今回のテーマは「『利権の時代』はなぜ終わるのか?」
みなさんこんにちは。原田武夫です。
今回はホワイトボードセミナー第21回目といたしまして、
「『利権の時代』はなぜ終わるのか?」と題してお話しをしていきたいと思います。利権という言葉はですね、何とも言えず暗いイメージがあるんですけれども、しかしですね、ほぼ日常的に使っている日本語でもあるわけです。
このことについて一度じっくりと考えてみるということが、実は、
これから世界、そしてわが国の未来を考えるにあたって、極めて重要であるということを本日はお示しいたしたいという風に思います。
究極の意味における「戦後日本の政治」とは一体何だったのか
そもそもですね、
究極の意味における「戦後日本の政治」とは一体何だったのかということであります。日本の政治はですね、
GHQという名の下における米軍が入ってきまして、アメリカンデモクラシーという新しいタイプの民主主義を植え付けられました。
これは新しいタイプの民主主義というのは、戦前もわが国においてはですね、大正デモクラシー以降の伝統の中に民主主義はあったんですけれども、どこが違うのかという風に言うとですね、とにかく
全員が参加してやるんだと。もう全然排除される人はもう一切なくして、もうとにかく全員でやっていく。
しかもそれをですね、
ここからここまでの範囲内で意見を選択してねという風に右と左をですね、きっちりと
アメリカ自身が決めた上で、じゃあゲームして下さいということで、
各政党もですね、
アメリカがきちっと作って行くという形によって行なわれるようになったゲームなわけであります。
このアメリカンデモクラシーはですね、そういう意味においては、何で始まったのかということについて考えていく必要があるわけなんですけれども、これは戦前の日本が、なぜファシズムに走ったのか、軍国主義に走ったのか、それは要するにデモクラシーがなかったからだと。
ということは、われわれ自分たちの国以上に、ほんとの意味でデモクラシーをやってくれる国にですね、日本がなってくれればそんな危険性はなくなるんじゃないかという風に、当時のGHQの左派の人たちは考えたわけですね。
ところが、日本において始まった戦後の民主主義というのは何だったのかと言うと、これに書いてございますけれども、
「利権」の政治だったわけであります。何で利権なのか。別にいいじゃないか、みんなで投票してですね、それで総理大臣も選ばれて何が問題なのかと皆さん思われると思います。
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今回の記事は、ポロシェンコ大統領のスピーチが現実のものとなったことを紹介してくれています。東部・南部のウクライナ一般市民への砲撃を示す記事はこれまで何度も掲載されてきましたが、今回は多くの写真からドンバスの子どもの基本的人権が踏みにじられていることが伝わってきます。