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ホツマツタヱに伝わる、中国で古くから信仰された女神「西王母」の伝承

竹下雅敏氏からの情報です。
 今回はホツマツタヱの天の巻15「御食(ミケ)、万(ヨロズ)、生成(ナル)の紋(アヤ)」を中心として、西王母(せいおうぼ)の伝承を考察します。
 西王母は中国で古くから信仰された女神で、崑崙山(こんろんざん)に住み、神仙思想と結びついて「不老不死の支配者」と見なされています。というのも、西王母は「蟠桃園の女主人」であり、伝説では「蟠桃園には、三千六百本の桃の木があり、手前の千二百本は、三千年に一度熟し、これを食べた者は仙人になれ、中ほどの千二百本は、六千年に一度熟し、これを食べた者は、長生不老が得られ、奥の千二百本は、九千年に一度熟し、これを食べた者は天地のあらん限り生き永らえる」とされているからです。
 その西王母が、ホツマツタヱではニシノハハカミとして登場し、「コロヤマ(崑崙山)の民はまことに愚かしく、肉を好んで食べ、皆短命です。百歳か長くて二百歳位で亡くなります。稀に千歳、万歳の者もいますが、おしなべて、日々肉を食しております」と言って、崑崙山の民の寿命が短いのを嘆くのです。
 この場合の「(寿命が)百歳か長くて二百歳位…稀に千歳、万歳の者もいます」という言葉は、文字通り受け取るべきものです。三千年に一度熟すという桃の木がある「蟠桃園の女主人」の言葉なので、文字通り受け取るよりないのです。
 ホツマツタヱによれば、この三千年に一度熟すという桃は、「三千実(みちみ)の桃」としてニニキネが西王母に授けたものになっています。この15紋には次のくだりが出て来ます。
「吾は、日常の食事に千代見草を食べている。それは世の中にある苦菜より百倍も苦い。苦菜を食べて長生きをして、民が豊かになるようにと国を治めているのである。吾はマサカキが千本の枝を出したのを四回見てきた。わが身も今年で二十四万歳になったが、今でも元気なカキツバタのようで、これからも百万年も生きると思う」
 こうした背景を考慮すれば、上記の文章も文字通り受け取るしかないのです。ホツマツタヱに出て来る年数は途方もなく大きなもので、私たちの常識に合わないので、適当に数字を調整して常識の範囲に収まるように解釈する人が多いのですが、このようなことをすべきではありません。
(竹下雅敏)
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御食(ミケ)、万(ヨロズ)、生成(ナル)の紋(アヤ)
2020年11月29日  竹下雅敏

 
今回はホツマツタヱに伝わる「西王母」の伝承を紹介したい。

http://hotumatutaye.com/wp/wp-content/uploads/2014/06/260610ほつまつたゑ全文.pdf
ほつまつたゑ 全文より抜粋

    ウケステメ ネノクニニキテ  ウケステメ  ネの国に来て

    タマキネニ ヨクツカフレバ  タマキネに  よく仕ふれば

    ミニコタエ ココリノイモト  身に応え   ココリの義妹と

    ムスバセテ ヤマノミチノク  結ばせて   弥真のミチの奥

    サヅケマス ヨロコビカエル  授けます   喜び帰る

    ウケステメ コロヒンキミト  ウケステメ  コロヒンキミと

    チナミアヒ クロソノツモル  チナミ合ひ  玄圃積もる
 
15-23 ミコウミテ ニシノハハカミ  御子生みて  西王母

    マタキタリ コロヤマモトハ  又来り    「崑崙山麓は

    オロカニテ シシアヂタシミ  愚かにて   獣肉味嗜み

    ハヤカレシ モモヤフモモゾ  早枯れし   百や二百歳ぞ

    タマユウニ チヨロアレドモ  たまゆうに  千万(歳)あれども

    ヒヒノシシ シナキミイデテ  日日の肉食  シナキミ出でて

    チヨミグサ タヅヌトナゲク  千代見草   探づぬ」と嘆く
 
「完訳 秀真伝 上巻 鳥居礼著 八幡書店」を参考にすると、意味は次のようになる。
 
ウケステメ(西王母)はネの国のタマキネ(豊受大神) のもとに来て、良く仕えたので、大神は心から感動し、ココリ姫(菊理姫)の道の妹として縁を結ばせ、両人にヤマノミチノク(神仙の奥義)を授けた。喜んで帰国したウケステメは、コロヒン君(崑崙王)と結婚してクロソノツモル(玄圃積王)を産みました。
 ニシノハハカミ(西王母)は再び来朝して、「コロヤマ(崑崙山)の民はまことに愚かしく、肉を好んで食べ、皆短命です。百歳か長くて二百歳位で亡くなります。稀に千歳、万歳の者もいますが、おしなべて、日々肉を食しております。
 シナ(支那)君がやってきて、仙薬のチヨミ草(千代見草)を探し求めています。」と嘆いた。

これは驚くべき記述ではないだろうか。西王母(せいおうぼ)は、「西方にある崑崙山上の天界を統べる女性の尊称、天界にある蟠桃園の女主人でもあり、すべての女仙を支配する最上位の女神。東王父に対応するとされるのだが、ホツマツタヱにはニシノハハカミ(西王母)と言う尊称と共に、ウケステ女と言う個人名が書かれているのである。
 西王母に対置される東王父は、タマキネ(豊受大神)である。
 
ウィキペディアの「西王母」には、“前漢の武帝(前141年~前87年)が長生を願っていた際、西王母は十万人の玉女の名録を掌る女仙の上元夫人と董双成や王子登などの侍女とともに天上から降り、三千年に一度咲くという仙桃七顆を与えたという。西王母は黄金の光輝く華美な衣装を纏い、頭には太華髻と太真晨嬰の冠をつけ、腰には分景の剣を備えた30歳位の絶世の美女であることが描かれている”とある。

「西王母が武帝に桃を贈る 伝説の蟠桃は実在したのか?」と言う記事には、“宴会の途中に、西王母は仕える天女に仙桃を持ってくるよう命じました。…桃は淡い青色をしていて、西王母は武帝に4個をあげ、自分は3個食べました。武帝が桃を食べてみると、とても甘くて美味しくて、食べ終わった桃の種は全て保存しました。西王母がなぜ種を保存するのかと聞くと、武帝は、後日植えてみたいと答えました。西王母は「この仙桃は三千年に一回実がなるもの、不毛な人間の土地では育てられないでしょう」と言いました”とあります。
 
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ままぴよ日記 63 「家の中は危険がいっぱい!」

 子どもの病気は、ほとんどが感染症です。最近は新型コロナウイルス感染予防のために手洗い、マスク、3密を避ける生活を徹底しているせいか、全くと言っていいほど患者さんが来なくなりました。11月の終わりに県下のインフルエンザの発症が0というのも初めてのことです。

 これは喜ばしい事ですが、小児科の経営という意味では大打撃です。幸い我が家は借金がなく、家賃も払う必要がないので、どうにか回っている状態です。このままいくと倒産するところも増えるのではないでしょうか。

 一方で、世の中は少子化が進み、子育て環境の変化に伴って子どもの姿が大きく変わってきました。ある意味、大人社会の経済中心の生活が子どもの成長に影響を与えています。特にコロナ禍で、家の中に籠っている子ども達。周囲から苦情が来るので、静かにしているように強いられて、その代わりにメディアを与えられています。

 都会に住む、知り合いの3歳の女の子が、いきなり奇声を発するようになりました。暴力をふるったり、癇癪を起して手に負えません。困り果てた親は精神科を受診して薬を貰うようになったとか。これは決して病気ではなく、子どもが子どもらしくいる事を制限されたストレスの症状です。このような子がどのくらいいるのでしょう。

 そんな子ども達の事がとても気になります。子どもの健やかな成長を支援するのが小児科です。今後、子どもが大人社会の犠牲者にならないためにも、小児科医の役割が大きく変わる必要があるのではないかと感じています。経営面ではますます赤字になりますが・・・。

 今回はコロナ禍で家に籠りがちなママのために、子どもの家庭内事故について書きたいと思います。特に、新米ママ達は子どもがいる暮らしさえ想像できないまま赤ちゃんのお世話をしています。
(かんなまま)
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1人にしてはいけない


「この子は抱っこしないと寝ません。だから1人で寝る練習をしています」と、2ヶ月の赤ちゃんを持ったママが言いました。「どうやって1人で寝せているの?」と聞くと「夜の8時になったら隣の部屋を暗くして1人で寝せます。泣いても行きません。諦めて寝てくれるように訓練しています」というのです。


このママだけなのかと思っていたら、他のママ達の口からも「ネントレしています。泣く赤ちゃんと根競べです」などなど。どうもネットで流行っているらしいのです。でも、そのママが「昨日、泣き声が変だから行ってみたら赤ちゃんの顔に毛布が被さって苦しそうにしていたのでびっくりしました。怖かったです」と報告してくれました。

いいタイミングだったので、赤ちゃんを1人にしてはいけない事と、事故は家庭内で起こる事をお話ししました。本当は赤ちゃんの健やかな成長を願っているママ。「知らなかった。聞いてよかった」と言ってくれました。

そんなママは目に見える湿疹にはとても敏感で、高い薬をネットで調べて取り寄せているようです。何とまあ、アンバランスな子育てですが、自分で一生懸命に考えて判断しているのでしょう。こんなママが大勢います。新米ママを1人にしてはいけないと痛感しています。


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*まるっと◎なんくるないさぁ~* あい∞ん在宅看取り介護8

 「身体さん」が心地良くなるよう心を込めて工夫をこらしてお世話をされた、あい∞んさんでしたが、お父様の「魂」さんとはどのように向き合われたのか、ずっと気になっていました。今回は、あい∞んさんとお父様の心もようを伺ってみました。
(まのじ)
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あい∞ん在宅看取り介護8


Q.介護を続けるうちに、次第に先のことを意識せざるを得なくなると思うのですが、「言いにくいこと」を伝える場面はありましたか。

介護を始めて2週目あたり、4/6頃に、ストローを使って自分で飲むことができなくなりました。吸い上げる力が無くなってきたのだと思います。いずれ飲んだり食べたり出来なくなる時がくることを予想して、その時には2つの選択肢があることを父に話しました。点滴をして栄養をとるか、自然に任せるか、です。


その2つのメリット、デメリットを説明して、父に決めてもらおうと思いました。

点滴をするメリットは、自然に任せるよりは、少し長く生きられるかもしれないということ。デメリットで考えられることは、身体が受け付けないのに無理に栄養や水分を入れたりすると、身体の何処かに水分が溜まって浮腫んだり、痰がすごく出たりする可能性があって、思いがけず苦しむ時間が長くなるかもしれないこと。

自然に任せるメリットは、苦しまずスッと逝ける可能性があること。祖母の妹(父にとっては叔母)は延命治療などは一切せず自然に任せていて、最期、急変してからは短い時間で余り苦しむ様子もなく、穏やかにスッと旅立てたことを父も思い出せたかもしれません。デメリットは、もしかしたらすごくお腹が減ってしまうのかもしれない!? 我慢できないくらいひもじい場合には、その時に点滴お願いしたら良いかもしれないよ…と伝えました。


また他にも、医師や看護師さんから何か大事な判断を求められた時、父自身で会話が出来ない、意識がハッキリしない場合、母(妻)と私(娘)と、どちらに決めてもらうことを希望するかも尋ねました。その他、お葬式についてなにか希望がある?母や私で決めて大丈夫?と訊きました。

この時「亡くなった後、3日間は魂のために肉体を焼かない方が良いそうだから、そうしても良い?」「お葬式は密葬で良い?」「御香典は受け取らないけど良い?」と父に問いました。

死に関することを父に直接訊くのは、本人にとって辛いことだろうなと思いましたが、やっぱり避けては通れません。本人の許可無く勝手に決めたり祈ったりすることはヤマ・ニヤマに反する、と学んでいましたし、父と私のカルマにも係わってくることなので…やっぱり本人にきちんと選択して決めてもらううことが重要と思いました。

一生懸命説明をして、どうする?と訊いたら、父は嫌そうな顔で、そしてちょっと怒ったような口調で、「解らん!」と言いました。そうだろうなあ、だけど決めることを避けてはいけない、自分自身のことなんだから。。。。

父に「自分の身体のことだから自分で決めないといけないし、私には決められない。勝手に決めたら私の罪になるから…それは困るよ。」と話して、「点滴を受けるかどうかを先生に訊かれた時には、どうか自分で先生に言ってね。」と根気よく説明しました。
なんとか自分で決めてほしかった。


父の決断は「そのままで、自然に委せる。重要なことは娘(私)に決めてもらう。お葬式も一切任せる。」という答えでした。

この答えを聞いて、今度は母にも同様の説明をしました。父の出した答えを伝えて「お母さんはどうしたい?」と訊きました。母も父と同様の選択でした。


Q.あい∞んさんに一切を任せると決められたのは、最善を尽くしてくれるはず、というご両親の信頼でしょうね。

介護を始めて6週目くらい、4/26頃から父の呼吸がしばしば止まりそうになりました。その時期は身体の変化が著しかったです。胸からゴロゴロ音がしたり、シャックリが何日も止まらなかったり、体温計のエラーが続いたり、右脇、左脇で体温差があったり。左側の瞼と目の下のところが、ずっとピクピク動いていたり、尿の汚れが強く量も多くなりました。便が大量に出たり、ストーマの袋もガスで直ぐにパンパンに膨らんだりしていました。


その頃、父が、目をパッチリ開けて何処かをじっと見ていることや、上に手を伸ばして何かを掴もうとしていること、誰かとはっきりと話をしていたことがあり…。

あぁ…死が近いのかもしれないな…と感じました。

「シャックリが三日続くと死ぬ」とどこかで聞いたことがありますが、確かにシャックリは身体にとってかなり負担のかかることだと、後から思い至りました。呼吸も、マラソンをしている時の様な、2回づつ吸う吸う、吐く吐く、みたいなリズムでした。寝たきりでも、ずっと走り続けている様な大きな負担が身体にかかっていたのではないのかな…。

呼吸が止まりそうになったり、気づくと呼吸が止まっていた時は、父の目がパチパチっとなって、「あれ?」というビックリ顔になっているように見えました。手を握ってあげたり、胸を撫でてあげたりして、しばらくすると呼吸が戻ることが続きました。

父の眼がとても澄んできていたので、お迎えも近いのかもと感じました。父が穏やかに神様に意識を向けて旅立ち出来そうかも…と、ちょっと、ほっ…とするような気持ちにもなりました。その時期、娘も学校から帰省中でしたので、みんなが揃っている時に穏やかに見送れたらと思って、娘と一緒に父の手をさすってあげたり握ってあげたり、「今まで、ありがとう。」とか、「あんまり優しくしてあげられなくて、ごめんね。」とか話しかけながら、ずっと傍に居て見守っていました。


本当に何度も呼吸が止まり、しばらくそのままなのですが、必ず息を吹き返して、ちょっと、ほっ…とした顔をしている様に見えたので、「あれ?何かちょっとおかしいな…、もしかしたらまだ逝きたくないのかも?」という考えが浮かびました。

「三脈を測ること」を、ぺりどっと通信で教えていただいていたので、自分なりに父の三脈をとってみると…あら?どうやら脈がすごく元気かも!?ドクドク元気な血流で、ズレていないかも!?私の脈と比べてみよう…と自分の脈を測ってみたら、すごく弱々しくて…余りよく解らん…私の方が死にそう?!な脈やん!! と、コントみたいなことが発覚して、娘と顔を見合わせてしまいました。

父に、「もしかして、死ぬの嫌なん?」と聞いてみたら、こくんと頷きました。「死ぬのが恐いん?」と聞いてみたら、また頷きました…。

旅立ちを怯えながら死ぬのは良くないかも…と感じたので、父に、死ぬのは恐くないから大丈夫、と伝えました。以前にも一度伝えていたことをもう一度、竹下先生の講話で教えて下さっていること、教えて頂いた内容を、父にも伝えました。

もしも誰かがお迎えに来てくれるなら、一体誰が来てくれるのか私なら楽しみだし、もしかしたら父の親友キンちゃんが迎えに来てくれたりしたら楽しみじゃない?と父に話すと、表情が柔らかになりました。

死ぬ時には、神様が迎えに来て下さって「痛いのをよく我慢してがんばったね」と、きっと褒めてもらえるね、と父に言うと、頷きました。死ぬ時には、神様に「良いところに連れて行って下さい」とお願いして安心していたら良いよ~、幸せになれる場所に行って、幸せにならんとね♪と父に言うと、顔と心がほころんだ様に見えました。


きっと心の深いところに、届いたかも…安心したかな…と思いました。呼吸が止まっている時は痛くないの?と訊いてみたら、痛くはないのだそう。

痛くないなら良かったな…と、私も安心しました。


「なんくるないさー」は、挫けずに正しく歩むべく努力すれば、いつか良い日が来る、という意味だそうです。生きている中で沢山の色々な事が起こるし、沢山挫折もするけど、「まるっ」と今を受け入れて、「なんくるないさぁ~」を心の杖にして生きれたなら良いな~♪
(あい∞ん)

ニニキネは、原見山(富士山)の麓の八方位を掘らせ八つの湖を造り、掘り出した土を山頂に上げて「八峰」を築いた ~原見山(富士山)に「八峰」を築いたのは紀元前1,252,758年

竹下雅敏氏からの情報です。
 ホツマツタヱは伝承を文字通り受け取ると、タイムスケールが大きすぎて困惑してしまう人が多いと思われるのですが、伝承の内容も信じがたいものなのです。
 ニニキネは、原見山(富士山)の麓の八方位を掘らせ八つの湖を造り、掘り出した土を山頂に上げて「八峰」を築いたと書かれているのです。また、同じ紋「コヱ国原見山の紋」の中に、“オキツボの 峰より眺め 御言宣(みことのり) 「汝ヤマクヒ 山後(やまうしろ) 野を堀り土を ここに上げ 太陽の山を(おおひのやまお) 写すべし」”とあり、比叡山は「オキツボの峰」に土を積み足して、原見山(富士山)に似せて造ったと書かれているのです。「一枝(60年)で完成したので一枝(ヒヱ)の山」と言うようです。
 私の調べでは、原見山(富士山)に「八峰」を築いたのは紀元前1,252,758年であり、「比叡山造成の勅」が出たのは紀元前1,180,710年のことです。
(竹下雅敏)
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秀真伝御機の二十四「コヱ国原見山の紋」
2020年11月22日   竹下雅敏
 
ホツマツタヱの興味深い伝承を紹介したい。

https://www.gejirin.com/hotuma24.html
ほつまつたえ 地の巻24 こゑくにはらみやまのあや【コヱ国ハラミ山の文】

(前略)
くもちわけ しなのすわより   雲路分け  シナノスワより
(信濃諏訪)

みちひけは はらみやまから   導けば   ハラミ山から
よもて すそのひろし   四方を見て 「裾野は広し
みつうみ すその   水を埋み  裾野 田にせん」

たちからを やもほらしむ   タチカラヲ 八方に掘らしむ
<をして>        

うみも やまなかと   の名も  東はヤマナカと
埋み      (山中湖)
 
きねあす かはくちと   東北はアス 北はカハクチと
(明見湖)    (河口湖)
 
ねつもとす にしのうみ   北西モトス 西はニシノウミ
(本栖湖)     (西湖)
 
つさきよみ しひれうみ   西南キヨミ 南はシヒレウミ
(精進湖)   (四尾連湖)
 
きさはすと           東南はスト
(須戸沼)        
(以下略)  
 
美濃(岐阜県)を経て、信濃諏訪(長野県)を通って原見山(富士山)についたニニキネは、原見山の山頂から周囲を眺めて、周りの八か所を掘って湖にし、彫り上げた土を山頂に積み上げさせて八峰を築いたというのです。
 
湖の名は、東・山中湖、東北・アス湖、北・河口湖、北西・本栖湖、西・西湖、西南・キヨミ湖、南・シビレ湖、東南・スト湖です。

http://matocayamato.blog62.fc2.com/blog-entry-179.html
天孫降臨の真実「アスカヲキミ」と「ハラヲキミ」
2015/05/12

(前略)
仮宮をミヅホと名付けられたニニキネさまは、イサナギ・イサナミさま、フタカミご由緒のタガ(多賀)に行き、ヌサをささげられ、こののち、美濃に寄り、山路を進み、シナノ(長野)に至り、スワ(諏訪)より導かれ、国見のためにハラミの山(富士山)に登られて、広大な裾野をご覧になり、裾野を田にするよう、タチカラヲにお命じになりました。

八方に掘ったウミは、ヤマナカ・アス・カワクチ・モトス・ニシノウミ・キヨミ・シビレウミ・ストの八湖。

ニハリのタミが集まり、 八湖を掘り上げた土をハラミ山(富士山)の八峰に上げました。 
 
ウツロヰが浚ってきたアワウミ(琵琶湖)と 建国のミオの土と一緒に担いきて中心となる中峰を造り上げました。

「ト・ホ・カ・ミ・ヱ・ヒ・タ・メ」8座の八峰に建国のクニトコタチさまの中峰を加えた9座をコホシに準えてのニニキネさまの御希望にこたえてのことです。
 
ハラミ山(富士山)の八峰に降りつもった雪が(地下水となり)八湖に湛えられ、その支流が、9千の里の灌漑用水となって3万の田圃に及ぼされたと記されています。
(以下略)
 
ニニキネは、淡(琵琶湖)の湖底の土と三尾の土から中峰を造らせたというのですが、「完訳 秀真伝 下巻  鳥居礼著 八幡書店」のp56には、“中峰を朝の間に造った功により、ウツロヰの神を稜威浅間峰(いづあさまみね)の神と讃えました”とあります。この事から中峰は「浅間峰」だと分かります。
 
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[Twitter]のびのび育つ子どもたち

ライターからの情報です。
信頼されている先生。
今はどんな工夫をされているだろう?
距離を取りながらでも、
面白おかしくやられているかな。
(しんしん丸)
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配信元)