<醍醐聡:東京大学名誉教授>
2016年5月31日
「歴史的和解」の政治ショー
5月27日夕刻、
広島平和公園で演説を終えたオバマ米大統領が目の前で演説を聴いた日本原水爆被害者団体協議会(以下、「日本被団協」と略す)代表委員の坪井直さんと笑みを浮かべながら握手を交わし、同じく感極まって涙ぐむ
被爆者の森重昭さんを抱きしめる姿がデレビ、新聞に大きく掲載された。原爆投下をめぐる
歴史的和解を演出するのにふさわしい映像となった。
また、原爆投下への謝罪はしないという条件でオバマ大統領が広島を訪問することが決まって以降も、「謝罪を巡り揺れる被爆者」(『朝日新聞』2016年5月13日)といった記事が見られた。しかし、それから10日後には「
『謝罪求めない』78% 被爆者115人アンケート 米大統領訪問優先の傾向」(共同通信調査、『東京新聞』2016年5月23日)
という記事が大きく掲載され、<被爆者の多数は謝罪を求めていない>が定説になった感があった。
ところが、5月28日、ネットでこの問題に関する情報を検索しているうちに、
日本被団協事務局次長の藤森俊希さんが5月19日に
日本外国特派員協会で行った記者会見で気になる発言をしていたことを知った。 ネットでその記者会見の全容を記録した録画を探したら、すぐに見つかった。プレゼンテ-ターは日本被団協事務局長の田中煕巳さんと藤森さんの2人。
https://www.youtube.com/watch?v=abdpDmLXRbU&feature=youtu.be&t=29m3s
舞台裏を語った日本被団協事務局次長・藤森俊希さん
私が注目した箇所はいくつかあったが、この記事のタイトルに関わる
藤森さんの発言録を摘記しておく。( )内の数字は各発言の開始時刻。
(15:20~)「藤森
私たち被爆者が〔5月18日にまとめた要望書で〕最初に
アメリカに対して掲げているのは、あの原爆投下は人道に反し、国際法に反したものだと大統領が確認するということです。その非人道的で国際法に違反する
原爆投下について謝罪することを以て、その違法性、非人道性を確認することを私たちは要求しています。」
(29:03~)「藤森 この間、私は、ここにいらっしゃる方ではありませんけれども、メディアの方からたくさん取材を受けました。
そのほとんどの人がなんとか私の言葉からオバマ大統領への謝罪を求めないという言葉を引き出そうとしておりました。要するに、オバマ大統領がサミットのあと、広島へ来られるように雰囲気として謝罪しないというムードを盛り立てようという力が働いたのだと思います。その力がどこから働いたかはちょっと控えておきます。
でも、
多くの被爆者は謝罪しなくていいとは思っておりません。」
このような藤森さんの発言と、5月28日、夕刻のTBS「報道特集」が「歴史的瞬間!大統領の演説に被爆者は・・・」と題して放送した番組のなかで
中国放送の小林秀康キャスターが発言した次の言葉と重ね合わせて、いまさらながら
「空気による世論形成」の薄気味悪さを痛感した。
議論を封じ込めた「空気」
「小林康秀 ・・・・オバマ大統領の訪問を多くの被爆者、広島市民が好意的に受け止めています。しかし、訪問が取りざたされてから気になっていたのは、
大統領が来ると言う事実ばかりが重視されてしまいまして、アメリカに謝罪を求める声であるとか、原爆投下の是非を議論するといったような声を発しにくい空気があると感じたんですね。少なからず、そう思っている被爆者や広島市民はいます。
それは過去のあやまちを認めなければ、未来も同じことを繰り返してしまうのではないかという思いからなんですけれども。だからこそ、
オバマ大統領が来たということだけで浮かれてはいけないと思うんです。
彼が今後、どういう行動を取っていくのか、それを冷静に見て行かなくてはいけないと思います。」
空気によって作られる世論・・・・・わが国の民意の質を考える時、避けて通れない重いテーマである。
今回のオバマ大統領の広島訪問について、私は書きたいことが山積しているが、すぐにとはいかない。そこで、これだけはと思うことを書いておく。
生を絶たれた被爆者の意思を誰が代弁するのか
それにしても、広島の被爆者に向かってオバマ大統領に謝罪を求めるかと問いかけること自体、愚問である。藤森さんも発言したとおり、
被爆者が謝罪を求めるか否か以前に、原爆投下による民間人の殺傷は国際法に反する反人道的違法行為である。それは真珠湾奇襲で日本軍が多数の米国人を殺害した事実と相殺できるはずがない。
そうした原爆投下で一瞬に生を断ち切られた人々、さらに言えば、戦争末期に日本各地で行われた米軍による無差別空襲で命を絶たれた多くの人々の意思を誰が代弁できるのか?
彼らの無念を置き去りにして「被爆者の8割は謝罪を求めていない」などと報道する無神経さを指摘する人間が見当たらないことこそ異常である。
(以下略、続きは転載元でご覧下さい)
国家規模の社会実験としては極めて興味深いものですが、スイス国民の立場では、そのリスクは到底受け入れられないというところでしょう。反対意見の中に、“世界中から移民が押し寄せてくる”というのと、“真面目に働く人が減る”がありますが、実にもっともな意見です。特に難民問題は解決が難しいでしょう。これを避けるには、世界でいくつかの国が同時にベーシックインカムを導入する必要が出て来ます。
ですが、誰も働かなくなるということの方が問題の本質なように思えます。ベーシックインカムを導入すると、おそらく生産性は10分の1以下に激減すると思います。
ちょっと想像してみてください。あなたは警官です。目の前で市民がデモを行っており、警備に駆り出されています。あなたの思いとすれば、“問題を起こさずに早く終わってくれ”というものでしょう。あなたが警備に出ようが出まいが、警察を辞めようがどうしようが、生活が出来るとなれば、わざわざ辛い思いをして警備をするでしょうか。
あなたが郵便配達員だとして、毎日きちんと早く起きて郵便物を少しでも早く届けようとするでしょうか。“正月くらいオレたちも休みが必要だよな”となるのは当たり前のことで、郵便物は翌日ではなく、ロシア並みに10日くらいかかることになると思います。現状では、ロボットが肩代わり出来るほど社会は進歩していません。何より私たちの労働に対する意識が付いていけてないのです。
その意味で、“ブーゲンビリアのティータイム”さんのクリフォード・ヒューイ・ダグラス氏の著作の紹介を期待します。