かんなままさんの執筆記事第8弾です。
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嫁姑
嫁姑の問題が起こるのは、お姑さんが不幸だからです。そのため弱い立場の人に当るのです。もうひとつは、お姑さんの無知、愚かさからきているというのが私の考えです。
もちろん、お嫁さんも無知で愚かです。しかし、嫁と姑が同じくらい愚かなら、年を取っている方が非が大きいのです。長く生きているだけ、もう少し賢明であるべきです。
お姑さんが自分を見つめて人間を理解しない限りこの問題は解決しないのです。
もちろん、お嫁さんも無知で愚かです。しかし、嫁と姑が同じくらい愚かなら、年を取っている方が非が大きいのです。長く生きているだけ、もう少し賢明であるべきです。
お姑さんが自分を見つめて人間を理解しない限りこの問題は解決しないのです。
出典:「ぴ・よ・こ・と2」竹下雅敏(著)
この文章を読んだ時、衝撃が走りました。もう一度読んだら涙がぽろぽろ出てきました。私の心の中で姑との問題が一気に解決していくのを感じました。
嫁に課せられた重圧
家と結婚したわけではないのに嫁はその家のしきたりに縛られていきます。はじめから弱い立場なのです。結婚1ヶ月目から毎月「子どもはまだ?」と電話がかかるようになりました。妊娠に焦りました。妊娠して喜んでいたら流産。悲しくて、更に焦りました。やっと妊娠したら「うちは男しか生まれない」と言われました。流産しそうになり安全のために入院を勧められ、生まれる直前に感染症にかかり2%の危険があると言われて帝王切開を選ぶように勧められ、無事に男の子が生まれて祝杯が挙げられました。お世継ぎ55代目が生まれたのです。家に残る家系図には娘や嫁の名前はなく全て「女」と書いてあります。
産後すぐに夫は外国へ。不安で涙を流して見送る私に「あんたはすぐに行くからいいね」と嫉妬されてびっくり。
子育てしながら引っ越して外国への荷造りをするという超多忙の中「長男の嫁が家にいないでは世間に顔向けできない」と怒られて夫の実家へ。夜中の授乳と家事、荷造りと無理がたたり産後の出血が止まらなくなりました。実家に行かせてくださいと頼んだら「あんたの体はどうでもいい」と言われ、逃げるように外国へ行きました。
2年間の外国の暮らしは夢の様でした。夫婦だけでいられる…それだけで幸せでした。帰国の飛行機の窓から富士山が見えた時、またあの生活になるのかと涙が出ました。
姑は悪い人ではありませんでしたが言いたいことをズバズバ言い、ズカズカ私達の生活に入り込み、夫を溺愛していました。私の息子に無断で自分のおっぱいをやり、子どもの教育に口を出し、息子の成績が悪いと親族会議が開かれ、お叱りを頂きました。子どもを医者にしなければ嫁の役割は果たせないというプレッシャーがかかりました。でも塾に行くのを逃げ出す息子を見て通わせるのを辞めました。
犬を飼いたいと話したら「子どももろくに育てられないくせに犬なんて」と怒られました。その時、我慢の糸がプチンと切れました。「私は期待に沿うような完璧な嫁にはなれません。私は子どもが4人いて、犬もいて、成績よりも、みんなで仲良く暮らす方が大切だと思います」とはっきり言う事が出来たのです。姑は私が口答えしたのでびっくりして何も言いませんでした。その時から私の中で確信が生まれました。もう振り回されないと。
救いは夫が姑から自立していたことです。むしろ溺愛されすぎて嫌っていました。でも私をかばってくれませんでした。私をかばうともっとすごいことになるという判断だったそうですが私はとても孤独でした。その頃の私は家で夢中で子育てしていたので友達もいませんでした。他人に愚痴を言わないで良かったと思います。
ただ、洗い物など単純作業をする時が一番つらかったのを思い出します。あんな事言われた、こんな事もあったとお皿を洗いながら傷口を広げては自分のネガティブな感情に溺れていました。姑が怖かった。香水の匂い、車の音だけで緊張していました。何度、聖音むしクンの力をかりた事でしょう(笑)
認知症になった姑 "姑"という名の一人の女性の人生
姑の名誉のために言いますが、日頃は明るくて社交的な人です。舅はそんな姑が大好きで何でも好きなようにさせていました。おしゃれ好きで贅沢な姑を目を細めて見ていました。舅が亡くなる直前に「傍にいてほしい」と頼んでも姑はこんな病院にはいたくないと言って最後まで叶えてあげませんでした。
一言で言えば「自分勝手な姑」。でも、舅が亡くなり、寂しかったのか仏壇に向かってなぜ死んだのと文句ばかり言い、徘徊するようになり、認知症になってしまいました。
今度は世話をする私達を泥棒扱い。夜中や仕事中も3分おきに電話をかけてくる。同じ商品を買いまくり貯金は0。車をぶつける。溺愛の息子の事は覚えているけど舅の事はすっかり忘れてしまいました(笑)
そんな混乱の生活の中でこの文章に出会いました。
私の中で電気が走り、ハッと気づかされました。姑は幸せではなかったのだと。
10代で結婚してお姑さんから「どこの馬の骨かわからん」と言われたことをずっと根に持っていました。そして何でもテキパキする体癖5-9の姑は、石橋をたたいても渡らなかった体癖6-2の舅を理解できなかったのでしょう。実は舅が嫌いだった・・・と確信しました。だから我儘、贅沢、救いは息子、私をいじめたくなる。
何だか姑があわれになりました。私への攻撃も理解できました。愚かなことですが・・・。
今、認知の母を見て淡々と優しくしようと思います。お世話は大変ですが、今は穏やかで落ち着いています。私の中にわだかまりがなくなってとても楽になりました。母から「ありがとう」という言葉も出るようになりました。認知になって10年。まだ夫や私の顔はわかります。あまり進まなくなった気がします。いつかお別れの日が来ると思いますが神様に「いい別れができますように」と祈っています。
自分ができる最善のことは…
そして、人は言葉で傷つくけれども、それは言った人の問題でもあり、傷つく必要はない。自分もまたネガティブな意識に振り回されてはいけない。これはとても難しいことですが、自ら選んでそんな世界に住みたくないと思いました。自分ができる最善の事は自分が幸せになること!だって誰もいじめたくありません。お嫁ちゃんも幸せになってほしいです。いい循環が始まりますように。