青年会議所の広報委員長だった私が振り返る21世紀初頭
〜2001年 特集記事『 道しるべを探して…』4月号を題材に(上)〜

seiryuu氏の執筆記事第2弾です。
 「道しるべを探して・・・」の4月号を題材にして振り返っていきたいと思います。記事の長さや読みやすさを勘案して4月号を上中下の三回に分けて見ていきます。
 ごめんなさい、読者の皆様に最初にお断りしておきます。4月号は倫理全般を取り上げた回です。冒頭の「倫理は人間が集って、生活を営んでいく上での基盤であり、これがなければ、社会生活は成り立たないものです。」これはこれで本当にその通りだと思います。
 しかし今見れば三回の中の2回分上と中、この部分は実体験が薄い者(当時の私)が記しているので仕方の無いところではありますが、文章が拙いというか中身が薄いのです。別段、間違っていることを記しているわけではありません。ただし「倫理が崩れて大変」と新聞や雑誌、誰かが皆言っているようなことをなぞっているのに近い内容です。(勿論、倫理の崩壊は当時より今のほうがひどくこれはこれで大問題なのは間違いないのですが。)
 そしてすごく読みにくい(臭い?)ところがあります。今回掲載文書の最後のところ□で囲った文です。全体を大幅カットしようかとも考えたのですが、あえて掲載させて頂きました。ここから見えてくるものがあるからです。現代社会というより私の抱えている問題です。
(seiryuu)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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青年会議所の広報委員長だった私が振り返る21世紀初頭 〜2001年 特集記事『 道しるべを探して…』4月号を題材に (上)〜

pixabay[CC0]


特集記事 「道しるべをさがして・・・1」   2001年4月号掲載  上

倫理は人間が集って、生活を営んでいく上での基盤であり、これがなければ、社会生活は成り立たないものです。ところが昨今、新聞や雑誌だけではなく、テレビにおいても、現代文明と遺伝子に関わる最先端医学等の特集番組を通じて、倫理や、人間存在そのものを根本的に問い直す試みが、多くなされていることに、お気づきではないでしょうか。これらのことは何を意味するのでしょうか。

・現代の姿

現在、先進国と称される私たち日本の社会状況は、自由主義のもと、物質的に豊かで便利な生活を謳歌しているといえると思います。しかし、本当に私たちが、安心して、いきいきと充足した生活を送っているのかと問えば、どうでしょうか。

私たちをとりまく状況は、自然環境面では温暖化現象、ダイオキシン、環境ホルモン等の問題。社会環境では、未成年者の凶悪犯罪、麻薬等の薬物の氾濫、年間数万人の自殺者の輩出、政治腐敗、そして天文学的な国家の負債といった問題等々、数え切れないほどの病理的な現象をあらわしていることも否めない事実であり、これらの病理的な現象を生み出してきたのは、私たちの生活スタイルにあることも忘れてはならないことだと思います。

そして何よりも大きな問題は、社会の閉塞状況という言葉でよく表現されていますが、私たちが来るべき未来に対して、いきいきとした夢や希望を持ちづらい状況にあるのではないかということです。私たちにとって、夢や希望とは、充実した生を営んでいく原動力となるものであるといえます。

ところが、未成年者の凶悪犯罪、麻薬等の薬物の氾濫、年間数万人の自殺者の輩出といった問題は、私たちの社会が未来に対して、夢や希望を持ちずらい状況にあることを、端的に表現している現象だと思います。未成年者の凶悪犯罪等、これらは、いわば現実否定や現実逃避の行為です。

現在から未来へかけて、明るく豊かな展望が開けていれば、物質や経済的なものが、現在たとえ苦しい状況下にあったとしても、こういった現象は起こりにくいものだからです。精神的な空白感、もしくは飢餓感と表現すべきものをここに感じます。

この部分に関することですが、知人が面白いことを言っていました。「私たち現代人はまるで幽霊みたいになっているね。と。ご存知の通り日本の幽霊には足が描かれていません。このことは「不足」即ち「足ることを知らず、感謝できず、心身の置き場がない状態」を表現しているそうです。物質的に豊かで便利な生活を送りながらも、精神的な空白感、飢餓感を抱えながら過ごしている、現代社会の状況を巧みに表現した言葉であると感じました。


物質世界と精神世界



pixabay[CC0]


振り返るとこの時代までマスメディアでよく踊っていた言葉が「こころの時代」です。「物質的には豊かになり便利になった。しかし、精神的には・・・」というフレーズが頻繁に使われていたのです。「こころの時代」をテーマとしたテレビ番組が多くありました。「物質的には豊かになったのだから、後は精神が豊かになるように。そのためには何が大事でしょうか。」といった内容で、物質世界と精神世界を分けて精神世界の大切さ優位性を訴える番組構成が主だったよう記憶します。そして当時私自身これにうなずいていたものでした。

・・・ところが、この頃は「こころの時代」、「物質的には豊かになり便利になった。しかし、精神的には・・・」というようなフレーズはさっぱり耳にしなくなりました。なぜって?「物質的にも貧しくなった(させられた)」からです。日本ではこの頃から構造改革が本格的にスタートしたのです。


私の問題点



話が通じにくくなるかもしれないので先にお伝えしておきます。私は浄土真宗寺院の住職です。

掲載文の最後の所「精神的な空白感、飢餓感を抱えながら過ごしている、足がない幽霊、」。現代人は確かにそうかもしれません。しかし、それ以前の問題として、何かあたかも偉そうにご託を紹介している私がそうだったのです。

当時私は精神世界と物質世界が分かちがたいことは知りつつも、それを切り離し精神世界を(良くも分からないまま)上に置き、物質世界を数段下に見る傾向が植え付けられてありました。

寺院活動、どう見てもいわば「銭のため、銭もうけのため、銭にがんじがらめで」活動している寺院はそれこそごまんとあります。しかし仏教的な教え、もしくは建前では「銭に執着し縛られてはならない」です。

これはこれでいいのですが、実際にはこのためにどうするか?非常に多い傾向はできるだけ「銭を直視しない、触れないようにする。」態度でしょう。(私の所属する宗派はそうでもなく近年では他でもほとんど崩れているでしょうが)、この態度は今でも大変まじめとされるタイプの僧侶の女性に対する態度と共通するでしょう。

無論環境のせいばかりではないのですが「銭勘定など下世話で低俗な行い。」この不遜な「思い込み」が私の中で確かに植え付けられ存在していたのです。

それでは私が寺院で活動していることが高尚で高度なことかといえば全くそうではないのです。物質世界で日々現に経済生活しながら経済活動などあたかも無かったかのようにように振る舞う、これではまさに地に足がついていない幽霊です。

思考活動は日々しますが上滑りにならざるを得ません。空論です。当たり前にせねばならない義務作業(今も怪しいものなのですが)を、私は免罪符を有しているように実行せずに済ませていたのです。幸か不幸かこのことは否定できない事実として私の身の上にカルマ(業)が還ったのだとしか言い様がない形で具現化します。

この「道しるべを探して・・・」を書き終えて確か半年から一年以内、その足下をすくわれるようにものの見事に私は転倒します。そしてこれは数年にわたる問題となり格闘することになったのです。(これについては機会が許せば体験談として記させて頂くかもしれません。)。

また、掲載文で記している「精神的な空白感、飢餓感」、この真の正体、それについて本当のところつかめないまま長い時を過ごしていました。ところがやがて思いもかけなかったのですが、その正体を知らされます。それこそ判明した正体はまた思いもかけてなったものでした。私の視野の中に全く欠けていたのです。

思いもかけず、思いもしていなかった「精神的な空白感、飢餓感」の真の正体が知らされた。・・・私が竹下さん(普段私の周りでは竹下先生とは言っておらず、竹下さんと呼称して会話しているので普段通り記します。)を知ることで教えられたのでした。

(了)

Writer

seiryuu様プロフィール

seiryuu

・兵庫県出身在住
・いちおう浄土真宗の住職
・体癖はたぶん7-2。(自分の体癖判定が最も難しかった。)
・基本、暇人。(したくないことはしない。)
・特徴、酒飲み。アルコールには強い。
・歯が32本全て生えそろっている(親不知全て)原始人並み。

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