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[seiryuu氏]私たちの地域を豊かに幸せに。プラウト社会実現へ向けて。 〜プラウトの世界観と資本主義の世界観〜 【第3回】

竹下雅敏氏からの情報です。
 今回から「プラウト(進歩的活用理論)」の詳しい説明に入って行きます。記事では、プラウトの世界観と資本主義の世界観の違いが書かれています。プラウトの世界観は、いわば東洋の世界観です。簡単に言えば、プラウトでは、宇宙を生命を持った実在と見ているわけです。これに対し資本主義は、宇宙は単なる物であり資源でしかありません。驚いたことに、資本主義の価値観に染まっている人にとっては、人間ですらも資源なのです。そうでないと奴隷売買が出来るはずがありません。
 自分は奴隷売買と関係がないと思っている人も多いかと思いますが、事実として安倍政権が進めている政策は、労働者を奴隷として扱うものです。さらに様々な形態で、女性を性的に搾取する現代社会のあり方は、人間よりもお金を優先した価値観の現れだと思います。まさに資本主義であり、資本=お金がここでは神なのです。要するに、女性の人権、人格はここでは否定されます。
お金はただの紙切れであり、金(ゴールド)は食べることも出来ない単なる金属に過ぎません。それがなぜここまで重要なものになるのか、私にはわかりません。
 ホピ族の長老だったか、誰の言葉だったかはっきりしませんが、白人のあまりの傍若無人ぶりに呆れて「金(ゴールド)は食えないということをいずれ悟るだろう」というようなことを言っていました。現状では一向に悟る気配がないという位、現代人は既に狂ってしまったかのようです。
 皆さんは、プラウトの世界観と資本主義の世界観の、どちらがまともだと思うでしょうか。日本人はひょっとしたら、プラウトの世界観を自然なものとして受け止めるかも知れません。実は、私はこれが本来の意味での宗教性ではないかと思っています。
(竹下雅敏)
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私たちの地域を豊かに幸せに。プラウト社会実現へ向けて。
文:seiryuuさん

プラウト(進歩的活用理論)の3本柱。 

 全てのものはそれをそれとして成立させる支柱があります。その支柱の多くは三つ組となっています。たとえば机は基本的に3本の柱があって初めて机として成立します。この机は柱の一本でも欠けると机として成立しないのです。こういった3本は個別の柱でありながら相互に深く関連し不可分で一体のものとして機能します。キリスト教的に言えば三位一体と表現できるでしょうか。

 P・Rサーカー(以下サーカー氏と表記)が提唱したプラウト(進歩的活用理論)は全生命の幸福を目指し、先ずは個人、家族、地域からその実践を開始しますが、それを成立させていく3本の柱は以下になるように思えます。

1.世界・宇宙(自己)観(感)の拡大。
2.高い倫理。
3.高い透明性(情報の共有)。

実践に当たってこの三つ組は互いに連動し合って機能します。ただしあえて運動する中でのその役割による位置づけを整理してみますと以下になるように思えます。

・中核(哲学、思想):世界(自己)観(感)の拡大。
・運動推進の両輪  :①高い倫理。
・運動推進の両輪 :②高い透明性(情報の共有)。

1、支柱1.プラウトの中核:世界観(感)自己観(感)の拡大。

・源流:プラウトの世界観自己観
 

私たちは、一瞬たりとも忘れてはいけない。命あるものの世界全体が広大な結合家族であることを。自然はこの富のどの部分をもいかなる特定の個人には割り当てなかった。…宇宙の富の全てが生きとし生けるものの共有財産であるとするならば、あるものが贅沢にふけり、あるものが食べるに事欠いて徐々に衰弱し餓死していくというようなシステムをどうして正当化できるであろうか。」(『資本主義を超えて』p7)

 中核とは「それに関するあらゆるものが発生する源であると同時にそれらのすべて帰結するところ」という意味です。世界(宇宙)と私(自己)は不可分です。私を離れて世界はないし世界と離れて私もありません。従って世界(宇宙)をどう観るかは同時に私(自己)をどう観ているかを表します。観と表記しましたがこれは頭で思考した観というより実感としていかに体感経験しているかが本質になります。ここから実際の言動、行為実践が派生してくるのです。生命の息吹を感じられない荒涼とした卑小で薄っぺらな世界(自己)と観(感)ずるなら行為はそれに準じます。そうではなく生き生きとした限りない豊かさ美しさ神聖さを実感として観じられたなら実践運動もそれに伴ったものになります。世界観自己観が運動の源流になるのです。

 プラウトはこの世界(宇宙、自然)が「至高存在」の現われと捉えます。(『〃』p38)「至高存在」(世界各地では神、絶対者、創造主、無限の生命等でも称される)の2面である「純粋意識」(父)と「自然エネルギー」(母)が干渉し展開されたのがこの世界(宇宙)であり万物と観ます。この全体を自然とよび自己(私)も無論その一員です。「至高存在」と自己(私)の関係は火(至高存在)と火花(自己)でよく表現されます。大きさや形態等は比較にならないが本質は同じと言うことです。そしてこの見方は日本の伝統的自然観と通じます。自然万物に神が宿るというのが「八百万神」。もしくは万物は本質として仏との「悉有仏性」も相通じます。自然・万物が至高存在の投影だから「世界全体が広大な結合家族」であり「宇宙の富の全てが生きとし生けるものの共有財産である」となります。自己を含め全ての存在に無限の豊かさ美しさ神聖さを見出しています。ここから全生命の幸福を目指すプラウトの実践が展開していきます。

・資本主義の世界観自己観 

 プラウト世界観に対し世界を席巻してきた資本主義の世界観自己観はいかなるものだったのでしょうか?次のように指摘しています。「資本主義は17世紀のイギリスの哲学者ジョンロックの考え方に依拠…「森の中に自分の区画を定め…所有する権利、好きなように使用する権利を獲得する、」と。私的所有という疑う余地のない至上の信念は資本主義の根本をなす。」(『〃』p34)。資本主義では世界・自然を所有する対象と観ています。所有したもの例えば森ならそこにある鉱物から動植物、そして先住の人間までも、好き放題支配改変し搾取できるとの見方です。そして事実それに基づいた行為をやり続けています。先住者は奴隷として売買、多くの動植物が種として絶滅しています。世界・自然に真の豊かさ美しさ神聖さを観るならば、それを回復不可能なぐらい改変汚染し暴力で傷つけることができるでしょうか?所有支配すべき対象、荒涼とした卑小で薄っぺらな世界観これが資本主義の世界観です。付随する資本主義の自己観は?万物を私的所有支配できる“偉大な”「自己(私)」ということでしょう。しかし裏返すと裸の自己、本来元来の何も所有できていない自己(私)は矮小で惨めな存在という自己観でしょう。コンプレックスの裏返しです。ここには世界(宇宙、自然)と自己(私)との深刻な乖離・離反があります。貧しく不幸な世界観自己観は当然貧しく不幸な行為を展開します。資本主義の虚飾の裏で延々と繰り広げる隠蔽、暴力、詐欺、略奪。この不法行為が更に貧しく不幸な世界と自己を形成してきました。資本主義賛美者は世界の事実を見た上でこの見解を否定できるでしょうか?

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金田法相、共謀罪の議論封じ文書を撤回し謝罪 〜マスコミを封じ国会議論を形骸化させ強行採決に持ち込む狙い〜

 金田法務大臣の指示で、正式に法案提出するまで共謀罪を話題にしないよう要求する文書をマスコミ関係者に配布していたことが判明し、大臣が謝罪し撤回しています。世論を封じることで提出前の国会での議論を形骸化させ、法案が提出されたら強行採決するつもりだったことが予想されます。一番下の記事によると、現在上映中の映画「スノーデン」に対しても、打ち切り圧力がかかっているとのこと。こうした映画も共謀罪への懸念がさらに高まるので、政府としては封じたいところだと思います。
 また一番下のツイートによると、公職選挙法違反で捕まった金田法務大臣の秘書が"PCを海へ捨てた"とあり、さすが安倍政権の大臣だけはあると思いました。
(編集長)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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金田法相“共謀罪”見解文書を撤回し謝罪
配信元)

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配信元)



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スノーデン上映打ち切り圧力と憲法違反即廃止の官邸政治 小野寺光一
(前略) 

映画スノーデンについて
1週間で上映中止なるという話が広がっている。
見てみればわかるが、今の政府が、ありとあらゆる人の
電話やEメールを盗み読んでいることがよくわかる
内容になっている。

(中略) 

おそらく共謀罪が可決されてしまったら、それを理由としてさらに大々的に
盗聴、盗み見を行うはず。

[seiryuu氏]私たちの地域を豊かに幸せに。プラウト社会実現へ向けて。 〜グローバリズムからローカリズムへ〜 【第2回】

竹下雅敏氏からの情報です。
 今日から何回かに渡って、「プラウト(進歩的活用理論)」を説明するseiryuu氏の記事を紹介します。
 現在、グローバリズムは崩壊の流れに入っており、いずれ世界は多極化し、各国が主権を持ちつつ調和する世界に移行して行くと思われます。記事では、“多極化とは…各国各地域が主体的に自立していく世界体制” だとあります。この部分が最も重要ではないでしょうか。
 私が、ベーシックインカムやその未来形であるウブンツが現状では難しいと感じているのは、残念ながら、この主体性が人類に欠けていると思うからです。要するに、現状の地球人の意識レベルは、未だに“依存体制”であり、ベーシックインカムを望む人々のほとんどは、国に生活の保障をしてもらおうとしているのだと思います。もちろん国はそうする義務があるのですが、問題なのは個々の人々の依存的体質です。こうした体質が自分の中にあるかどうかを見極めるのは、比較的容易です。本当に精神的に自立している人は、“棚ぼた”で何もしないで座っていて突然幸運が降ってくるというような、そうした考えを持っていません。
 私は若い頃、道を歩いていたら突然黒塗りの車が止まって、“見所のある青年よ。このお金を自由に使いたまえ”と言って、私に1億円を差し出すというようなシチュエーションがあっても良さそうなものだと思っていましたが、このような事は起こり得ないと早々に悟りました。要するに、皆さんが宝くじに当たって数億円が手に入り、その後は左うちわで悠々自適に暮らせたらどんなにいいだろうという思いがほんの少しでもあれば、若い頃の私と全く同様の馬鹿げたことを考えているということになります。
 今の私はどうかというと、宝くじが当たって、例えば3億円も手に入ったらはっきり言って困ります。要りません。そのお金をどう使うか悩まなければならなくなるからです。人間は必要以上のお金を持ってはいけません。私は本心でそう思っており、棚ぼたで宝くじが当たることを夢見る人たちは、精神的に未熟なのだと思っています。地球上で精神的に成熟した人が過半数になった時には、ベーシックインカムもウブンツも上手く行くでしょう。
 そうした意味で、社会的活動の中で精神を成熟させていくプログラムがあるとしたら、それがこのプラウトだという考え方も出来ます。
(竹下雅敏)
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私たちの地域を豊かに幸せに。プラウト社会実現へ向けて。
文:seiryuuさん

―グローバリズムからローカリズムへ―

他にもっと良い場所があるわけでない、他にもっと良い人がいるわけでもない。今ここにいる場と人が最良のパートナー。
地域興隆の経済システム、それがプラウト(進歩的活用理論)

はじめに

 ここ20年来世界を席巻してきたグローバリズム、そのグローバリズムが崩壊する方向に現在の世界は大きく傾いています。無論グローバリズムとは既得権力者が進めてきたものですから権力を失うまいとの彼らの強固な抵抗が現にあります。しかし世界の潮流は既に決しているように見受けられます。グローバリズムとは端的に言えば一極支配のファシズムです。極少数エリートが絶対権力者として君臨し地球上全ての大衆を完全に支配隷属させる体制です。それが崩壊し多極化の流れとなっているのです。この見解に違和感を覚えられるかもしれません。「グローバリズムを推し進めてきたのは米国で米国は自由を旗印にしている国ではないか」と。しかし、歴史を調べればこの「自由と民主の国,米国」との認識が植え付けられたものであることが分かります。ファシズムと言えばアドルフヒットラーが浮かぶでしょうが、彼を財政支援等しながら育ててきたのが米国支配層の銀行家たちだったことを歴史は示します。そして大戦後も米国とナチスが密接な関係をもってきたことをも。ハリウッド映画で盛んに放映された「悪のファシズム帝国ナチスドイツを正義の自由の米国が打ち破った。」こんな単純な構図は全くのフィクションで歴史事実と異なるプロパガンダの宣伝だったのです。

 さて多極化とは文字通り極が多数在ると言うことで、各国各地域が主体的に自立していく世界体制です。ここでは「寄らば大樹の陰」とか「長いものには巻かれろ」式の依存や依頼体制は通じません。各地域がそれぞれ気概を持って立ち上がり自分の地域を興隆させていかなければなりません。

 このための経済システムが、
資本主義経済でもない共産主義経済でもないプラウト(進歩的活用理論)なのです。本来の経済、「世を経(おさ)め民を済(すく)う」自ずと社会奉仕に展開する経済システムであり、地域社会を、地域に生きる一人一人を自立に導き豊かにしていく実践法です。それはよそから自分にないものを持ってきてとってつけるのではなく、地域に、そこの生きる人々に潜在するものを再発見し活用成長させることで地域社会と個々人が進歩していく理論ゆえに和名で「進歩的活用理論」と名付けられているのです。

 共々に学び実践していけるよう取り組みましょう。(個々としての企業としては世界全体から見れば極々少数実践されているかもしれませんが)地域でグループ体としてのプラウトの経済活動をしているとの情報はなく、全く日本では前例がないものだけに最初は試行錯誤の連続で難しいでしょうが、逆にやりがいもあるでしょう。また私たちが折角持っている潜在能力を無駄にせず活用するものですから楽しいものともなりましょう。実行し成功できたならば日本でのさきがけとなりますから、世界スケールにおいても今後のモデルケースとなります。多極化地域化とは我が地域(どこの地域も)が世界の中心にあるということです。気概を持って取り組みそれぞれ各人が創意工夫知恵を絞り進んでいきましょう。『資本主義を超えて』(ダダ・マヘンシュヴァラナンダ著、「世界思想社」)をベースに展開していきます。

(2017年1月10日)

ブロック投入で工事本格化 政府、強硬姿勢崩さず / 翁長知事は新基地建設承認の「撤回」のための住民投票を 〜サイコパスを要職につけてはならない〜

竹下雅敏氏からの情報です。
 つくづく、民主主義、人権という感覚のない政権だと思います。私も記事の様に、普天間基地の海兵隊がグアムに移ればそれで済むのではないかという気がします。尖閣諸島は元々棚上げで合意が出来ていたのに、それをわざわざぶち壊したのは日本の方ですよね。民主党、自民党に関係なく、アメリカの意向で、尖閣でトラブルを起こす事が初めから計画されているとしか思えません。
 権力層はお互いを理解するという観点に著しく欠けており、政治をゲームか何かと勘違いしているように見えます。ゲームに勝った者が尊重され出世していくという仕組みです。
 権力層にとっては、沖縄の人たちはゲームの駒であり、最悪の場合、捨て石に過ぎません。しかし、そこで生きているのは人間、そして海の中の希少な生き物たちです。生命よりも権力を重視する、こうしたサイコパスを要職につけてはならないのではないでしょうか。
(竹下雅敏)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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ブロック投入で工事本格化 政府、強硬姿勢崩さず(17/02/07)
配信元)

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辺野古沖での新基地本体工事着手。翁長知事は新基地建設承認の「撤回」のための住民投票を断行すべきだ。
 2017年2月6日、安倍政権は、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設先と称して、新基地を建設しようとしている名護市辺野古沿岸部で海上の本体工事に着手しました。

 海中の汚れ拡散を防ぐ準備措置をするというのですが、14トンもある石材ブロックを220個も海中に投入するのだそうで、それだけで珊瑚の海がどれだけ傷つくか、想像するだけで胸が痛くなります。

 まして、辺野古の新基地建設のための埋め立てには、2000万立方メートル余り、東京ドームおよそ16杯分の土砂を投入する予定で、もはや海などなくなってしまいます。

 安倍政権は5月にも埋め立て前の最終工程となる護岸造成を始める方針です。

 護岸工事や埋め立てで、海中に石材や土砂が投入されると、自然環境への影響が著しく原状回復が困難、というか回復は不可能です。

 一度破壊された自然は二度と戻ってきません。

 ここに、1996年に日米両政府が返還に合意した普天間飛行場の移設問題は重大な局面を迎えつつあります。

 安倍政権の菅官房長官などは、普天間基地の負担軽減のための唯一の方法が辺野古への移設だなどと言います。

 しかし、これは間違いです。

 普天間基地は海兵隊基地であり、海兵隊は日本の防衛とは関係ない「殴り込み部隊」=攻撃部隊ですから、日本の安全保障のためにはなくていいのです。

 ですから、普天間基地を廃絶し、辺野古にも基地を作らない方法はあります。

 それは普天間基地の海兵隊をグアムなどに移すことです。

 巷間言われているよりその危険性はずっと少ないですが、万一、日本の島しょ部が中国などに侵攻されても、海兵隊はそれを防御する部隊ではなく、取り返す部隊ですから、グアムからでも十分間に合うのです。

 そこで、いま、翁長沖縄県知事が取るべき手段は、仲井真知事が新基地建設に出してしまった承認手続きの「取消」ではなく「撤回」です。

 取消については、すでに翁長知事がこれをして、裁判が起こされ、取消の理由がないことが最高裁で確定してしまいました。

 しかし、県知事には「撤回」という手段がまだ残されているのです。

 日常用語ではよく似た意味ですが、埋め立て承認や許可といった行政行為の成立に瑕疵(かし=法的な傷のこと)があった場合にできるのが「取消」です。これは承認までの事情が判断されます。

 これに対して撤回は、行政行為の成立後に新たな事情が発生したことを理由に、将来に効力を失わせる措置です。

 そして、今回の承認後に生じうる新たな事情と言えば、民意の確定、つまり、沖縄全県での住民投票を新たにして、その圧倒的な民意を持って、翁長知事があらためて承認の撤回をすることです。

 辺野古の海を徹底的に守るなら、もう一刻の猶予もありません。

 承認手続き撤回のための住民投票を。

(中略) 

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[seiryuu氏]「社会奉仕」の経済システム 〜共産主義でも資本主義でもない経済システム「プラウト」〜 【第1回】

竹下雅敏氏からの情報です。
 昨日の記事のコメントで、“どのような経済システムが、どのような理念のもとにあるべきかを、きちんと押さえておく必要がある”としました。それが、今日紹介する記事に出てくる“ プラウト(進歩的活用理論)”です。
 以前「お金の秘密・打ち出の小槌物語」を紹介しましたが、この物語の作者であるseiryuu氏が、今回新たにプラウトを紹介する記事を書いて下さいました。要点のまとまった大変わかりやすい記事なので、転載させていただくことにしました。
 今日から何回かに分けて、P.R.サーカー氏が提唱したプラウト(進歩的活用理論)の記事を掲載したいと思います。今日の記事は、「お金の秘密・打ち出の小槌物語」を公開する前に書かれたもののようです。“共産主義でも資本主義でもない経済システム”がすでに50年以上も前に準備されていたというのは、多くの人が知らないことだと思います。実はサーカー氏の予言によると、“プラウトは近い将来日本から必ず始まることになるだろう”という事でした。これが実現することを望みたいものです。
(竹下雅敏)
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「社会奉仕」の経済システム (2016年7月10日)
文:seiryuuさん

私たちの知っている経済システムは2つ。

・ 資本主義経済システム
・ 共産主義経済システム

これについて「共産主義経済は崩壊し、資本主義が残ったことから資本主義経済システムが正しかったことを歴史事実が証明している。」という説が今日の決まり切った常識となっているように見受けられます。

翻って、果たしてこの常識は本当に正しいのでしょうか?

経済とは「経世済民」、つまり世の中を正し民衆を豊かにする、それ自体が本来「社会奉仕」です。ところが
※ 資本主義経済の現実 

1%対99%以上とも言われる猛烈な格差社会の進行。(貧困者が増加の一途)
地球上の多くの生物種が絶滅や絶滅の危機に瀕し、また砂漠化の進行など著しい自然環境破壊。

貧困者を続々生みだし、生物を絶滅し大切な環境を破壊する経済活動。不幸を生みだし続けている経済システム、私たちはこの資本主義経済システムの上で、民主的に平和で自由、そして進歩的とされている?生活をして いますが。このシステムが果たして「民主的」といえるのでしょうか?誰の「平和と自由」を守っているのでし ょうか?経済が「社会奉仕」になっているでしょうか?私たちの社会は進歩しているのでしょうか?皆が豊かに 幸せに暮らせる社会が「進歩した社会」であり、逆ならばそれは「退歩」と思えますが・・・。そして現実にこ の経済システムは大きく揺らぎきしみ声を上げています。既にプエルトリコが財政破綻。英国の EU 離脱、ギリ シャ問題等々EU 危機は続行中、米国の負債は天文学的・・・、世界経済は崩壊寸前、すでに一部決壊が起きてい るように見受けられます。ただ多数の方の声はこうでしょう。

※しかし、資本主義に問題はあったとしても他に選択肢がないのでは? 

・・・※いえ、実はあります。すでに50年前以上に用意されていました。

共産主義でも資本主義でもない経済システム。 それはその実践によって

・ その本人自身の内面、精神性が向上成長する活動。
・ 地域の自然環境が回復保全できる活動。
・ 地域の経済活動が活発豊かに成る活動。
・ 地域のコミュニティが親密豊かになる活動です。

まさに社会奉仕に直結する経済システムです。そして単なる机上の理論ではなく、すでに世界各地での実践例もあります。

P.R.サーカー氏が提唱した「プラウト(日本名:進歩的活用理論)」がそれです。


ウィキペディアの冒頭、次のように紹介されています。 「プラブハット・ランジャン・サーカー(Prabhat Ranjan Sarkar、1921年5月21日 - 1990年10月21日)はインド人の哲学者、思想家、社会改革者、詩人、作曲家、言語学者。同時にタントラ(アナンダ・マルガタントラ)とヨーガの指導者の 1 人として知られる。」

彼の思想の一端を紹介します。

人間の尊厳のため教育は無料でなくてはなりません。P.R.サーカー
教育のある人とない人を区別する架空のラインをなくし、不合理な区別を取り払うために人間の尊厳が認 められなくてはなりません。世俗の知識と精神的知識は光や空気と同じように無料でなくてはなりません。

流れ続ける湧き水のように社会を活動的な状態に保たなくてはなりません。
それは各人と社会全体の限りないインスピレーションの源泉であるべきです。
既得権を持つ人々は、意図的に搾取された大衆を無知なままにしておこうとします。
なぜなら、それは人間の尊厳を否定するいい言い訳になるからです。経済の分野では、そのような偽善的 主張が際立っていて卑劣です。
これらの勉強のできる人々は、勉強のできない人々から、彼らの権利、人間としての尊厳、自尊心を奪い、自分の優越感を発達させます。
同様に先祖伝来の莫大な財産を引き継いだり、他人を欺くことによって莫大な富を蓄積したり、資本の投 資などで巨額の財を貯めた富裕者は、光や空気や水のようにこの宇宙の世俗の資源や資産は、すべての人間の共通の財産であることを忘れています。財産は誰か個人の所有物ではないことを忘れています。」

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