Wikipediaより「城南信用金庫」

信金業界での貢献および現在の経営

設立以来、2001年に京都中央信用金庫が合併して誕生するまで、信用金庫業界内で預金量、貸出金量とも1位を継続。2007年12月現在は預金量、貸出金量とも2位。

初代理事長は代田朝義(元六郷信用組合長:後に大田区長となる)、2代目理事長は酒井熊次郎(元入新井信用組合長:初代全国信用協同組合連合会(現信金中央金庫)会長)。

3代目理事長・会長となった小原鐵五郎は、1918年(大正7年)富山県で生じた米騒動を見て、貧富の差をなくして安定した社会を作りたいと考え、 1919年(大正8年)7月に大崎信用組合に入職。全国信用金庫協会長や全国信用金庫連合会(現:信金中央金庫)会長を長年勤めるなど、信用金庫業界に貢 献。

* 「裾野金融」
* 「貸すも親切、貸さぬも親切」
* 「カードは麻薬」

などの「小原哲学(名前の一字を取って、鉄学・鐵学とも言われる)」は、現在も城南信用金庫の経営理念として残る(内容については小原鐵五郎の項を参照)。

小原没後も、自由化に対応して、独自のプライムレートの導入、不良債権のディスクロージャーの実施、懸賞金付定期預金、民間版定額貯金である「スー パートップ」、「ハイパートップ」、「超(ハイパー)優貯(ゆうちょ)」、「民間版住宅金融公庫ローン(超固定)」など、独自商品を開発する。

「貸すも親切、貸さぬも親切」という原則に徹し、バブル期において、株式やゴルフ場地の購入などの投機的な資金を貸さなかった事から、バブル崩壊後の金融危機でも健全経営を維持。
また「カードは麻薬」という小原哲学に基づき、消費者向けのカードローンは、現状では一切扱っていない。クレジット・信販会社とのATM提携も一切行っていない。
投資信託や保険、デリバティブなど、顧客にリスクのある商品(国債や地方債等の公共債を含む)も、一切扱っていない。サブプライム関連の投資も一切取り扱っていない。

格付機関であるフィッチ・レーティングスによる格付けは、格付開始以来2010年現在まで8年連続して☆☆☆(最高位)。
日本経済新聞の実施する「日経金融機関ランキング」の「顧客満足度調査」において、「健全性・信頼感」の分野で、第一回、第二回、第三回の3年連続で、全国金融機関の中で第一位。

た、城南では毎月最終窓口営業日の数日後に、店頭窓口、キャッシュコーナーにディスクロジャーの一環として、不良債権や有価証券などの経営情報を開示している。

2010年11月10日に新体制が発足して以来、信用金庫は英国のロッジデール公正先駆者組合に端を発する相互扶助のための協同組織運動であるとの 認識に立ち、「信用金庫の原点回帰」「小原哲学の復活」を方針とし、「地域を守り、地域の方々を幸せにするための社会貢献企業」をめざして、東日本大震災 の復興支援や地域の福祉作業所の援助などのボランティア活動に力を注いでいる。

2011年4月1日に「原発に頼らない安心できる社会へ」というキャンペーンを開始し、5月2日には各種の節電商品サービスを開始するなど、最大の環境問題である原発からの脱却を訴え積極的に行動している。

政府系金融機関との提携解消

城南信用金庫は、2005年に『日本政策投資銀行などの政府系金融機関との提携解除』を発表した。同金庫によれば、政府系金融機関は、戦後から 1965年(昭和40年)代にかけて、長期資金の供給など、民間が対応できない分野で一定の役割を果たしてきた。しかし、今や民間でも長期資金の供給は十 分可能であり、逆に政府系金融機関が民間の仕事を奪うなど、民間と競合しており、その存在意義を失っていることから、同金庫では『政府系金融機関の役割は もはや終わった』『もはや政府系金融機関は必要ない』という考えに基づき、提携を解消したものである(2006年度ディスクロージャーより)。

日本経済新聞(2005年11月9日)は、「民間金融機関が政府系金融機関との契約を解除するのは異例だ。政府系金融機関については経済財政諮問会 議(座長:小泉純一郎首相)が統廃合や民営化などの基本方針を月内にもまとめる予定で、改革論議にも影響を与えるとみられる」と論評した。これに対して政 府系金融機関は「政府系金融機関のノウハウを生かす」「地域活性化」や「地場産業育成」を理由に民間金融機関との提携を促進しており、2008年2月現 在、提携解消に追随する民間金融機関は存在しない。