ままぴよ日記 86 「支援者が垣根を越えて『産後ケア』に取り組む町にしたい」

 今年最後のままぴよ日記です。色々なことがあった2021年。先ずは休むことなく書けたことに感謝です。
 書いた週は少しお気楽気分。何も考えずに目の前の事に専念しています。次の日曜日頃から題材を考え始めます。
 基本、今の関心ごと、実際に自分がしている事になります。そうしなければ一気に書けません。でも、書く事によって今の自分を整理することができます。
 これは私自身にとって、かけがえのない日記になっています。

 今、娘が暮らすボストンではコロナ感染者が過去最大。一日で9042人、この2週間で90%増加だそうです。1月15日から12歳以上はワクチンを打っていないとレストランや室内施設に入れなくなるそうです。3月からは12歳以下もワクチンを打っていないとそうなるとのこと。

 さあ、来年は明るい引きこもりの生活になるかもしれません。その覚悟はしておきたいと思います。
 そのために、今できる事をしようと思っています。子育て支援の仕上げです。そこまでしておけば、あとは素晴らしい子育て仲間が後を継いでくれます。
 嬉しい予感です。
(かんなまま)
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ママの声を聞こうとしないのはなぜだろう?


15年前に子育て支援の仲間と始めた子育て広場。ママ達の現状を知るたびに次から次へと新たな支援の必要性を感じて動いてきました。

行政の窓口は、子育て広場と母子支援は子育て支援課。公園はまちづくり課、都市計画課。子どもの人権は人権同和課。教育は教育委員会。育休は企画課です。やっと話ができたと思ったら担当職員が何度も変わって振出しに戻ります。


市の子育て支援の計画を作る「子ども子育て会議」や男女共同参画会議、教育委員会や市長との懇談会でも積極的に発言してきましたが人の意識を変えるのは難しいし、行動計画に明記しても人の行動は変わらない事を経験してきました。

そして、まだまだ男社会です。男中心の発想で子育て支援や職場復帰が捉えられているのを感じます。


働く女性の「よくばり」ハンドブック。「同僚、周囲、パパへの感謝と配慮を忘れずに」という文字がママ達の胸に突き刺さります。これを作った働き方推進・働く女性応援会議は男性ばかり。ここに現役ママが入っていたらもっと違うものになっていたはずです。

このように、子育て支援と言いながらママの声を聞こうとしないのはなぜだろう?といつも不思議でした。社会は子育てを女性に任せているくせに、その上、女性も働けという。そして、これだけ働く支援をしているのに女性は仕事場に家庭の都合を持ち込むし、配慮が足りない、よくばりだというのでしょうか?

ママは頭も体も、どこからどこまでが仕事、どこからが家庭と子育て・・と分けられません。9時から5時で仕事が終わるのではありません。

いつも子どもの幸せを願っている、いい親になりたい。でも、なぜ私だけが子どもの世話をするの?パパも同じ親でしょう?復帰後も子どもを預けて働く厳しさ、子どもの病気などで休むと同僚からは迷惑だ、わがままだという目で見られる。男と女、同じ教育を受けて、頑張って就職したのに・・・。つい子どもにあたってしまうのは私自身がダメ親だから?などの葛藤で悩んでいるのです。

先日、NHKで「ママにならない事にしました~韓国ソウル出生率0.64の衝撃」という番組がありました。これを見る限り、韓国は日本より深刻です。男性中心の競争社会のシステムが変わらない限り、子どもを産んだら負け組になる、生まれた子どもも競争社会で苦労すると思って子どもを産まない女性が増えているようです。



公務員も先生も心の病でやめる人が多い


さて、行政職員や先生などの公務員は公の仕事を遂行するために働いています。地方公務員法31条で「私は、国民全体の奉仕者として公共の利益のために勤務すべき責務を深く自覚し、日本国憲法を遵守し、並びに法令及び上司の職務上の命令に従い、普遍不党かつ公正に職務の遂行に当たることをかたく誓います」と宣誓させられるのです。

そして、人件費を削るために正職員が激減しています。今や会計年度任用職員ばかりで週に3日か4日の契約勤務体制です。

学校の先生も宣誓させられます。今は管理職の先生が50代。40代の先生がほとんどいなくて20代の先生が大半です。それも教員免許は持っているけど採用試験に合格していない講師が増えました。非正規雇用で1年契約です。大学を出たばかりの先生が担任をしています。


どちらも慣れあいにならないように異動がありますが、相手の実態を知らないで、よく仕事ができるなあと思います。公務員も先生もお国のために仕事をしているのでしょう。だから、それが結果的に間違っていたとしても責任を取らなくていいのです。

でも、なぜかストレスは溜まる一方で、公務員も先生も心の病でやめる人が多くなりました。身・口・意が一致しないで、仕事にやりがいを感じなくなっているのでしょうか?ライフワークがライスワーク(食べるために働く)になっています。

まさに全体主義の社会です。コロナワクチン政策も、戦争も然りです。


無我夢中の20年間


そんな世界に直球で物を言う素人の私。同じ土俵で話していないので伝わらないのは当たり前。「子どもの事をそこまで考えてくださって頭が下がります。市民がそんな方ばかりだといいのですが」「気持ちは一緒です」と言いながら却下です。

決して打たれ強いわけではありません。1つ1つ、言うのに勇気が要ります。最初に電話をする時など一生懸命に言い方を考えます。そして祈ります。

もの言うには現場を知るだけでなく勉強しなければいけません。行政の立場もわきまえます。相手の体癖もみます。自分の体癖もわかった上で、本気で本心を話します。めげないのは自分に正直だからだと思います。作った言葉や借りてきた言葉で話していたら疲れ果ててしまいますし、自分が嫌になります。

そこまでして、叶わないなら納得するし、時を待ちます。そして私に嘘はないか?おごりはないか?何より愛があるか?と問います。だから基本的な思いは揺らぎません。

その繰り返しで20年。まだやり続けています。でも、振り返れば願ったとおりの事が実現し始めています。

当初、夢物語だった子育て広場ができました。その広場が老朽化したので、議会で福祉施設の一室に移転することになった時も、ママや子育て支援の仲間と子育ての現状をわかってもらうために何度も話しに行きました。

初めは子育て広場がどこにあるのかも知らなかった市会議員さん達。財政難だから新築はもってのほかと反対していたのですが、子育て広場内で話し合いを重ねるうちに孫のような子ども達と触れ合い、応援してくれるようになりました。

建物の設計も庭も、現場にいる私達の意見を全面的に取り入れてくれました。この広場は市の委託を受けて社会福祉協議会が管理していましたが、議員さん達が私達の仕事を理解してくれて市の直営になるように働きかけてくれました。

これで、市と社協の2か所の縛りを受けることなく、自分達のやりたいことができるようになりました。発達に不安のある子どもの家庭支援と産後の家事支援もしたいと思っていましたが、そのファミリーサポートセンターも子育て広場に入ることになったので、私達に任されることになりました。家事支援のスタッフも適任者がいます。必要に迫られて発達障害の勉強会をしていましたが、それも役に立ちそうです。


一方で、ママ達のために子育てセミナーをしながら行政も巻き込んだのが功を奏したようです。初めは20分しか参加できないと言っていた市の保健師さんも、いつの間にか準備の段階から反省会まで居てくれるようになりました。現場を知る事の大事さをわかってくれたようです。そして、ママ達のために仕事しているという共通の喜びも生まれてきました。

月に一度の産後サポートを始める時も市内の小児科医と助産師と話し合いや勉強会を重ねてきました。市の職員とも何度も話し合いました。そして、私達の熱意が伝わり、市の事業になりました。

そんな時、市長も産後ケアに力を入れると言ってくれるようになり、いよいよ、11月から本格的な産後ケアが始まりました。

内容は産婦人科と助産師が市と契約をして、「お母さんの心と体の休息」「授乳の相談や指導」「育児に関する相談や指導」「赤ちゃんの発育相談」をする事業です。そのいきさつは「ままぴよ日記81」詳しく書きました。

でも、現実は形だけ整えた産後ケアでした。請け負うはずの産科は個人病院です。お産やスタッフの都合によって断る事もあります。母乳支援の仕方も産科医や助産師によってバラバラです。

その上、実際に始めてみると誰も利用しません。

理由をママ達に聞くと「どの程度で頼っていいのかわからない」「利用したら問題のあるお母さんとしてブラックリストに入れられる」という気持ちになるそうです。比較されるのが怖い、自分の至らなさを知られたくないという心理も働きます。

この状態では産後ケアができません。行政も、産院も形だけ整えて実態と問題点を知ろうとしていません。早いうちに、契約した産院、助産師と周りの小児科医、子育て支援者が連携して母子を支える必要があると思いました。コロナも下火です。会って話し合うなら今です!

先ず、超多忙の産婦人科の先生に声をかけて日程を調整しました。先生は、昔からある病院を看護師ごと引き継いだので助産師や看護師がどのような母乳指導をしているのかご存じないようでした。


産後ケアの契約は結んだものの、まだ職員にも話していなかったようです。助産師さんも、志はあるけれど関わる時間がない、先輩助産師のやり方に意見を言えない、というジレンマに陥っているのがわかりました。

これは個人病院の問題で私達が口を出す事ではありません。でも市の産後ケアの視点で見れば、どこに行っても暖かく受け入れられる、質の高い支援が受けられる、必要があれば次の支援に繋いでくれる体制を作りたいのです。

みんなの垣根を取るチャンスです。同じ病院のドクターと助産師さんも上下関係を越えて共通の目的のために話せるようになるでしょうか?目指すは母子の幸せ。そのための全市で取り組む産後ケアです。それに取り組んでいれば結果的に院内の問題も解決していくかもしれません。

近隣の助産師さんも全員参加してくれました。お産を辞めた別の産院の先生と助産師さんも参加。行政の参加もお願いしたいと電話したら、「皆さんがそこまでしていただけるのはありがたいです」と言いながら快諾してくれました。

話せばわかる。問題があればみんなで知恵を出す。これは自分達の仕事に誇りを持つ事にもつながります。嬉しい事に先生も助産師さんもお母さんたちのために貢献したいと思ってくださっているようでした。

院長先生が聞いているにもかかわらず、勇気をもって「お産が忙しすぎて、母乳指導ができていないのが辛いです。仕方ないからミルクを足して考えないことにしていました」と話してくれた助産師さん。


院長先生が頷いて聞いてくれました。忙しすぎて空回りをしていた助産師さんの顔に笑顔が出ました。それをドクターが見て「今から何ができるかみんなで考えたい。この町で産んでよかった!この町で育ててよかった!と思える町にしたい」と言ってくれました。

別の産科の先生は「お産は辞めたけど、娘がお産して里帰りをしています。こんなに子育てが大変だと初めて知りました。今まで産婦人科をしていたのに何も知りませんでした。これからは産後ケアで役に立ちたい」

ある開業助産師さんも「軽い気持ちで契約したけれど、皆さんの熱い想いに触れ、感動で胸が熱くなりました。私も微力ながら役に立ちたいです」と言ってくれました。

無我夢中の20年間でしたが、ここまでの人間関係を作ってきてよかったと思いました。

話し合いの結果、ママ達の現状理解と母乳支援に関する共通認識をするために、次回は小児科医から赤ちゃんの立場での母乳の重要性をレクチャーすることになりました。是非、母乳育児支援をしたいと思います。

このように、ドクターは妊娠期の母体や目の前のお産については詳しいけれど、そのママ達がどんな生活をしているのか知らないのです。それは小児科医も然りです。

行政も市民の暮らしを知らない。学校の先生も子どもの暮らしを知らない。政治家は庶民の暮らしを知りません。

そこに暮らし感覚と愛を吹き込みたいと思います。本当の自分の仕事は何なのか?子どもが幸せに生きるためにはお上の都合なんて関係ないのです。



Writer

かんなまま様プロフィール

かんなまま

男女女男の4人の子育てを終わり、そのうち3人が海外で暮らしている。孫は9人。
今は夫と愛犬とで静かに暮らしているが週末に孫が遊びに来る+義理母の介護の日々。
仕事は目の前の暮らし全て。でも、いつの間にか専業主婦のキャリアを活かしてベビーマッサージを教えたり、子育て支援をしたり、学校や行政の子育てや教育施策に参画するようになった。

趣味は夫曰く「備蓄とマントラ」(笑)
体癖 2-5
月のヴァータ
年を重ねて人生一巡りを過ぎてしまった。
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