————————————————————————
21世紀は難民の時代
我々が暖かい屋内で正月を迎えようとしている時に、冬空の下、テントの中に寝起きしている難民たちが世界中に何百万人もいる。21世紀は、「難民の時代」だ。このことを忘れてはならない。 pic.twitter.com/bDhCUsXAKo
— 熊谷 徹 (@ToruKumagai) 2017年12月19日
自分の国を離れるということ。
そこには、深い理由があるはず。
それは、難民でも移民でも同じ。
国を離れる思いを甘美でせつないメロディーで
表現した曲がある。
ラフマニノフのヴォカリーズ。
ラフマニノフがロシア革命でアメリカに
移住する際の望郷の思いを謳った旋律。
シリア難民のお医者さんも、故郷アレッポが
崩壊していくのを見て、気力を失い、
しかし、家族と子供4人を守るために
難民としてドイツ入国した2014年。
まずは、自分ひとりで、ゴムボートにてシリアを離れ
ギリシャから1000キロ以上歩いて、欧州の地に到着。
それから、ドイツで基盤を作って、
大事な家族をいちはやく呼び寄せた。
難民でさえも早めの行動が吉となる。
受け入れ人数は限定され、
いつでも受け入れてくれる
という甘い現状ではない。
ドイツ語を早めに習得して
医者の仕事を再度ドイツでできるように、
自立できるまで、ドイツの国から支援をうける。
シリアの国は非常に豊かで素晴らしい国だった。
教育費も医療費も無料の国。
地中海に面し、貿易が盛んだった。
レバシリといって、レバノン、シリアは
交渉が上手だと商社でも有名である。
フランスの影響が多い。
首都のダマスカス、古都のアレッポ。
世界遺産のパルミラ遺跡。
シリア人をさかのぼると、フェニキア人。
フェニキア文字は、アルファベットの元。
6年目に入ったシリア内戦。
国外に避難した人は480万人を超える。
ドイツでの難民申請数は、100万人超。
お医者さんは、難民の中では、
恵まれているのかもしれない。
4人の子供たちも元気に小学校に通学。
ベルリンでは、高学歴の難民の方たちの
経歴を活用していく大学プロジェクトもある。
シリア難民のコミュニティーもたくさんあり、
寂しくはなく、逆にドイツ語の習得に邪魔になるとか。
ドイツには、レバノン料理屋、
トルコのケバブに相当する、
アラブ版ケバブのシャバルマもある。
シリアの医学
シリアの医学はどうなのだろう?
シリアの医学は、アラブのユナ二医学で
ハーブや薬草をふんだんに使用するらしい。
アラブ医学は、ヒポクラテスまで
遡る医学の元祖。
ユナ二医学は、中医学、インド医学(アーユルヴェーダ)
とともに、世界三大伝統医学と呼ばれる。
ユナニ医学(ユナニいがく)とは、現在もインド・パキスタン亜大陸のイスラーム文化圏で行われている伝統医学であり、古代ギリシャの医学を起源とする。中国医学、アーユルヴェーダ(インド伝統医学)とともに、世界三大伝統医学のひとつとされる。ユーナニ医学、ユナニー医学、ユナニティブ、ギリシャ・アラビア医学、グレコ・アラブ医学、アラビア医学、イスラーム医学ともよばれる。「Yunan」ということばは、(アラビア語でもそうであるが)ペルシャ語で「ギリシャ」(Ionia)という意味で、「Yunani」とは「ギリシャの」(Ionian)または「ギリシャを源にするもの」という意味である。イスラム医学、イスラーム医学と呼ばれることもあるが、イスラーム世界で発展したとはいえ、ネストリウス派キリスト教徒やユダヤ教徒など、多くの異教徒の学者も功績を残している。また、民族的にも非アラブ人であるペルシャ人(イラン人)やトルコ人、インド人、ギリシャ人、エジプト人、シリア人の医師たちも活躍したため、厳密には「アラビア人の医学」でも「イスラームの医学」でもなく、広くアラビア世界、イスラーム文化圏で発展した医学を指す。10世紀に確立し、イスラームの拡大とアラビア語の普及に伴い、ヨーロッパやインドでも広く行われた。ヨーロッパの大学では、15~16世紀には主にユナニ医学が教えられており、18世紀までイブン・スィーナー(Avicenna, 980-1307)の『医学典範』など、ユナニ医学の文献が教科書として使われていた。
出典 : ウィキペディア ユナ二医学
人材は財産
ドイツの国の医学にしても
シリアのお医者さんを受け入れることで
さらに研究が広がる。
ドイツの薬草学とアラブの薬草学で
研究の幅も広がる。
このように難民を受け入れることで
ドイツにも恩恵がある。
人材は財産である。
難民の人たちは、ドイツ語を習得して
働いて、ドイツに税金を納めるようになる。
また、次の世代もドイツで貴重な人材となっていく。
現在、トルコの食の豊かさがドイツの食を
豊かにしているように、
これから、シリアの良さがドイツをさらに
彩り豊かにしていく。
故郷を胸に秘めながら生きる
シリアのお医者さんも故郷アレッポでの思い出を
心に抱きながら、ドイツで進んでいく。
ロシア人音楽家、ラフマニノフもアメリカで
成功を収めたけれど、いつも心には、故郷
ロシアを思い描いていたに違いない。
それは、旋律の中に垣間見ることができる。
私も、日本の富士山や日本三大アルプスの
風景を忘れない。いつも心の中にある。
難民であっても、移民であっても
自分の生まれた国を離れて
世界の不条理さをかみしめながら、
真剣に生きている。
~シリア・アラブ共和国の情報~
バシャール・アル・アサド大統領
2000年7月就任 1965年9月11日生まれ
面積 18.5万キロ平米
人口 2110万人
通貨 シリア・ポンド
首都 ダマスカス
主要言語 アラビア語
宗教 イスラム教
独立 1946年
主要輸出品 石油、同製品、繊維製品 果物、野菜、
追記 : アレッポのオリーブオイル石鹸が有名です!
(今がわかる、時代がわかる世界地図 2014年度版 成美堂出版より)
バシャール・アル・アサド大統領
2000年7月就任 1965年9月11日生まれ
面積 18.5万キロ平米
人口 2110万人
通貨 シリア・ポンド
首都 ダマスカス
主要言語 アラビア語
宗教 イスラム教
独立 1946年
主要輸出品 石油、同製品、繊維製品 果物、野菜、
追記 : アレッポのオリーブオイル石鹸が有名です!
少し悲しいけれど、異国の地で前に進んでいく人たちへの賛歌です。
シリアは素晴らしい国だったのですが・・。