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約16年前、2001年1月号から12月号まで、一年を通して違う場で執筆し連載した記事を改めてこの時事ブログの場で題材として掲載もしくは紹介の形で揚げて頂き時事ブログでの記事を展開させて頂きます。
当時、私はあの青年会議所メンバーでした。掲載予定の特集記事は地元の青年会議所で広報委員長だった私の役割として作成したものです。
地元青年会議所の運動テーマは毎年変化するのですが、この年掲げられたテーマが記事の中にある「永続可能な地球(ほしづくり)」。そしてスローガンが「夢」だったはずです。
「夢」を前面に出さなければならない執筆は困ったなと思いつつ、地元青年会議所メンバーと折り合いをつけながら当時の私としては本当に懸命になって拙いながらも自分のうちにある思い考えをまとめた記事です。年間五回新聞折り込みで市内の全戸に配布した広報誌と地元青年会議所ホームページ上で載せていました。
当時の状況と現在の状況は異なっていて記事は無論過去のものです。しかし内容を見直すと、物質現象面でいえば当時発生した流れが現在に流入して肥大して現象化していることがあるのも見て取れます。
また全般に、この記事では現象そのものよりその水面下に内在している問題を取り上げていて、この水面下の問題は現在起きている事象にも繋がって共有されていることが多いのも見て取れます。
その意味で、過去に執筆した特集記事を題材として解説を加えて自身のことを含めて当時を振り返りつつ現在へ至っている流れを見てみるというのは、「今」を理解し立体的な形で知る参考の一つにはなるのではないか?と考え記事作成を展開させて頂く次第です。
お付き合い下さればありがたく存じます。よろしくお願いいたします。
この原稿の初稿は2000年10月末ぐらいにあげたと思います。
新世紀を迎えるこの頃当時盛んに喧伝された言葉はIT革命。そして既にグローバルスタンダード(世界基準)なる言葉がマスメディアから各界でもてはやされていました。
日本では急死した小渕総理から森内閣(森喜朗をもじって蜃気楼内閣とも呼ばれていた。)となっていました。
バブルは既にはじけていましたが物質的にはまだ比較的日本は豊かでした。しかし、バブル後スキャンダルでさんざん叩かれた大蔵省は存続の危機に陥りついに2001年1月に解体されます。これにて日本型資本主義、そして過去の日本の経済政策は古く誤ったものとされます。ここから本格的に日本での構造改革がスタートしていきます。改革の旗手は2001年4月発足した小泉純一郎総理です。
この構造改革推進の流れは、「岩盤規制を取り払う」との美辞を謳いながら実質は国家財産を私物化する「国家戦略特区」を設置する現在の安倍政権の行状に繋がっています。加計学園問題の源流ともいえます。
一方、この時期の米国、ブッシュJRとゴアの米国史上まれに見る大接戦の大統領選が行われ、ブッシュJRが当選します。
これにてネオコンが台頭し、やがて「ニューワールドオーダー」の野望をあからさまにした行為を次々と実行に移していきますが、この大統領選挙終了まもなくから問題として声が上がったのが電子式投票機システムによる不正選挙疑惑でした。
これは実際に裁判にて争われ途中での判決では不正選挙が認めらますが最終的には最高裁の判決にてブッシュの勝利となります。しかし最高裁判事に様々な脅迫などがあったことが後に明かされています。ネット社会ではこの米国の電子式投票機システムが日本でも採択されてしまう懸念が当時すぐに示されていました。しかし残念ながらやがてこの懸念は日本でも現実のものとなり現在に至っています。
「道しるべを探して・・・」、このタイトルならば現在では迷い無く「ヤマ・ニヤマ(禁戒と勧戒)」を紹介するでしょう。しかし無論当時は全く「ヤマ・ニヤマ」は知っていませんでした。当時はただ漠然と携わっている仏教思想をかみ砕いて記そうかとの考え(野望かな?)はありましたが、記事中に「当て所のない旅に終始するかも知れません」と断りを入れたように、答えというか提案しようとする何か確たる柱的なものも全くないまま「道しるべを探して」の連載に踏み切ったのを覚えています。ただやむにもやまれない何かのものに突き動かされ、問いを発しつつ記事作成を進めたように思えます。
あの頃、息苦しく出口の見えない閉塞感に自身が覆われていたことを思い出します。「永続可能な地球(ほしづくり)」が所属組織のテーマでしたが地球環境を破壊しているのは人類であるのは明らかです。当時私はその破壊行為そのものに対してもありますが、それ以上にその行為に「痛みを覚えていない」としか見えない現代の文明に対する嫌悪と憤りがありました。その思いが文中の、「想像や洞察を放棄して、人間を単純に労働力や戦力といった数値数量に置き換えて見なしていくことに終始する」非人間化の営みの進行との表現になったのだと思います。
しかし、その反面、批判を表現したのは良いとして、いざ「自分自身はどうなのだ?」と振り返り見れば、自身が嫌悪し憤り批判する文明の上に座して生活を享受している自分がいるのです。矛盾し割り切れない思いを抱えている私がいました。そして当時の世相を漠然としたビジョン的には次のように感じていたと思います。
「ハーメルンの笛吹き男」よろしく、きらびやかな皮相的美しさの映像や音楽に誘導され踊らされ身動きのできないぬかるみからさらなる深みへとまるで機械仕掛けのようにはまっていく現代人・・・。そしてやがて・・・。
この感が「私たちは一体どこに向かおうとしているのでしょうか。」との問いになり、しかし自分自身もどうすれば良いのかが見えない焦燥が「現代を生きる私たち一人一人が、本当に人間らしく生きるとはどうであるのか」の問いになって表れたと思います。
新しい世紀を迎える華やかな気分などなくむしろ時折暗澹たる気分になる中、私自身が何かの手がかりをつかめ、それを興味ある方に開示できたならばとの思いがこの特集記事タイトル「道しるべを探して・・・」に込められていました。
当時、私はあの青年会議所メンバーでした。掲載予定の特集記事は地元の青年会議所で広報委員長だった私の役割として作成したものです。
地元青年会議所の運動テーマは毎年変化するのですが、この年掲げられたテーマが記事の中にある「永続可能な地球(ほしづくり)」。そしてスローガンが「夢」だったはずです。
「夢」を前面に出さなければならない執筆は困ったなと思いつつ、地元青年会議所メンバーと折り合いをつけながら当時の私としては本当に懸命になって拙いながらも自分のうちにある思い考えをまとめた記事です。年間五回新聞折り込みで市内の全戸に配布した広報誌と地元青年会議所ホームページ上で載せていました。
当時の状況と現在の状況は異なっていて記事は無論過去のものです。しかし内容を見直すと、物質現象面でいえば当時発生した流れが現在に流入して肥大して現象化していることがあるのも見て取れます。
また全般に、この記事では現象そのものよりその水面下に内在している問題を取り上げていて、この水面下の問題は現在起きている事象にも繋がって共有されていることが多いのも見て取れます。
その意味で、過去に執筆した特集記事を題材として解説を加えて自身のことを含めて当時を振り返りつつ現在へ至っている流れを見てみるというのは、「今」を理解し立体的な形で知る参考の一つにはなるのではないか?と考え記事作成を展開させて頂く次第です。
お付き合い下さればありがたく存じます。よろしくお願いいたします。
特 集 予 告 2001年1月号掲載
道しるべを探して・・・
喜劇王と称されたチャップリンは、映画「モダン=タイムス」で、機械を使う人間がやがて機械に操作され、ついには人間自身が機械化されていく悲喜劇を演じています。そこには産業革命から第一次、第二次世界大戦へと突き進んで行く近代の時間の流れに対する強烈な風刺が込められており、物質的な豊かさを求め、その引き換えに人間性を喪失させていく時代の営みに対する深い懐疑が表現されているよう感じます。
人間性喪失、つまり非人間化の営みとは、人間が人間に対してその内面からの働き、夢や希望、喜び怒り、悲しみ、悩みといった、人間一人一人が様々なものを抱えて生きていく、その全体に対する想像や洞察を放棄して、人間を単純に労働力や戦力といった数値数量に置き換えて見なしていくことに終始する営みであると、いってもいいように思えます。
さて、現代・・・・。止まることのない科学技術の進歩は、神の領域といわれた遺伝子の世界をも解明し、技術的にはクローン人間の製造も可能だといわれています。また一面、人類の存続をも危ぶまれる環境の悪化、非人間化の進行を示すかのような凄惨な事件の数々・・・・。私たちは一体どこに向かおうとしているのでしょうか。現代を生きる私たち一人一人が、本当に人間らしく生きるとはどうであるのかが問われているように感じられてなりません。
21世紀の初頭に当たる本年、私たち社団法人○○青年会議所は「永続可能な地球(ほしづくり)」をテーマとして運動を展開していきます。その一環としてこの特集では、現代において私たちが真に人間らしく生きられる道を問うていきたいと思います。
もとより用意され完成された答えがあるわけもなく、その道しるべを求めての当て所のない旅に終始するかも知れませんが、どうか、1年間よろしくお願いいたします。
読者の皆様の一言が道しるべ発見の大きな鍵となることを期待しまして、特集予告とさせていただきます。
道しるべを探して・・・
喜劇王と称されたチャップリンは、映画「モダン=タイムス」で、機械を使う人間がやがて機械に操作され、ついには人間自身が機械化されていく悲喜劇を演じています。そこには産業革命から第一次、第二次世界大戦へと突き進んで行く近代の時間の流れに対する強烈な風刺が込められており、物質的な豊かさを求め、その引き換えに人間性を喪失させていく時代の営みに対する深い懐疑が表現されているよう感じます。
人間性喪失、つまり非人間化の営みとは、人間が人間に対してその内面からの働き、夢や希望、喜び怒り、悲しみ、悩みといった、人間一人一人が様々なものを抱えて生きていく、その全体に対する想像や洞察を放棄して、人間を単純に労働力や戦力といった数値数量に置き換えて見なしていくことに終始する営みであると、いってもいいように思えます。
さて、現代・・・・。止まることのない科学技術の進歩は、神の領域といわれた遺伝子の世界をも解明し、技術的にはクローン人間の製造も可能だといわれています。また一面、人類の存続をも危ぶまれる環境の悪化、非人間化の進行を示すかのような凄惨な事件の数々・・・・。私たちは一体どこに向かおうとしているのでしょうか。現代を生きる私たち一人一人が、本当に人間らしく生きるとはどうであるのかが問われているように感じられてなりません。
21世紀の初頭に当たる本年、私たち社団法人○○青年会議所は「永続可能な地球(ほしづくり)」をテーマとして運動を展開していきます。その一環としてこの特集では、現代において私たちが真に人間らしく生きられる道を問うていきたいと思います。
もとより用意され完成された答えがあるわけもなく、その道しるべを求めての当て所のない旅に終始するかも知れませんが、どうか、1年間よろしくお願いいたします。
読者の皆様の一言が道しるべ発見の大きな鍵となることを期待しまして、特集予告とさせていただきます。
2000年晩秋から2001年早春、当時の状況、世相。
この原稿の初稿は2000年10月末ぐらいにあげたと思います。
新世紀を迎えるこの頃当時盛んに喧伝された言葉はIT革命。そして既にグローバルスタンダード(世界基準)なる言葉がマスメディアから各界でもてはやされていました。
日本では急死した小渕総理から森内閣(森喜朗をもじって蜃気楼内閣とも呼ばれていた。)となっていました。
バブルは既にはじけていましたが物質的にはまだ比較的日本は豊かでした。しかし、バブル後スキャンダルでさんざん叩かれた大蔵省は存続の危機に陥りついに2001年1月に解体されます。これにて日本型資本主義、そして過去の日本の経済政策は古く誤ったものとされます。ここから本格的に日本での構造改革がスタートしていきます。改革の旗手は2001年4月発足した小泉純一郎総理です。
この構造改革推進の流れは、「岩盤規制を取り払う」との美辞を謳いながら実質は国家財産を私物化する「国家戦略特区」を設置する現在の安倍政権の行状に繋がっています。加計学園問題の源流ともいえます。
一方、この時期の米国、ブッシュJRとゴアの米国史上まれに見る大接戦の大統領選が行われ、ブッシュJRが当選します。
これにてネオコンが台頭し、やがて「ニューワールドオーダー」の野望をあからさまにした行為を次々と実行に移していきますが、この大統領選挙終了まもなくから問題として声が上がったのが電子式投票機システムによる不正選挙疑惑でした。
これは実際に裁判にて争われ途中での判決では不正選挙が認めらますが最終的には最高裁の判決にてブッシュの勝利となります。しかし最高裁判事に様々な脅迫などがあったことが後に明かされています。ネット社会ではこの米国の電子式投票機システムが日本でも採択されてしまう懸念が当時すぐに示されていました。しかし残念ながらやがてこの懸念は日本でも現実のものとなり現在に至っています。
「道しるべを探して・・・」特集記事のタイトルに込めた思い、当時の記憶。
「道しるべを探して・・・」、このタイトルならば現在では迷い無く「ヤマ・ニヤマ(禁戒と勧戒)」を紹介するでしょう。しかし無論当時は全く「ヤマ・ニヤマ」は知っていませんでした。当時はただ漠然と携わっている仏教思想をかみ砕いて記そうかとの考え(野望かな?)はありましたが、記事中に「当て所のない旅に終始するかも知れません」と断りを入れたように、答えというか提案しようとする何か確たる柱的なものも全くないまま「道しるべを探して」の連載に踏み切ったのを覚えています。ただやむにもやまれない何かのものに突き動かされ、問いを発しつつ記事作成を進めたように思えます。
あの頃、息苦しく出口の見えない閉塞感に自身が覆われていたことを思い出します。「永続可能な地球(ほしづくり)」が所属組織のテーマでしたが地球環境を破壊しているのは人類であるのは明らかです。当時私はその破壊行為そのものに対してもありますが、それ以上にその行為に「痛みを覚えていない」としか見えない現代の文明に対する嫌悪と憤りがありました。その思いが文中の、「想像や洞察を放棄して、人間を単純に労働力や戦力といった数値数量に置き換えて見なしていくことに終始する」非人間化の営みの進行との表現になったのだと思います。
しかし、その反面、批判を表現したのは良いとして、いざ「自分自身はどうなのだ?」と振り返り見れば、自身が嫌悪し憤り批判する文明の上に座して生活を享受している自分がいるのです。矛盾し割り切れない思いを抱えている私がいました。そして当時の世相を漠然としたビジョン的には次のように感じていたと思います。
「ハーメルンの笛吹き男」よろしく、きらびやかな皮相的美しさの映像や音楽に誘導され踊らされ身動きのできないぬかるみからさらなる深みへとまるで機械仕掛けのようにはまっていく現代人・・・。そしてやがて・・・。
この感が「私たちは一体どこに向かおうとしているのでしょうか。」との問いになり、しかし自分自身もどうすれば良いのかが見えない焦燥が「現代を生きる私たち一人一人が、本当に人間らしく生きるとはどうであるのか」の問いになって表れたと思います。
新しい世紀を迎える華やかな気分などなくむしろ時折暗澹たる気分になる中、私自身が何かの手がかりをつかめ、それを興味ある方に開示できたならばとの思いがこの特集記事タイトル「道しるべを探して・・・」に込められていました。
21世紀初頭から既に人間や社会のあり方に危機感を感じ警鐘を鳴らしていたseiryuu氏に、当時の世相や自身の心境に現在の視点から考察を加え、思うところを綴っていただきました。
こうした短いスパンでの時代考察は、その時代を知らない世代や流されてきた人達にとって「今」を正確に理解するのに役立つのではないでしょうか。