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ユダヤ問題のポイント(近・現代編) ― 外伝1 ― 「成りすまし・内部乗っ取り」の系譜
「背信のメシア」サバタイ・ツヴィ(1626-76)
もともと歴史的に祖国を失ったユダヤ教徒は自分たちユダヤ民族を導き解放する「メシア」を、その到来を待望してきました。メシアには「祭司のメシア」と「王のメシア」があり、更にその上の存在の「預言者」によって構成されることになります。(ナザレのイエス、イエス・キリストは自らをメシアであると自認していました。ただしユダヤ教徒はそうとは認めなかったのです。このあたりの詳しく深いことは、映像配信・宗教学講座「新約聖書」(155回、157回あたり)をご視聴ください。
迫害続く中世のユダヤ人社会ではメシアの到来を待望し「カバラ思想」が多く研究され隆盛となっていました。「メシア運動」と「カバラ」は密接で切り離せないとのこと。そして「カバラによれば、天国に秘め置かれている“メシア(救世主)の魂”が地上に“人の子”として現れ、全ユダヤ人を救済するのは、地上の悪が絶頂に達したとき」(「ヘブライの館2」)とされ、ユダヤ人逹は「その時」が近いと感じていたのです。
16世紀には欧州が「終末思想」に覆われました。そしてカバラ思想がユダヤ社会の支配的思想になっていた17世紀、トルコに「サバタイ・ツヴィ(1626-76)」が誕生します。日付は奇しくもソロモン神殿崩壊の日にちでした。重度の躁鬱病者であったサバタイは、神秘体験を通し自分がメシアであることを自覚します。(ただしユダヤ社会は認めず奇人扱い)。
一方、早熟の天才で神秘的な資質も備えたカバラ学者ナタンはユダヤ社会の厚い信頼を得ていました。
ある日ナタンは「神秘体験によって、ガザにメシアが現れるという神の啓示を受けたと確信・・・啓示に従って、ガザでサバタイ・ツヴィと出会ったナタンは、彼こそ預言されていたメシアだと、ただちに直感した。と同時に、自分はメシアの到来を告げる“先駆けの預言者”エリアの再来だと確信した。」(「ヘブライの館2」)。
運命的出会いの1665年に「預言者」ナタンはサバタイを「メシアだ」と宣言。疑問視しいぶかる正統ユダヤ教徒逹を尻目に多数のユダヤ人の信頼を得たサバタイは「ユダヤの王」として振舞います。彼をメシアと信奉する信徒は、トルコ国内だけで何十万人にも達したようです。ユダヤ史上空前のメシア運動の展開です。しかしこの熱狂をトルコ政府は危険視し、メシア運動は大きな転機を迎えます。
サバタイはトルコ君主の前で「死か?イスラムへ棄教改宗か?」の選択を厳しく迫られたのです。サバタイはあっさりと「棄教改宗」を選びます。信者への決定的“裏切り行為”です。しかしこの裏切りは“崇高行為”に化かされます。逆にサバタイは更に神秘的メシアへと昇格、多くの熱狂的な信者を獲得し、ユダヤ人の間に大ムーブメントを起こします。
ナタンはサバタイの裏切りを「強大な悪魔を撃ち倒すために、メシアが犠牲となって悪魔の懐深くに飛びこんだのだ。」としたのです。このアイディアは、ユダヤ教から屈辱的に改宗した者(マラーノ)たちに希望と言い訳を与えてくれるものでもあったのです。サバタイは、敵対する勢力に、味方だと「成りすまし」侵入し、内部から腐らせて崩壊にいたらせ「乗っ取る」戦法 を説いたわけです。
このサバタイの運動は、結果「表向きの改宗者を数多くつくりだした。ある者はイスラムに改宗し、またある者はカトリックに改宗していった。」のでもあります。
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ベンジャミン・フルフォード氏はこのところ「ハザールマフィア」の呼称で統一していますが、ある時期まではその「ハザールマフィア」を、一般ユダヤ人と区別するため「サバタイ派」「サバタイ・マフィア」と呼称していました。
「サバタイ(シャブタイ)派」とは「サバタイ-フランキスト」の意味です。サバタイとフランクの名が冠されているのです。日本ではほとんど知られていないこのサバタイとフランクとは?
初回に記したように、ユダヤ問題の本質は「成りすまし」にあると見ています。ユダヤ民族の歴史自体が「成りすまし」から始まっているからです。そして近・現代における「成りすまし」そして内部からの「乗っ取り」の本家といえるのがサバタイ・ツヴィとヤコブ・フランクです。
今回は話の筋から本編に掲載できなかったユダヤ問題の超重要人物と見なすべきこの二人とその影響などを外伝として見ていきます。