かんなままさんの執筆記事第32弾です。
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かんなままの「ぴ・よ・こ・とライフ」(32)遊び
子どもの時に十分遊ばせて育てると、才能が子どもの内側から自然に開花します。
ただの遊びにはとどまらないものになり、それを人々は素晴らしいと喜んでくれるのです。
それがいわゆるアート・芸術・文化と言われるものです。その基礎は遊びにあるのです。
ただの遊びにはとどまらないものになり、それを人々は素晴らしいと喜んでくれるのです。
それがいわゆるアート・芸術・文化と言われるものです。その基礎は遊びにあるのです。
出典:「ぴ・よ・こ・と2」竹下雅敏(著)
子どもの遊びが保障されていない時代
もしもこの世に「大人の都合のネバならない」がなかったら、どれだけの子が自由に遊べて、自分達で秩序を生みだし、それぞれの花を開花させることができるのでしょう。
今はそのことを想像できないくらい子どもの遊びが保障されていません。その人的損失は計り知れないものがあります。外で遊ぶ事が好きな子、家の中で絵を描いたり、粘土を作るのが好きな子、空想にふけるのが好きな子、じっくり同じことを極める子・・・思う存分させてあげたいものです。そこから独自の何かが生まれてくるのです。
私達が小さい頃は、子どもだけの時間が有り余るほどありました。おけいこ事はありません。自然豊かな環境の中で日が暮れるまで遊んでいました。親の監視もありません。おなかがすいたら・・日が暮れたら・・カラスが啼いたら・・帰ろうと、自分の時間がありました。
季節も体感して四季折々の遊び、移りゆく草や水の匂いも体に刻み込まれています。雪の結晶!雨の日のくもの巣!蝉の羽化!カマキリの赤ちゃんの生まれる瞬間に遭遇して何時間も見入っていました。ある時期は水晶の入った石を探し、夜空の天の河を眺めては宇宙に思いを馳せ・・・。
そして、誰から教えられるのではなく、体幹や感受性が育っているので絵や音楽、ダンスなどの数少ない文化的刺激でも敏感に感じ取り、憧れ、見よう見まねで絵を描き、踊ったり歌ったりしていました。
夏は暑くて蚊がいるので蚊帳をつるして寝ます。朝の目覚めが気持ちよくて蚊帳の中でいろいろ想像して遊んでいました。麻の蚊帳はきっと心地よかったと思います。
子ども達に返してあげたい!〜神様の領域の遊び場
本当に豊かな子ども時代でした。どんな英才塾でも親でも与えるこのできないスケールの大きい神様の領域の遊び場がありました。今の子ども達にその時間を返してあげたい!というのが私たち夫婦のささやかな願いです。
日常でそんな豊かな環境と時間を作ってあげたいのですが、叶わないので年に一度、仲間達と思いっきり遊べる冒険遊び場を作っています。11年目ですが今年もやりました。毎年10月最終日曜日です。今年は市のお祭りと重なってしまい、○○レンジャーと掴み取り大会に子ども達をごっそり持って行かれそうでしたが相手にしません。子ども達は本物がわかります。でも、想定外の台風!警報まで出ました。お祭りは用心のために中止になりました。
私達の広場は当日が雨の時は翌週というのが決まり事ですが周知徹底しているわけではありません。もしも遊びに来る子ども達が居たらかわいそうだから会場で待機していました。すると・・・来るは来るわ・・・雨の中、小さな子ども達が長靴をはいて防寒着を着て、ママ達も毛布や着替えまで持って集まってきました。
遊びはいつでもどんな条件の時でも生まれます。むしろ本領発揮です。まず火を起こして暖を取れるようにしました。しいの実が落ちていたので拾って食べたり、竹でご飯を炊きバウムクーヘンやリンゴを焼いたり、スープを作りました。お箸もカップもないから各自、鋸や肥後の守を使って竹で作りました。どんぐりゴマ、竹鉄砲、竹トンボなども作りました。雨がすっかり上がったのでますます子どもたちがやってきて、木に登ったり水たまりで遊んだり、水鉄砲を作って水の中へ!唇が紫になるまで遊んでいました。「又来週、絶対に来るからね!」と堅い約束をして帰っていきました。
心地よい疲れでした。
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