ホツマツタヱに記されている、天照神の誕生は紀元前1,793,187年 ~日本書記に記述されてる「天祖の降跡から、1,792,470余年」はピッタリの年数

竹下雅敏氏からの情報です。
 前回に続き「ホツマツタヱ」に基づいて、神話にまつわる誤解を解きたい。
 ホツマツタヱに記されている暦をそのまま受け取ると、天照神の誕生は紀元前1,793,187年となり、あまりにも非常識なので何かの暗号だろうと考え、適当な解釈をして常識に適う年代を当てはめるということが行われています。
 しかし、このホツマツタヱの暦はそのまま受け取るべきものなのです。例えば、「日本書記」には次の記述があります。
 紀元前667年、日向国にあった磐余彦尊(神武天皇)は、“天祖の降跡より以逮、今一百七十九万二千四百七十余歳。而るを遼邈なる地、猶未だ王沢に霑わず。遂に邑に君有り、村に長有り、各自疆を分かちて用て相凌躒せしめつ。抑又塩土老翁に聞きしに曰く、「東に美地有り、青山四に周れり。其の中に亦天磐船に乗りて飛び降れる者有り。」といいき。余謂うに、彼地は必ず当に以て大業を恢弘し天の下に光宅するに足りぬべし。蓋し六合の中心か。厥の飛び降れる者は、謂うに是饒速日か。何ぞ就きて都なさざらむや。”と言って、東征に出た。
 口語訳では、“日本磐余彦天皇(神武天皇)は、四十五歳になられたとき、兄弟や子どもたちに語られた。「天孫が降臨されてから、百七十九万ニ千四百七十余年になる。しかし遠い所の国では、まだ王の恵みが及ばず、村々はそれぞれの長があって、境を設け相争っている。さてまた塩土の翁に聞くと、『東の方に良い土地があり、青い山が取り巻いている。その中へ天の磐舟に乗って、とび降ってきた者がある』と言うのです。思うにその土地は、大業をひろめ天下を治めるによいであろう。きっとこの国の中心地だろう。そのとび降ってきた者は、饒速日というものであろう。そこに行って都をつくるにかぎる」と言って、天皇は自ら諸皇子と舟軍を率いて、東征に向われた。”となっています。
 ここに「天孫が降臨されてから、1,792,470余年になる。」とあるのです。口語訳では「天祖の降跡」をニニキネの「天孫降臨」と解釈していて、このような解釈が一般的なのだと思いますが、天祖とは「天皇の祖先。皇祖。一般には天照大神(あまてらすおおみかみ)をさすが、古くは瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)をさしたこともある」ということです。
 ここで、「天祖」をニニキネではなく天照大神だと解釈すると、紀元前667年から約1,792,470余年は、紀元前1,793,137年頃となり、ホツマツタヱに記される天照神誕生の紀元前1,793,187年と極めて近くなるのです。天照神の即位は、紀元前1,793,141年だと私は考えているので、「天祖の降跡から、1,792,470余年」はピッタリの年数なのです。
(竹下雅敏)
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「中央アジア神話と日本神話」について 2
2020年11月1日  竹下雅敏
前回に続き、「中央アジア神話と日本神話 マイケル・ヴィツェル 翻訳:松村一男」の気になるところを引用し、説明を加える。

6.オルフェウス型神話
 カグツチを生んで亡くなったイザナミは黄泉国に行く。悲しみにくれるイザナギもその後を追う。悲しむ夫が冥府を訪れる神話ではオルフェウスとエウリュディケーのものがよく知られているが…このタイプの神話は日本とインド・イランに限定されず、地理的にはるかに大きな広がりを示している。
 
このタイプの神話が地理的に大きな広がりを示すのは、内側の身体が肉体(狭義)を離れるという現象が、ありふれたものだということを示している。少し練習すれば、意識的に肉体を離れることが出来るようになるが、勧めない。恐怖心を取り除いてからでないと、このような体験は危険を伴う。

 ちなみに、イザナギがイザナミの後を追って黄泉国に行ったのは、紀元前1,793,134年である。

7.太陽神の誕生とその性格
 ギリシア神話ではアテナはゼウスの額から、ディオニュソスはゼウスの太ももから生まれている。だからアマテラスがイザナギの左目(多数派の伝承形)から、スサノヲが右目から生まれたというのもそれほど珍しい形ではない。…太陽女神としてのアマテラスの性格を対応するインドの曙女神であるウシャスの性格と比較することはあまり有効ではない。
 
ホツマツタヱの「天照神(ひのかみ)の瑞御名(みずみな)のアヤ」によれば、イサナギ、イサナミはハラミ山(富士山)に登って、“ハラミ山頂の子代池(このしろいけ)の池水で左眼を洗い日霊に祈り、右眼を洗って月霊に祈り…交わって孕んだものの、十ケ月経っても生まれず…九十六ケ月目になってやっと臨月を迎え、備わりご降誕になられたのがアマテル神でした”とあり、イザナギの左目から生まれたという馬鹿げた物語にはなっていない。

 また、天照大神は男神で、ホツマツタヱには中宮の瀬織津姫穂乃子を中心に十二后として、大宮姫道子、棚機姫小妙、蘇賀姫、速開津姫秋子、織機姫筬子(オサコ)、豊姫紋子、若姫花子、色上姫浅子、益姫持子、小益姫早子、味子、爪生姫中子の名が挙がっている。

 豊受大神、天照大神の二柱は共に男神で、第1システム天津神第2レベルの最高神の地位を、クーデターによって紀元前2,996万年に大源神(当時の天御中主神)から奪い取った。これ以来、皇統は男系となってしまった。

 2007年から始まった「天界の改革」は、私が中心となって行って来たのだが、地上に霊体で降臨した神々で中心となったのは瀬織津姫穂乃子である。悪しき天照政権を滅ぼし、本来の大源神(オオミモトノオンカミ)の一族を天位に戻したのだが、最終的には大源神の一族も滅びる結果になってしまった。

 瀬織津姫穂乃子、大宮姫道子、棚機姫小妙、蘇賀姫、速開津姫秋子、色上姫浅子、爪生姫中子は、「天界の改革」の出会いで、現在は私の妻になっている。


8.トリックスター神の乱暴
 スサノヲとインドラのトリックスター的行為も比較すべき問題である。…スサノヲとアマテラスは非・性的なやり方で八人の子を儲ける。これに対し、インドラの子孫は知られていない。
 
「遺言文(のこしぶみ)刑罰(サガ)を立法(たつ)アヤ」には、アマテル神の許可を得てネ(北陸)の国に旅立つことを許されたスサノオ(ソサノオ)が、「出発に先立ち、ヤスカワベ宮に居られる姉ワカ姫に一目お目にかかってからネに向いとうございます。」ということで、この時にソサノオがワカ姫に誓いを立てる。
「ネ(北陸)に行ったら必ず結婚して子供をつくって見せる。もしも先に女子が生まれたら、おれの心が汚れていたと素直に認めよう。もし男子だったら、その時はおれの勝ち。おれは悪くない。」
アマテル神が昔、マナイガハラ(真奈井原、現・比沼麻奈為神社、京都府中郡峰山町)に御座(おわ)しました時…床神酒(トコミキ)を飲んでハヤコと性交したその夜の夢に、十握剣(トツカノツルギ)を三段(ミキダ)に折りて清噛(サガ)み(相模の語源)に噛むと三宝(ミタ)となり、その後ハヤコが三女を生んだので、三女の真名(イミナ)の頭にそれぞれタ(宝)の字を付けたという。もしも我が汚れて姫が生まれたら、その時は素直に過ちを認めて姫と共に生涯恥をかいて生きよう」
というもの。剣を噛んで子供が産まれたわけではない。

 ちなみに、ワカ姫の名が付いているのが和歌山県。「ホツマ物語 鳥居礼著 新泉社」のp80には、「枯れた稲が和歌によって若返ったので、この国を“和歌の国――若の国――”とした。――和歌山の名の起こりである。」と書かれている。

9.原初神群の八人の子供たち
 次に原初カップルのイザナミ/イザナギとディアウス/プリティヴィーの子どもの世代に移ろう。…日本とヴェーダの親神からは八人の子どもが生まれる。…不自然で非・性的な食事によって妊娠した八人の神々は日本のアマテラスとスサノヲの子どもに対応する。
 
親神から八人の子どもが生まれるのは、イザナミ/イザナギではなく国常立尊の世代である。

 また、先に見たようにアマテラスとスサノヲの間には子供はいない。まして、食事によって妊娠したりはしない。

10.太陽の解放
 インドではヴァラ、日本では岩戸と呼ばれる洞窟から太陽光が解放されるという重要な共通の神話がある。どちらの場合も、さまざまな神々と祭司の協力によって事態の解消が図られる。…インドラとタジカラヲがともに「腕が強い」という意味の名前であることは重要だ。…この豪腕の神は、失われてしまった中央アジア東部の言語(先トルコ系か?)において同じ名前で呼ばれており、その名残りが高句麗、ついで弥生時代の人々に伝わったのではないだろうか。
 
「岩戸開き」があったのは、紀元前1,572,323年のことなので、岩戸を開いたタジカラヲの名が、“高句麗、ついで弥生時代の人々に伝わった”というのはあり得ない。

 ちなみに、奇杵命(大己貴)が5,609歳のときに、出雲に大社を築いていることが発覚したのが紀元前1,555,101年、「国譲り」は奇杵命が5,620歳のときの紀元前1,555,090年の出来事である。

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