「今から約3500万年前」に天界から神々の転生が始まった ~スミワタルタカキホシノヒメミコ様からの通信文とホツマツタヱの年代が一致

竹下雅敏氏からの情報です。
 「月の光」というブログに年表がある。この年表を参考にすると、「1穂=1年、1枝=60穂=60年、1鈴木=1,000枝=60,000年」なので、次の表が得られる。

年代 鈴木暦 天鈴暦 内容
紀元前3,300万717年  国常立尊が天真栄木を植える。
紀元前300万717年 1鈴木0枝1穂 大濡煮尊、少濡煮尊の婚礼の制定。
紀元前717年 50鈴木1000枝1穂 天鈴1年
紀元前697年 50鈴木1000枝21穂 天鈴21年 鈴木暦を天鈴暦に改める。
紀元前660年 天鈴58年 神武天皇(52歳)即位。

表から紀元前697年(天鈴21年)に、鈴木暦を天鈴(あすず)暦に改めているので、天鈴元年は紀元前717年である。大濡煮命の代より数えた「鈴木暦」の元年(1鈴木0枝1穂)と天鈴元年(50鈴木1000枝1穂)の年数の差は49鈴木1000枝=50鈴木=300万年なので、「大濡煮尊、少濡煮尊の婚礼の制定」は紀元前300万717年と分かる。
 国常立尊が天真栄木を植えて「鈴木暦」が始まるのだが、ちょうど501本目の真栄木を大濡煮尊、少濡煮尊が植え継ぐので国常立尊から大濡煮尊、少濡煮尊までに500×6万=3000万年の時間が経っていることになる。従って、国常立尊が天真栄木を植え「鈴木暦」が始まったのは、紀元前3,300万717年になるのである。
 「スミワタルタカキホシノヒメミコ様からの通信文3」で、“進化のプロセスとして現れた人類は、約4000万年前…それから約500万年経った頃、天界から神々の転生が始まりました。今から約3500万年前の事です”と言うことだったのだが、通信文とホツマツタヱの年代が一致することを理解してほしい。
 中西征子さんが、ホツマツタヱのこうした年代を全く知らずに先の通信を受け取っているのは、「通信文2」で、スミワタルタカキホシノヒメミコ様から、“今から約4000万年に直立歩行の人類の先祖が、アフリカ大陸、インド、メソポタミヤなどの地域で、ほとんど同時に出現することになりました”と伝えられた際に、質問をしていることからも分かると思う。
 ホツマツタヱの記述にはないが、実は当時の第1システム天津神第2レベルの最高神の天御中主神(大源神)が地球に転生に入ったのは、紀元前3,430万530年なので、「今から約3500万年前」に天界から神々の転生が始まったというのは、とても正確なのである。
(竹下雅敏)
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「中央アジア神話と日本神話」について 3
2020年11月1日  竹下雅敏
 
前回前々回に続き、「中央アジア神話と日本神話 マイケル・ヴィツェル 翻訳:松村一男」の気になるところを引用し、説明を加える。

11.竜殺し
 同じことは原初の竜(あるいは大蛇)を殺す神話にもあてはまる。ヴェーダのインドラは典型的な竜の殺し手である。

 日本のスサノヲは八頭のヤマタノヲロチを退治し、クシイナダヒメと結婚するが、インドラは竜(または大蛇)のヴリトラ(「抵抗」の意)を殺す。
 
ホツマツタヱでは、奸計により追放された北の局のモチコ・ハヤコが怨念によりオロチに変ずる。ハヤコ(小益姫早子)が変じたのが八岐大蛇とされる。

 この「ヤマタノヲロチ退治」の神話の現実的な解釈は、“怒って出奔したハヤコ妃は、ヒカワ(斐伊川)の上流に悪党達を集めてオロチとなっていました。…ソサノヲさまは、もう、これ以上、悪事をおこさせてはならないと、ハヤコ妃を斬る決意を固められます。この時、ハヤコ妃が手にしていた剣が「アメノムラクモのツルギ」であり、ソサノヲさまの手に渡ったのち、時代がくだってヤマトタケさまに授けられ東国平定の旅へと向かわれることになるのです”というもの。

 ホツマツタヱではソサノヲ(素戔嗚尊)の生まれ変わりがヤマトタケ(日本武尊)なのだが、これは正しい。ちなみにソサノヲに斬られたハヤコ妃(オロチ)が転生したのが、コノハナサクヤヒメの姉イワナガヒメで、「神社浴ナビ」には、“ハヤコヒメの物語”の簡潔な記述がある。

 神話では、九頭大蛇、八岐大蛇と呼ばれている持子姫早子姫だが、「天界の改革」で二柱とも私が救済し、現在は第1システム天津神第二レベルの「キツヲサネ五神」になっている。

12.原初の双子
 原初の双子の運命に関しても日本とインドの神話は類似を示す。

ホヲリは兄であるホデリの釣り針を失くして、海神の宮に行って取り戻してくる(竜の姿の姫との結婚もある)。復讐によって兄のホデリはほとんど殺されかけるが、最終的な殺人はない。ホヲリは初代天皇神武の父である。
 
ニニキネとコノハナサクヤ姫の長男がホノアカリ(火明命)、次男がホノススミ(火進命、海幸彦)、三男がヒコホオデミ(彦火火出見尊、山幸彦)。

 ホノアカリ(火明命)と玉根姫の子がニギハヤヒ(饒速日命)で、後にニニキネの兄であるクシタマホノアカリ(奇玉火之明尊)の死後、アマテルの命でアスカ国を継ぐ

 ハテツミ(綿津見神 わたつみのかみ)の娘トヨタマ姫(豊玉姫)とヒコホオテミ(彦火火出見尊)の子がウガヤフキアワセズ(鵜葺草葺不合命)。

 トヨタマ姫(豊玉姫)の弟カモタケツミ(賀茂建角身命)の娘タマヨリ姫(玉依姫)とウガヤフキアワセズの子がカンヤマトイハワレヒコ(神武天皇)なので、“ホヲリは初代天皇神武の父”は明らかな誤りである。こちらのブログに系図と共に説明がある。
 

13.最初の人間の支配者の神的起源
 神武と五瀬の命の話をヴェーダの建国伝承と比較してみよう。太陽女神アマテラスから神武までは、アマテラス/オシホミミ/ニニギ/ホヲリ/神武の五世代である。

ホヲリが海神の娘で姿を変える能力をもつトヨタマと結婚する(が別れる)物語と類似している。
 
男神アマテラスから神武までは、アマテラス/オシホミミ/ニニギ/ヒコホオデミ(ホヲリ)/ウガヤフキアワセズ/神武の六世代になる。

 これほど基本的な事実を理解していない神話学者とは、いったい何なのかは理解しがたい。

 「古事記」では、“トヨタマヒメは「出産の時、異国の女は本来の姿を現します。だから産屋を覗いてはなりません」とヒコホホデミに告げた。好奇心にかられたヒコホホデミは、つい産屋を覗き、そこに巨大なワニがはいまわっているのを見た。本来の姿を見られたことを恥じて、トヨタマヒメは海に帰ってしまう”という話だが、ホツマツタヱでは「姫は女だけの一人身の気安さから一糸まとわぬお姿で、しとねの上で腹ばいになってまどろんでおられました」ということで、ワニに変身していたわけではない。


14.最初の支配者の降臨
 神々の子孫である最初の支配者の地上への来訪の仕方でも二地域は似ている。日本ではアマテラスの「孫」のニニギが(石)船で九州の高千穂に降臨する。
 
第一次天孫降臨は奇玉火之明尊で、十種神宝を賜り葦原国へ派遣される。ホツマツタヱには、斑鳩宮の創建の翌日、飛鳥宮創建の命を出したことで、大物主の奇彦命(大己貴命の子)が諌言(かんげん)天児屋根命とともに政務を退くという事態が記されている。紀元前1,499,717年のことである。

 第二次天孫降臨がニニキネ(瓊々杵尊)で、天照大神より八洲巡狩を許され三種神器を授与される。紀元前1,290,620年のことである。こちらのブログを参照して欲しい。

 高千穂はニニキネが神上がった場所である。

15.二人の建国者:神武と Videgha/ Okkaka
 太陽王朝の直接の子ではないが、ヴィデーガ・マータヴァと神武はともに「東」の世界の「初代」の王である。神武は日向の高千穂から東の大和に向かう東征を行なう。
 
2019年7月15日の記事で、“神武天皇はナカクニ(近江、琵琶湖周辺)に生まれ、父君であるウガヤフキアワセズノミコトは、神武天皇が5歳の時に農業指導のためにツクシ(九州)へ行幸され、神武天皇はツクシ、ミヤザキの地で成長した”ことを紹介しました。

 記事で紹介した動画「神武東征の秘密」の3分3秒~4分50秒をご覧になると、当時は二つの朝廷が並立しており、「神武東征」がなぜ行われたかを説明しています。

 アスカ国を継いだニギハヤヒ(饒速日命)の部下ナガスネ(長髄彦)が、世継が生まれないニギハヤヒのために、子供を作るための「世嗣文」を密かに写し取るという大事件を起こす。これが「神武東征」のきっかけとなるのである。

16.後継者たち 
 神武もマヌも長く繁栄した統治の時代を過ごし、老齢で亡くなっている。神武は大和の南部、橿原に近い畝傍山に葬られたと伝えられる。

 神武もマヌもその後の数代はあまり伝承のない諸王が続く。神武の場合、そうした王たちが八世代続き、九世代目に崇神天皇となる。興味深いことに彼は神武と同様に「初国知らしし」天皇と呼ばれ、明らかに歴史性のある人物である。
 
神武天皇は、紀元前660年に52歳で即位、紀元前585年3月10日に128歳で崩御。

 崇神天皇(第10代)は、実在が確実視されている人物で、ウィキペディアには「実在ならば治世時期は3世紀後半」とあるのだが、ホツマツタヱの暦から「祟神天皇は紀元前97年に52歳で即位、紀元前30年に崩御」したことが分かっている。

 このようにホツマツタヱに基づかない古代史は、空想の産物で考慮に値しないものであることが分かる。

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