南スーダンへ派遣されている自衛隊の部隊が韓国軍に銃弾1万発を提供したという。それだけの銃弾を持ち込んでいたということ。
かつて
南スーダンはスーダンの一部だったが、
1983年から2005年まで続いた内戦で自治権を獲得、2011年に独立している。この内戦のキーワードは石油。
1974年にアメリカの巨大石油会社シェブロンが油田を発見したのだが、その場所が現在のスーダンと南スーダンの国境周辺。スーダン西部のダルフールにおける戦闘も資源争いが原因である。
1980年代に入ると反政府軍が活動を開始するのだが、その集団、
SPLM(スーダン人民解放軍)を率いているジョン・ガラングはアメリカのジョージア州にあるフォート・ベニングで訓練を受けた人物。この基地は特殊部隊の本拠地でもあり、ガラングは2005年に死亡するまでアメリカ政府の影響下にあったと考えるべき存在だ。
なお、フォート・ベニングには現在、ラテン・アメリカの軍人に暗殺や破壊工作のテクニックなどを教えるWHISCもある。この施設はかつてSOAと呼ばれ、パナマにあったのだが、1984年に現在の場所へ移動、2001年に名称も変更された。
スーダンでは
1990年代の終盤になると自国の石油企業が成長し、
アメリカの石油会社は利権を失っていき、中国やインドなど新たな国々が影響力を拡大し始めた。そうした最中、
2001年9月11日にアメリカではニューヨークの世界貿易センターにあった
超高層ビルへ航空機が突入、アーリントンの国防総省本部庁舎が攻撃される。
それから間もなくして
ジョージ・W・ブッシュ政権は先制攻撃計画を作成しているが、
そのリストに載っていたのはイラク、イラン、シリア、リビア、レバノン、ソマリア、そしてスーダン。これは
ウェズリー・クラーク元欧州連合軍最高司令官が統合参謀本部で聞いた話だ。
ブッシュ・ジュニア政権はイギリスやノルウェーと手を組み、スーダンの南部を拠点にしていたSPLMとスーダン政府を「飴と鞭」で停戦させ、油田地帯が両者で分け合う形になった。そして南部は南スーダンと呼ばれるようになるわけだが、その歴史を考えるとアメリカの傀儡国家としての色彩が濃いと言わざるをえない。
一方、ダルフールでの戦闘は2003年から激しくなったと言われている。当初、欧米諸国がダルフールの殺戮を無視していた一因は、南スーダンの石油利権に関する話し合いに影響することを恐れたからのようだ。
それに対し、アメリカのネオコン(親イスラエル派)やキリスト教原理主義(聖書根本主義派)はダルフールへの介入に積極的。この2勢力は「ユダヤ系シオニスト」と「キリスト教系シオニスト」で、1970年代から同盟関係にある。
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