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特集記事 「道しるべをさがして・・・1」 2001年4月号掲載 中
・現象の背後の問題
それではなぜ、私たちは、物質的に豊かで便利な生活を送りながらも、精神的な空白感、飢餓感を抱え、未来に対して、いきいきとした夢や希望を持ちづらい状況に陥ってしまったのでしょうか。
今年1月10日の神戸新聞では、弁護士中坊公平氏のインタビューを通して「なぜ人を殺してはいけないのか」「なぜ悪いことをしてはいけないのか」を問い、「倫理21」等、倫理をめぐる書籍や雑誌の特集が相次いでいる事実、そして倫理観の揺らぎの根底には、人間関係がより希薄な方向へと向かう時代の流れがあるのではないかとの指摘をする記事の掲載がありました。
「なぜ人を殺してはいけないのか」というような問いは、根源的な問いではありますが、当たり前といえば当たり前のことです。それを、今、正面きって論じなくてはならないところに、私たちが生活する現代社会への根源的な問題、もしくは課題というべきものが、提出されているように思います。それは私たちの社会が、人間という根源、何を持って人間と称し、人間としてどうあるべきなのかという誰も皆が共通できる認識、その基盤の崩壊が深刻な段階まで進行してしまっているのではないかということです。人間にとって人間そのものが問題になっているということです。昔の日本、共同体がしっかりした社会においては、何を持って人間と称し、人間としてどうあるべきなのかの認識、この基盤は、一人一人が理屈抜きに体感体得できたものでありましょう。
しかし、グローバル化、情報化が進む現代においては、この共通認識基盤を見出し構築していく作業は決して容易なものではなくなっています。情報が即時に世界を駆け巡る現代社会では、その認識基盤が限定された共同体だけではなく、どの国や民族、異なった立場の人に対しても、矛盾無く通用し納得できるものである必要があるからです。しかし同時に、今その共通認識基盤構築の必然性をも強く感じます。なぜならば、現在私たちが抱えている問題、「物質的に豊かで便利な生活を送りながらも、精神的な空白感、飢餓感を抱え、未来に対して、いきいきとした夢や希望を持ちづらい状況に陥ってしまっている状況」・・・、その原因をたどり突き詰めていけば、この人間基盤崩壊の問題に突き当たると考えられるからです。
・現象の背後の問題
それではなぜ、私たちは、物質的に豊かで便利な生活を送りながらも、精神的な空白感、飢餓感を抱え、未来に対して、いきいきとした夢や希望を持ちづらい状況に陥ってしまったのでしょうか。
今年1月10日の神戸新聞では、弁護士中坊公平氏のインタビューを通して「なぜ人を殺してはいけないのか」「なぜ悪いことをしてはいけないのか」を問い、「倫理21」等、倫理をめぐる書籍や雑誌の特集が相次いでいる事実、そして倫理観の揺らぎの根底には、人間関係がより希薄な方向へと向かう時代の流れがあるのではないかとの指摘をする記事の掲載がありました。
「なぜ人を殺してはいけないのか」というような問いは、根源的な問いではありますが、当たり前といえば当たり前のことです。それを、今、正面きって論じなくてはならないところに、私たちが生活する現代社会への根源的な問題、もしくは課題というべきものが、提出されているように思います。それは私たちの社会が、人間という根源、何を持って人間と称し、人間としてどうあるべきなのかという誰も皆が共通できる認識、その基盤の崩壊が深刻な段階まで進行してしまっているのではないかということです。人間にとって人間そのものが問題になっているということです。昔の日本、共同体がしっかりした社会においては、何を持って人間と称し、人間としてどうあるべきなのかの認識、この基盤は、一人一人が理屈抜きに体感体得できたものでありましょう。
しかし、グローバル化、情報化が進む現代においては、この共通認識基盤を見出し構築していく作業は決して容易なものではなくなっています。情報が即時に世界を駆け巡る現代社会では、その認識基盤が限定された共同体だけではなく、どの国や民族、異なった立場の人に対しても、矛盾無く通用し納得できるものである必要があるからです。しかし同時に、今その共通認識基盤構築の必然性をも強く感じます。なぜならば、現在私たちが抱えている問題、「物質的に豊かで便利な生活を送りながらも、精神的な空白感、飢餓感を抱え、未来に対して、いきいきとした夢や希望を持ちづらい状況に陥ってしまっている状況」・・・、その原因をたどり突き詰めていけば、この人間基盤崩壊の問題に突き当たると考えられるからです。
2001年春、当時の状況、世相
4月に小泉政権がスタートします。既にこの年1月ブッシュJRの政権がスタートし、新自由主義を展開。小泉総理が旗手となり竹中平蔵氏がその任を担ったのが「構造改革(編注:seiryuu氏の力作にリンクしています)」。これは新自由主義の経済政策。この時のフレーズ「聖域無き規制緩和」が、公共物を私物化するのに邪魔な規制等に難癖をつけて廃止させます。「所有したものは人間を含め空気、水等万物どのようなものも、その所有者が好きなようにしてもよい」。この「聖㊙︎ 根本教義(編注:seiryuu氏の力作にリンクしています)」をあからさまに実行する体制が日米ほぼ同時にスタートしたのです。また、この小泉政権を大躍進させたプロデューサーが広告界のガリバー電通。マスメディアは広告料に依存しています。電子式選挙を一手に担っている(株)ムサシとの繋がりも指摘されています。電通による政権、メディア、選挙、つまり日本の操作。これが肥大化しながら現在に繋がっています。
・「グローバルスタンダード」、「世界基準」への懐疑
既に記したように当時は「グローバルスタンダード」なる言葉が世間で、私の周辺でも、踊っていました。「金融ビッグバン」と並んで時代の最先端をリードするかのように扱われていました。「グローバルスタンダード」、「世界基準」の意味ですが、当時私は詳しく知らないままというか、調べる気にもならないまま、漠然とした「胡散臭さ」、もっと言えば「いかがわしさ」を感じ反発していた記憶があります。「世界基準?どこが?また、アメリカ様西洋様お得意の押しつけか?」と。
仏教徒の私にとって西洋的というかキリスト教的と思われる思想、世界観、価値観に反発がもともとあったのです。「人間が万物の霊長?どこが?」「愛、愛、愛だとさかんに説いているけど愛ってなんだ?」「『右の頬を打たれたら、左の頬も差し出せ』?そんな行動見たことないけど?他民族や他文化を征服して壊し管理しているのは見るけど。」と。そして「倫理が崩壊すれば社会が崩壊する。それがいまや否が応でもなく地域や一国の限定でなくなり世界規模になっている。21世紀に人類が本当に存続できるのか?地球上で破壊行為を続け、倫理を壊し、深刻な危機に追いやった主犯は西洋的、キリスト教的なものではないのか?そんな彼らが提出する「世界基準」なる価値観もしくは概念が世界の人類を幸福な方向にリードするはずがないのではないか?このような強い疑念と懸念を「特集記事」に込めていました。
・羅針盤の構築と「救い」
彼らが提出する「グローバルスタンダード」、「世界基準」には受け入れがたい懐疑がありましたが、記事にあるよう「どの国や民族、異なった立場の人に対しても、矛盾無く通用し納得できるもの・・・その共通認識基盤構築の必然性をも強く感じ」てもいました。人間社会を船に譬えるならば倫理は羅針盤に当たるのではないでしょうか?そして今やこの船には世界人類全体が搭載されています。この船の羅針盤は皆に誰にとっても「矛盾無く通用し納得できるもの」真理にもとづいた倫理規範でなければ通用しません。当時これを見いだせずにいたのです。
羅針盤なき船への不安があり、問題の解決のため、しっかりした思想によって(「共通認識基盤」と記していますが、)誰もが納得できる倫理規範を構築しなくてはならないと考えていたのです。そしてそのような素晴らしい思想、これこそが「精神的な空白感、飢餓感を抱える」人間をその社会を「救う」と、当時そしてその後長らくも考えていたのです。先にも述べたように「精神的な空白感、飢餓感」の正体に私は気づいておらず、ただ思想によって問題は解消されていくと思っていたわけです。
(了)
中身の薄さはともかくとして、記載の特集記事として記している内容はほぼこの通りだと思います。そして間違いなくここで触れた問題は現在に通じています。この頃より今のほうが倫理そして倫理見識の崩壊が顕著に見えるからです。「何を持って人間と称し、人間としてどうあるべきなのか?」この問いは根本的であるがゆえにある意味いつの時代でも新たな問いになるのかもしれません。皆様はどう応えられますでしょうか?