次の支援へつなげる事ができています。

事業化されて1年過ぎましたが、毎回定員いっぱいの申し込みがあります。その後の子育て広場の利用やセミナー参加者も増えてきました

これはまさに、ママ達が必要としている産後ケアですが、国が定めている6時間という条件を満たしていないので産後ケア事業としては認めてもらえません。場所の確保が難しく、4時間という制限がありますが、助産師は3人体制で、小児科医は市内の開業医が昼休みを返上して輪番制で関わっています。

実質、通常の3倍の支援ができていると自負しています。国から産後ケア事業としての補助が貰えないのは痛いですが、市も私達の心意気を汲み、単独の予算を出してくれています。

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[Facebook]子どもって、なんてかわいいんだろう💕

ライターからの情報です。
子ども達の、この感性、まっすぐな行動力に胸キュンです。
(かんなまま)
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子どもって、なんてかわいいんだろう💕
配信元)




配信元よりいくつか抜粋いたしました。

ままぴよ日記 71 「公園づくりと小児科の役割を考えてみた」

子育て世代が自分の力だけで子育てして疲弊しています。
若者が人知れずヤングケアラーになり、自分の力だけで頑張って未来を削っています。
これらは社会の問題ですが、いつも後回しです。
でも、個人でもできる事があります。
今、目の前にいる人に手を差し伸べるだけでいいのです。

赤ちゃんの今が、幸せでありますように!
子ども達の今が、幸せでありますように!
親が今の幸せを感じられますように!
そして、それが続きますように!
(かんなまま)
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加速度的に減少する子どもの出生数


子どもの出生数は加速度的に減少して2020年は過去最少の87万人でした。政府の将来人口推計では、出生数が80万人台になるのは2030年とされていたのが10年も早まったのです。我が町も10年前は月に50人生まれていた赤ちゃんが30人になってしまいました。若者の人口流出が止まりません。

コロナ禍で結婚の延期、子どもの生み控え、晩婚化、若者の失業、非正規雇用の拡大による格差の固定化などが要因とされていますが、我が町では更に、田舎で若者の働く場所がない、大型店舗も大学もレジャー施設も無い、誘致する企業もお金もない状態です。

その町に小学校が19校。1校当たりの平均児童数は200人を切っています。私達がこの町で開業した当初は40人クラスの3学級が当たり前でした。あの子ども達はどこに行ったのでしょう。みんな他市町村に出て行ってしまいました。現に我が子も1人も残っていません。

Author:奈良泉[CC BY-SA]

我が町の喫緊の課題は大型企業誘致だと政治家は言っていますが、これからはリモートワークの時代です。今更大企業の誘致に大金を使うより、安心して子どもを産み育てられる環境を作り、人の暮らしに重点を置くべきだと思います。

最近の子育て世代へのアンケート結果は惨憺たるもので、自由記述のところに「安心して遊ばせる公園もない」「医療費が高い」「保育料が高い」など書かれていました。私達がソフト面での子育て支援を一生懸命していても、やはり、経済面での支援が目を引いてしまうようです。

公園に関しても、田舎なので自然豊かで子ども達が遊べる場所がありそうで、全くないのです。今や、どんな田舎も車社会で、空き地や田んぼは資材置き場や駐車場になりました。空き家も目立ち、朽ち果てて危険です。

そんな時、市の都市計画課から、公園について意見を聞きたい、という連絡が来ました。さっそく、冒険遊びを一緒にしているママや、子育て広場を利用しているママ、子育て支援者グループの有志を集めて市と話すことにしました。

ずっと後回しになっていた子育て支援事業ですが、最近、市長選があり、何と公約の一番目に「子育て支援の充実」が挙がり、私達が提案して実現してきた産後ケア事業や、新しい子育て広場の建設などが市長の手柄として語られていました。でも、それでOK。実行することに意義があります。子育て支援の大切さに気付き、このまま拍車がかかることを願います。

市民の意識も高まって「子どもを遊ばせる公園がない」と言う声が大きくなってきました。「公園の草刈りだけで精一杯」と言っていた市も、これではいけないと思ったのでしょう。でも、どんな公園が必要か?自分達にはアイデアがない事に気が付いて連絡してくれたようです。


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ままぴよ日記 70 「母が教えてくれた人生の終わりへの覚悟」

今回はままぴよ日記40の続編です。あの時の私は何もわかっていなかった。
(かんなまま)
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実家で1人で暮らす98歳の母


実家のさくらが満開です。
私が小学1年生になる時に母が手植えしたもので、見上げると薄桃色の花が空を覆いつくしています。桜が春の気配を感じて一気に開花する瞬間も好きですが、花びらがまるで雪のように舞う様も好きです。


そこに、98歳になる母が1人で暮らしています。今年は足がふらついて庭に出る事が出来なくなったので、花を手折って花瓶にさしました。次の桜まで生きていてくれるだろうか?と毎年案じていますが、母の命は灯り続けています。それも亡き父を想いながら。

「逝きてなお 家守るごと 表札に 夫(つま)の名前 鮮やかにあり」
(詠み人知らず。広告紙の裏に母が書き留めていたものです)


でも、確実に弱ってきました。家の中で何度も転んで起き上がれなくなりました。隣に住んでいる兄に発見されるまで床に横たわったままで、夜中に倒れて体が冷え切っていた時もありました。そのたびに周りは心配するのですが、母は「このまま死んでも構わないと観念したけど、まだ死ぬなという事ね」とケロッとしています。

ガスの火を消し忘れて鍋を焦がすことも増えました。そのたびに、「もう食事を自分で作るのは止めて」と頼むのですが、「自分の事は自分でする。父の食事の用意をするのは自分の仕事だから」と、頑なです。

そして、毎朝、仏壇に食事を運び、ろうそくの火を付けてお参りをするのが日課です。亡き父と語らえる一番大事な時間なのです。以前は家族中の名前を言って無事も祈ってくれていたようですが、最近は体力がなくなってしまいました。今は父とのおしゃべりも長く続かないので歌を歌ってあげるのだそうです。忙しく働いていた頃は、さっぱり思い出さなかった童謡です。

「問いかけに 応えるごとく ゆらぎいる ローソクの灯は 亡夫のまなざし」(詠み人知らず)


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ままぴよ日記 69 「協調性って何?」

 来年度の子育て広場のシフトを考えるミーティングで1人が「今後、後世の育成のためにも、セミナーの担当者を交代制にしませんか?」と言いました。「色々な事情で休む時もあるから、誰でもできるようになった方がいいね」と流れができました。
 新しい担当者を合意の下で決めたのですが、あるスタッフの顔が曇りました。
 「本当にいいの?無理する必要はないよ」と言っても「いいです」というばかり。でも、他の人は気づいていなかったけど、目に涙が・・・。
 「向き不向きもあるし、苦手な事はしたくないって言える会議にしよう」と、言いました。
 そのスタッフは「嫌だと思う自分がダメだ。頑張らなければみんなに迷惑かける」と思ったらしいのです。
 日本に蔓延している「自分さえ我慢すれば」「自分の本心に蓋をして皆に合わせる」ウイルス感染症です。
(かんなまま)
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主体性と協調性は相反するものじゃない



15年前から月に1回、ママ達と子育てや自分の事を話す「ままぴよ会」を開催しています。

ママ達と「子どもの主体性を大事に育てたいね」と話していたら、あるママが「えっ?でも、主体性を大事にしすぎると、協調性が育ちませんよね」と言いました。こちらの方がびっくりして「どうしてそう思うの?」と聞いたら「例えば、皆が右を向くときは右を向く。自分を捨てて人に協力するのが協調性ですよね。社会で生きていくためには必要なことだし、学校でも協調性のある子に育てましょうって言われます。子どもに「自分勝手な事をしないで合わせなさい」と教えているのに、主体性が大事と言われたらわからなくなります」と、言うのです。


「主体性と協調性は相反するものじゃないと思うよ。主体的に協調するんだよ」と言って、その場で意味を調べました。「協調性とは異なった環境や立場に存する複数の者が互いに助けったり譲り合ったりしながら同じ目標に向かって任務を遂行する素質」とウィキペディアに書いてありました。

「だから右に倣えと従うのではなく、何かを達成するために、お互いに違いを認めた上で主体的に合意形成しながら協力していく事だよ」と言ったら「えーーー!!。勘違いしていました!」とひっくり返りそうになりました。他のママも次々に「私も子どもの頃から誤解していました!」と言い出したので又びっくり。

何という事でしょう!!一斉にみんなと同じことをしながら学ぶ教育の弊害かもしれません。

それは1歳前から預かってくれる保育園から始まっています。園側も集団で預かるので、まとめて保育しないと一日が回りません。一斉に朝のご挨拶をして、皆と同じ遊びをして、トイレに行って、手を洗って、昼ご飯を食べて、歯を磨いて、お昼寝をして、お散歩に行って、絵本を読んで、お迎えを待つ組とバスに乗る組に分かれて帰ります。

保育者は「あ~、今日も無事でよかった」と、滞りなく安全に保育できたことに安堵します。保育園は子どもを見守るところなのです。でも、子どもにとってはどうなのでしょう?

子ども達は無意識のうちに集団に合わせる事を学びます。同じような絵を描きます。真似っこしながら育つ時期なのでいい影響も与えます。「汽車ポッポ~」と、行列してトイレに行き、皆でパンツを脱いでトイレに座る事でトイレトレーニングができます。


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