竹下雅敏氏からの情報です。
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「中央アジア神話と日本神話」について
2020年11月1日 竹下雅敏
「中央アジア神話と日本神話 マイケル・ヴィツェル 翻訳:松村一男」を読んで、気になるところを引用し、少し説明を加えて見たい。
「ほつまつたゑ御織の十四(ソヨ) 世継ぎ告る祝詞の紋」の天地開闢(14-6)の所では、“ウツホ・風・火と 水・土の 五つ混わりて 人となる アメナカヌシの カミはこれ”と書かれている。
この部分を含めた口語訳は、「このウツホ(空)、カゼ(風)、ホ(火)、ミヅ(水)、ハニ(土)の五元素が混じり合ってこの時初めて人体が生まれました。アメナカヌシ(天御中主)とはこの神のことです。アメナカヌシは八方の万国を巡ってヨロコを生み(万子生む、喜ぶの語源)方々に配り置いたので、その子孫がそれぞれの国の最初の先祖となりました。」とある。このように、「ホツマツタヱ」には最初の神々がハッキリと記されている。
「スミワタルタカキホシノヒメミコ様からの通信文3」では、“進化のプロセスとして現れた人類は、約4000万年前だという事をお伝えしました。…それから約500万年経った頃、天界から神々の転生が始まりました。今から約3500万年前の事です”と書かれていたように、第1システム天津神第2レベルの最高神・天御中主神が地球に「人」として転生したのは、BC3,430万年のことで彼の個人名は大源神(オオミモトノオンカミ)である。
「スサノヲと牡牛のつながり」というのは、八坂神社に祀られていた牛頭天王(ごずてんのう)のことを、素戔嗚尊(ソサノヲ)と同一視するという誤りから起こることである。
「牛頭天王は起源不詳の習合神で祇園精舎を守護するとされ、日本では素戔嗚尊と同神とされていた」ということなのだが、“釈迦の生誕地に因む祇園精舎の守護神”ということから分かるように、牛頭天王とは祇園精舎を建立し寄進した長者スダッタ(須達多)のことで、素戔嗚尊とは関係がない。
この例から分かるように、日本では「神仏習合」の影響で、「神」でないものを「神」として祀るということが良く見られる。
「イサナギ・イサナミと和歌の枕言葉」には、“イサナギとイサナミの両神(ふたがみ)が、今の淡海(アワウミ)の瀛壷宮(オキツボ)に居られて国造りされていた時の事です。この宮を起点にして大八洲(おおやしま)を巡幸し、農業の普及に努め民を豊かにして後、法を定めて治安を計り、平和で豊かな国の再建を成し遂げました”とあり、天父地母ではなく、国を再建したことが分かる。
イサナギ・イサナミのホツマツタヱによる系図を見れば、近親相姦ではないことが分かるだろう。“性的交わりによって子孫を生む最初の神々が必要”だとして、それをイサナギ・イサナミと考えているらしいのだが、これもまた誤りである。
「ヒナ祭りと桃の花」には、“トヨクンヌの神は男女合わせて百二十人もの御子に恵まれましたが、各々がお一人でお暮らしになり、男女が一緒に暮らす夫婦(めおと)の道はまだ定まっていませんでした。こんな訳で、三代目までの神様を独神(ひとりかみ)といいます”とあり、イサナギ・イサナミ以前の神が単独でクローンを産んでいたわけではない。
続けて、“丁度、天の真榊木(まさかき)を植え継いで、五百本目になる頃のことです。四代目を嗣いだ男神の名前をウビチニと言い、この神はスビチニと言う女神と初めてご夫婦になられて最愛の妻としました”とあるように、初めて結婚という制度を定めたのが大濡煮(ういじに)尊、少濡煮(すいじに)尊で、“この時、両神にならって八十人の有力な神様達も皆妻を娶り、結婚式を祝うようになりました。この後、諸民も皆妻を定めて夫婦となり、この時結婚の風習が天下の法(のり)と定まりました”ということです。これは、紀元前3,000,717年の出来事です。
著者は神群アスラとデーヴァの対立が、“東のモンゴリアと満州にも広がり、日本で天つ神/国つ神となったのだろう”としているのだが、ホツマツタヱに記されている暦から、天照神誕生は紀元前1,793,187年となり、この数字は私の直観と完全に一致する。なので、前 2000年頃のインド・イラン神話が東に伝わり「天つ神/国つ神となった」とするのはあり得ない。
天津神とは、第1システム天津神第2~3レベルの神々のことで、国津神とは第1システム天津神第4~5レベルの神々のことなのだが、これでは枠が狭すぎて、例えばギリシャの神々などは「神」ではなく「民草」になってしまい具合が悪い。「天界の改革」を機に、天津神・国津神の言葉の定義を変えて解説したのが「天界の秩序1」である。
「イサナギ・イサナミと和歌の枕言葉」には、“ハナキネは母の苦悩も解らぬまま、あろうことか熊野三山に火を放ち、山林火災を起こす一大事をしでかしました。…母イサナミは勢いづく山火事をなんとか消火しようと、本宮に籠って一生懸命に祈願を続け、火の神のカグツチ(迦具土)を生んで消化を願いますが、ついに火にまかれて焼死してしまいました。この死の間際に生んだ神の名は土の神のハニヤス(埴安姫)と水神のミズハメ(網象女)でした”とある。
ハナキネは素戔嗚尊(ソサノヲ)の斎名(イミナ)で、ホツマツタヱによれば、“イザナミはカグツチを生んだ際の火傷が原因で死んでしまう”のではなく、ハナキネが放った火による山火事にまかれて焼死したのである。
「中央アジア神話と日本神話」は、この後も古事記・日本書記といったホツマツタヱから見れば明らかな「偽書」に基づいて論じているので、いちいち説明するのが馬鹿馬鹿しくなる。
「ホツマツタヱ」は伝承の確かさとスケールの大きさで、他の「神話」とは次元が異なる。古代史で卑弥呼を思い浮かべる人や、この著者の時間の感覚は、せいぜい数千年で、コーリー・グッド氏が約6万年前のプリ・アダマイトの話をしている。しかし、ホツマツタヱは約300万年前からの正確な伝承なのである。
以下では、ヴェーダ期インドと古代日本の神話で極めて類似する例をいくつか紹介する。また必要に応じてイランとインド・ヨーロッパの例も取り上げる。
…
1.最初の神々
日本神話の最初の神々は不鮮明である。インド・ヨーロッパ神話には原人(ヴェーダのプルシャ、ゲルマンのユミル。なお、中国の盤古も参照)がいるが、日本神話にはいない。その代わり、最初の五代の神々(別天つ神)やカムロキ、カムロミなどの曖昧な存在がいる。
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1.最初の神々
日本神話の最初の神々は不鮮明である。インド・ヨーロッパ神話には原人(ヴェーダのプルシャ、ゲルマンのユミル。なお、中国の盤古も参照)がいるが、日本神話にはいない。その代わり、最初の五代の神々(別天つ神)やカムロキ、カムロミなどの曖昧な存在がいる。
「ほつまつたゑ御織の十四(ソヨ) 世継ぎ告る祝詞の紋」の天地開闢(14-6)の所では、“ウツホ・風・火と 水・土の 五つ混わりて 人となる アメナカヌシの カミはこれ”と書かれている。
この部分を含めた口語訳は、「このウツホ(空)、カゼ(風)、ホ(火)、ミヅ(水)、ハニ(土)の五元素が混じり合ってこの時初めて人体が生まれました。アメナカヌシ(天御中主)とはこの神のことです。アメナカヌシは八方の万国を巡ってヨロコを生み(万子生む、喜ぶの語源)方々に配り置いたので、その子孫がそれぞれの国の最初の先祖となりました。」とある。このように、「ホツマツタヱ」には最初の神々がハッキリと記されている。
「スミワタルタカキホシノヒメミコ様からの通信文3」では、“進化のプロセスとして現れた人類は、約4000万年前だという事をお伝えしました。…それから約500万年経った頃、天界から神々の転生が始まりました。今から約3500万年前の事です”と書かれていたように、第1システム天津神第2レベルの最高神・天御中主神が地球に「人」として転生したのは、BC3,430万年のことで彼の個人名は大源神(オオミモトノオンカミ)である。
2.原初の牡牛
『リグ・ヴェーダ』(3.38)にもイランの『アヴェスタ』にも原初牡牛が見られるが、日本にはない。
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また、京都の北野天満宮に見られるスサノヲと牡牛のつながりが関係するのかも不確実である。
『リグ・ヴェーダ』(3.38)にもイランの『アヴェスタ』にも原初牡牛が見られるが、日本にはない。
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また、京都の北野天満宮に見られるスサノヲと牡牛のつながりが関係するのかも不確実である。
「スサノヲと牡牛のつながり」というのは、八坂神社に祀られていた牛頭天王(ごずてんのう)のことを、素戔嗚尊(ソサノヲ)と同一視するという誤りから起こることである。
「牛頭天王は起源不詳の習合神で祇園精舎を守護するとされ、日本では素戔嗚尊と同神とされていた」ということなのだが、“釈迦の生誕地に因む祇園精舎の守護神”ということから分かるように、牛頭天王とは祇園精舎を建立し寄進した長者スダッタ(須達多)のことで、素戔嗚尊とは関係がない。
この例から分かるように、日本では「神仏習合」の影響で、「神」でないものを「神」として祀るということが良く見られる。
3.天父地母
イザナギとイザナミはそうは呼ばれていないが明らかに天父地母であり、インド・ヨーロッパおよびトルコ系、モンゴル系神話に対応例をもつ。彼らの子どもは、ギリシアのティタン族/オリュンポス族、インド・イランのアスラ/デーヴァ、日本の天つ神/国つ神のように最初の神々である。
…
注目したいのはイザナギとイザナミの近親相姦である。…それは(日本神話の別天つ神や神世七代は別だが)、大抵は性的交わりによって子孫を生む最初の神々が必要だからである。
イザナギとイザナミはそうは呼ばれていないが明らかに天父地母であり、インド・ヨーロッパおよびトルコ系、モンゴル系神話に対応例をもつ。彼らの子どもは、ギリシアのティタン族/オリュンポス族、インド・イランのアスラ/デーヴァ、日本の天つ神/国つ神のように最初の神々である。
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注目したいのはイザナギとイザナミの近親相姦である。…それは(日本神話の別天つ神や神世七代は別だが)、大抵は性的交わりによって子孫を生む最初の神々が必要だからである。
「イサナギ・イサナミと和歌の枕言葉」には、“イサナギとイサナミの両神(ふたがみ)が、今の淡海(アワウミ)の瀛壷宮(オキツボ)に居られて国造りされていた時の事です。この宮を起点にして大八洲(おおやしま)を巡幸し、農業の普及に努め民を豊かにして後、法を定めて治安を計り、平和で豊かな国の再建を成し遂げました”とあり、天父地母ではなく、国を再建したことが分かる。
イサナギ・イサナミのホツマツタヱによる系図を見れば、近親相姦ではないことが分かるだろう。“性的交わりによって子孫を生む最初の神々が必要”だとして、それをイサナギ・イサナミと考えているらしいのだが、これもまた誤りである。
「ヒナ祭りと桃の花」には、“トヨクンヌの神は男女合わせて百二十人もの御子に恵まれましたが、各々がお一人でお暮らしになり、男女が一緒に暮らす夫婦(めおと)の道はまだ定まっていませんでした。こんな訳で、三代目までの神様を独神(ひとりかみ)といいます”とあり、イサナギ・イサナミ以前の神が単独でクローンを産んでいたわけではない。
続けて、“丁度、天の真榊木(まさかき)を植え継いで、五百本目になる頃のことです。四代目を嗣いだ男神の名前をウビチニと言い、この神はスビチニと言う女神と初めてご夫婦になられて最愛の妻としました”とあるように、初めて結婚という制度を定めたのが大濡煮(ういじに)尊、少濡煮(すいじに)尊で、“この時、両神にならって八十人の有力な神様達も皆妻を娶り、結婚式を祝うようになりました。この後、諸民も皆妻を定めて夫婦となり、この時結婚の風習が天下の法(のり)と定まりました”ということです。これは、紀元前3,000,717年の出来事です。
4.神々の二項対立
インド・イラン神話において、捨てられて太陽神となる胎児と強い関連があるのが、その兄弟たちの神群アスラ/アフラである(原初母神アディティから生まれたのでアーディティア神群とも呼ばれる)。彼らはもう一つの神群のデーヴァと対立する。両者の関係は日本神話の天つ神/国つ神の場合と似ている。
インド・イラン神話において、捨てられて太陽神となる胎児と強い関連があるのが、その兄弟たちの神群アスラ/アフラである(原初母神アディティから生まれたのでアーディティア神群とも呼ばれる)。彼らはもう一つの神群のデーヴァと対立する。両者の関係は日本神話の天つ神/国つ神の場合と似ている。
著者は神群アスラとデーヴァの対立が、“東のモンゴリアと満州にも広がり、日本で天つ神/国つ神となったのだろう”としているのだが、ホツマツタヱに記されている暦から、天照神誕生は紀元前1,793,187年となり、この数字は私の直観と完全に一致する。なので、前 2000年頃のインド・イラン神話が東に伝わり「天つ神/国つ神となった」とするのはあり得ない。
天津神とは、第1システム天津神第2~3レベルの神々のことで、国津神とは第1システム天津神第4~5レベルの神々のことなのだが、これでは枠が狭すぎて、例えばギリシャの神々などは「神」ではなく「民草」になってしまい具合が悪い。「天界の改革」を機に、天津神・国津神の言葉の定義を変えて解説したのが「天界の秩序1」である。
5.火神の名前
次にヴェーダ期インドと日本の火の神の比較をしたい。
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イザナミはカグツチを生んだ際の火傷が原因で死んでしまう。これに怒ったイザナギがカグツチを切り殺す。
次にヴェーダ期インドと日本の火の神の比較をしたい。
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イザナミはカグツチを生んだ際の火傷が原因で死んでしまう。これに怒ったイザナギがカグツチを切り殺す。
「イサナギ・イサナミと和歌の枕言葉」には、“ハナキネは母の苦悩も解らぬまま、あろうことか熊野三山に火を放ち、山林火災を起こす一大事をしでかしました。…母イサナミは勢いづく山火事をなんとか消火しようと、本宮に籠って一生懸命に祈願を続け、火の神のカグツチ(迦具土)を生んで消化を願いますが、ついに火にまかれて焼死してしまいました。この死の間際に生んだ神の名は土の神のハニヤス(埴安姫)と水神のミズハメ(網象女)でした”とある。
ハナキネは素戔嗚尊(ソサノヲ)の斎名(イミナ)で、ホツマツタヱによれば、“イザナミはカグツチを生んだ際の火傷が原因で死んでしまう”のではなく、ハナキネが放った火による山火事にまかれて焼死したのである。
「中央アジア神話と日本神話」は、この後も古事記・日本書記といったホツマツタヱから見れば明らかな「偽書」に基づいて論じているので、いちいち説明するのが馬鹿馬鹿しくなる。
「ホツマツタヱ」は伝承の確かさとスケールの大きさで、他の「神話」とは次元が異なる。古代史で卑弥呼を思い浮かべる人や、この著者の時間の感覚は、せいぜい数千年で、コーリー・グッド氏が約6万年前のプリ・アダマイトの話をしている。しかし、ホツマツタヱは約300万年前からの正確な伝承なのである。
「集合的無意識」は神話的元型が存在する層で、“ユングは、このような「原像」が、個人の夢や空想のなかで、イメージとして出現することを見出した”と言うことでした。
ユングは、このような像は個人の体験に基づいて構成されたのではなく、“人類の極めて長い時間の経験の蓄積の結果構成されたもので、遺伝的に心に継承されると考え、これらの像を生み出す性向を「古態型(Arche-Typ,元型)」と名づけた”とのことです。
ユングは、“元型が個人の夢や空想のなかで、イメージとして出現する”理由を、“人類の極めて長い時間の経験の蓄積の結果”だと考えたようです。
このように考えるのはある意味で自然だと思いますが、私の経験から言うと「違う」と言えます。これだと神々と言うのは、過去の英雄たちの記憶でしかなく、人類共通の夢や空想の産物でしかありません。事実は全く異なります。
話を分かり易くするために、コーリー・グッド氏の体験を借りて説明しましょう。氏が出会った「古代地球離脱文明」の地底人は、地球の内部に住むと考えられていますが、彼らは3.1次元の住人なので、穴を掘っても彼らの住処にはたどり着けません。
コーリー・グッド氏は、彼らに招待されて3.1次元の地球の地下世界を見て帰って来たのですが、それは氏に特殊な霊能力が生まれながらに備わっており、そのために彼らに選ばれたからです。
「古代地球離脱文明」の地底人が、もう少し普通の一般人に接触しようとする時はどうするでしょう。一般人の前にプラズマ体で現れても何も見えません。恐らく彼らは、一般人の夢の中に現れてメッセージを伝えようとするでしょう。
この説明から分かるように、コーリー・グッド氏が接触した「古代地球離脱文明」の地底人は実在しており、ユングの言う「元型」ではありません。この説明と同様に、「古代地球離脱文明」の地底人だけでなく、「神々」も実在するのです。
「古代地球離脱文明」の地底人は3.1次元の地球に肉体を持って転生した存在ですが、「神々」が3.0次元の地球に転生して来ることもあるのです。私がその一人ですが、ホツマツタヱに出て来る神々も同様です。