竹下雅敏氏からの情報です。
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御食(ミケ)、万(ヨロズ)、生成(ナル)の紋(アヤ)
2020年11月29日 竹下雅敏
今回はホツマツタヱに伝わる「西王母」の伝承を紹介したい。
「完訳 秀真伝 上巻 鳥居礼著 八幡書店」を参考にすると、意味は次のようになる。
ウケステメ(西王母)はネの国のタマキネ(豊受大神) のもとに来て、良く仕えたので、大神は心から感動し、ココリ姫(菊理姫)の道の妹として縁を結ばせ、両人にヤマノミチノク(神仙の奥義)を授けた。喜んで帰国したウケステメは、コロヒン君(崑崙王)と結婚してクロソノツモル(玄圃積王)を産みました。
ニシノハハカミ(西王母)は再び来朝して、「コロヤマ(崑崙山)の民はまことに愚かしく、肉を好んで食べ、皆短命です。百歳か長くて二百歳位で亡くなります。稀に千歳、万歳の者もいますが、おしなべて、日々肉を食しております。
シナ(支那)君がやってきて、仙薬のチヨミ草(千代見草)を探し求めています。」と嘆いた。
これは驚くべき記述ではないだろうか。西王母(せいおうぼ)は、「西方にある崑崙山上の天界を統べる女性の尊称、天界にある蟠桃園の女主人でもあり、すべての女仙を支配する最上位の女神。東王父に対応する」とされるのだが、ホツマツタヱにはニシノハハカミ(西王母)と言う尊称と共に、ウケステ女と言う個人名が書かれているのである。
西王母に対置される東王父は、タマキネ(豊受大神)である。
ウィキペディアの「西王母」には、“前漢の武帝(前141年~前87年)が長生を願っていた際、西王母は十万人の玉女の名録を掌る女仙の上元夫人と董双成や王子登などの侍女とともに天上から降り、三千年に一度咲くという仙桃七顆を与えたという。西王母は黄金の光輝く華美な衣装を纏い、頭には太華髻と太真晨嬰の冠をつけ、腰には分景の剣を備えた30歳位の絶世の美女であることが描かれている”とある。
「西王母が武帝に桃を贈る 伝説の蟠桃は実在したのか?」と言う記事には、“宴会の途中に、西王母は仕える天女に仙桃を持ってくるよう命じました。…桃は淡い青色をしていて、西王母は武帝に4個をあげ、自分は3個食べました。武帝が桃を食べてみると、とても甘くて美味しくて、食べ終わった桃の種は全て保存しました。西王母がなぜ種を保存するのかと聞くと、武帝は、後日植えてみたいと答えました。西王母は「この仙桃は三千年に一回実がなるもの、不毛な人間の土地では育てられないでしょう」と言いました”とあります。
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2020年11月29日 竹下雅敏
今回はホツマツタヱに伝わる「西王母」の伝承を紹介したい。
http://hotumatutaye.com/wp/wp-content/uploads/2014/06/260610ほつまつたゑ全文.pdf
ほつまつたゑ 全文より抜粋
ウケステメ ネノクニニキテ ウケステメ ネの国に来て
タマキネニ ヨクツカフレバ タマキネに よく仕ふれば
ミニコタエ ココリノイモト 身に応え ココリの義妹と
ムスバセテ ヤマノミチノク 結ばせて 弥真のミチの奥
サヅケマス ヨロコビカエル 授けます 喜び帰る
ウケステメ コロヒンキミト ウケステメ コロヒンキミと
チナミアヒ クロソノツモル チナミ合ひ 玄圃積もる
15-23 ミコウミテ ニシノハハカミ 御子生みて 西王母
マタキタリ コロヤマモトハ 又来り 「崑崙山麓は
オロカニテ シシアヂタシミ 愚かにて 獣肉味嗜み
ハヤカレシ モモヤフモモゾ 早枯れし 百や二百歳ぞ
タマユウニ チヨロアレドモ たまゆうに 千万(歳)あれども
ヒヒノシシ シナキミイデテ 日日の肉食 シナキミ出でて
チヨミグサ タヅヌトナゲク 千代見草 探づぬ」と嘆く
ほつまつたゑ 全文より抜粋
ウケステメ ネノクニニキテ ウケステメ ネの国に来て
タマキネニ ヨクツカフレバ タマキネに よく仕ふれば
ミニコタエ ココリノイモト 身に応え ココリの義妹と
ムスバセテ ヤマノミチノク 結ばせて 弥真のミチの奥
サヅケマス ヨロコビカエル 授けます 喜び帰る
ウケステメ コロヒンキミト ウケステメ コロヒンキミと
チナミアヒ クロソノツモル チナミ合ひ 玄圃積もる
15-23 ミコウミテ ニシノハハカミ 御子生みて 西王母
マタキタリ コロヤマモトハ 又来り 「崑崙山麓は
オロカニテ シシアヂタシミ 愚かにて 獣肉味嗜み
ハヤカレシ モモヤフモモゾ 早枯れし 百や二百歳ぞ
タマユウニ チヨロアレドモ たまゆうに 千万(歳)あれども
ヒヒノシシ シナキミイデテ 日日の肉食 シナキミ出でて
チヨミグサ タヅヌトナゲク 千代見草 探づぬ」と嘆く
「完訳 秀真伝 上巻 鳥居礼著 八幡書店」を参考にすると、意味は次のようになる。
ウケステメ(西王母)はネの国のタマキネ(豊受大神) のもとに来て、良く仕えたので、大神は心から感動し、ココリ姫(菊理姫)の道の妹として縁を結ばせ、両人にヤマノミチノク(神仙の奥義)を授けた。喜んで帰国したウケステメは、コロヒン君(崑崙王)と結婚してクロソノツモル(玄圃積王)を産みました。
ニシノハハカミ(西王母)は再び来朝して、「コロヤマ(崑崙山)の民はまことに愚かしく、肉を好んで食べ、皆短命です。百歳か長くて二百歳位で亡くなります。稀に千歳、万歳の者もいますが、おしなべて、日々肉を食しております。
シナ(支那)君がやってきて、仙薬のチヨミ草(千代見草)を探し求めています。」と嘆いた。
これは驚くべき記述ではないだろうか。西王母(せいおうぼ)は、「西方にある崑崙山上の天界を統べる女性の尊称、天界にある蟠桃園の女主人でもあり、すべての女仙を支配する最上位の女神。東王父に対応する」とされるのだが、ホツマツタヱにはニシノハハカミ(西王母)と言う尊称と共に、ウケステ女と言う個人名が書かれているのである。
西王母に対置される東王父は、タマキネ(豊受大神)である。
ウィキペディアの「西王母」には、“前漢の武帝(前141年~前87年)が長生を願っていた際、西王母は十万人の玉女の名録を掌る女仙の上元夫人と董双成や王子登などの侍女とともに天上から降り、三千年に一度咲くという仙桃七顆を与えたという。西王母は黄金の光輝く華美な衣装を纏い、頭には太華髻と太真晨嬰の冠をつけ、腰には分景の剣を備えた30歳位の絶世の美女であることが描かれている”とある。
「西王母が武帝に桃を贈る 伝説の蟠桃は実在したのか?」と言う記事には、“宴会の途中に、西王母は仕える天女に仙桃を持ってくるよう命じました。…桃は淡い青色をしていて、西王母は武帝に4個をあげ、自分は3個食べました。武帝が桃を食べてみると、とても甘くて美味しくて、食べ終わった桃の種は全て保存しました。西王母がなぜ種を保存するのかと聞くと、武帝は、後日植えてみたいと答えました。西王母は「この仙桃は三千年に一回実がなるもの、不毛な人間の土地では育てられないでしょう」と言いました”とあります。
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西王母は中国で古くから信仰された女神で、崑崙山(こんろんざん)に住み、神仙思想と結びついて「不老不死の支配者」と見なされています。というのも、西王母は「蟠桃園の女主人」であり、伝説では「蟠桃園には、三千六百本の桃の木があり、手前の千二百本は、三千年に一度熟し、これを食べた者は仙人になれ、中ほどの千二百本は、六千年に一度熟し、これを食べた者は、長生不老が得られ、奥の千二百本は、九千年に一度熟し、これを食べた者は天地のあらん限り生き永らえる」とされているからです。
その西王母が、ホツマツタヱではニシノハハカミとして登場し、「コロヤマ(崑崙山)の民はまことに愚かしく、肉を好んで食べ、皆短命です。百歳か長くて二百歳位で亡くなります。稀に千歳、万歳の者もいますが、おしなべて、日々肉を食しております」と言って、崑崙山の民の寿命が短いのを嘆くのです。
この場合の「(寿命が)百歳か長くて二百歳位…稀に千歳、万歳の者もいます」という言葉は、文字通り受け取るべきものです。三千年に一度熟すという桃の木がある「蟠桃園の女主人」の言葉なので、文字通り受け取るよりないのです。
ホツマツタヱによれば、この三千年に一度熟すという桃は、「三千実(みちみ)の桃」としてニニキネが西王母に授けたものになっています。この15紋には次のくだりが出て来ます。
「吾は、日常の食事に千代見草を食べている。それは世の中にある苦菜より百倍も苦い。苦菜を食べて長生きをして、民が豊かになるようにと国を治めているのである。吾はマサカキが千本の枝を出したのを四回見てきた。わが身も今年で二十四万歳になったが、今でも元気なカキツバタのようで、これからも百万年も生きると思う」
こうした背景を考慮すれば、上記の文章も文字通り受け取るしかないのです。ホツマツタヱに出て来る年数は途方もなく大きなもので、私たちの常識に合わないので、適当に数字を調整して常識の範囲に収まるように解釈する人が多いのですが、このようなことをすべきではありません。