ウクライナ暴力クーデター
2013年11月21日夜、ウクライナ首都キエフ(キーウ)の独立広場(マイダン)にて激しいデモ活動が発生し、マイダン革命が開始されました。2010年の大統領選挙にてユーリヤ・ティモシェンコ元首相を下し選出された親ロシア派のヴィクトル・ヤヌコーヴィチ大統領を、またもや引きずり下ろす運動です。
マイダン革命も基本構造はオレンジ革命と同様です。オレンジ革命では2004年11月、ウクライナ国民から選出された親ロシア派のヴィクトル・ヤヌコーヴィチ大統領に、「不正選挙だ!」と欧米勢力の息のかかったヴィクトル・ユシチェンコを支持する反対派が大騒ぎし大規模抗議運動を展開、同年年末についに親欧米派のヴィクトル・ユシチェンコをウクライナ大統領へとしたのです。
ユシチェンコ大統領は、ガスの王女と呼ばれたユーリヤ・ティモシェンコを首相に指名しタッグを組みます。しかし、欧米勢力に操られる彼らは私腹を肥やすことしか頭になく内紛となり、新政権発足から8カ月後の05年9月にユシチェンコ内閣の総辞職となったのです。
こうして2010年に親ロシア派のヴィクトル・ヤヌコーヴィチがウクライナ大統領に再び選出されていたのを、再度引きずり下ろしていったのがマイダン革命でした。2014年2月には暴力行為を繰り広げるデモ隊が警察隊を、そして群衆を攻撃するなど騒乱状態となっていきます。その大騒乱の中で2月22日にヤヌコーヴィチ大統領は首都キエフを脱出するのでした。
この辺りの事実は2022/03/19の竹下さんの記事をご参照ください。西側に雇われ派遣されたスナイパーが反体制派のデモ集団と警察隊の両方に発砲し、計画通りにマイダンの大虐殺を導き、クーデターを続行させたとしています。
正体不明の狙撃手によるデモ参加者と警官に対する発砲事件の検証場面
マイダン革命という暴力クーデターでウクライナの実権を握ったのは、過激かつ暴力的な民族主義勢力(実質はネオナチ)でした。彼らはマイダン革命直後に、ロシア語の使用を制限するというロシア系住民を敵とする政策を宣言します。
こういった政策に対して、直ちに動いたのクリミア半島の住民たち(クリミア自治共和国)でした。ウクライナの南部と東部はロシア系住民が多数を占めているのです。ウクライナ南部でロシア系住民が多くを占めるクリミア自治共和国では、2014年3月16日に自分たちの帰属を問う住民投票が実施されました。その結果、住民の97%がロシアへの帰属を希望し、その結果を受けてクリミアは3月18日にロシアに編入されることになりました。
2001年ウクライナ国勢調査によるクリミア半島の民族割合
出典:「教養と看護(一部修正)
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2014年クリミア住民投票
投票結果:Wikipedia
Author:Мики32 [CC BY-SA]
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一方で、キエフ当局は同年4月に「反テロ作戦」と名付けてウクライナ南東部で軍事行動を開始することにしました。この流れで同年5月2日に「オデッサの惨劇」が起こされました。住民投票と母国語を話す機会を平和的に求めていた親ロシア派住民が、親欧米派のデモ隊に追い込まれます。親ロシア派住民が立てこもった労働組合の建物が放火され、この騒動で48人が死亡、200人以上が負傷したとされます。ウクライナ東部にて、ロシア系住民を標的にした大規模な軍事作戦が開始されました。
2014年5月2 日金曜日、オデッサ市で大きな悲劇が起こった。連邦主義の支持者たちは「プラヴィセクター–右派セクター」の暴徒によってユニオンハウスまで追い詰められた。直後に建物は放火され、公式報告によれば、48人が死亡、300人近くが負傷した https://t.co/ZIRqkzHyix @iwakamiyasumi pic.twitter.com/kaeRPYJXW8
— IWJ インディペンデント・ウェブ・ジャーナル (@iwakami_staff) August 6, 2023
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ロシアとウクライナは戦争中です。これに対して、日本政府とメディアは総力を上げてウクライナに肩入れし、ロシアの敵国として振る舞ってきました。砲弾を打ち合うなどの戦闘は戦争の一部に過ぎません。戦争の大部分は後方支援の兵站にあり、日本はウクライナ側の兵站に協力しており、明らかにロシア側からは戦争の敵国なのです。極めて危険な行為です。公的には日本とウクライナとは条約などはなく、ロシアとの間には種々の条約や協定があります。となれば、ロシアとウクライナの戦争では、日本は普通はロシア側に、少なくとも中立にいるのが日本の立場のはずです。狂っているのです。
また、日本では盛んに台湾有事が煽られ、日本政府副首相の麻生発言もありました。中国を敵国とし、台湾に肩入れする姿勢です。しかしこれも狂っています。そもそも日本は、先人が苦労を重ねて中国と日中共同声明から日中友好平和条約を正式に結んでいるのです。日本は公的には台湾を独立国家とせず、「一つの中国」の立場です。万が一、台湾有事があったとしても、それは日本からは中国の国内問題であり、内政干渉することではないのです。それを中国を敵国として台湾に肩入れする姿勢を見せるなど、これまた狂っているのです。
更に付け加えると、日本は中国を敵国のように扱っていますが、日本が肩入れしているウクライナは、その中国と軍事協定を結んでいるのです。全く未だに米国戦争屋の傀儡と見る以外にない岸田政権のやっていることは、支離滅裂のことばかりなのです。