ニニキネは、原見山(富士山)の麓の八方位を掘らせ八つの湖を造り、掘り出した土を山頂に上げて「八峰」を築いた ~原見山(富士山)に「八峰」を築いたのは紀元前1,252,758年

竹下雅敏氏からの情報です。
 ホツマツタヱは伝承を文字通り受け取ると、タイムスケールが大きすぎて困惑してしまう人が多いと思われるのですが、伝承の内容も信じがたいものなのです。
 ニニキネは、原見山(富士山)の麓の八方位を掘らせ八つの湖を造り、掘り出した土を山頂に上げて「八峰」を築いたと書かれているのです。また、同じ紋「コヱ国原見山の紋」の中に、“オキツボの 峰より眺め 御言宣(みことのり) 「汝ヤマクヒ 山後(やまうしろ) 野を堀り土を ここに上げ 太陽の山を(おおひのやまお) 写すべし」”とあり、比叡山は「オキツボの峰」に土を積み足して、原見山(富士山)に似せて造ったと書かれているのです。「一枝(60年)で完成したので一枝(ヒヱ)の山」と言うようです。
 私の調べでは、原見山(富士山)に「八峰」を築いたのは紀元前1,252,758年であり、「比叡山造成の勅」が出たのは紀元前1,180,710年のことです。
(竹下雅敏)
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秀真伝御機の二十四「コヱ国原見山の紋」
2020年11月22日   竹下雅敏
 
ホツマツタヱの興味深い伝承を紹介したい。

https://www.gejirin.com/hotuma24.html
ほつまつたえ 地の巻24 こゑくにはらみやまのあや【コヱ国ハラミ山の文】

(前略)
くもちわけ しなのすわより   雲路分け  シナノスワより
(信濃諏訪)

みちひけは はらみやまから   導けば   ハラミ山から
よもて すそのひろし   四方を見て 「裾野は広し
みつうみ すその   水を埋み  裾野 田にせん」

たちからを やもほらしむ   タチカラヲ 八方に掘らしむ
<をして>        

うみも やまなかと   の名も  東はヤマナカと
埋み      (山中湖)
 
きねあす かはくちと   東北はアス 北はカハクチと
(明見湖)    (河口湖)
 
ねつもとす にしのうみ   北西モトス 西はニシノウミ
(本栖湖)     (西湖)
 
つさきよみ しひれうみ   西南キヨミ 南はシヒレウミ
(精進湖)   (四尾連湖)
 
きさはすと           東南はスト
(須戸沼)        
(以下略)  
 
美濃(岐阜県)を経て、信濃諏訪(長野県)を通って原見山(富士山)についたニニキネは、原見山の山頂から周囲を眺めて、周りの八か所を掘って湖にし、彫り上げた土を山頂に積み上げさせて八峰を築いたというのです。
 
湖の名は、東・山中湖、東北・アス湖、北・河口湖、北西・本栖湖、西・西湖、西南・キヨミ湖、南・シビレ湖、東南・スト湖です。

http://matocayamato.blog62.fc2.com/blog-entry-179.html
天孫降臨の真実「アスカヲキミ」と「ハラヲキミ」
2015/05/12

(前略)
仮宮をミヅホと名付けられたニニキネさまは、イサナギ・イサナミさま、フタカミご由緒のタガ(多賀)に行き、ヌサをささげられ、こののち、美濃に寄り、山路を進み、シナノ(長野)に至り、スワ(諏訪)より導かれ、国見のためにハラミの山(富士山)に登られて、広大な裾野をご覧になり、裾野を田にするよう、タチカラヲにお命じになりました。

八方に掘ったウミは、ヤマナカ・アス・カワクチ・モトス・ニシノウミ・キヨミ・シビレウミ・ストの八湖。

ニハリのタミが集まり、 八湖を掘り上げた土をハラミ山(富士山)の八峰に上げました。 
 
ウツロヰが浚ってきたアワウミ(琵琶湖)と 建国のミオの土と一緒に担いきて中心となる中峰を造り上げました。

「ト・ホ・カ・ミ・ヱ・ヒ・タ・メ」8座の八峰に建国のクニトコタチさまの中峰を加えた9座をコホシに準えてのニニキネさまの御希望にこたえてのことです。
 
ハラミ山(富士山)の八峰に降りつもった雪が(地下水となり)八湖に湛えられ、その支流が、9千の里の灌漑用水となって3万の田圃に及ぼされたと記されています。
(以下略)
 
ニニキネは、淡(琵琶湖)の湖底の土と三尾の土から中峰を造らせたというのですが、「完訳 秀真伝 下巻  鳥居礼著 八幡書店」のp56には、“中峰を朝の間に造った功により、ウツロヰの神を稜威浅間峰(いづあさまみね)の神と讃えました”とあります。この事から中峰は「浅間峰」だと分かります。
 
 
富士五湖に関してはウィキペディアに次の記述があります。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%8C%E5%A3%AB%E4%BA%94%E6%B9%96
富士五湖
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 

Wikimedia_Commons[Public Domain]
富士山と富士五湖周辺の地形図
左から本栖湖、精進湖、西湖、河口湖、山中湖である。
左端中段やや下の小さな湖は人造湖の田貫湖でこれは富士五湖ではない

富士五湖(ふじごこ)は、山梨県側の富士山麓に位置する5つのの総称。下記の5つの湖を指す。富士急の創設者である堀内良平によって命名された。 
 · 本栖湖 〈もとすこ〉(富士河口湖町身延町
 · 精進湖 〈しょうじこ〉(富士河口湖町)
 · 西湖 〈さいこ〉(富士河口湖町)
 · 河口湖 〈かわぐちこ〉(富士河口湖町)
 · 山中湖 〈やまなかこ〉(山中湖村

いずれも富士山の噴火による堰止湖で、富士箱根伊豆国立公園に指定されている。
 
名前の由来
江戸時代には富士講において現在の「富士五湖」に四尾連湖明日見湖泉津湖もしくは須戸湖を加えた「富士八海」の呼称は見られるが、「富士五湖」の呼称は見られない。
 
富士五湖は、富士急の創設者である堀内良平によって命名されたという事で、最近のことのようです。北西・本栖湖、北・河口湖はまあいいとして、山中湖はこれでは東ではなく北東で西湖は西ではなく北に位置しています。
 
四尾連湖(しびれこ)の名を持つ湖が山梨県西八代郡にありますがグーグルマップで見ると、富士山の南ではなく北西にあります。
 
このように富士五湖も含め、ホツマツタヱに記されている「八湖」がどこにあったのかは、今では良く分かりません。方位からみれば現在「山中湖」と呼ばれている湖は、本当は「アス湖」かも知れません。
 
山頂に積み上げた「八峰」の方ですが、現在の富士山頂にある8つの峰「八神峰(はっしんぽう)」は三島岳(みしまがたけ)、剣ヶ峰(けんがみね)、白山岳(はくさんがたけ)、久須志岳(くすしがたけ)、成就岳(じょうじゅがたけ)、伊豆岳(いずがたけ)、朝日岳(あさひがたけ)、浅間岳(せんげんがたけ)、駒ヶ岳(こまがたけ)です。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E7%A5%9E%E5%B3%B0
八神峰
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

Author:Σ64[CC BY]
剣ヶ峰山頂より見た八神峰と大内院(2012年9月撮影)

八神峰(はっしんぽう)は、富士山頂にある8つの峰の総称。八神峰の他にも富士八峰(ふじはっぽう)や、仏教でいう八葉蓮華から由来した八葉(はちよう)という名称で呼ばれることもある。
 
ウィキペディアには「八神峰一覧」があり、浅間岳(せんげんがたけ)は関係のある神仏として大日如来が配当されている。「備考」には、“浅間大社奥宮(旧大日堂)の裏にある禁足地。山頂の鳥居あり。登頂不可であるためか、八神峰に含まない場合もある”と書かれており、「浅間岳」は八神峰の中心と見て良いものと思われる。
 
ホツマツタヱの中峰は「浅間峰」で、現在の八神峰の中心は「浅間岳」なのだがこの2つが同じ峰であるとは思えない。ホツマツタヱによると、紀元前6万年頃に富士山は爆発しており、山頂の形は変わっていると考えた方が自然だからだ。「八峰」と「浅間峰」の名称だけが受け継がれたのです。

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