竹下雅敏氏からの情報です。
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秀真伝御機の二十四「コヱ国原見山の紋」
2020年11月22日 竹下雅敏
ホツマツタヱの興味深い伝承を紹介したい。
美濃(岐阜県)を経て、信濃諏訪(長野県)を通って原見山(富士山)についたニニキネは、原見山の山頂から周囲を眺めて、周りの八か所を掘って湖にし、彫り上げた土を山頂に積み上げさせて八峰を築いたというのです。
湖の名は、東・山中湖、東北・アス湖、北・河口湖、北西・本栖湖、西・西湖、西南・キヨミ湖、南・シビレ湖、東南・スト湖です。
ニニキネは、淡(琵琶湖)の湖底の土と三尾の土から中峰を造らせたというのですが、「完訳 秀真伝 下巻 鳥居礼著 八幡書店」のp56には、“中峰を朝の間に造った功により、ウツロヰの神を稜威浅間峰(いづあさまみね)の神と讃えました”とあります。この事から中峰は「浅間峰」だと分かります。
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2020年11月22日 竹下雅敏
ホツマツタヱの興味深い伝承を紹介したい。
https://www.gejirin.com/hotuma24.html
ほつまつたえ 地の巻24 こゑくにはらみやまのあや【コヱ国ハラミ山の文】
(前略)
くもちわけ しなのすわより 雲路分け シナノスワより
みちひけは はらみやまから 導けば ハラミ山から
よもおみて すそのはひろし 四方を見て 「裾野は広し
みつおうみ すそのたにせん 水を埋み 裾野 田にせん」
たちからを やもにほらしむ タチカラヲ 八方に掘らしむ
うみのなも きはやまなかと 湖の名も 東はヤマナカと
きねはあす ねはかはくちと 東北はアス 北はカハクチと
ねつもとす つはにしのうみ 北西モトス 西はニシノウミ
つさきよみ さはしひれうみ 西南キヨミ 南はシヒレウミ
きさはすと 東南はスト
ほつまつたえ 地の巻24 こゑくにはらみやまのあや【コヱ国ハラミ山の文】
(前略)
くもちわけ しなのすわより 雲路分け シナノスワより
(信濃諏訪)
みちひけは はらみやまから 導けば ハラミ山から
よもおみて すそのはひろし 四方を見て 「裾野は広し
みつおうみ すそのたにせん 水を埋み 裾野 田にせん」
たちからを やもにほらしむ タチカラヲ 八方に掘らしむ
<をして>
うみのなも きはやまなかと 湖の名も 東はヤマナカと
埋み (山中湖)
きねはあす ねはかはくちと 東北はアス 北はカハクチと
(明見湖) (河口湖)
ねつもとす つはにしのうみ 北西モトス 西はニシノウミ
(本栖湖) (西湖)
つさきよみ さはしひれうみ 西南キヨミ 南はシヒレウミ
(精進湖) (四尾連湖)
きさはすと 東南はスト
(須戸沼)
(以下略) 美濃(岐阜県)を経て、信濃諏訪(長野県)を通って原見山(富士山)についたニニキネは、原見山の山頂から周囲を眺めて、周りの八か所を掘って湖にし、彫り上げた土を山頂に積み上げさせて八峰を築いたというのです。
湖の名は、東・山中湖、東北・アス湖、北・河口湖、北西・本栖湖、西・西湖、西南・キヨミ湖、南・シビレ湖、東南・スト湖です。
http://matocayamato.blog62.fc2.com/blog-entry-179.html
天孫降臨の真実「アスカヲキミ」と「ハラヲキミ」
2015/05/12
(前略)
仮宮をミヅホと名付けられたニニキネさまは、イサナギ・イサナミさま、フタカミご由緒のタガ(多賀)に行き、ヌサをささげられ、こののち、美濃に寄り、山路を進み、シナノ(長野)に至り、スワ(諏訪)より導かれ、国見のためにハラミの山(富士山)に登られて、広大な裾野をご覧になり、裾野を田にするよう、タチカラヲにお命じになりました。
八方に掘ったウミは、ヤマナカ・アス・カワクチ・モトス・ニシノウミ・キヨミ・シビレウミ・ストの八湖。
ニハリのタミが集まり、 八湖を掘り上げた土をハラミ山(富士山)の八峰に上げました。
ウツロヰが浚ってきたアワウミ(琵琶湖)と 建国のミオの土と一緒に担いきて中心となる中峰を造り上げました。
「ト・ホ・カ・ミ・ヱ・ヒ・タ・メ」8座の八峰に建国のクニトコタチさまの中峰を加えた9座をコホシに準えてのニニキネさまの御希望にこたえてのことです。
ハラミ山(富士山)の八峰に降りつもった雪が(地下水となり)八湖に湛えられ、その支流が、9千の里の灌漑用水となって3万の田圃に及ぼされたと記されています。
(以下略)
天孫降臨の真実「アスカヲキミ」と「ハラヲキミ」
2015/05/12
(前略)
仮宮をミヅホと名付けられたニニキネさまは、イサナギ・イサナミさま、フタカミご由緒のタガ(多賀)に行き、ヌサをささげられ、こののち、美濃に寄り、山路を進み、シナノ(長野)に至り、スワ(諏訪)より導かれ、国見のためにハラミの山(富士山)に登られて、広大な裾野をご覧になり、裾野を田にするよう、タチカラヲにお命じになりました。
八方に掘ったウミは、ヤマナカ・アス・カワクチ・モトス・ニシノウミ・キヨミ・シビレウミ・ストの八湖。
ニハリのタミが集まり、 八湖を掘り上げた土をハラミ山(富士山)の八峰に上げました。
ウツロヰが浚ってきたアワウミ(琵琶湖)と 建国のミオの土と一緒に担いきて中心となる中峰を造り上げました。
「ト・ホ・カ・ミ・ヱ・ヒ・タ・メ」8座の八峰に建国のクニトコタチさまの中峰を加えた9座をコホシに準えてのニニキネさまの御希望にこたえてのことです。
ハラミ山(富士山)の八峰に降りつもった雪が(地下水となり)八湖に湛えられ、その支流が、9千の里の灌漑用水となって3万の田圃に及ぼされたと記されています。
(以下略)
ニニキネは、淡(琵琶湖)の湖底の土と三尾の土から中峰を造らせたというのですが、「完訳 秀真伝 下巻 鳥居礼著 八幡書店」のp56には、“中峰を朝の間に造った功により、ウツロヰの神を稜威浅間峰(いづあさまみね)の神と讃えました”とあります。この事から中峰は「浅間峰」だと分かります。
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ニニキネは、原見山(富士山)の麓の八方位を掘らせ八つの湖を造り、掘り出した土を山頂に上げて「八峰」を築いたと書かれているのです。また、同じ紋「コヱ国原見山の紋」の中に、“オキツボの 峰より眺め 御言宣(みことのり) 「汝ヤマクヒ 山後(やまうしろ) 野を堀り土を ここに上げ 太陽の山を(おおひのやまお) 写すべし」”とあり、比叡山は「オキツボの峰」に土を積み足して、原見山(富士山)に似せて造ったと書かれているのです。「一枝(60年)で完成したので一枝(ヒヱ)の山」と言うようです。
私の調べでは、原見山(富士山)に「八峰」を築いたのは紀元前1,252,758年であり、「比叡山造成の勅」が出たのは紀元前1,180,710年のことです。