アーカイブ: 八咫烏

[竹下雅敏氏]大陸とも深い繋がりがある天忠党の後継団体と日本近代史の実相 〜大本教は単なる宗教団体ではない〜

竹下雅敏氏からの情報です。
 これまでに取り上げた系図で、天忠党の後継団体が半島人脈と深い関係にあったことがわかりました。今回、さらに中山家と愛新覚羅家との関係を見ると、大陸とも深い繋がりがあることがわかります。
 以前の記事で、大日本皇道立教会は裏天皇・堀川辰吉郎を奉じる政治結社ではないかと指摘したのですが、幹事長に頭山満の名があります。彼は玄洋社の代表で、大陸に深く関わっていたことが知られています。
 “続きはこちらから”以降には、あまり知られていない“日本近代史の実相”が書かれています。文章から、私の推理はほぼ間違いないものだとわかります。文末に大本教の開祖・出口ナヲの次男清吉が出て来ますが、彼は嵯峨家の出自だとのこと。上田音吉の孫・上田鬼三郎は出口ナヲの娘のスミと結婚して、出口王仁三郎を名乗ります。大本教が単なる宗教団体ではないということがわかると思います。
(竹下雅敏)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

――――――――――――――――――――――――
貴嶺会関係組織図
記事配信元)
本記事文章は現在公開を停止しております。 (2016/4/23)
記事の提供元にてご覧ください。

————————————————————————
転載元より抜粋)
皇室正親町三条家(嵯峨家)及び清朝帝室(愛新覚羅氏)の系図実線は実子、点線(縦)は養子、点線(横)は婚姻関係光緒帝咸豊帝の養子、宣統帝同治帝及び光緒帝の養子として帝位継承

クリックで拡大

クリックで拡大



――――――――――――――――――――――――
溥儀・溥傑・嵯峨浩

画像の出典:溥儀溥傑・嵯峨浩

————————————————————————
クリックで拡大

クリックで拡大



» 続きはこちらから

[竹下雅敏氏]大日本皇道立教会 と 典子女王・千家国麿氏の結婚

竹下雅敏氏からの情報です。
 天忠党の後継団体である皇道会、皇道立教会を見て来ましたので、今回はその次の大日本皇道立教会を見ます。会長の中山忠英と副会長の千家尊福の名前があります。高円宮憲仁親王の娘・典子女王は、出雲国造の千家家の千家国麿氏と結婚しました。当時、このニュースを耳にした際には不思議な縁談に見えましたが、大日本皇道立教会の会長の中山家と千家家は、系図を見ると繋がりがあります。また千家国麿氏の祖母の中山孝子は九条道実の孫であり、皇室との繋がりがあることがわかります。
 こうして見ると、この大日本皇道立教会というのはただの組織ではないということがわかります。
(竹下雅敏)
――――――――――――――――――――――――
貴嶺会関係組織図
記事配信元)
本記事文章は現在公開を停止しております。 (2016/4/23)
記事の提供元にてご覧ください。

――――――――――――――――――――――――
転載元より抜粋)
スクリーンショット 2016-04-11 21.04.30

————————————————————————

――――――――――――――――――――――――

[竹下雅敏氏]皇道立教会・緑龍会(八咫烏直属の結社)・北朝鮮王家との繋がりを示す系図

竹下雅敏氏からの情報です。
 前回、貴嶺会関係組織図の皇道会総裁の久邇宮朝彦に注目しましたが、今回は、その後継の組織である皇道立教会を加えてみます。
 皇道立教会の総裁・伏見宮貞愛と久邇宮朝彦は兄弟です。下の系図をご覧になるとわかりますが、伏見宮貞愛は有栖川宮を介して上田家と繋がります。系図を見ると、半島の王家の人脈とがっちり結びついているのがわかると思います。
 系図を見て、この上田音吉という人物は一体何者なのかと思うのが自然ではないでしょうか。私の考えでは、上田音吉は八咫烏直属の秘密結社・緑龍会の総裁です。カール・ハウスホーファーは、日本のドイツ大使館付武官として勤務した際に、緑龍会に入会したと言われています。孫の笹川良一は、ヒトラーとムッソリーニに会っていますが、これは通常考えられないことです。しかし、ヒトラーの師であったカール・ハウスホーファーが緑龍会のメンバーで、総裁の孫が笹川良一であれば、これは可能だったと考えられます。
緑龍会の総裁は、その後笹川良一から現在の笹川陽平へと移っていると考えています。そうでなければ、笹川が、“私的な賭博運営を政府から許可された唯一の人物”なのが不可解です。また、笹川財団の下部組織の日本財団がジャパン・ハンドラーとの会合の場を設定している理由がわかりません。海底掘削船「ちきゅう号」の不可解な動きも考慮すると、上記の推論にかなりの信憑性が出て来るのではないかと思います。
 もっとも私の中では推理ではなく、直観的事実です。この辺りのことは、レイノルズ一家にも書いていますので、参考にしてください。
(竹下雅敏)
――――――――――――――――――――――――
貴嶺会関係組織図
記事配信元)
本記事文章は現在公開を停止しております。 (2016/4/23)
記事の提供元にてご覧ください。
――――――――――――――――――――――――
皇道立教会総裁・伏見宮貞愛の系図
――――――――――――――――――――――――
伏見宮邦家・有栖川宮幟仁・上田音吉〜金正恩の系図

[竹下雅敏氏]貴嶺会の関係者が、深く半島人脈と繋がっていることがわかる系図 〜北朝鮮に拉致された横田めぐみさんと金正日との間に生まれたのが金正恩〜

竹下雅敏氏からの情報です。
 貴嶺会関係組織図を見ると、天忠党の後、皇道会が出来ます。総裁は久邇宮朝彦となっています。
 2014年9月4日に取り上げた記事で、久邇宮朝彦の孫の方子(まさこ)が旧大韓帝国の元皇太子の李垠(りぎん)に嫁ぎ、その李方子の娘が横田早紀江さんであるという説を紹介しました。北朝鮮に拉致された横田めぐみさんと金正日との間に生まれたのが金正恩だと噂されていますが、多くの情報源が同一のことを言っており、これらの情報は正しいと考えられます。
 これらの情報を元に、写真付きの系図と、以前取り上げた上田家系図から簡単な系図を作りました。これを見ると、貴嶺会の関係者が、深く半島人脈と繋がっているのがわかると思います。
(竹下雅敏)
――――――――――――――――――――――――
貴嶺会関係組織図
記事配信元)
本記事文章は現在公開を停止しております。 (2016/4/23)
記事の提供元にてご覧ください。

————————————————————————
久邇宮朝彦親王〜金正恩

» 続きはこちらから

[竹下雅敏氏]天忠党の後継団体「大日本皇道立教会」 〜堀川辰吉郎に仕え守護する政治的秘密結社〜

竹下雅敏氏からの情報です。
 明治維新の中核的存在だった天忠党ですが、総督であった中山忠伊の子・忠英によって、後継団体の大日本皇道立教会が設立されます。ウィキペディアによると、後の創価学会となる創価教育学会の創設者である牧野常三郎、戸田城聖の名があります。また、忠英の子・忠徳の門下には、出口王仁三郎などの名が見えます。彼らは以前紹介した上田家系図に出て来ます。 
 後には児玉誉士夫も加入したとありますが、彼と笹川良一には密接なつながりがあったのはよく知られています。上田家系図に、先の3名と笹川良一を含む4名が一族として名を連ねるというのは、尋常ではないと思います。
 “続きはこちらから”以降の記事では、大日本皇道立教会の不可解な点として、無名の中山忠英が会長としてトップの座に就いていることを揚げ、“この国の本質にかかわる大問題がここに潜んでいる”としています。 
 大日本皇道立教会は、堀川辰吉郎が20才になった1911年に設立されています。この年齢を考えると、大日本皇道立教会は、堀川辰吉郎に仕え守護する政治的秘密結社であると考えられます。
 大日本皇道立教会の前身である皇道会の総裁は、久邇宮朝彦であり、その孫が久邇朝融です。高松宮は天忠党の系図で、先の上田家系図の人物と繋がりが出て来ます。大日本皇道立教会の幹事長は頭山満です。出口王仁三郎の黒幕は堀川辰吉郎だと言われています。これらの人物と堀川辰吉郎の繋がりを示す写真を以前の記事でも紹介しましたが、今回は添付しました。彼らが2代目裏天皇堀川辰吉郎に仕えていたのは明らかだと思います。
 この大日本皇道立教会は、“尊王愛国の精神”による“天皇中心主義”を理念としています。彼らにとっての天皇は当然裏天皇です。真の天皇(裏天皇)との距離(血筋)の近さこそ、権力の強さを示すものだと考えられます。中山忠英は光格天皇の孫にあたり、初代会頭、副会頭よりも遥かに高い地位にあったと考えられるのです。
 現在日本会議が安倍政権の背後にあり、日本を天皇中心の戦前の体制に戻そうとしているように見えます。しかし、その根幹にあるのは、この大日本皇道立教会の設立当初の「綱領」ではないでしょうか。
(竹下雅敏)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

――――――――――――――――――――――――
貴嶺会関係組織図
記事配信元)
本記事文章は現在公開を停止しております。 (2016/4/23)
記事の提供元にてご覧ください。

――――――――――――――――――――――――
大日本皇道立教会
転載元より抜粋)
大日本皇道立教会(だいにほんこうどうりっきょうかい)は、南朝を正統とし、その皇道に沿った教育を行う趣旨の元で、1911年に創立された。中山忠英(父親は中山忠伊)が初代会長に就任し、大隈重信一木喜徳郎牧口常三郎戸田城聖、数名の華族により構成されている。後には児玉誉士夫も加入。後に、大日本皇道立教会の会員のうち、創価教育学会の創立にかかわるものがいた。

概要

 
1890年久邇宮朝彦親王を総裁に中山忠英を会長として組織された皇道会を前身に、中山忠英が1911年大日本皇道立教会を設立して初代会長に就任した。大隈重信一木喜徳郎牧口常三郎戸田城聖、数名の華族により構成された。後には児玉誉士夫も加入。後に、大日本皇道立教会の会員のうち、創価教育学会の創立にかかわるものがいた。

その後、家督を継いだ中山忠英の三男中山忠徳(ただのり)は神道を究められ、その門下には大本教の開祖・出口王仁三郎PL教団開祖・御木徳近、戦後の再考の易学陽明学の大家・安岡正篤、そして山蔭神道宗家の山陰基央らの昭和の偉人を輩出させている。

関係者

     
  • 初代会長:中山忠英
  • 副会長:千家尊福
  • 副会長:中山忠宗
  • 幹事長:頭山満
  • 幹事:花山院家威
  • 幹事:梅屋庄吉
  • 幹事:中山忠綱
  • 幹事:内田良平
  • 幹事:田中舎身
  • 幹事:五百木良三
  • 顧問:三浦梧楼
  • 顧問:渡辺千秋
  • 顧問:東郷平八郎
  • 顧問:大隈重信
  • 顧問:波多野敬直
  • 顧問:大迫尚道
  • 賛助員:二条基弘
  • 賛助員:大炊御門幾麿
  • 賛助員:花山院親家
  • 賛助員:山科言縄
  • 賛助員:堀田正亨
  • 賛助員:黒田清綱
  • 賛助員:北小路随光
  • 賛助員:高倉永則
  • 賛助員:大迫尚敏
  • 賛助員:浅田信興
  • 賛助員:一木喜徳郎
  • 賛助員:土屋光春
  • 賛助員:有地品之允
  • 賛助員:難波宗美
  • 賛助員:肝付兼行
  • 賛助員:伊地知幸介
  • 賛助員:服部一三
  • 賛助員:大久保利武
  • 賛助員:長崎省吾
  • 賛助員:姉小路良子
  • 賛助員:安楽兼道


  • ————————————————————————
    記事配信元)
    本記事文章は現在公開を停止しております。 (2016/4/23)
    記事の提供元にてご覧ください。

    » 続きはこちらから
    1 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 31