アーカイブ: かんなまま

かんなままの「ぴ・よ・こ・とライフ」(29)親の覚悟

かんなままさんの執筆記事第29弾です。 
————————————————————————
親の覚悟
 「どうすれば楽しく子育てができますか?」と質問を受けることがあります。間違えてはいけません。子育ては楽しいものではないのです。
このような言葉からわかることは、最初から心が半分逃げているのです。
子育ては遊びではありません。その大変な事を自分の義務として自ら引き受け、真剣にやるのです。すると、ものすごく実りが多く、子育てが苦痛でなくなってきます。そのうち喜びが得られるようになります。すると、早くそこから解放されるというものなのです。
引き受けなければならない義務であれば、真剣に取り組み、専心することがコツです

出典:「ぴ・よ・こ・と2」竹下雅敏(著)



ママ達の子育て観の変化


子育て広場で親子の様子を見る機会が多いのですが、最近、ママ達の子育て観が変化していることを痛感します。

毎日のように子育て広場に来るAさんは、家に子どもと2人でいたら怒ってばかりなので、なるべく子育て広場で過ごすようにしています。でも、早く行こうと思うけど昼過ぎになってしまいます。「朝は洗濯、掃除など忙しいよね」というと、「いえ、テレビをつけていたらダラダラ見てしまうんです」とのこと。パパもゲーム漬けで、この習慣はなかなかやめる事ができません。その間、子どもはほっておかれます。

Bさんの声がガラガラです。どうしたの?と聞くと「又、旦那とケンカして声が出なくなった」とのこと。聞けば旦那さんの試験が近づいて「邪魔だから、子どもを連れて実家に帰れ」と言われたけど、実家との仲があまり良くないママは行くところがありません。「試験に通らないのを私たちのせいにしている。もともと能力がないくせに」など、子どもの前でけなし合う毎日だとか。子どもは不安そうにおどおどしています。

Cさんは、広場に来ても他のママとおしゃべりばかりして自分の子どもを見ていません。他のママが「うちの子、ご飯を食べる時にうろうろして困っているけど、どうしてる?」と聞いたら「ほっとくよ~」と答えています。「あっそうなの?それでいいんだあ~」とお互い意気投合したようです。

他のママ達も「私はめんどくさがりなんです。いろいろ悩まないことにしています。この前、子どもがおっぱいを噛んだので、嫌なんだと思って断乳しました」「ネットで子連れのお出かけ情報を調べて、どこにでも出かけて行くんですよ~」「早く子育てが終わって、旦那と昔のように旅行するのが夢です」「子連れで行けるレストランは?温泉は?居酒屋は?」などの情報が飛び交います。

pixabay [CC0]



子育ては一過性のものではなく、親の義務


もしかしたら、子育ては親の義務ではなく、一過性のものと思っているのかもしれません。いつまでこんな子育てが続くのか?早く本来の自分に戻りたい・・・と。自己実現を目標にして育ってきたママ達世代。待望の子どもが生まれて子育てを始めたけれど、現実は想定外の自己犠牲ばかり。

親子で付き合えるママ友はいないし、自分から友達を作るのは苦手。外で仕事している人は有意義な時間を過ごしていると思うと、今の自分がますます情けなくなります。以前のように働いて、有能感を味わいたい。現実お金も必要だし、社会も人材を求めている。早く子どもを預けて自分を取り戻したい!と思ってしまいます。

そして、ほとんどが半年、1年未満で仕事復帰していきます。
それでうまくいくのならいいのですが・・・。

残念ながら、問題を先送りにして、行き当たりばったりの子育て、目の前のストレスで子どもを叱り、お互いの気持ちが遠くなり、解決法もわからず迷宮入りしている家族が増えているように思います。結果的にもっと苦しくなるのです。

要するに、子育ての海で、荒波を被り、風を読みながら生身で航海していくのではなく、レジャー付きの高速船で駆け抜けようとしているのです。「子育てで人が育つ」という神髄を忘れた経済中心の社会はあの手この手で高速船を提供してくれます。親も自分が引き受けなければならない義務という意識が薄れているのです。

» 続きはこちらから

かんなままの「ぴ・よ・こ・とライフ」(28)本当は反抗期はない 赤ちゃん編

かんなままさんの執筆記事第28弾です。 
————————————————————————
本当は反抗期はない 赤ちゃん編
子どものやっていることをよく見ていて、それがとても面白いこと、素晴らしいことだと分かると、本当に楽しいのです。
いたる所によろこびがあるのに、自らそれを放棄する生き方をする人が多いですね。もったいないと思います。
よく観察をして、子どものいいところを見つけ、認めて育てていくと何も問題がないのです。

出典:「ぴ・よ・こ・と」竹下雅敏(著)


子供を預けることに悩むママ


毎月、自宅でベビーマッサージ教室をしています。予約なしで、誰が来るのかもわからないゆる~い会です。

その日は、大雨で2組の親子だけでした。どちらも初対面。10ヶ月の男の子と女の子です。女の子のママが来月から仕事復帰で悩んでいました。その話をするともう涙ぐんでいます。保育園も決まり、職場にも挨拶に行き、準備は整ってきましたが、当の自分の気持ちが揺れに揺れているのです。

経験者のママや保育園の先生に相談すればするほど、「はじめは泣くけど慣れるよ」「子どもにとっても、ママと2人だけより、いろいろな刺激があっていいよ」「歌や踊りも教えてもらえるし、友達にもまれて逞しくなるよ」と励まされます。

そのたびに「この子のためにも預けた方がいい」と、自分に言い聞かせます。パートナーからも「協力するし、経済的にも働きに行ってくれた方が助かる」と言われたそうです。

ほぼ、決定打です。でも、まだ悩んでいます。赤ちゃんの寝顔を見たら涙が止まりません。決めかねて「赤ちゃんにとってはどちらがいいんですか?」と、まっすぐな気持ちで聞いてきました。

pixabay[CC0]

「赤ちゃんにとっては、ママが1番」「この時期は特に、生きるための基盤となる愛着形成の大事な時よ」「ママが傍にいることがわかっているから安心して成長し、自由に遊べるのよ」と言いました。

見ると、10ヶ月の2人はママの傍でお座りをしていましたが、女の子の方が相手の存在に気がついたようでハイハイして近づいて行きました。いきなり目を触ろうとしました。全く悪気はないのですが、ちょっと乱暴です。もう1人の赤ちゃんはまだ腹ばいになって後ろにしか動けないようです。

今のママ達は、他の親子と遊ぶ機会がないので、こういう場面でとても気を使います。子どもの好奇心を切り捨て、ごめんを連発して、疲れて、出かけるのが億劫になります。そして、子育ての全てを1人で抱え込んでストレスを貯めるのです。これでは早く預けて自分の時間が欲しくなるのも頷けます。


赤ちゃんの成長は目に見えません


さて、ままごとのおもちゃを出したら、活発な女の子が反応して、お皿にスプーンを持って行き、混ぜ混ぜし始めました。ママの行動をしっかり見ているようです。男の子は興味なし。そのママは「うちの子、何をするのも遅いんです。食べることにも興味がないし、ハイハイもしません。大丈夫でしょうか?」と、心配顔です。でも、私がお皿をスプーンでたたくと何と真似し始めました。上手に叩きました。ママがびっくり!今度は少し先に置いているチェーンが欲しくてグッと足で床をけって取りに行きました。前に進んだのです!ママは又\(◎o◎)/!!

何てことありません、興味と、体の機能が一致して取りに行っただけです。赤ちゃんのやる気が1番。それは、いつスイッチが入るのかわからないものです。タイミングが合えば一気にできるようになります。でも、飽きたらすぐにママの所に戻ってきます。「赤ちゃんにとって積み木は壊すものだよ」と言って積み始めたら、男の子がおっぱいをぷいっと捨て、積み木を壊しにやって来ました。その嬉しそうな顔!

赤ちゃんの成長は目に見えません。その子なりのペースがあります。焦らず、子どもの個性豊かな自発のタイミングを待つしかありません。そして、常識なんて通用しない、自由な発想の持ち主ということも知っておく必要があります。そもそも、スプーンは食べる道具なんて思っていないかも。

そんな時期に、園で決められたカリキュラムに沿って絵を描いては止め、歌っては止め、トイレまで集団で行き、給食を食べ、昼寝をする…という時間割は、目に見えて有意義そうだけど、赤ちゃんの好奇心を否定し、個性をつぶしてしまいます。自分の感覚で動くのではなく、集団行動に従っているだけです。

赤ちゃんをよく観察してください。その真似る力、察する力、獲得していく能力に感動します。ママが傍にいるだけで安心してその能力を発揮するのです。成長も健やかで、免疫力も付き、病気もしません。何より、これからの人生の基盤になる愛情が満たされ、自然に自立していくことが出来るのです。

この真理を知ったら、ほとんどのママ達は赤ちゃんの傍にいることこそが自分の大切な仕事なのだと気がつくでしょう。今は、世間の常識に囚われて、自らそれを放棄する生き方を選んでしまっているのです。

pixabay[CC0]

人は悲しいかな、預けて働き始めたら、その正当性を求めて、その情報だけを取り込みます。保育園の先生も預かるメリットを強調します。当たり前の心理です。でもそうなれば子どもの本心を無視して政策が進みます。子どもは今も昔も自己主張しません。母親は直感で子どもの気持ちがわかるので苦しみます。そして結局、誰も子どもの育ちの責任をとってくれません。

さて、迷っていたママが「私がこの事で悩んでいるのがわかるのか、最近、私の姿が見えないと泣きながら追いかけて来るようになったんです」と子どもをギュッと抱きしめながら「子どもを預けてまで働くような仕事ではないと思いました」「会社に相談すれば育休を伸ばしてもらえるかもしれない」「夫と、もう1度話し合います」と、言いだしました。

更に「仕事をしないという選択肢もあるんですね」と、ママの表情がどんどん明るくなって行きました。今はこの当たり前の選択ができなくなっているのです。家にいたら働いていないという社会への罪悪感、働き始めたら子どもに対して罪悪感にさいなまれるかわいそうなママ達。実は人間にとって、目に見えないものの方が重要で、良い悪い、有益無益の2元論ではなく、何もしていないように見える時ほど豊かな時間なのだと伝えたいのです。…それが今なのです。

Writer

かんなまま様プロフィール

かんなまま

男女女男の4人の子育てを終わり、そのうち3人が海外で暮らしている。孫は9人。
今は夫と愛犬とで静かに暮らしているが週末に孫が遊びに来る+義理母の介護の日々。
仕事は目の前の暮らし全て。でも、いつの間にか専業主婦のキャリアを活かしてベビーマッサージを教えたり、子育て支援をしたり、学校や行政の子育てや教育施策に参画するようになった。

趣味は夫曰く「備蓄とマントラ」(笑)
体癖 2-5
月のヴァータ
年を重ねて人生一巡りを過ぎてしまった。
かんなままの子育て万華鏡はこちら


かんなままの「ぴ・よ・こ・とライフ」(27)本当は反抗期はない

かんなままさんの執筆記事第27弾です。 
————————————————————————
本当は反抗期はない
 子どものやっていることをよく見ていて、それがとても面白いこと、素晴らしいことだと分かると、本当に楽しいのです。
 いたる所によろこびがあるのに、自らそれを放棄する生き方をする人が多いですね。もったいないと思います。
 よく観察をして、子どものいいところを見つけ、認めて育てていくと何も問題がないのです

出典:「ぴ・よ・こ・と3」竹下雅敏(著)



幼稚園の運動会の日の出来事


先日、孫の運動会がありました。幼稚園の年少組です。捻じれのかわいい孫は、本当は歌や踊りが好きなくせに、大好きなママやパパが見ていると目をそらし、笑いもしないでつまらなそうに踊ります。予想通りの展開で笑ってしまいました。

ママは朝早くからお弁当を作り、パパも朝方から場所を確保。まだ1歳のチョロチョロさんを連れて定刻に行くのも大変です。小学1年生のお兄ちゃんも急かされてついて行きました。自分が通った幼稚園ではないのでテンションが上がりません。ほかの人のテリトリーに侵入した気分です。園庭は写真を撮るのに夢中になっている保護者で溢れ、座る場所は畳一畳くらいしかありません。それでも木陰が多かったのでホッとしました。

そんな場所で1年生のお兄ちゃんは退屈でたまりません。することがないので足元の土で遊び始めました。でも、みんなが通るところなので、早速パパから怒られました。もうすっかりいじけてしまいました。
お兄ちゃんの立場になってみると、「つまらなあーーーい!」の一言です。これで1日中じっとしていなければいけないのですから。

pixabay [CC0]


1年生のお兄ちゃんの本当の喜び


「さあ!冒険の旅に出ようぜ!」と誘いました。「?」としながらも私についてきました。「ねえ、今日は運動会だから、その邪魔はしちゃいけないよね。でも、きっとおもしろいところがあるよ!」と言って探したのですが、落ち葉、木の実、石ころ1つ落ちていません。きっとこの日のためにお掃除したのでしょう。「砂遊びする?」「怒られたもん」「皆の通らないところなら大丈夫だよ」と言って砂を集めることにしました。幸い道具置き場の小屋の隅が空いています。クツで砂を掃きよせて集めました。

もうその頃から孫の目がキラリン!と光って「山つくる!トンネル掘れるかなあ?」とやる気が出てきました。まず、山を作りました。でもサラサラでトンネルを掘れません。「どうしたら掘れるかなあ?」すかさず私は「雨だあ~!」と言ってペットボトルの水を降らせました。そのことに気づいた孫は自分で水を汲んできて、土を固めて慎重に両側から手で掘っていきました。崩れたりしながらも貫通しました!その手で鼻水も拭いたので顔まで泥だらけです。でも嬉しそうな顔!

それを見ていたヒマな子たちが集まってきて、砂を集め思い思いに何かを作り始めました。
その一角は砂のアート展みたいでした。でも、一向に固まらないのでイライラしたお兄ちゃんたちが孫の所にやってきて「なんでお前だけ作れるんだよ。できるわけねえじゃん!」と腕を組んで威嚇してきました。ああイライラエネルギーをぶつけて来たなと思いました。それが子どもの世界です。孫は下を向いて無心に作っています。

エネルギーを切り替えるために「あのさ、考えて御覧、雨が降ったらどうなる?」と言いました。すると、ハッとしたようで走って水場に行きました。嬉しそうに隣で作り始めました。山城に堀まで作っていました。見ると泥団子を作っている子もいます。全然知らない子同士で「あ!いいこと思いついた!」「踏まれないようにこっちに持って行こう」「こうしたらいいんじゃない?」など、いつの間にか子ども達の遊び場になっていました。

今度は孫がどこからか幅のあるゴムを拾ってきました。それで砂を引っぱってゴールさせる遊びを始めました。アリの巣はちゃんと避けてルートを作っていました。それが飽きたらゴム鉄砲です。1回して見せただけでマスターしました。道具小屋の金網にはっぱを入れて当てるゲームが始まりました。なかなかうまいもんです。そのゴムは宝物になって、孫のポケットにしまわれました。

とうとう運動会が終わるまで夢中で遊んでいました。仲間もできました。運動場の片隅で泥団子が山のようにできていました。女の子たちが並べたのです。そのまわりにはゲームしている子はいませんでした。でも、汚いからやめさせようと子どもを引っ張っていく大人は何人もいました。

pixabay [CC0]


» 続きはこちらから

かんなままの「ぴ・よ・こ・とライフ」(26)子育て

かんなままさんの執筆記事第26弾です。 
————————————————————————
子育て
 子育てを本気でやろうと思ったら、徹底的に全身でぶつかるしか方法がありません。片手間に等できません。子育ては二足のわらじは履けません。全身全霊でないと出来ないのです。そうしてはじめて、潜在意識、無意識のレベルから取り組めるのです。そういうものなのです。

出典:「ぴ・よ・こ・と3」竹下雅敏(著)


娘は小児科医〜待望の赤ちゃんTちゃんに起こった悲劇


ずっと気になっていることがありました。孫のTちゃんの事です。
娘の最初の子で、待望の赤ちゃんでした。離れて暮らしていたのでなかなか会いに行けませんでしたが、娘は4人兄弟の中で育ち、小児科医でもあるので子育ての勘が備わっていました。上手に赤ちゃんを感じとり、大切に育てていました。

pixabay[CC0]


Tちゃんは母乳だけで丸々太り、誰に対しても笑いかけてご機嫌でした。泣くという事はあまりなかったように思います。病気もせず、発達も順調で、安心しきっていました。

ところが、1歳のお誕生日の日に、悲劇がやって来ました。
育休は1年。誕生日の日から職場復帰なのです。私も気になっていたので慣れるまで見届けたいと思って、しばらく娘の所に滞在することにしました。慣らし保育というのがあります。娘は仕事復帰したのですが、私が世話をするという事で、保育園の慣らし期間を長くしてもらいました。

まずは2時間、私と一緒に登園して過ごします。まわりの事に興味津々で、お友だちと一緒に何でもやってみます。お歌も、手遊びもまねて楽しそうです。

勤務している病院の院内保育なので、授乳しに行くこともできます。園舎は木造で古いけど、暖かな感じで、優しい色で統一され、小部屋がたくさんあって、担当の先生が少人数で対応しておりました。おもちゃも吟味され、わらべうたを歌いながらの保育でした。慣れている子は楽しそうに過ごしています。木陰があり、外遊びもできそうです。とても質のいい保育園だと思いました。少し安心しました。

でも、次は3時間1人で過ごすことになりました。朝は、きょとんとしていながらもバイバイができました。私も3時間の辛抱です。はやる気持ちを抑えて迎えに行くと、案の定、先生からおんぶされて泣いていました。

やっぱりです。当たり前です。
切なくて、どうにかできないものか・・・知恵はないか、考えました。でも、子育て万華鏡にも書いたように、職場復帰が条件の勤務体制でしたのでどうにもなりませんでした。私がお世話してあげたいのですが、遠いので叶いません。パートナーは別の遠い病院に勤務です。娘1人で頑張るしかありません。作り置きしたおかずをぎっしり冷蔵庫に入れて、後ろ髪を引かれるような気持ちで帰りました。

それから、孫はどんなに泣いても朝8時から夕方5時まで保育園です。毎日泣いて、先生におんぶされて過ごし、娘が迎えに行っては更に泣き、家に帰ってもおっぱいにしがみついて家事もできないという日々でした。土日はご機嫌ですが、又月曜日が始まると泣く。とうとう病気ばかりするようになり、何度肺炎になって入院したことでしょう!

やっと契約の1年が過ぎ、娘達は意を決して我が家の近くの病院に勤務を変えました。今度は夫婦一緒です。でも、専門医になる試験があるので、Tちゃんは別の保育園に預けられました。無事に合格。その直後に2人目を生み、Tちゃんも保育園を辞めました。それからはずっと専業主婦です。3人目が生まれ、来年は下の子も幼稚園に入りますが、まだ子育てに専念したいとのことで復帰の予定はありません。

» 続きはこちらから

かんなままの「ぴ・よ・こ・とライフ」(25)欲望を持たない

かんなままさんの執筆記事第25弾です。 
————————————————————————
欲望を持たない
 なぜ人間が注意深くないのかと言えば、自分の世界に埋没してしまって、ずっと考え事をしているからです。
なぜいつも考え事をしているかというと、欲があるからです。男性ならば、経営や営業の事ばかり考えています。風呂に入っても仕事の事を考えています。四六時中、様々な事を考え、ずっと白昼夢を描いている状態で、周りのものに注意深くあれ、というのは無理なのです。
猫を見ていてごらんなさい。彼らは考え事をしていません。それが注意深いという事なのです。なぜ考え事をしていないのか。なぜ世界に正しく向き合えるのか。それは、欲望がないからなのです

出典:「ぴ・よ・こ・と3」竹下雅敏(著)


子育てセミナーでの重要課題「夫との気持ちのすれ違い」〜ママの言い分、夫の言い分


今、子育てセミナーの真最中です。3ヶ月から中学生までの子どもがいる母親同士で毎回テーマを決めて8週間、自分を振り返ります。その中でよく出るテーマが「子どもの躾」と「夫との気持ちのすれ違い」です。

何が問題なのかと聞くと「自分の事は後回しにして、朝から晩まで家族のために家事や子育てを頑張っているのに、子どもは言うこと聞かないし、夫は自分の事ばかりで、わかってくれない」というのです。

その上、もうすぐ職場復帰で、自分の仕事と子育てを両立できるか不安なのに夫は話しも聞いてくれない。協力してくれるのか?今のままだったら任せられません。ママがイライラしているのを見て「生理前?怖いなあ~」なんて子どもに聞こえるように言う!毎日1人で考えて孤軍奮闘しているのを知らないくせに!

それでも、たまに手伝ってくれるのですが、自分ほど子どもに配慮してくれないのでイラッとします。なのに「俺ほど手伝う旦那はいないよ」などと言うのです。「私の身になって言えよ!」と心の中で叫び、「ありがとう」と出かかった言葉を削除します。「もう絶対、私を触らせない!」

pixabay[CC0]


一方、夫は働き盛り。家族を経済的に支える責任が重くのしかかっています。これまた自分を犠牲にして嫌な仕事も頑張っています。体はクタクタ、頭はパンパンです。それなのに帰宅したら、いきなり妻のイライラした声。その上、今日1日いかに大変だったかという話を聞かなければいけません。「わかっているよ、でも、俺も会社でどんなに頑張ったかわかるか?」と心の中で叫びます。気持ちを切り替えるためにも、ストレス解消のゲームに没頭したくなります。「怒って不感症の女よりこっちの方がまし!」

ああ・・・、結局、お互い家族のために頑張っているのに、ちっとも幸せではありません。


いつまでたってもうまくいかない理由〜エネルギーの分断はなぜ起こる?


そんなママ達に「猫のように注意深くありなさい。自分の世界に没頭しているから夫や子どもの事が見えなくなっているのよ。それは自分の欲に囚われているからよ」と言ったらどうでしょう?
ひっくり返るくらいびっくりすると思います。猫って何にもしてないじゃん!一緒にしないで!・・・と。

でも、残念ながらそうなのです。ママ達を抱きしめながら「実は大きな勘違いをしているのよ、だからいつまでたってもうまくいかないのよ」と言ってあげたいのです。

どの親も子どもの幸せを願っています。でも、大切なはずの子どもの存在を独立した1人の人間として尊重しているでしょうか?大人の生活リズムとは根本的に違う、子どもの時間を保証しているでしょうか?安心して守られて、愛され、無心で遊んで、チャレンジして、この世に生まれた喜びを味あわせているでしょうか?

子どもを注意深く見るという事は、社会の基準で子どもを見るのではなく、何も囚われずに子どものありのままの姿を感じとるという事だと思います。

もちろん私達は時間に縛られた生活をしています。仕事もあります。一日中その子に張り付いている事はできません。でも、私達は不思議なセンサーを持っていて、「私は子どもの存在そのものと対話したい」と意識してセンサーをオンにすれば自然にエネルギーが子どもに向き始め、同調し、何かあった時にキャッチできるようになるのです。

逆に自分の子どもを世間の価値観で比較、評価して、それに向かって躾し始めたら、真の子どもが見えなくなってしまいます。子どもに対しても自分に対してもエネルギーの分断がおこります。迷ってばかり、叱ってばかりで、ただの自己犠牲になってしまいます。これでは幸せになるはずがありません。

でも、「好き勝手にさせていたら我儘な子になるのでは?」「教えないといつまでたってもできないのでは?」と反論が聞こえてきそうです。

きっと大丈夫です。人は生まれながらに、愛される、食べる、排泄する、学ぶ、遊ぶことに喜びを感じるようにできているのです。親から尊重され、見守られ、自由で、必要な時に応えてもらえた子は、たぶん、愛されていることしか知りません。心配事も欲もない子は自己主張する必要もなく、囚われていないので、真実を感じとるセンサーを持っていると思います。

pixabay[CC0]


» 続きはこちらから