竹下雅敏氏からの情報です。
注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。
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貴嶺会関係組織図
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貴嶺会 日付不明
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大日本皇道立教会
転載元より抜粋)
Wikipedia 日付不明
大日本皇道立教会(だいにほんこうどうりっきょうかい)は、南朝を正統とし、その皇道に沿った教育を行う趣旨の元で、1911年に創立された。中山忠英(父親は中山忠伊)が初代会長に就任し、大隈重信、一木喜徳郎、牧口常三郎、戸田城聖、数名の華族により構成されている。後には児玉誉士夫も加入。後に、大日本皇道立教会の会員のうち、創価教育学会の創立にかかわるものがいた。
1890年に久邇宮朝彦親王を総裁に中山忠英を会長として組織された皇道会を前身に、中山忠英が1911年大日本皇道立教会を設立して初代会長に就任した。大隈重信、一木喜徳郎、牧口常三郎、戸田城聖、数名の華族により構成された。後には児玉誉士夫も加入。後に、大日本皇道立教会の会員のうち、創価教育学会の創立にかかわるものがいた。
その後、家督を継いだ中山忠英の三男中山忠徳(ただのり)は神道を究められ、その門下には大本教の開祖・出口王仁三郎、PL教団開祖・御木徳近、戦後の再考の易学陽明学の大家・安岡正篤、そして山蔭神道宗家の山陰基央らの昭和の偉人を輩出させている。
初代会長:中山忠英
副会長:千家尊福
副会長:中山忠宗
幹事長:頭山満
幹事:花山院家威
幹事:梅屋庄吉
幹事:中山忠綱
幹事:内田良平
幹事:田中舎身
幹事:五百木良三
顧問:三浦梧楼
顧問:渡辺千秋
顧問:東郷平八郎
顧問:大隈重信
顧問:波多野敬直
顧問:大迫尚道
賛助員:二条基弘
賛助員:大炊御門幾麿
賛助員:花山院親家
賛助員:山科言縄
賛助員:堀田正亨
賛助員:黒田清綱
賛助員:北小路随光
賛助員:高倉永則
賛助員:大迫尚敏
賛助員:浅田信興
賛助員:一木喜徳郎
賛助員:土屋光春
賛助員:有地品之允
賛助員:難波宗美
賛助員:肝付兼行
賛助員:伊地知幸介
賛助員:服部一三
賛助員:大久保利武
賛助員:長崎省吾
賛助員:姉小路良子
賛助員:安楽兼道
概要
1890年に久邇宮朝彦親王を総裁に中山忠英を会長として組織された皇道会を前身に、中山忠英が1911年大日本皇道立教会を設立して初代会長に就任した。大隈重信、一木喜徳郎、牧口常三郎、戸田城聖、数名の華族により構成された。後には児玉誉士夫も加入。後に、大日本皇道立教会の会員のうち、創価教育学会の創立にかかわるものがいた。
その後、家督を継いだ中山忠英の三男中山忠徳(ただのり)は神道を究められ、その門下には大本教の開祖・出口王仁三郎、PL教団開祖・御木徳近、戦後の再考の易学陽明学の大家・安岡正篤、そして山蔭神道宗家の山陰基央らの昭和の偉人を輩出させている。
関係者
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匿名党 07/7/17
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ペリマリのプラプラ講義 15/11/7
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後には児玉誉士夫も加入したとありますが、彼と笹川良一には密接なつながりがあったのはよく知られています。上田家系図に、先の3名と笹川良一を含む4名が一族として名を連ねるというのは、尋常ではないと思います。
“続きはこちらから”以降の記事では、大日本皇道立教会の不可解な点として、無名の中山忠英が会長としてトップの座に就いていることを揚げ、“この国の本質にかかわる大問題がここに潜んでいる”としています。
大日本皇道立教会は、堀川辰吉郎が20才になった1911年に設立されています。この年齢を考えると、大日本皇道立教会は、堀川辰吉郎に仕え守護する政治的秘密結社であると考えられます。
大日本皇道立教会の前身である皇道会の総裁は、久邇宮朝彦であり、その孫が久邇朝融です。高松宮は天忠党の系図で、先の上田家系図の人物と繋がりが出て来ます。大日本皇道立教会の幹事長は頭山満です。出口王仁三郎の黒幕は堀川辰吉郎だと言われています。これらの人物と堀川辰吉郎の繋がりを示す写真を以前の記事でも紹介しましたが、今回は添付しました。彼らが2代目裏天皇堀川辰吉郎に仕えていたのは明らかだと思います。
この大日本皇道立教会は、“尊王愛国の精神”による“天皇中心主義”を理念としています。彼らにとっての天皇は当然裏天皇です。真の天皇(裏天皇)との距離(血筋)の近さこそ、権力の強さを示すものだと考えられます。中山忠英は光格天皇の孫にあたり、初代会頭、副会頭よりも遥かに高い地位にあったと考えられるのです。
現在日本会議が安倍政権の背後にあり、日本を天皇中心の戦前の体制に戻そうとしているように見えます。しかし、その根幹にあるのは、この大日本皇道立教会の設立当初の「綱領」ではないでしょうか。